はっちゃんZのブログ小説

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16.レッドシャーク団との戦い2(第7章:私の中の誰か)

拳銃の発砲音と同時に紅凛は、
副首領のディック高橋とクリス松本の部屋へと近づいていく。
部屋の中からは二人が起きて準備している音が聞こえてくる。
『黒狼にしては、えらく派手だねえ。催眠ガスが効かないかねえ』
『もしかしたら人を操ると言っていた術が原因かもしれないねえ』と考えた。
部屋へ入ろうとしたら、高橋の電話の声が聞こえた。
「ボス、今の音は何です?
 あいつら喧嘩でもしたんですかね?」
「違うぞ、きっと敵だ」
「敵がここに?」
「たぶんお前や俺を狙ってくるから脱出するぞ」
「わかりました。クリスを連れて船倉へ向かいます」
「手筈通り頼むぞ」
「はい、わかりました」
高橋とクリスは急いで部屋から出て行くと船倉へ走って行く。
紅凛も二人を追いかけて船倉へと向かう。

紅凛の足音がしないため高橋とクリスも気がつかなかった。
船倉手前の広めのスペースに来た時、紅凛は天井へワイヤーを飛ばした。
紅凛のスタイルの良い細身の身体が天井にぶら下がると
その形の良い太ももに巻かれた革製のベルトに挟まれた鈍く輝くクナイの一本を構えた。
このクナイは全体的に黒色に染まっており光を反射しない。
高橋は、一瞬紅凛に気付き、クリスを横に押すとその場ですばやく転がる。
「クリス、敵だ。避けろ」
「!?・・・敵?」
突然の襲撃に驚きながらもクリスがマシンガンを連射して、
高橋が胸ポケットから手りゅう弾を取り出して紅凛へ投げて来た。。
紅凛はまだ空中にある手りゅう弾へクナイを投げつける。
クナイは手りゅう弾へ突き刺さりその場で爆発をした。
その手りゅう弾は、中に大量の小さな鉄粒が入っていたため、
紅凛のいた辺りは、小さな穴だらけになったが、
この戦闘服を着ているため若干の痛み以外は何の被害も無かった。

その爆発の一瞬、
紅凛は、天井から飛び降りながら、
黒色に染められたクナイと銀色に光るクナイを高橋へ
銀色に光るクナイをクリスへ投げた。
そのコースは、人間の盲点を利用したものだった。
「「「ガツッ」」」
「あっ、うっ、グッ」
高橋の足元には、驚いた様に開かれた目で、
額に角の様にクナイを生やしたクリスが倒れている。
クリスが絶命していることは明らかだった。
高橋は、投げられたクナイのコースを読み、
最初の銀色に光るクナイは、一瞬身体を捻って避けたが
銀色のクナイの影に隠れた黒色のクナイは気付かず肩に深く突き刺さった。
高橋はクリスを振り返ることもなくすぐに逃げ出した。
紅凛はクリスと床に刺さったクナイを拾うと高橋を追った。

何とか高橋は指示された通り船倉に入った。
船倉の奥には潜水艇が一艇固定されている。
高橋がその固定具を外そうと操作し始めた時、
赤城が船倉へ通じる別の扉から現れた。
高橋は船倉へ現れた紅凛へマシンガンを撃ちながら潜水艇の固定具の操作をし始めた。
紅凛が近寄ろうとするとマシンガンと赤城の対戦車ライフルが撃ち込まれた。
「高橋、よく頑張った」
「クリス、どこだい・・・」
「クリスは、あいつに殺された」
「ああ、クリス、どうして・・・」
桃は憎しみの目で散弾銃を紅凛へ撃ち込んでいる。
赤城も対戦車ライフルを紅凛の隠れている柱へ撃ち込んでいる。
「ボス、もうじき固定具が外れますから」
「おう、高橋、助かったぜ」
潜水艇の固定具は外れた。
その時、向こうの柱の陰に隠れていた筈の紅凛が、
高橋の後ろへフッと現れるとその首を鋭く掻き切った。
『ピュー』
高橋の首から真っ赤な血液の噴水が船倉の床を濡らす。
高橋の目は、驚いた様に開かれその大きな身体は徐々に倒れていく。

「後はお前達だけだぜ」
黒狼が、扉を開けて船倉へ入って来た。
「死ね」
赤城が黒狼や紅凛へ対戦車ライフルを撃ち込んだ。
引き金が引かれた瞬間、その場にいた二人の身体は消えた。
赤城はすぐさま物陰に隠れてマシンガンも撃ち込んでいる。
「桃、先に潜水艇に乗っておけ」
「ああ、わかったよ」
「おいおい、無事に逃げられると思ってるのか?」
黒狼が、物陰から姿を現した。
「クソー、化け物が!こうなれば」
赤城が、胸に吊っている小瓶を握る。
途端に赤城の目が赤く光る。
「高橋にクリス、先に船に乗ってるからこいつらを片付けろ」
死んだ筈の高橋が起き上がり廊下に続く扉からクリスが姿を現した。
そして黒狼や紅凛へ銃を撃ちながら赤城と桃を守る様に立っている。
「お前のその術は、知っているぜ。
 だが、せっかくだからそのゾンビと戦ってみよう」
黒狼は、ゾンビとなった高橋とクリスの前に行くと
ボクシングのクラウチングスタイルをとった。
ゾンビとなった高橋とクリスは銃を捨てると手にナイフを持ち、
人間と思えない様なスピードで黒狼に迫っていく。
黒狼は、その攻撃を全て避け、彼らの顔面へ大きな拳が放たれた。
その一瞬、彼らの頭部は爆弾が入っていたかの様に飛び散った。
二人は糸の切れた操り人形の様に床へと倒れ込んでいった。
「よくがんばったな。死んでも操られて大変だったな。次は赤城、おまえだ」
赤城は、隣に居る桃を見つめた。
「!?・・・」
途端に桃の表情が失われて紅凛へと向かって行く。
赤城は急いで潜水艇へと向かって行く。
その時、柱の陰に身を隠していた紅凛がクナイを桃へ投げる。
クナイは桃の額へ深く突き立ったが、
何も無かったかの様に額のクナイをそのままにして、
両脇に巻いていた二本の鞭を構えて紅凛へ向かって行く。
その鞭の先端には金属製の刃が備え付けられている。
鞭という武器の特徴としては、
長いしなりから生じる先端部の最高速度は音速を越えると言われている。
通常の人間のスピードでは躱すことが非常に困難な武器である。
避けることが出来なければ身体中を切り刻まれて死ぬことになる。
「ふふふ、その綺麗な顔や身体をズタズタに切り刻んでやるさ」
残虐に目をギラギラと血走らせたクイーン桃が両手の鞭を縦横無尽に操る。
蛇の様な動きをする鞭は紅凛の顔や身体を狙ってその牙を突き立てていく。
しかし、紅凛は二本の鞭の先端を悉く躱している。
二本の鞭が伸びきった瞬間、
腰の後に収めている小刀を抜きながら
残像を残す程のスピードで近寄り桃の首を刎ね跳ばした。
「!・・・ギャアー」
スタイルの良い桃の首の無い身体から噴水の様に血液を吹き上げ、
周りの何もない空間を確かめるように鞭を持つ手を泳がせると倒れた。
憎しみに歪み食いしばった口の端から血を滴らせた桃の首は、
紅凛の小刀に撥ね飛ばされた勢いで潜水艇の開いた扉の中へ転がり込んでいった。
「首だけになっても逃げたかったのね・・・不憫ね・・・」
と紅凛の顔半分に飛び散り滴る真っ赤な血を舌でチロリと舐め、
血がベットリと付いた小刀と額に突き立ったクナイを
倒れた桃の服で入念に拭くとゆっくりと腰の鞘とモモのベルトへ納めた。

潜水艇のタラップに昇ろうとした赤城へ黒狼が声を掛ける。
「お前だけ逃げるのか?
 それって死んでいった仲間に冷たいんじゃないか?」
「ふん、俺だけ助かればいいんだよ。俺は今までそれで生き残って来た。
 この船はもうじき沈む。この潜水艇が出ればここには海水が入ってくる。
 お前達はこの船と共に死んでしまえ」
赤城は胸ポケットから手りゅう弾を何個も投げつけて来た。
それらは空中で爆発しながら紅凛と黒狼の二人を爆風に包む。

その時、
「送霊印」と船倉内へ声が響く。
操舵室内に催眠ガスを充満させ意識を無くした船員全員を
コンテナ船に付属のゴムボートへ運び込んだ遼真は、
戦闘中の船倉へ急行し、
船倉の隅でボスの赤城を送霊印で捉えるタイミングを待っていた。
赤城の足元に白く輝く正三角形の送霊印が浮かび上がっている。
突然、赤城の顔が苦しみに歪み、二重にも三重にもぶれ始める。
小瓶からも赤黒い霧の様なモノが出て来ている。
三重にぶれている像の一つが小瓶へと吸い込まれる。
遼真が、片手を広げて赤城の方へ掌を向けた。
遼真の手から母から授かった力である白い霊糸が伸びて、
苦しむ赤城の首元にある小瓶に絡みつく。
赤城の首に吊っている小瓶が首からスルリと抜けると遼真の手の中へ入った。

送霊印の呪を唱えた同時刻、
「護身陣」
と真美の声が護摩壇の焚かれた祈祷所の一角で響いた。
その声と共に、
遼真の身体を白い網で包むように白光の円陣が浮かび、
その白い光が遼真へ吸い込まれた。
遼真が真美へ戦闘開始の合図をテレパシーで送ったのだった。
真美は護摩壇の前でずっと座ったまま遼真からの声を待っていた。
『今度こそ遼真様の役に立って見せる』と心に誓っている。
今回は遼真とのテレパシーを介し、
遠距離で如何に遼真へ陣を作用させるかの挑戦だった。
『護身陣』は、迷い里事件の様に、遼真が霊滅の力を発揮する時、
遼真の身体の防御力が低下し悪霊が憑依し魔人にならないようにするための陣である。

「霊滅」
の声と共に遼真の虹彩が金色に染まる。
遼真は、元々虹彩部分に細い金色の輪郭に縁どられた暗褐色の瞳を持っているが、
この状態になり瞳孔全てが金色に輝く時には、『100%の金環力』を発揮する。
そして、その力はいつものように霊魂を『送霊する力』ではなく、
『|霊滅《れいめつ》させる力』となるのである。
普段の戦いでは、真美の『銀環力(自縛印)』で霊をその場へ固定し、
遼真が『金環力(昇霊印)』を使い、
二人で六芒星の光の柱を作り霊界へ敵を送っているのだが、
この『|霊滅《れいめつ》という力』は、
送霊では対処できないほど強い悪霊相手の時や
真美が戦闘不能となり遼真一人だけで戦う時に使用される。
その威力は『送霊』よりも格段に強い力であり、
霊体を組成している物質そのものを分解してしまう力だった。
分解された物質は、霊として意識活動のできない、
小さな霊粒子(又は弦のような波)へ分解され、
霊界はもとよりどの世界にも存在できなくなり、
個の霊魂としてその存在自身を消滅させる力だった。

遼真は、小瓶の中に棲むアフリカ大陸の悪霊の本体を消滅させるつもりだった。
この悪霊は多くの動物や人間の命を糧として、
太古より続いてきた多くの憎しみが集まった忌まわしい怨霊である。
その姿も既に黒い不定形のモノと変わり、命を持つ生物を憎む心で満たされている。
この怨霊は、憎しみに溢れた身体なら何でも憑依できるため危険であった。

白い五芒星の柱の中に霊糸で固定された小瓶が浮かんでいる。
その小瓶から黒い霊物質が次々とあふれ出て来ている。
その黒い物質の一粒一粒が吸い付けられる様に広がっていき、
白い柱の壁面の光に触れると『ギャー』と悲鳴を叫びながら消えていく。
そのたびに小瓶の中にある骨で出来た人形は端から崩れていく。
やがて小瓶の中の骨人形らしきモノは粉々となり黒い物質の噴出は止まった。

15.レッドシャーク団との戦い1(第7章:私の中の誰か)

 

※これからは残酷なシーンがありますので注意してください。

『レッドシャーク団』の幹部の男女4人と数名の組織員は、
東京湾に停泊しているとある東南アジアの国の小型コンテナ船へ隠れていた。
夜中に偶然上田のユーチューブを観たクリスが急いで赤城へ連絡を入れて、
ボスからの指令でこの貨物船へ集まる様に指示があったのだった。
この小型コンテナ船の運営会社は、
赤城の傭兵時代に使っていた部下が経営している会社で、
自分の身に危険が及べばいつでも国外へ脱出するつもりで用意していたものだ。
今まで稼いだ金は、海外口座だけでなく金や貴金属やドルの現金にも換えている。
すぐに出航してもいいのだが、時間的に警察から目の付けられる恐れもあり、
数日は港の沖で停泊しているこの小型コンテナ船で隠れていることにしていた。
それに夕方に出航した方が、海保の目から逃れるためにも都合が良かった。
小型コンテナ船の船倉の部屋に
レッドシャーク団の幹部4人と残り数名の組織員が集まっている。
『レッドシャーク団』の幹部の男女4人と数名の組織員はテレビに釘付けだった。
狂次を始めとして、検挙された組織員は殺人犯として逮捕されている。
外道組のNo2も逮捕された報道も変更して流れている。
テレビは彼らの顔などの写真を派手に流し世間を賑わせている。
マスコミも世間も『彼らを死刑にすべき』だと声高に放送している。
「みんな、よく集まってくれたな。今からアジアのある国へ行く。
 日本とは犯罪者引渡し協定を結んでいない国だ。そこで身を隠す。
 今頃俺達でやった多くの仕事が明らかになっている頃だと思う。
 我々も捕まれば確実に死刑になるだろうな・・・。
 でも金もたっぷりあるし偽造パスポートも出来てるから心配しなくていい。
 みんな、安心していい。わかったな」
「「「へい、ボス、わかりました」」」
「その国に入ったら、少し整形して他人になりすますからそのつもりでな。
 それと一緒に近くで住むようにしていつでも連絡がつくようにしろ」
「「「へい」」」
「それといくらでも金があるからとあまり羽目を外して目立つなよ。
 どこに誰の目があるかがわからないからな。
 ある程度、落ち着いたらその国で日本と同じ仕事をして面白可笑しく暮らそうぜ」
「「「へい、わかりました」」」
レッドシャーク団の組織員は、各々ナイフや銃などの武器を持って寛いでいる。
頭領の赤城と副頭領の高橋は、傭兵時代の迷彩服を着ている。
「では、全員で乾杯でもしよう」
「「「カンパーイ」」」

数日後、水平線へ太陽が沈み始める頃、
世間のニュースもやや下火になり、
港へ警察の目が向けられていない事を確認して、
一味の乗ったコンテナ船は静かに出航していった。
船は東京湾を出て相模湾を通過している。
明るい月が水平線から上がって来た。
しかし三浦半島を越える辺りからその船の後ろには、
距離を取って海の色に溶ける様に半潜水型のバトルシップが尾行している。
一味の乗った船の周りにはイルカ型ロボットが数頭群れを為して泳いでいる。
このイルカ型ロボットは、館林京一郎が発明したもので海での戦闘に使用される。
『レッドシャーク団』のアジトである倉庫にはクモ助が常にいたため、
部屋を開けるちょっとした隙に、レッドシャーク団の幹部4人の服には、
聞き耳タマゴが付けられ、会話内容と位置情報は常に発信されている。

貨物船には夜のうちに『迷彩ドローン』を飛ばしクモ助や天丸などを降ろしている。
ドローンからこの小型コンテナ船を撮影し、X線撮影もして、
底部の後部に普通のコンテナ船にはない特異な構造があることがわかっている。
バトルシップの中には遼真、紅凛、黒狼が乗り込んでいる。
バトルシップの操縦は、アンドロイドの『アイ』が乗り込んでいる。
このアンドロイドは、AI搭載型で人間と変わらない表情と動きが可能である。
館林研究所で作られた物で、家事や戦闘も可能で、現在人間型は3体駆動している。
この3体は、『レイ』『アイ』『アスカ』と命名されており、レイは研究所勤務、
アイは武器関係のメンテナンス等、アスカは新宿探偵事務所で事務員をしている。
遼真は、今回のミッションは人間同士が殺し合う可能性があることを考えて、
『私も遼真様と一緒に行きたい』と言い張る真美を何とか止めた。
遼真も真美も今まで霊達との会話で、
彼らが殺された時の光景を目にしてはいるが、
人間の命に直接触れる行為、
仮に真美が自らの手で人間の命を消さなければならない時、
躊躇せずに遂行できるかと考えると今の真美には無理と思えたからだった。
真美は、現在ハングレ団の倉庫内に漂う瑠海を始めとした殺された多くの人たちの霊や
その霊魂から聞いた場所へ行き、その場で自縛されている霊を人形へ乗り移らせている。
その数は信じられないほどであまりの悲しさに真美は涙を抑えることが出来なかった。
同じ人間をここまで簡単に殺せることのできる人間の心にも悲しみを感じた。
また臓器移植のために臓器を取り出した手術室にも行き瑠海の霊魂を集めた。

ハングレ団全員で祝杯を挙げて大酒を飲んでいる。
そんな時間が過ぎて行った。
ある程度みんなに酒が回った頃、赤城が組織員だけを集めて
「お前達、これからどんな事があるかわからないから頼むぜ」
「へえ、わかりました」
「じゃあ、俺を見な」
組織員の視線がボスの顔に集まる。
その瞬間、首に吊られた小瓶と赤城の目が金色に光った。
組織員の顔から急に表情が無くなり部屋へと戻って行った。

赤城はもうじき船が領海外へ出ることに安心したのか、
「桃、何かほっとしたらしたくなった。こっちへ来い」
「えっ?まだ早いよ」
「そう言うな。お前はいつしても喜んでるじゃないか」
「まあそうだけど。じゃあ、シャワーを浴びさせて」
「わかった。俺も一緒に入るぜ」
「うん、どこの国に行くのか知らないけど、ずっと私を愛してね」
「わかってるよ。心配するな。ずっと一緒だぜ。お前が俺を裏切らない限りな」
「裏切る?そんな筈ないでしょ?こんなにあんたの事を好きなのに」
「わかってるって、じゃあシャワー浴びようぜ」
「うん」
赤城がスタイルの良い桃の腰を抱いて二人でバスルームへ入って行く。
その頃、副首領のディック高橋とクリス松本の部屋では、
領海外へ出て安心した高橋が、ベッドで横たわって目を瞑っている。
クリスは、水割を飲みながらずっとテレビやネットでニュースを見ている。
数名の組織員も別室で静かだし眠っているようだった。

この時、遼真と紅凛と黒狼は、バトルシップから海中へ出て行った。
全員、バトルスーツ、バトルヘルメット、バトルブーツ、バトルハンドを装着し、黒一色で闇に溶けている。

ここで彼らが装備している戦闘服一式の解説である。
拙著『武闘派なのに、実は超能力探偵の物語』で解説されているが再度解説すると、これは新宿で探偵事務所を開いている従兄の桐生 翔の婚約者である館林百合の兄の館林京一郎が発明したものである。
バトルヘルメットの素材は、セラミック表面に炭窒化チタンを吹きつけ、より硬度の増したもので、ゴーグル部分は超高質ガラス製、戦闘時には鼻・口・アゴ部分は張り出してきたプレートで防御される。機能としてはヘルメット内には通信装置があり、ゴーグル内面へデータが投影され、データ確認が可能、またヘルメット前面のカメラアイからの視覚データの調査も可能である。また酸素を放出する機能が有り、宇宙空間や水中や毒ガスの充満した中でも活動が可能である。
バトルスーツで鬼派や狐派が着用する物に関しては、素材は布部が超高分子量ポリエチレン繊維、プレート部が超高分子量ポリエチレン繊維へ炭窒化チタンを吹きつけ編みこまれたもので、戦闘時、身体の前面にある急所及び脊髄保護のためのプレートが入っていて、首筋・肩・ひじ・ひざ部分も同様であり、プレート内側には衝撃吸収素材が貼られていて身体にショックは感じない様になっているが、霧派の場合には、スピード・気配遮断重視のためプレートは付けていない。性能としては、軽くて防弾・防刃・防衝撃機能を持つが、繊維は高熱には弱いので注意となっている。
バトルブーツの素材も布部はバトルスーツと同様で踵と脛部分にプレートが入っている。底部分は超高分子量ポリエチレン繊維を固めたもの。機能としては、足の防御と踵後に噴射口があり蹴りに威力がますように調整されている。その他、底部分にはスクリューが格納されていて水中を移動できる。
バトルハンドの素材も布部はバトルスーツと同様で拳部分と指先、指関節、手のひら付け根部分にプレートが入っていて、プレート内側には衝撃吸収素材が貼られていて身体にショックは感じない様になっている。その他の機能としては手のひらからスパイダーマンのような糸を出し、敵を絡みとったり、おもりを付けて発射可能でビルの屋上へも上がることが可能となっている。

遼真達はイルカ型ロボットの取っ手に捕まり奴らの乗る船へと近づいていく。
船の船尾に到着すると黒狼が、バトルハンドから糸を射出して、
手摺に巻き付けると貨物船の甲板へと体重を感じさせない様に昇っていく。
誰もいないことを確認して、海面へ合図すると遼真と紅凛が海面から糸を射出した。

遼真は貨物船の操舵室へと向かう。
遼真達の侵入に気付かない操舵室の船員を催眠ガスで眠らせた。
遼真は、音声遮断目隠しとロープで船員を縛り上げ、操舵を行っている。
黒狼は、組織員達の眠る筈の最上階の部屋へと向かう。
クモ助からの音声データでは、規則正しい息が聞こえてきている。
更に扉から催眠ガスを入れて、しばらくして入って行く。
「「!!!」」
「「「バン、バン、バン」」」
黒狼に向かって拳銃が撃ち込まれる。
もちろんこの戦闘服は防弾効果があるので何も心配はしていないが、
普通の人間なら朝まで眠る濃度のガスにも関わらず、
蒼白く表情の無い顔つきでベッドへ立ち上がり拳銃を向けている。
黒狼は、彼らが眠っていなかったことにほんの一瞬驚いたが、
『ニヤリ』と笑うと、残像が残るほどの速さで飛び込むと
両腰に備え付けられた二本の大型ナイフを一閃し、
一瞬に二人の首を撥ね跳ばし、
後方に居た残りの一人の首へ投げつけた。
『『ピュー』』
二つの首の無い身体から血液が噴水の様に吹き上がりベッドを真っ赤に染める。
だが、喉に深くナイフを突き立てられた一人は、
身体をガクガクさせながらもまだ起き上がり攻撃をしようとしてくる。
実は組織員自身は眠っているのだが、
組織以外相手を殺す様に赤城に操られていたことに気がついた。
完全に首が無くなった死体は動いていない。
すぐさまに動いている一人の頭を撥ね跳ばすと静かになった。
「へえ、首がある間は・・・すげえ術だな、こりゃあ楽しみだ」
このナイフは、『斬鉄君』と命名されていて、鉄をも切断出来る。
峰の太さは1センチ、幅は4センチ、刃渡りは20センチのまるで鉈の様なナイフである。
黒狼はすぐさま赤城の居る船倉の部屋へと向かう。
この襲撃に赤城はすぐさま気がついた。

14.霧派始動(第7章:私の中の誰か)

ある夜、紅凛《あかり》と黒狼《くろう》と遼真と真美は、上田邸の近くに居た。
広い庭に数頭いた番犬もいつの間にか眠らされている。
寝室へ流された睡眠ガスで上田の両親が深い眠りについた頃二人は動き始めた。
寝室内の天丸からの画像を確認して、普通に玄関から鍵を開けて邸内へ入って行く。
バトルカー内のアイが邸内に張り巡らされたセキュリティーの回線を支配している。
その時武知也は、FXの取引画面を背景にビデオ撮影をしていた。
後で画面の数字を変換して少しの損失を大きな損失に見える様にするためだった。
武知也の番組の視聴者は武知也が損をすればするほど、
儲けていた筈なのに損失に変わったり、それを大げさに悲しむほど視聴してくれる。
やはり世間は『他人の不幸は蜜の味』なのである。

武知也の部屋のドアがノックされる。
撮影を邪魔されて気分が悪くなり舌打ちしながらドアを開ける。
「何だよ、こんな時間に、邪魔するなよ・・な・・・・」
目の前に今まで見たこともない細面の綺麗な女性が立っていることに驚いて一瞬口ごもる。
桐生紅凛《あかり》であった。
その女性の真っ赤な瞳に目を惹きつけられる。
その真っ赤な瞳が一瞬怪しく光るのを見た瞬間に武知也の意識が遠くなった。
倒れ込む武知也の身体を紅凛《あかり》の後ろに立っていた黒狼《くろう》が抱き抱えた。

「いつもながらやはり姉貴の催眠眼がすげえな」
「驚きの意識があれば、より早く掛かるわ。
 じゃあ黒狼《くろう》、手筈通りに頼むわ」
「わかった」
黒狼《くろう》は、武知也の身体を椅子へ座らせた。
「じゃあ、始めるわよ」
「おう、この男も視聴者が増えて嬉しいだろうな」

遼真と真美は二人に続いて部屋へ入り、
すぐさま天井際で上田への憎しみのために霊魂の本体から分かれ、
血の涙を流し自縛されている瑠海の荒御魂を白い人形《ひとがた》へ乗り移らせた。
そして優しくそっとその魂を真美は胸へと入れ部屋から退去していく。

紅凛《あかり》は、髪の毛よりも細く硬い針を数本武知也の頭へ刺してゆく。
その針は脳内まで届いているくらい入っている。
その場所としては頭頂葉と側頭葉の境目あたりである。
この辺りを電気刺激すると幽体離脱が起こることもあり、
人間の魂と激しい感情を繋げ、深い刷り込みに影響させる重要な領域である。
この部分を刺激しながら催眠術を掛けていくと魂や感情へ深く刷り込むことが出来る。

その夜の武知也のユーチューブは空前の視聴者数を稼いだ。
「皆さん、僕のことを知って欲しいと思います。」
頭にパンティを被り、ブラジャー首に巻き、
女子中学生の制服を着た武知也が画面に登場している。
瞬く間の画面のヒット数が上がっていく。
「僕は都内のある女子中学生を好きになりました。
 これはその子の制服や下着です。
 そしてこれが彼女の髪の毛です。
 僕はその子が好きで毎日の様に物陰から見つめました。
 皆さんもそんな気持ちになる事がある筈ですよね?
 彼女との出会いは、もう去年のことになるけど、
 強い秋風に彼女のスカートが上まで捲れ上がった日でした。
 その日から僕は彼女のことが頭から離れなくなりました。
 死んでしまった僕の好きだった妹と同じようでした。
 だけど何と彼女は交番のお巡りさんへ僕を通報したのです。
 僕はただ見ていただけだったのに・・・。
 お巡りさんから彼女に近寄ってはいけないと言われました。
 僕はただ見ているだけで幸せだったのにそれさえ駄目になったのです。
 皆さん、これは酷いと思いませんか?
 ただ見ているだけで良かったのにそれさえ駄目というのです。
 僕はだんだん彼女が憎くなって、彼女をずっと僕の物にしょうと考えました。
 それでハングレ組織の『レッドシャーク団』に彼女の殺害を依頼しました。
 お陰で彼女は死に、これは彼女の髪の毛ですが永遠に僕の物になりました。
 彼女はあの綺麗な顔と身体のまま、
 大人になって汚れたり醜くなることなくこの世から旅立ちました。
 僕のこの脳裏には綺麗なままの彼女が生きています。
 噂によると健康な彼女の臓器は
 多くの困っている人に移植されて役立ったと聞いています。
 僕はすごく良い事をしたと思っています。
 本当は僕の身体にも彼女の臓器を入れたかったけど、
 残念ながら僕は健康で大した病気もしていないのでその願いは叶いませんでした。
 だから、これから彼女を追ってあの世へいきたいと思います」
武知也は椅子から立ち上がると椅子を持って行く。
そして天井の梁に通していた縄の所へ行くと椅子に立ち上がってその縄へ首を入れた。
画面には椅子の乗ったままの武知也の姿が映っている。
「皆さん、僕が彼女に会えることを願ってね」と呟くと椅子を前へ蹴った。
武知也の身体が下に落ちて首が伸びていく。
「ぐっ、うっ・・・」
身体の組織が空気を要求し四肢が動いている。
目が苦し気に開かれ、口が歪み、白い涎が流れ、やがて静かになった。

その夜、遼真達4人は狂次の家へと向かう。
狂次はまだ家へ戻っていない。
聞き耳タマゴの位置から見て公園に居る様だ。
遼真は、狂次の部屋の窓から中へ入り、
部屋の中で狂次への憎しみで自縛されている瑠海の荒御魂を人形に乗り移らせた。
紅凛《あかり》と黒狼《くろう》は公園へと向かう。
どうやらハングレ組織の仲間、
大河を含む数名と夜の公園で酒を飲んで騒いでいるようだ。
しばらくすると狂次が立ち上がった。
「酒の飲み過ぎかな?ちょっとトイレに行ってくる」
「ああ、それなら俺もしたくなってきたから連れションしようぜ」
「「俺もそうする」」
みんなが一斉にトイレへ行く様だ。
誰も居ないのを見計らって紅凛《あかり》は彼らのコップへそっと睡眠薬を入れた。
やがて全員が戻ってきてまたもや大騒ぎの酒盛りが始まった。
「「カンパーイ」」
「「ゴクッ」」
たちまち全員が眠り始める。
「じゃあ、黒狼《くろう》頼んだ」
「おうさ。うまく揺らさないとなあ。力の入れ具合が難しいぜ。
 潰さない様に打撲痕も残らない様にと・・・」
黒狼《くろう》は、ぐっすりと眠っている狂次の頭をそっと両手で挟み、
左右に回す様に大きく揺さぶる。
時に鋭く強く人方向へ揺さぶる。
眠っている狂次の表情は、最初は気持ち悪い感情を現わしていたが、
黒狼《くろう》が頭部へ与えるその衝撃で、
柔らかい豆腐の様な脳組織を頭蓋骨へ強くぶつけるにつれ、。
頭蓋骨へ当たった部分の組織の小さな血管から出血を起こし始める。
前頭葉頭頂葉、側頭葉、後頭葉という脳組織は、
人間としての行動を起こすために必要な脳組織である。
その人間としての行動を起こすために必要な脳組織の全ての表面が出血し始めた。
もちろん最低限生命を維持するために必要な機能のある延髄などには何も影響がない。
やがて狂次の表情が全く動かなくなり死人の様になるまで行われた。
紅凛《あかり》は、狂次の脈を観てその規則正しい脈拍に満足して離れた。
「黒狼《くろう》、お疲れ様」
「まあ今回は簡単すぎて面白くないが仕方ない」
「お前が好きな戦いはこの後からだから楽しみにしておきな」
「おう、姉貴、頼むぜ」
2人は、辺りに人の目が無い事を確認して仲間と共に姿を消した。

翌朝、上田家門前へマスコミが駆けつけて大変な騒ぎとなった。
ユーチューブの放送内容から考えても、
検視結果から見ても『懺悔の自殺』以外の所見は出なかった。
警察としても現役の警察庁上級幹部の息子の不祥事でもあり、
自らの罪を告白しての自殺の為、世間に対して隠すことは出来なかった。
その上、ストーカー行為の調書が隠されていたこともマスコミにリークされ、
警察組織内は上や下への大騒ぎで長官自らが表に出て謝罪会見を行った。
上田の父親は、『懲戒免職』となり、その日のうちに世間から姿を隠した。

その喧騒とは別に同じ時間に早朝のジョギングをしていた人により、
数人の若い人たちが芝生の上で眠っているところを発見され、
不審に思い警察へ通報したことにより彼らは取り調べを行われた。
彼らは最初は『お酒を飲んでいただけで何もしていない』とシラを切っていたが、
その中の一人が血痕の付いたナイフや
3Dプリンターで作成されたモデルガンを持っていたため、
とうとう自らハングレ組織『レッドシャーク団』の組織員だと自供した。
その後の刑事からの取り調べで大河は、
上田の自殺のユーチューブを見せられ、
上田の殺人依頼を受けて狂次が木村瑠海を殺害した犯人だと自供した。
そうなれば芋づる式でその他のメンバーも自白させ、
今まで犯した強姦や強盗殺人や覚醒剤などの事件も認めたため、警察は色めき立った。
警察は時を置かずハングレ組織『レッドシャーク団』の倉庫へ急行したが、
倉庫内はもぬけの殻で4人の幹部や残りの団員は姿を消していた。
その時、何も知らずに倉庫内で|屯《たむろ》していた若い組織員やその予備構成員は、
全員が逮捕され事情聴取を行い、過去の犯罪の全てを調べ上げられた。
そして協力関係にあった『外道会』にも踏み込み、
『レッドシャーク団』と直接関係のあった外道会のナンバー2が逮捕された。

殺人犯の狂次はというと警察病院へ入院し一切目を覚まさなかった。
検査の結果、重度の脳死状態にある事が判明し一般病院へ移送された。
息子の起こした殺人事件を知った母親は、
深部脳組織以外は殆ど動いていない植物状態となった息子を悲しみながらも
社会へのお詫びとして早々に母親の意向で狂次の臓器は移植へ使用された。

86.秋の道東旅行3(摩周湖・屈斜路湖にて)

まだ十分に陽も昇らない内にホテルを出発する。
今日のコースは計画より時間が早く進んでいるため最初に摩周湖を入れた。
屈斜路湖付近の摩周湖・硫黄山・砂湯・美幌峠で観光し屈斜路プリンスホテルで泊まる予定である。
最初に行く「摩周湖」と言えば歌にもなる様に「霧」で有名である。
霧は早朝だと教えて貰ったので急ぐ。
ホテルを出て、まりも国道を東へ向かい、途中阿寒横断道路へと右折し道なりに進む。
阿寒横断道路を突き当りパイロット国道途中から「摩周湖」の標識に従って右折し52号線を進む。
やがて「摩周第一展望台」が見えてくる。
すでに多くの観光客の車が駐車場に止まっている。
この「摩周第一展望台」は、年間100万人以上の人々が立ち寄る、摩周湖を望む展望台の中でもっともポピュラーな展望台で、展望デッキからは摩周ブルーの湖とカムイシュ島、湖を守るようにそびえるカムイヌプリ(摩周岳)の眺望が綺麗に見えると言われています。

湖の名前についてだが、隣の屈斜路湖の場合、湖が川になって流れ出す口をアイヌ語でクッチャロ(のど口)といい、その近くに昔から自然資源が豊かなコタン(村)があったため、和人がその名を湖名にして屈斜路湖と呼ぶことにしたと言われているが、摩周湖は「マシュウ」と美しい名にもかかわらず語源が定かでは無く、アイヌの人々は「マシュウ」とは呼ばずに「キンタン・カムイ・ト(山にある・神の・湖)」と呼んでいたと解説されており、摩周湖は名前までもが神秘的という事だった。
摩周湖データとしては、
・形態…カルデラ
・大きさ…19.6平方km(周囲20km)。国内で6番目。
・水深…最深212m/平均水深146m。国内5番目。
・透明度…15~32m。流れ込む川がなくプランクトンなどが運び込まれないため。
・標高…湖面351m/周囲のカルデラ壁150~350m。壁の斜度は平均45度。

まだ着いた頃は太陽も高くなっていない時間帯だった。
急いで展望台に立つと、
果たして・・・「霧の摩周湖」が広がっていた。
湖全体が深い霧に沈みあまり湖面は見えなかった。
薄く濃く静かに佇む霧の間からはまだ暗い深い青色の湖面が広がる。
やがて時間と共にその霧へ太陽の光が差し込んでいく。

太陽の光が当たった瞬間、
眠っている様に静かだった湖面の霧が激しく動き始め、
徐々に激しく渦巻きそして見る見る間に消えていく。
しばらくすると吸い込まれそうなほどの深い青色の湖面が広がってくる。
この湖面の色が「摩周ブルー」と呼ばれる藍を流したような神秘の青色だった。
世界でも一級の透明度を誇る湖水に、空の青が映りこんで生まれる独特の色で、
今日は風も無くその青さがいっそう際立っている様に思えた。
家族全員その美しさに言葉もないほどにじっと見つめていた。

今度は、摩周湖西側の52号線道路を北上して「摩周第三展望台」を越えて
クネクネ曲がる山道を道なりに進んでいくとやがてアトサヌプリ(硫黄山)の看板が出て来る。
駐車場に車を停めてドアを開けた途端に硫黄の匂いが鼻を突く。
雄樹と夏姫は、鼻を摘まんで『臭い、変な匂い』と叫んでいる。
やがてみんなもこの匂いに慣れたのかゆっくりと歩き始める。
目の前の茶色の山肌から白い噴煙が吹き出しているのが見え始めた。
駐車場から砂礫を歩いて行くと、噴気孔のすぐそばまで近づくことができた。
その硫黄色の噴気孔では白い蒸気に混じって熱水も吹き出しているのが見える。
足元から絶え間なく白煙が吹き出していてダイナミックな地球の鼓動が感じられた。

この山、「アトサヌプリ(硫黄山)」は、アイヌ語で「裸の山」を意味し、その名の通り、山肌は木々が生えていなかった。標高は508mで山肌は黄色く硫黄そのものが見える。この山はかつては硫黄採掘で栄えて、採掘した硫黄を運び出すために敷設された鉄道を通して、弟子屈の町の発展の礎を築いた場所だと解説されている。
雄樹と夏姫が、もう臭いから車に戻ろうと言い始めたので急いで戻った。

そこから屈斜路摩周湖畔線52号線を進み、川湯温泉街を越えて行く。
車の中でコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチを食べ、子供達を水着に着替えさせる。
やがて目の前に屈斜路湖が見え始める。
湖畔線を湖に沿って南下して行くと「砂湯」に着く。
車を駐車場に停めて砂湯の受付に向かう。
ここは砂浜に温泉が湧き出ていて砂を掘ると温泉が湧き出て来る場所である。
雄樹と夏姫は、砂を掘ってみんなその中に入っている姿を不思議そうに見ている。
恐る恐る砂を触って暖かくて掘ると底に湯が溜まるのがわかると二人で掘り始めた。
慎一も二人の近くで一緒に砂を掘って遊んだ。
子供達二人を砂に埋めていると『砂のお風呂みたい』と喜んでいる。
静香と美波は二人並んで足湯に浸かり湖面を眺めて色々と話している。
すぐそばにレストハウス「レタラチップ」があり、大きな青いクッシーの像が見える。
静香と美波はその店のソフトクリームを買って来ている。
クリームの種類はピスタチオ、コラーゲン、バニラがあって、
慎一はピスタチオ、子供達はバニラ、静香と美波は勿論コラーゲンを選んでいる。
ある程度砂で遊んで白鳥のボートに乗って湖面を泳いだ。
慎一と雄樹、美波と静香と夏姫の2台で子供達に漕がせて競争したりした。

もう15時頃になって来た。急いで最後の場所「美幌峠」へ向かう。
今夜泊まる予定の屈斜路プリンスホテルを横目に見ながらパイロット国道を道なりに北上する。
やがて道の駅「ぐるっとパノラマ美幌峠」が見えてくる。
この道の駅は、標高約525m、眼下には日本屈指のカルデラ湖「屈斜路湖(くっしゃろこ)」を一望できる美幌峠の頂上に位置する道の駅で、国土交通省より毎年発表される北海道「道の駅」ランキング景観部門では6年連続の1位を獲得していて、年間60万人の来場実績があるエリア屈指の観光拠点となっている。
道の駅の駐車場から階段を登ると展望台に到着する。
その展望台からは日本最大のカルデラ湖の屈斜路湖、今もなお噴煙をあげている硫黄山、遠くに知床連山も見えて、その名の通りまさにパノラマで楽しむことができる。湖の周りの生い茂る木々の緑に秋の紅葉が混じり始めそれが屈斜路湖の深い青色をより際立たせている。

ここからの風景で気がつくのは、屈斜路湖の周囲にある藻琴山や美幌峠などの山々がほぼ円形に取り囲まれていると言うことで、この取り囲んでいる山々を外輪に屈斜路カルデラでできていることだった。
このカルデラが「日本最大のカルデラ」とのことだった。
屈斜路カルデラの歴史としては、約200~100万年前に複数の巨大な成層火山がつくられたことから始まり、約30万年前から何度も大噴火が繰り返され、その噴火活動にともなって発生した火砕流オホーツク海岸や根釧原野などの広大な大地を形成していき、そして約10万年前に最大規模の噴火が起こり、火山の中心部分が大きく陥没した。現在見えている藻琴山や美幌峠の外輪の山々は、その陥没時に崩壊した火山帯の名残です。やがてこの大きなカルデラの中に水が溜まり始め、アトサヌプリ火山、中島火山、和琴半島のオヤコツ火山やさらには東部には摩周火山が誕生していき、現在の屈斜路カルデラと火山群が形成されたらしい。まさに太古から生き動き続けてきた地球の姿がそのまま残っている最もホットな場所だった。

さてここの名物と言えば「美幌峠の揚げいも(元祖あげいも)」である。
1個が女性の握りこぶしくらいの大きさの芋が2個のセットのため、とりあえず2セット買う。
齧りつくと衣はほんのり甘くてさくさくとしてて甘い香りが漂ってくる。
中のじゃがいもは塩ゆでされていて、衣の甘さとじゃがいもの塩味のバランスが絶妙だった。
みんな砂湯で遊んで小腹が空いていたのでちょうど良かった。
今までは何度も「中山峠のあげいも」を食べてきたが、若干中山峠の方がスイーツっぽく感じた。
次に初めてのよもぎ色の鮮やかな「熊笹ジェラート」を買ってみる
熊笹か・・・どんな味?』
これは渋過ぎず甘過ぎずスッキリした味わいの抹茶味で美味しかった。
この道の駅には、「海空のハル」という美幌町の食材で作る料理が食べられるレストランが入っている。一番人気の8種のスパイスが効いた『美幌牛と玉ねぎのカレー』をはじめ、『えぞ鹿肉ロースト丼』や『美幌産野菜の天ぷら定食』などが提供されていてお昼ごはんには最適である。
2Fには展望休憩室が設置されており、巨大なモニターでの観光情報やタブレットなどによる観光案内、悪天候時でもきれいな峠の写真を背景に写真撮影ができるARコーナーなどもあり訪れた人の心に寄り添っている。

道の駅を出て美幌峠の展望台へ向かう途中に国民的歌手美空ひばりの『美幌峠』の歌碑があり、
七色の声を持つと言われた彼女の音声が古いレコードの様な音声で流れており非常に懐かしかった。
展望台に昇るとそこからは「日本最大のカルデラ」の全景が見えてくる。
丸く外輪山の囲まれた摩周湖とは異なる蒼色の屈斜路湖が眼下に広がっている。
左側には藻琴山、正面には川湯温泉の街並みと白煙の立ち昇るアトサヌプリ(硫黄山)、
右側には弟子屈町の街並みと屈斜路湖温泉街と宿泊予定の『屈斜路湖プリンスホテル』も見える。

さて今晩宿泊する『屈斜路湖プリンスホテル』へ到着する。
このホテルは全室湖面側の部屋で、日本最大のカルデラ湖といわれる屈斜路湖畔に隣接する温泉リゾートホテル。阿寒摩周国立公園に位置し、視界に人工物が入らない唯一無二のロケーションで太古の大自然を全身で体感できるとの声も名高いホテルである。
予約している部屋は、ファミリールームでベッドが4つありみんなが好きに眠れる部屋である。
早々に部屋に荷物を置いて温泉へと向かう。
今日のお風呂は、雄樹と夏姫は父親と入るそうで静香と美波は二人だけで入ることとなった。
慎一は雄樹と夏姫二人を両腕で左右に抱っこしてみんなでお風呂へ向かった。
ここの温泉は、源泉が地下約1,000mから湧き出ている。
脱衣場の説明文には、
塩分や炭酸ガスが豊富に含まれており、保湿効果やお肌の新陳代謝のほか、毛細血管の働きを活発にするため美肌や血圧などへの効果が期待できると書いてある。
泉質:ナトリウム・カルシウム硫酸塩・塩化物泉
PH値:6.3
浴用効能:健康増進・神経痛・関節炎・冷え性疲労回復・五十肩・病後回復期・慢性消化器病
・運動麻痺・動脈硬化症・関節のこわばり・くじき・切り傷・やけど・うちみ・虚弱児童
・慢性婦人病
飲用:この温泉を飲むことはできません
泉湯:45.0℃
湧出量:毎分280リットル
知覚:無色透明・無臭・苦味および弱甘味
温泉利用温度:41.5~42.5℃

子供達に『滑らない様に注意してね』と言いながら二人と手を握って浴室へと入る。
早速二人の身体に湯を掛けて頭と身体を洗っていく。
洗い終わった二人を浅い浴槽に浸からせて手早く頭と身体を洗い、露天風呂へと移動していく。
この露天風呂は屋根付きで安心して湯に浸かったまま庭園を眺めることができる。
『ホー』と言いながら身体を伸ばして湯船に横になると
二人も真似をして『ホー』と言いながら慎一の左右に歩いて来る。
両手で二人を抱っこしてお風呂に浮かんで三人はしばらく過ごした。
空を見上げると札幌市内では見られない様な数の星が満天に散らばって瞬いている。
二人に「お星さまがいっぱいだよ。数えてみようか?」
夏姫が「ううん、いっぱい過ぎて無理なの」と笑っている。
二人が『お父さん、もう出ようよ』『お父さん、もう熱いよ』と言い始めたので湯から出る。
3人で部屋に戻ると静香と美波の双子母娘はまだ帰って来てなかった。

13.霧派桐生紅凛と黒狼の登場(第7章:私の中の誰か)

京都の祖父、狐派頭領令一から連絡があった。
一族で話し合った結果として最終的に、
この事件の顛末は表には出さずに闇に葬ることとし、
霧派と狐派共同でこの事件を解決することになったとのことだった。
霧派は、桐生一族の中で表には出ず暗殺や誘拐などを主に行う一族である。
その隠形は闇に沈み人間の意識から隠れ、
霧の様に音も無く静かに忍び寄り、
いつの間にか狙われた人間はその命が消えている。
そしてその殺された肉体もいつの間にかこの世から消えている。
今回の業務は今までになく凄惨な結果になる予感が遼真にはあった。

祖父から連絡のあった翌日夕方に遼真の家である神社へある女性が現れた。
その女性は、身長は165センチ、長い黒髪、白い肌、鍛え抜かれた細い身体で
やや大きめの黒いサングラスを外すと
瓜実顔、切れ長の目、細く高い鼻、薄めの赤い唇が目に入り
特に惹きつけられたのは、赤色が強く混じった黒目がちの目だった。
真美も虹彩に赤い輪郭が入っているがそれとは異なる印象だった。
「桐生遼真君ですね。私は桐生紅凛と申します」
「ええと、きりゅう・・あかり・・・さん?」
「ええ、京都の頭領から聞いてると思うけど霧派の者です」
遼真は初めて会った女性に『こんな綺麗な女性が霧派の仕事を』と驚いた。

紅凛は、手を胸元へ持って行くと片手の指をバラバラにユラユラと上下させた。
これは桐生一族各派のサインで、
鬼派は、親指と小指を立てた握り拳、
狐派は、人差し指と小指を立て中指と薬指と親指を伸ばしくっつける。
霧派は、形の無い霧の流れを表している。
初めての相手にはサインを出すことで自ら所属する派を相手に伝えている。

「はい、祖父いや頭領から聞いています。
 今日はわざわざご足労頂きありがとうございます。
 では|紅凛《あかり》さん、奥の部屋へどうぞ」
遼真は|紅凛《あかり》を奥の部屋へ案内した。
「遼真君は覚えていないかもしれないけど、
 あなたが京都にいた時に私も京都に行った事があるのよ。
 確か私が10歳くらいの時かなあ?あの河童事件の時にね」
「ああ、あの事件ですか・・・」
「まだ子供だったあなたとお母さまが二人で
 あの河童や水虎を退治したって聞いて驚いたものだったわ」
「ええ今も覚えています。本当に怖かったです」
「でもおかげで日本は助かったのよ。あなたはすごいのね」
「いや、ただ必死で戦っただけです。母には悪い事をしました。
 もっと僕が強い力を持っていればあんなことには・・・」
「お母さんは、あなたのその力を知って
 あなたと一緒に戦う事が出来て嬉しかったと私の母には話していたわよ」
「そうなんですか・・・」
「私の母とあなたのお母様は遠いけど従姉妹同士よ。これからもよろしくね」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」

その時、ガラッと玄関の扉が開けられた。
遼真が奥の部屋から玄関へ向かった。
「ただいま帰り・・・あっ、お客さまですね。遼真様、遅くなり申し訳ありません」
「学校からだったらいくら急いでも、今くらいになるから気にしなくていいよ。
 着替えたら奥の部屋へ来て」
「はい、わかりました」
真美は自分の部屋へ入ると急いで着替えて奥の客間へ入った。
「真美ちゃんね。私は霧派の桐生|紅凛《あかり》よ。よろしくね」
「は、はい、霧派?!・・・この度はこちらこそよろしくお願いします」
「ええ。もう少ししたらもう一人くるから、来たら案内してやってね」
「はい、わかりました。お茶でもお持ちします」
「真美、すまない。よろしくね」
「噂通りの可愛い娘ね。こんな娘があんな力をねえ・・・
 まあ、夜も更けて月が出ないと来ないから急がなくていいわよ」
「は、はい、では後で」

しばらくして真美がお茶を持ってくる。
そこから遼真は|紅凛《あかり》へ今まで集めた情報を伝えた。
真美も遼真の近くに座っているが、
『レッドシャーク団』や上田の話を聞くと驚いて蒼い顔をしている。
その話の途中に、遼真は何か大きな気配の接近を感じた。
「・・・黒狼《くろう》、遅かったわね」
と|紅凛《あかり》が視線を廊下へ向ける。
「おう、姉貴。遅れて悪かった。話は終わったのかい?」
「まだだよ。今、遼真君から聞いているのさ」
廊下の扉が開き、身長が2メートル位の男が現れた。
全身黒尽くめでバトルスーツの戦闘服を着ている。
全身が鍛えこまれた筋肉の鎧に包まれているが、その動きに重さを感じなかった。

角刈りの顔からサングラスを取ると、どこか|紅凛《あかり》さんに似た顔つきで、
虹彩の色は金色、その笑った口元には大きな犬歯が出ている。
「黒狼《くろう》、遼真君にはお前の気配がわかったみたいね。
 真美ちゃん、驚かせて、ごめんなさいね」
「ええ、すごい隠形ですね。全然気づかなかった」
「キチンと玄関から声を掛けて入ってくればいいのに・・・。
 紹介するこちらが恥ずかしいわ」
「悪い悪い、ちょっとお月さん見てたら遅くなってさ。
 急がなきゃと思ってね。二人ともごめんね。
 姉貴、だけど俺はキチンと玄関から入って来たぜ」
「ええ、驚きましたが大丈夫です。ではお茶を持ってきますね」
「真美、頼むよ」
「真美ちゃんはこんなにキチンとしてる娘なのに、
 お前が礼儀知らずだから、私が恥を掻くことになるのよ」
「紅凛《あかり》さん、ありがとうございます。
 私ももっと修行します。ではお待ちください」
真美は部屋から台所へ出て行った。
「姉貴、真美ちゃんは良い子だな。噂通りだな」
「噂?真美にどんな噂があるのですか?」
「あの『迷い里事件』の時の君と一緒に活躍した映像を見たのさ。
 君もさることながら相棒の真美ちゃんの強さにもすごく驚いたのさ」
「そうですか、でも真美はあの時の事がまだ不満みたいで傷ついているので
 そのことは話さないであげてくださいね。何とか彼女を力づけてるんです」
「わかった。君の力が強ければ強いほど、
 その隣にはそれに対応した強い力が必要よね。
 あの娘はあの娘で君から必死で離されまいとしてるのね」
「僕もまだまだ修行中なのでもっともっと強くならないといけないと思っています」
「まあそうね。将来の桐生一族を、狐派を、背負う者に休息は無いと思いなさい」
「はい、わかっています。真美と一緒にがんばります」
「いいなあ。俺も真美ちゃんみたいな相棒が欲しいぜ」
「何言ってるの、お前には私がいるでしょ?」
「そりゃあそうだけどなあ、姉貴じゃなあ・・・」
「私じゃ何がいけないのよ。私こそそう言いたいわ」
「遼真君、こんな風に見えて姉貴って、すごくキツイだぜ」
「お前ね、何を遼真君に出鱈目を吹き込んでるの?許さないわよ」
「まあまあ、もうじき真美もお茶を持ってきますから・・・」
「遅くなりました」と真美が部屋へ入ってきた。
遼真は、霧派の二人と情報交換と今回のミッションの流れを確認した。

12.捜査3(ハングレ組織、狂次の情報)(第7章:私の中の誰か)

遼真は、上田の捜査を殆ど終えハングレ組織『レッドシャーク団』の捜査に入った。
この組織の事務所は、瑠海の記憶にあった大きな倉庫の中にある。
やはりこの倉庫の登記は『GDコーポレーション』という関東でも有数のヤクザ組織『外道組』の物件だった。
奴らの倉庫の近辺を調べていると偶然空いている倉庫があってすぐに借りることができた。
遼真はその倉庫へバトルカーとバトルバイクを運び込み準備を整えた。
夜になりその倉庫からドローンを飛ばし『レッドシャーク団』の倉庫へ近づいた。
そしていつもの様に天丸1号、クモ大助1号と今回は攻撃力を持つクモパパを使った。
遼真はこれらから常時送られてくるデータを拾った。

ハングレ組織『レッドシャーク団』の概要データは、
首領:赤城 偉武流(通称レッドデビル)
   アフリカ戦線で戦っていた元傭兵。銃とナイフが得意。
   アフリカ戦線で手に入れた小瓶を胸元に吊っている。
副首領:ディック高橋(通称ミスターB)
    赤城同様に元傭兵。爆弾が得意。
首領の女:中野 桃(通称クイーン桃)
     元レディース総長。売春組織のボス。鞭が得意。
副首領の女:クリス松本(通称レディーC)
      元レディース。売春組織の2番手。
その他、10人ほど正式な団員と多くの未成年の予備軍がいる。
このメンバーの中に上田の友人の大河はいた。
この組織のバックは、『GDコーポレーション』という関東でも有数のヤクザ組織という噂もあり、資金源は都内を中心に売春、覚醒剤、臓器売買、依頼殺人、武器密売、その他恫喝による会社買収などと言われている。
この倉庫は団員が常駐しており、首領たちの部屋も常に鍵がかかっている。
鍵は4人しか持っておらずなかなか室内へと入れなかったが、
クモ大助には、体色を背景に合わせて変える機能がある。
クモ助とクモパパは、倉庫の天井部分、天丸は窓部分で盗聴盗視している。
クモ大助は、首領たち4人が常にいる倉庫の奥の部屋へ入り
情報を収集したかったがなかなかそのタイミングが掴めなかった。
ちょうど首領の赤城が所要で居ないある夜、
副首領の高橋が室内で酒のつまみにとクサヤの干物を焼いていた。
その強烈な臭さに怒りさえ漂わせた女性群から猛烈な文句を言われて、
『???こんなに美味いのになあ』と苦笑いしながら
仕方なしに窓を開けて換気している時に室内へ入り込んだ。
今までは窓の外からカーテン越しに盗聴盗視していたが、
これでやっと室内の様子やパソコンデータなどを盗むことができる様になった。
しかし、パスワードなどの問題もあるので赤城が戻ってくるまでは我慢して待った。
やがて赤城が戻ってきた。
「ふう、疲れた」
「あんた、お疲れ」
「!?フンフン、高橋、またクサヤを焼きやがったな」
「まだ匂い残ってる?ボス、鼻が良いね」
「バカ野郎、クサヤは風邪ひいて鼻が詰まってても匂うぜ」
「すみません。ボスが居ない時にと思って焼いたんだけどねえ」
「本当、お前のクサヤ好きも困ったもんだ。
 戦争してたら敵に真っ先に匂いで勘づかれてお陀仏だぜ」
「だからその時代は、これを食うのを我慢してたのさ。
 この平和な日本だからこそ大手を振って焼けるってなもんだ。
 それはそうと赤城さん、うまいこと行きましたか?」
席を立ったクリスが、赤城へコーヒーを出している。
「おお、良い香りだ。男むさい汚い所で飲んでもまずいだけだったな。
 しかし、いつも思うが外道組の奴ら、やたらと偉そうだよな」
「それが奴らの生き方だからねえ」
「別に事務所へ爆弾を放り込めば一発で全員殺せるけどなあ。
 まあ警察沙汰になるのも邪魔くさいから聞き流してるけど」
「あいつらは、私たちにお金を運んでると思えばいいんじゃないの」
「桃はいつもそういうが、特に若い奴の教育が出来てないんだよ」
「この前クラブで飲んだ時、
 あの世界も根性のある奴は少なくなったって、組長が嘆いてたよ」
「お前、あのジジイに狙われているから気を付けろよ」
「へん、あんなジジイ、変な口訊いたら、私の鞭で叩いて調教してやるさ」
「怖い女だな、俺の前では可愛いのになあ」
「やだー、そりゃあ、あんただからねえ」
「桃姉さん、ボスの前だけは可愛くなっちゃうよ。あの恐怖のクイーン桃がねえ」
「それは昔の話だろう。もう私は卒業したのさ」
「まあ桃姉さんを怒らせないこととあの子達にも口うるさく言ってるけど」
「あいつらはすぐにいい気になるからね、クリス頼んだよ」
「わかってます。まだ青臭いガキの癖にすぐいい気になる。
 客に抱かれてちょっと褒められれば態度がでかくなる。
 まあ軽く一発張り上げればすぐにビビって言う事聞くけどね」
「まあクリスは私より怖いから、任せられるさ」
「まあ・・・桃姉さん、いまはそう言う事にしときましょうか」
「そうそう、クリス、思い出した。
 この前拉致したあの中学生、ええと木村・・・ルミ?だったかな?」
「ああ、あのまだ小学生みたいだった子よね」
「仕事とは言え、可哀そうだったよね。
 まだ胸も殆ど膨らんでないし下も・・・まだ子供だったのに・・・」
「あの変態野郎に目を付けられたのが運の尽きだよね」
「今頃、あの野郎、あの子の制服や髪の毛とかで楽しんでるのかねえ」
「妹によく似てたから見ていたら、警察へ通報されて恨みに思ったって?」
「見ていたらとかのレベルでなく、ああなればストーカーだからね。
 あの男のあの子の写真の多さ、気持ち悪いよね。今、思い出しても鳥肌が立つ」
「ふー、あいつの眼つきを思い出したら私も痒くなってきた」
「そう言うな。父親が警察上層部だから事故と処理されて、
 あの事件が俺達の犯行には繋がらないし、
 あの変態ボンボンからたくさんお金を貰ったからいいじゃねえか。
 それにあのバカの狂次にしては良いアイデアを出して『良い事』したしなあ」
「そうだったね。まあ狂次の母親はそれ関係の仕事だから思いついたんだろうね。
 しかし『臓器移植』って、聞いた事はあったけどあまり考えたこと無かったわ」
「この日本では、簡単に健康な臓器が手に入らないって言うものね」
「アフリカだったら、痩せっぽちだけど子供なんざいくらでも居たし、
 子供の癖にこっちに銃を向けてくるからよく撃ったもんだ。
 今考えればあの時だったら子供の臓器はいくらでも用意できたのになあ」
「確かにボス、そうですね」
その話を聞いていた桃とクリスは、少し驚いた顔をして
そっと顔を見合わせて、肌寒そうに両手で胸を抱いて腕を擦っている。

ある日、首領も副首領もいない時に女二人の会話が入ってくる。
二人はそっと誰も居ない部屋の中を見回して
「クリス、ここだけの話、ボスのあの力って怖いよね」
「ええ、人間を意のままに操る力のこと?」
「そう、あの女の子の時だって、ボスが指示したら
 最初は躊躇してた狂次の目から急に感情が消えて出て行ったよね?」
「あの時、一瞬、
 ボスの胸に吊ってる小瓶が光った様に見えたの。気のせいかしら」
「私たちが実際に今までしたきた恐喝、殺し、強姦、売春、薬といい、
 最初は全てボスが命令したらどんな奴でもいう事を聞いたものね。
 もしかして私たちもその力で操られているのかな」
「どうかは知らないけど、もう桃姉も私もみんなもたくさん人を殺してきてるしね」
「不思議なことになぜか、殺すことに恐れは無かったよね」
「そう普通は人を殺すとなったら躊躇するはずだけど全然だった。
 むしろ相手が憎くて終わったらすごく気持ち良かった」
「ボスの居ない時、みんなと酒を飲んだ時、聞いたら同じこと言ってたわ」
「もしかしてあの小瓶に何かあるのかな?怖くて聞けないけど」
「ボスに抱かれた時、一度あの小瓶のことを聞いたことがあるの」
「えっ?桃姉、怖いもの知らずだねえ」
「そんなこと無いわ。
 あの小瓶が私の胸やお尻や背中にコツコツとあたって集中できないから。
 でもそれからはあの時は外してくれてるわ。おかげでもう最高」
「へえ、激しいのね。良いなあ」
「何言ってるの。クリスだって高橋から可愛がって貰ってるじゃん」
「うーん、そんなにしてくれないよ。それにすぐに終わるし。
 やたら筋肉を鍛えるのだけは好きだけど」
「あんなにいい身体してそうなの?以外に淡白なのね?」
「タンパク質は好きなんだけどねえ」
「うまい。淡白とタンパク質ね」
「うまいじゃないよ。私も桃姉みたいにもっとして欲しいのに」
「もしかしてクリスの最初って・・・」
「桃姉に言ってなかったけどボスだよ。無理矢理で痛かっただけだけど」
「私もそうだったよ。そうかクリスと私はボスの棒姉妹ね」
「やだー、桃姉、そんな親父みたいな下ネタは止めて」
「わかったよ。ここから話は戻るけど、
 あの小瓶はアフリカ戦線で呪術師の持っていた物で、
 見せて貰ったけど、中には小さな骨で出来た動物の人形みたいな物が入っていたわ。
 その人形は『豹の精霊』を宿していて人を支配できたらしい。
 実際にその呪術師は部族の戦士を死をも恐れぬ様に洗脳できる力があったそうなの。
 その呪術師からその話を聞いた後、すぐに殺して手に入れたって」
「えっ?殺したの?」
「みたいよ。何か偉そうにしていたからムカついて殺したって。
 それからボスは、自分が危険になっても仲間を操り囮にして生き延びたらしい」
「何それ?仲間を?酷いじゃん。怖いよー。逃げたいよー」
「まあ無理だね。私もお前ももう死ぬまで逃げられないから諦めるんだね。
 それに私もみんなも今までどれだけ自殺や事故に偽装した殺人をしてきてるよ」
「うん、でも桃姉と一緒なら例え火の中水の中・・・」
「そうだよ。えらい男に目をつけられちゃったもんだよ。
 例え自分の女でも逆らったら殺すかもしれないし、この頃怖いのさ」
「私もそうなの・・・」
女二人は泣きそうな顔で抱き合いながらその会話は延々と続いている。
赤城と中野 桃の住む部屋の窓からキインにその小瓶を確認させたが、
確かに赤城の小瓶には凶暴な豹の霊体が宿っており、強い力に漲っていたようだ。
彼女たちが帰った後、赤城のパスワードも入手出来ているので
事務所にあるパソコンから依頼文書や顧客名簿の資料など
今までの犯罪の証拠データを全て集めてここでの捜査は終了した。
何と数十件に及ぶ犯罪記録で、
高齢者相手の強盗殺人、依頼殺人、覚せい剤や麻薬販売、少女売春と恐喝、
今まで警察の調べでは自殺や事故死と思われていたものも、
実はその内の多くをこの殺人集団が行っていたことが明らかになった。

意識の無い木村瑠海を歩道橋から突き落とした狂次(本名:教次)は、
事件化しなかったおかげでたくさんお金を貰い遊び歩いていた。
遼真は狂次が倉庫から出る時、
庇の上からクモ助を背中へ落として『聞き耳タマゴ』を付けて盗聴している。
狂次が家に帰ると母親から声がかかる。
「教次、ご飯はどうするの?」
「あ?食ってきたから今日はいいよ」
「外食ばかりで良くお金が続くね。お前悪い事してるわけでないよね?」
「いや、俺は世の中に良い事をしてるぜ」
「そういえば、以前、お前がもうじき若い臓器が回ってくるかも』と言い出して、
 しばらくしたら本当にその通りになった時は驚いたよ。
 まあ何とか型が合って恭三に肝臓移植できたから良かったけど」
「ならいいじゃねえか。俺には何となく予感があったのさ。
 この前『恭三の命もあと数か月って』おふくろは泣いてたから
 気になってたのさ。移植できて良かったじゃん」
「そうなんだけど、あまりにタイミングが良すぎて怖いんだよ」
「『神様からの贈り物』と思えばいいじゃん」
凶次は酒癖が悪く母親や家族に平気で暴力を揮う父親の家庭の次男として生まれた。
現在母親は父親の暴力の酷さに耐えかねて離婚しシングルマザーとなり子供達を育てている。
離婚後すぐに家を出て行った長男は、ヤクザになって敵対組織のヤクザに殺され、
弟恭三は幼い頃に『胆道閉塞症』と診断され、
今も入院中で肝臓移植だけが命を繋ぐ方法と言われていた。
母親はその恭三の病気を知り、その関係の伝手を辿り臓器移植関係の仕事に就いた。
恭三はこのまま臓器移植しなければ、あと数か月の命だと主治医から言われている。
順番は次の移植候補と言われていたが祈る様な気持ちで母親は毎日を過ごしていた。
そんな時、中学生の女の子が脳死となり彼女の臓器が回ってきた。
資料を見ると本人の希望で彼女の臓器の殆どが移植へと回されていた。
母親にとって、まさしくその女の子は『神様の贈り物』と感じ、
その大きな決断をした彼女のご家族に感謝し、
そのご家族の辛い気持ちを考えると心に強い痛みを覚えた。
それ故に、その時の確信じみた教次の言葉が引っ掛かった。
それで母親は臓器移植の提供者『木村瑠海』の資料を調べると、
彼女が歩道橋の最上部から転落して脳死となった経緯が簡単に記されている。
その日は教次はなぜかいつもより早く帰って来て、
今までしたことも無かった行為、
長男の仏壇へじっと手を合わせて、その日は部屋に籠って出て来なかった。
翌日も部屋から出て来ず、その翌日に出て行ってしばらく帰って来なかった。
貧しい家計なため、お金をせびる訳ではないから別に良いのだが、
どんな仕事をしているのか聞いても答えないし、存外にお金を持っている気がしている。
母親は教次の態度に不安はあったが、
先ずは恭三の命が助かったのでそれ以上は考えない様にしようと思った。
ただ小さい頃から身体の弱い弟へ優しい笑顔を向ける教次の姿を信じようと思った。
じっと考えていると教次の将来に暗い影が落ちるような不安に駆られた。

11.捜査2(上田の情報)(第7章:私の中の誰か)

瑠海へ偏執していた男の名前は、「上田武知也」。
25歳無職。警視庁幹部の息子。
上田の実家は吉祥寺駅から少し離れた場所にある大きな屋敷だった。
その広い庭には3頭のドーベルマンが番犬として放たれている。
恵理那が話した上田の警察官に捕まった話や調書の内容を知るためには
警察内部の記録を知る必要があり、それは宮尾警部に頼まないと出来ない。
瑠海ちゃんのことがまだ事件かどうかがわからない段階で
警視庁上層部幹部の息子である上田の事を
宮尾警部達へ事情を詳しく話すわけにもいけないし、
仮に記録を調べて貰ってその動きが敵にばれた場合、
警察内部の人間に証拠隠滅などをされる可能性が高いと考えていた。

遼真は上田邸の近くの有料駐車場へ停めると夜が更けるのを待った。
月が中天に差し掛かる頃、助手席の窓を開けて迷彩ドローンを放す。
ドローンは上田邸の広い庭を横切り、2階の「上田武知也」の部屋へ向かう。
今日は暖かかったため、窓は少し開けられている。
ドローンから昆虫型盗聴監視用のクモ助と天丸を窓際へ降ろす。
クモ助は少し開いている窓から部屋へ入り、
天丸は窓枠へ降りると窓ガラスの外側から監視に入った。
室内の映像がパソコンへ流れてくると、遼真は管狐の『キイン』に声を掛けた。
「キイン、お前の目で見てきておくれ」
キインは、遼真の瞼にそっと口をつけると助手席から飛び出した。
これで遼真と霊獣キインの目が同調し、キインの見た光景が遼真へと流れ込む。

部屋の中から「上田武知也」の声が漏れてくる。
「この制服はいいなあ。それにこの匂い・・・ふう・・・興奮するなあ」
「ああ、この綺麗な髪の毛・・・」
「へえ、まだまだ小さいけど、こんなブラをつけてるんだ。何か甘い匂いがする」
天丸からは『制服』や『髪の毛』を顔に押し付けては
ベッドの上で転げまわっている上田の姿が送られてきている。
キインは天井際で『涙を流しじっと睨みつける瑠海』の姿を捕らえた。
遼真は今夜真美を連れてこなかったことを心から安堵した。
まあ色々とネットでは情報として挙がってくるが、
まさか中学生に劣情を抱き、こんな事件を起こす男がいることは驚きだった。
ましてや家も裕福で何の不自由もない生活をしており、
大人なのでそういう風俗店へ行けば、
顧客の秘密は守られるし後腐れもなくそれなりの楽しめるにも関わらず、
なぜこんなまだ大人にもなっていない女の子に偏執するのかわからなかった。

遼真は盗聴した家族の会話やネットなどでの情報を元に上田の調査に入った。
国立大学法学部を出て警視庁幹部候補生となった父と
大学教授の家に生まれた母の間の次男坊として上田武知也は生まれた。
子供の頃から若いメイドがいて家族みんなから可愛がられて育った。
幼い頃から世界中の様々な場所へ旅行へ行き、
綺麗で美味しいものを食べている写真が本棚の上に飾られている。
武知也の兄である上田家長男の源一郎は、
父と同じ国立大学法学部を卒業し大学院へ進み犯罪心理学を研究し、
現在はアメリカのFBIでサイコパス犯罪心理学などの研究を続けており、
帰国後は警視庁に入庁し警察庁幹部になることは約束されている。
両親との衛星回線での会話では兄源一郎も両親同様に愚弟の将来を危惧している。
それと武知也が13歳の時、信号無視した車に挽かれて亡くなった3歳下の妹がいた。
武知也はこの妹を大層可愛がっていたため、その時から武知也の性格が変わった。
小中学校と成績も良かったが、高校生となり不登校となりとうとう中退した。
不登校の理由としては、同級生から虐めにあったのではないかと両親は考えている。
しばらくして両親が『高校中退では世間体が悪い』と言い始めたため
仕方なく大学受験の資格を取るために大検は取るが、
結局大学受験も何校も失敗し浪人したが大学にも興味を無くした。
そして無職となったが、両親から『大学に行かないのなら働け』と言われ、
煩くて仕方ないので父親のコネもあり
何とか小さな会社に勤めても同僚上司とすぐに喧嘩して辞める。
他の会社をの面接を受けるも態度が悪いためどこも受からなかった。
最後には、親から資金を借りて現在ブームとなっている投資を始めた。
偶然なのかその道の才能もあったのか、時代が良かったのかわからないが、
とんとん拍子で上手く行き、親から借りた資金は数年で返済し、
今では株やFXで毎年何千万円もの利益を出せるようになっている。
武知也個人としては、税務署へキチンと税金も払っており
世間一般の労働者よりは多く儲けている自負もある。
この家から出て都内のどこかにマンションの部屋を買ってもいいのだが、
定職に就かない我が子の将来を心配な両親がそれを許さなかった。
このたびの瑠海へのストーカー行為で警察に捕まった件は、
父親が警察内部の知人の力を使ってもみ消しているため、
警視庁のコンピュータにその記録は存在しないことになっている。
『そのおかげで毎年大金が必要になり、ご先祖様の遺産が食いつぶされている』
と父親は苦虫を嚙み潰している。
父親自身は、息子がハングレ組織『レッドシャーク団』と関係が有り、
ましてや木村瑠海の殺害を依頼していたことは全く知らなかった。

たまに上田の部屋を訪れる悪友の|大河噴信《たいがふくのぶ》がいる。
大河とは、上田の小学校の時の同級生で高校中退でブラブラしている時に
ゲームセンターで偶然会いそれからずっと付き合っている。
大河は、仕事はしていないがなぜかお金には困っていないようだった。
その大河から上田が大人になっていない女性を好む理由が明らかになった。
これはクモ助に付いている盗聴装置『聞き耳タマゴ』からもたらされたもので、
上田の部屋に来た大河のジャンバーの襟元裏側へ『聞き耳タマゴ』を縫い留めた。
大河はいつも行くクラブに気に入ったホステスがいて、
そのホステスが偶然元上田家メイドだったのだ。
そのメイドだったホステスと深い関係になって彼女の寝物語から情報が取れた。
元メイドの彼女によると、武知也がまだ13歳だった頃、
交通事故で亡くなった妹のことが忘れられず、いつも悲しそうな顔をしていた。
二人は幼い時から非常に仲が良く小学校高学年まで一緒にお風呂へ入っていたらしい。
そんな時、当時18歳だったそのメイドがまだ幼い武知也へ悪戯心で、
誰もいない部屋に二人きりで入り、
「坊ちゃん、いつも寂しそうでかわいそうだから良い事してあげます。
 ご家族には内緒にして下さいね。気持ち良い事してあげますよ」
とキスをして抱きしめた。
武知也は『綺麗だな』と思っていた女性に口づけをされて嬉しかったそうな。
そんな日が何度も続き、やがてまだ成長していない性器は摘まみ出され、
撫でられ擦られ大きく硬くされた。
武知也は人生で初めて知った快感に身も心も震えた。
同時にそのメイドは自らの綺麗な胸や性器を武知也に触らせた。
実はそのメイドの性器は脱毛処理をしていた。
でもそういうことを知らない当時の武知也は、
そのツルツルとした毛の無い性器に夢中になった。
武知也が話すには、妹みたいな綺麗な性器だと喜んでいたらしい。
その元メイドのホステスが、大河と事が済んだ後に、
ベッドでタバコを燻らせ大笑いしながら話したものだった。

ここからは大河と上田が酒を飲みながら聞こえて来た話である。
大好きだったメイドもいつしか解雇され屋敷から居なくなった。
武知也は毎日の様にそのメイドとのことを思い出しては
自慰をしていたが本物の性行為を知った後では全く満足できなかった。
中学生の時も必死で女の子に言い寄ったがキスくらいしか進まなかった。
やっと高校生となった武知也は、必死で可愛い女の子に言い寄り、
デートをして色々なところへ連れて行っては、誕生日にはプレゼントしたり、
何とかその関係に持って行こうとするが、まだ高校生では無理だった。
キスや胸までは触らせてくれるがそれ以上は断られてしまう。
まあ武知也の通う高校は、紳士淑女育成で有名な学校のため当然ではあった。
ある時、我慢できなくなって、無理矢理に性器を触ってしまう。
彼女は驚いて武知也を突き飛ばして泣きながら部屋から出て行った。
武知也はその時にショックを感じた。
無理矢理触った時、掌にザラっとした毛の感触が残ったのだった。
それは武知也が好きだったツルツルの性器ではなかったからだった。
それ以降、彼女から一切連絡も無くなり、学校でもなぜか同級生に嫌われた。
学校に行っても面白く無く、『変態だ』と噂されるようになって不登校となった。
その後、年を偽ってファッションヘルスに入ったりホテトル嬢を呼んだが、
妹やメイドの様にツルツルの綺麗な女性は居なかった。
武知也はだんだんと大人の女性から興味が無くなっていったのだった。

上田が食事とかで部屋から長時間出て行く時、
クモ助は潜んでいる机やカーテンの裏から出て机の上のパソコンの側へ降りた。
そして、口から端子を伸ばしてパソコンのデータを読み取り始めた。
そのデータを一気に遼真の元へ送信する。
クモ助や天丸が常に画像を撮っているので暗号は簡単にわかっている。
この車のコンピューターは、
新宿にある桐生探偵事務所の量子コンピューターのRyokoと連結されている。
この日から上田や上田の家族の不在時は、
父親や家族や上田のパソコンのデータも順次入手することとなる。
上田が眠っている時は、可能ならスマホからの情報を取った。
上田の記憶媒体の中身は、殆どが小学生や瑠海の画像ばかりで気持ち悪かった。

父親と上田のパソコンの中にはハングレ組織『レッドシャーク団』の情報もあった。
父親は息子とハングレ組織『レッドシャーク団』との関係は知らないが、
警察としては注意している組織の一つの様だった。
ただ父親のパソコンには消された筈の息子の調書は写真で残っていた。
やはり遼真が危惧していたように、
警察組織として警察官の暗部は表に出る前に消される可能性が高く、
もし宮尾警部などに話していたら、たちまち捜査の痕跡が父親へ漏れて、
現場へいつ捜査中止命令が出る可能性も高かった。
これは遼真から都倉警部へ話していても同じ様になる可能性が高かった。
遼真はこの事件は捜査も行動も慎重に進める必要のある事を理解した。
京都の祖父、狐派頭領の令一が他派とも打ち合わせる必要があると話すはずだった。

85.秋の道東旅行2(阿寒湖湖畔にて)

阿寒湖の湖岸にいるたくさんの観光客が目に入って来る。
本日の宿泊ホテルの「ニュー阿寒ホテル」へチェックインして荷物を預けて外出する。
先ずは「阿寒湖遊覧船」へ向かう。
ちょうど出航する時間で定期便航路一周約18キロ85分コースのチケットを買い乗り込む。
遊覧船というには結構大きな船で3階建ての大型船で、
たくさんの観光客が3階のデッキにも並んで出航を今か今かと待っている。
船内放送で阿寒湖の説明が流れて来る。
阿寒湖は、阿寒摩周国立公園に含まれ、道東エリアを代表する観光地である。
淡水湖として北海道で5番目に大きく、特別天然記念物のマリモやヒメマスが生息している。
面積は13.25 km2、周囲長は25.9 km、最大水深は45.0 m、平均水深は17.8 m、
水面の標高は420 m、透明度は5.0 mである。
成因はカルデラ湖・堰止湖である。
周囲はエゾマツ、トドマツなどの針葉樹林やナラなどの広葉樹も混ざる深い森に覆われて、ヒグマ、エゾシカ、キタキツネ、エゾリス、モモンガなどのお馴染みの野生の動物が多く生息している。
湖には、大島、小島、チュウルイ島、ヤイタイ島という4つの島があり、
そのうちチュウルイ島にマリモ展示観察センターがある。
気候としては年平均気温がわずか3.7度で、1月と2月の平均最低気温は-17度を下回る。
この湖面は冬には全面が結氷しており、ワカサギ釣り、スケートなどのウィンタースポーツが盛んに行われ、阿寒湖氷上フェスティバル・冬華火などの大型イベントも開催されている。

やがて静かに遊覧船が桟橋を離れていく。
船は出航後すぐに南岸に沿って反時計周りに進み小島、大島を左舷に観ながら湖畔の滝口へ着く。
この滝口は、阿寒湖畔エコミュージアムセンターのある場所で、雄阿寒岳登山口にもなっており、阿寒湖南東端にある細い入り江の終点で阿寒湖唯一の流出河口となっている。
この場所は二つの水門が整備されていて、そのうちの一つが太郎湖へと注いでいる。地名「滝口」の由来は太郎湖から流出した水と阿寒湖から自然漏水した水とが合流し滝のように流れ出していることから名付けられたらしい。
この場所は、湖面に小さな島のように岩がたくさんあり、そこにコケやアカエゾマツなどの植物が育ち、まるで日本庭園のような景観が楽しめ、春にはエゾムラサキツツジ、夏にはハクサンシャクナゲ、秋には紅葉、冬には結氷した阿寒湖がみられるなど、四季を通して阿寒湖の自然が感じられる場所ですと船内放送が流れて来る。
そこから湖岸に沿って標高1371m雄阿寒岳を右舷に見ながら湖の北側にあるチュウルイ島へ向かう。
360度パノラマで黄色や赤色などの秋色に染まりゆく山々や深い森、
東側に雄阿寒岳、南西側に噴煙たなびく活火山の雌阿寒岳、北側に阿幌岳が見える。
深い藍色の水面を覗き込むと素早い小さな魚影が目の前を横切る。
観光客もその風景に圧倒されているのかその雄大な自然を静かに見つめている。

しばらくすると「チュウルイ島」へと着いた。
この島は、「マリモ展示観察センター」のある島で、
この“チュウルイ”と言う言葉は、
アイヌ語のチュウ・ルイ(ciw-ruy=激しい・流れ)に由来する。
早速島の北西部分にある桟橋に降りて島へ上陸すると、
目の前に色づき始めたこんもりとした森の小路が現れる。
その森の小路の入り口には「マリモ展示観察センター」の標識がある。
その小路に沿って歩いていくと六角形のドーム状の「マリモ展示観察センター」が現れる。

阿寒湖のマリモをご存知でない方はおられないとは存じますが、
この阿寒湖のマリモは、美しい球状体を作るため国の特別天然記念物に指定されており、環境省絶滅危惧種に指定され、天然記念物に指定された3月29日は「マリモの日」とされている。
分布としては、日本では、北海道および東北地方から近畿地方の湖沼に点在して分布し、日本国外では、ヨーロッパ北部、ロシア、北アメリカ等に分布する。
1753年にカール・フォン・リンネ博士がスウェーデンのダンネモーラ湖からマリモを採取して学名をつけ、1897年(明治30年)に札幌農学校(現・北海道大学)の川上瀧彌氏が阿寒湖西岸の尻駒別湾で発見し、その形状から「マリモ(毬藻)」という和名が付けられた。
北海道内のその他の生息地域としては阿寒湖と釧路湿原塘路湖シラルトロ湖があるが、国内のその他のエリアでは1956年に富士五湖でマリモ(フジマリモ)が発見され、東北地方や北陸地方、琵琶湖などの本州各地で生息が確認されているが、日本で学術的にマリモの存在が確認されたのは、阿寒湖のマリモが一番早く最も有名となった。ただこれらの地域の中で巨大なマリモが球体で群生しているのは阿寒湖と小田原湖、アイスランドのミーバトン湖やエストニアのオイツ湖だけである。
マリモ(毬藻)は、学名Aegagropila linnaei、淡水性の緑藻の一種で、生物としてのマリモの一個体は小さな糸状の繊維(糸状体)で、球状になる集合型のほかに、綿状の浮遊型、湖底の石・岩や湖岸のロープ、杭など人工物につく着生型としても生息している。通常多くの生息地では、マリモは糸状体の形態で暮らし、球状の集合体を作らない。国内では阿寒湖の湖底でのみ巨大で球状のマリモが生息している。
阿寒湖の緩やかな流れにより湖底でコロコロと転がされて大きく球状になったらしい。
北海道の先住民族アイヌは昔からマリモの存在を知ってはいたそうだが、食料になるわけでもなく、湖にたくさん生息しており、湖面に漂ったり、時化の後に湖岸に大量に打ち上げられたりして、珍しいものでもなんでもなかったし、アイヌ語で「トラサンペ(湖の化け物)」と呼んだりもしたいたらしい。

「マリモ展示観察センター」の中に入って行くと様々な工夫が凝らされて展示されている。
マリモの一生とかのマリモの色々な情報や現在の湖底のマリモの群生地に設置された水中カメラからの映像や、太い倒木が沈んで苔蒸した湖底をイメージした大きな水槽が展示されており実物のマリモをじっくりと見ることができた。
子供達は物珍しそうに水槽の前で
『大きいね』『丸いね』『ボールみたい』とか話しながらじっとみている。
意外だったのは、ぱっと見た目は柔らかそうなのに実際には硬い藻で、手で触れるとチクチクとした感触があるとの説明を聞いて、我が家の水槽の藻と大幅に違った点だった。
それ以外に屋外には阿寒湖に生息するイトウやアメマスなどを観察できるコーナーや、ビューポイントとしても好評な半円形の展望スペースもあり家族全員で阿寒湖を背景に記念撮影を撮った。
やがて時間が来たので遊覧船へと戻り湖の右舷に西岸を見ながら白龍神社のあるヤイタイ島を望み一路桟橋へと向かっている。やや傾きかけたもう弱弱しくなった太陽の光が西岸の湖面を照らしている。

遊覧船から降りて「ニュー阿寒ホテル」へと向かう。
このホテルは、神秘の湖「阿寒湖」のほとりに佇むリゾートホテルで、インフィニティスパ「天空ガーデンスパ」からは湖と一体になるような眺望が見え、夜は星空を見上げる極上のスパタイムを体感できるそうな。地場産にこだわった食事も魅力で、シェフの実演コーナーを備えた彩豊かなビュッフェではズワイガニやお寿司・ジンギスカンなど北海道らしいメニューでおもてなしをすると評判である。
フロントに預けてあるカバン類は全て部屋へと運ぶと言付かっている。
立派な玄関から入りロビーを見上げる。
このホテルのロビーは、8階まで吹き抜けのアトリウムロビーで天井にまたたく星座が見下ろし、
中央にはお客様のお出迎えする象徴のモニュメントがある。
ちらほらと宿泊客の数名はロビーにあるソファに座ってウェルカムドリンクを飲んでいる。
エレベーターに乗って予約している和室へと入る。
コンシェルジュの話では、この部屋は当館で一番人気の美しい阿寒湖を目の前にしたレイクビューの部屋で、華やかなゆったりした作りの調度品が美しいシャングリラ館の和洋室で美しい掛け軸や梁の飾り彫りが格調高い雰囲気を演出しているとのことだった。
確かに立派な物なので子供達に調度品にはあまり触らない様に言い含めた。
窓際の椅子に座り、美波が淹れてくれたお茶を飲みながら、
太陽の傾きにより刻々と変わる阿寒湖の美しい湖面の色彩に目を奪われた。

荷物の片づけが終わったのでみんなでお風呂へと入ることにした。
雄樹は母親の静香と一緒に行くと言うので慎一は一人で大浴場へ向かう。
最上階9階にあるガラス張りの窓から湖が見下ろせる岩風呂の大浴場「雲海」へ入る。
たっぷりの湯に浸かりながら窓から阿寒の絶景を見る贅沢な時間だった。
大浴場内にある岩の組み合わされた露天風呂へ移動する。
浴槽内に沈められているデッキチェアに座ると
ちょうど風呂の水面と目の前に広がる阿寒湖の湖面の境目が無くなり二つが一体化し、
自分がまるで阿寒湖に浸かっている様な錯覚にとらわれるのだった。
そういう錯覚の中で阿寒の雄大大自然を眼下に見下ろしながら、
『アー』と言いながら阿寒湖に溶け込む様な名湯に身体の隅々まで浸した。
慎一は家族の事を思い、
しみじみと今までの人生を振り返り人の出会いの不思議さを嬉しく感じた。
風呂も十分堪能したので大浴場から出ると何と偶然家族と顔を合わす。
女湯の大浴場の名前は『天舞』で大理石風呂と露天風呂があったらしい。
なかなか子供達の活発な動きからは目が離せない中で
どちらの風呂も阿寒の自然がとても雄大で綺麗だったと静香と美波が話していた。
何とはなしに美波の表情が明るくなった様に感じて慎一は嬉しかった。
それ以外に大浴場にはサウナ風呂も設備されているが今回は使用しなかった。

部屋に戻るとレストラン「フェリシェ」へ向かう。
料理スタイルはいつもの様にブッフェスタイルを選んでいる。
このレストランは森と湖の80品リゾートブッフェと銘打たれており
種類豊富な食材をシェフがお客様の目の前で調理するブッフェスタイル。
東北海道の四季に彩られた数々のメニュー。
美を追求するシェフが創りだすアートな世界。
その多くの食材を一番おいしい時期に提供。

先ず子供達に食事を選ばせながら料理全体を見ていく。
目立った物としては
シェフが取り分けてくれるタラバガニ・ズワイガニ(しゃぶしゃぶと蒸し)、
北海道名物のジンギスカンを一人鍋風にご自身で焼いて食べるスタイルのもの。
シェフがライブキッチンで焼いてくれるぶ厚い道産牛の鉄板焼きは、
定番のじっくり漬け込み熟成させた味付けとシンプルでやみつきとなる塩だれが用意されている。
茶碗蒸し(雲丹あん)、キンキの煮付け、帆立釜飯などが並べられている。
その他秋のメニューも多く秋鮭や厚岸の牡蠣や山菜キノコを使った料理、
和洋中華ほか、種類も彩りも豊かなメニューであった。
子供達を食べさせながら大人たちは、
肉や蟹や海産物など好きな物を順番に取って来ては賞味していった。
目の前に広がる暮れてゆく森と湖面の風景に目を奪われながら美味しい酒に酔った。

ここで食材大国北海道の道東エリアで有名な食材の説明だが、
毛ガニ
流氷が去る春が旬で網走・紋別等であがる『流氷明け=海明けのカニ』が有名である。
釣きんき
網走であがる北海道を代表する高級魚と呼ばれる魚「きんき」。その中でも、網走漁協所属のキンキ延縄船で漁穫される「釣きんき」は、魚体に傷がつきにくく、船上で氷詰めされるため鮮度も抜群。
厚岸のカキ
冷たい海水温のおかげて年中新鮮な生牡蠣を食べることが可能な日本有数の牡蠣の産地として知られる厚岸。厚岸は栄養豊富な海水と淡水が混ざり合う漁場、特に冬は、海と繋がる厚岸湖全体に氷が張り、その氷の下で養分を蓄え身がふっくらと育成されることで、さらに美味しさが増している。
野付のジャンボホタテ
猟期は12月~5月。別海・野付産のホタテ。特にこの地域のホタテは驚くほどに大きくて、しかも甘い、ジャンボホタテと呼ばれるホタテの産地。北海道東部と国後島を間を通る、狭い海域の根室海峡は栄養豊富な潮が流れ込む場所でこの海が最高品質のホタテを育てている。
摩周そば
神秘の湖、摩周湖屈斜路湖があることで知られる弟子屈(てしかが)町産。道内でも特に寒さが厳しくなる冬は、マイナス20度以下になることもあり、その過酷な気温差と夏の涼しい気候がこの蕎麦を生んでいる。この蕎麦は豊かな香りと鮮やかな色合いが特徴で生産量が少ないことから「幻」とも呼ばれている。
エゾシカ
知床のファームで、捕獲したエゾシカを一定期間牧場で肥育し丁寧に処理をするため、臭みがない良質なエゾシカ肉を味わえる。
ザンギ
今では北海道独特の料理されているが、本来は釧路が鶏肉揚げ「ザンギ」の発祥の地である。
北見の玉ねぎと焼き肉
生産量日本一を誇る玉ねぎの一大産地で寒暖差が大きく、また降水量が少ない場所の為、玉がしっかりまとまり、加熱すると甘みがぐっと増す。また北見地方は北海道の都市で一番人口に占める焼き肉店が多いと言われている焼き肉の街である。
それ以外にジャガイモなどの栽培が盛んな他、漁港として有名な「羅臼」があり、昔から鮭やホッケ、ウニといったおいしい海産物が有名である。

夕食が終わった後、部屋へ戻り今度は「阿寒湖アイヌコタン」へと向かう。
ホテルから歩いていくと道の両側にトーテムポール状の木で彫られた物が並んでいる。
正面には木の柱に止まった大きな木彫りの白いフクロウが目に入って来る。
周辺にある店から「イランカラプテ!」と声を掛けられる。
お店に寄って聞いてみると「イランカラプテ」とは、
アイヌ語で「あなたの心にそっと触れさせていただきます」を意味する挨拶の言葉だそうで慎一も「イランカラプテ」と挨拶をした。

阿寒湖アイヌコタン
「コタン」はアイヌ語で「集落」を意味し、ここは北海道で最大の規模の集落で、前田一歩園財団の3代目園主、前田光子氏が、アイヌの生活を守るため、店や住まいのための土地を無償で提供したことから始まった場所らしい。またアイヌ文化で、大切とされる数字は「6」とのこと。これは(触れ合う・つくる・食べる・受け継ぐ・解き放つ・自然と生きる)の6つの感覚を現わしているらしい。
 先ずはコタンの中央に建つシンボルの白い大きな木彫りのフクロウの建物「オンネチセ」へ入る。
このオンネチセの”オンネ”はアイヌ語で「大きな/完成に近づいた」・”チセ”は「家」を意味し、伝統を守りつつ新たな文化創造を重ねる阿寒湖アイヌのアートミュージアムである。 ここで暮らす人々の手により、この地域で集めたここでしか見られない作品を展示していると説明している。
アイヌが大切にしてきた、自然と共生し、あらゆるものにカムイ(神)が宿るという考え。
阿寒湖アイヌコタンで、かつてその技を研ぎ澄ました達人達による木彫作品の多くが至る所に飾られており、カムイ(神)に、祈りを捧げるためのイクパスイ(お酒を捧げるためのへら)やトゥキ(お酒を入れる漆塗りの椀)やイタ(浅く平たい形状の木製の盆)やその他伝統的な祭具や工芸品、カムイノミ(アイヌの伝統儀式)の光景や一般家庭の囲炉裏のある部屋、アイヌの民族衣装である手作りの伝統的なルウンペ、チンジリが壁に飾られ、交易を通じて手に入れ、受け継いできた宝飾品も飾られていて、阿寒湖アイヌコタンに受け継がれてきた作品が一堂に会している。ここにはアイヌの人々が大切にしてきた、自然と共生し、あらゆるものにカムイ(神)が宿るという考えに沿った物ばかりであった。
 アイヌの人々の当時の生活に思いを馳せながら、次に阿寒湖アイヌシアター〈イコロ〉へと入る。
ここは日本初のアイヌ文化専用屋内劇場で、客席にぐるりと囲まれた円形ステージ、その中央には本物の火が立ち上っている。建物名の「イコロ」はアイヌ語で『宝』と言う意味だと説明されている。このシアターのステージの上では、ずっと昔から語り継がれてきたアイヌの人たちの儀式イオマンテ(熊送り)、収穫への感謝、日常での恋の踊りなど自然への尊敬(イコロ)が目の前で繰り広げられている。これらを見ていて現在世界的に危惧されている自然の脅威に対して自然と敵対する者では無く「自然との共生」が求められると感じた。
 シアターを出て、道の両側に開店している木造りのお店へ顔を出す。
北海道では有名な鮭を咥えた木彫りの熊とか守り神と言われているフクロウの木彫りも見える。子供達は可愛いキタキツネやフクロウの人形を買い、美波は友人の芳賀さん達用に色々なキーホールダーを、慎一はシアターでも演奏されていたムックリと言う『口琴』を買ったが、部屋に戻ってシアターでしていた様に鳴らそうとしたがいくら頑張っても音が出ず、ため息しか出なくて最後には諦めて本の栞にしようと考えた。
 翌朝、子供達がまだ暗いうちに目を覚まし騒ぎ始めたので急いで荷物をまとめて、
ちょうど朝食が始まったばかりのクリスタル館1Fテラスダイニングへ向かう。
このレストランは大きな窓の外に広がる芝生と湖岸の天然木が美しい庭のように見え、その木々の間から阿寒湖の湖面が静かに広がり、まさに「森と湖のリゾート」と言うコンセプトそのままのレストランで、部家の真ん中に設置されたビュッフェテーブルでシェフの作っている姿を見ながら出来立ての色々な料理を取った。
特に人気なのは、
贅沢な海鮮食材を好きなだけ盛って自分で作る唯一無二の「オリジナル海鮮丼」や甘い香りが鼻を擽るふんわりと焼き上げたシェフこだわりの「フレンチトースト」で、
みんな色とりどりの丼とメープルシロップをたっぷりかけたフレンチトーストに舌鼓を打った。

10.捜査1(友人恵理那)(第7章:私の中の誰か)

 遼真は、瑠海の和御魂と荒御魂から念写された多くの写真を見ながら捜査に入った。
瑠海の事件は、転落現場付近に監視カメラも無く普段人通りも少ない場所で
目撃証言も瑠海を見つけたサラリーマンだけだったため、
警察では転落事故として処理されているらしい。
遼真は、ネットニュースを調べて瑠海の写真を見つけた。
写真は小学校の卒業写真だが、小学生にしては大人びた顔の可愛い女の子だった。
遼真は、瑠海の家や転落現場や通っていた中学校などを確認した。
虫型盗聴器天丸からの情報では、
当然のことながらお葬式からそれほど時間が経っていないため、
瑠海の両親は、毎朝毎晩、瑠海の真新しい位牌へ手を合わせている。
妹の愛美がいない両親だけでいる時の会話は、
「なぜあの子はあんな場所で死んだんだろうね」
「私が塾に迎えに行けば、あの子はあんなことにはならなかったのに」
「私たちにもっと何かできることがあったんじゃないか」
「本当に事故なんだろうか」
「警察官に新しい制服や下着をつけていて不思議だ、本当に事故ですか?
 と聞いても、残念ですが娘さんは足を滑らせた事故だとしか言わない」
「あの子のことで最近何か気になる事は無かったか?」
「はい、とくには無かったと思います」
「お前がいつも見ていて何も無いのなら・・・やはり事故なのか・・・」
「それよりお医者さんから言われた臓器移植をして本当に良かったのでしょうか」
「そうだな・・・でももう瑠海も死んだし終わった話だと思うけど・・・」
「私たちの知らない子供の中で元気に生きていると考えればいいのでしょうか・・・」
「死んだ後、臓器を渡すことがあの子の意思なら、あの子の思いなら、
 あの子の優しさなら、あの子の考えに従うしか無かったけど・・・」
「こんなこと話すのいけないかもしれないけど、
 あの子がまだあの部屋に今もいるように感じることがあるんです」
「確かに、俺も同じように感じることがある・・・気のせいか・・・」
「私たちがこんなことを思っているとあの子が成仏できないと言われるけど・・・」
「そうだな。でもそう感じるのだから仕方ないよな」
「そうね。あの子は優しいから、きっと残された家族の気持ちが心配なのかも」
「そうだな。あの子は優しい子だったよな・・・」
などとずっと悲しい表情で悔やんでいる。
その両親の光景を瑠海の霊が心配そうにじっと見ている。
瑠海の霊に関しては遼真の使い魔であるキインがその場で確認している。

 中学校の下校時間に遼真と真美は瑠海の通っていた中学校へと向かう。
帰宅時間のせいか校門から多くの中学生が出て来ている。
遼真はその中から『瑠海の友人』だった『恵理那』を見つけた。
恵理那の家に着く手前で彼女へ声を掛けた。
「!?・・・あなた、どなたですか?」
「僕は桐生遼真と言って、探偵みたいな者です。
 そしてこの彼女は僕のアシスタントです。」
「探偵さん?・・・私に何か用ですか?」
遼真は名刺入れから『桐生探偵事務所』の名刺を渡した。
ここは従兄の桐生翔の事務所だが、
従兄さんの奥さん兼事務員の百合さんとは連絡をして口裏を合わせている。
「こんにちは、私は桐生真美って言います。
 あなたのお友達だった瑠海さんのことで少し教えて欲しいことがあるの。
 少しお時間よろしいですか?」
「桐生さん?・・・瑠海のことですか?」
瑠海の霊は、彼女の隣で悲しそうにじっと見つめている。
「そう、私は瑠海さんとは知り合いなの。
 あの事故を聞いてショックで、やっと最近元気が出たの。
 それであの子のお友達って聞いてるあなたに聞きたくて。
 彼女のことであなたが覚えていることで何か気になることはない?」
「何か気になること?・・・それだったら『ストーカー男』かな?」
「『ストーカー男』?、瑠海さんはそんな思いをしていたの?」
「ええ、ある時、
 急に強い風が吹いてスカートが捲れ上がって下着まで見えたらしいの。
 瑠海は急いで裾を押さえたらしいけど、その男はじっと瑠海を見てて、
 それ以降、何か視線を感じるとその男が居て気持ち悪いと言っていました」
「そう、そんなことが・・・嫌だったでしょうねえ」
「ええ、だから交番へ行ってその男のことを説明して、
 その後、お巡りさんに現場も押さえて貰ってその男、
 瑠海は『変態上田』って言っていましたが、確か『上田武知也』だったかな?
 お巡りさんに『もう近づきません』と誓わせたらしいと瑠海から聞きました」
「ふーん、その男は、上田武知也と言うのね」
「ええ、親はどこかの偉いさんみたいだとは言っていました」
「それ以外に事故を起こす手前に何か聞いたことは無かった?」
「事故を起こす手前だと・・・
 そうだ。確か何か怖い男の人をよく見かける様になったと言っていました」
「怖い男?どんな男って言ってた?」
「モヒカンの金髪で顔や体に入れ墨をして、唇や耳たぶにたくさんピアスしてたって」
「へえ、聞いただけで・・・きっと逃げたくなっちゃうね」
「そう、だから瑠海もそんな時は早足でその場から離れる様にしてたって」
「恵理那さんは、その男を見たことはあるの?」
「一度だけ見たことがあるけど、怖くてちらっとしか見てません」
「もしかしてこの男かな?」
遼真は木村瑠海を歩道橋から突き落とした男「狂次」の顔写真を見せた。
「・・・うっ・・・そう、この男です」
「この男は誰なのですか?」
「それは現在調べている所なんだ。
 もし見かけることがあれば事務所にでも僕の携帯でも・・・」
「私の携帯でも連絡してくれればいいわ。はい、私の名刺。
 でも後を付けたりとか危ない事は絶対にやめてね。約束よ」
「はい、わかりました。
 それはそうと真美さんって、探偵さんのアシスタント?
 あの高校の制服姿ですけど・・・」
「ええあなたの思う通り。私は高校3年生よ。はい、これが学生証よ」
「学生証?・・・ほんとだ、へえあの高校だ・・・
 すごいなあ。いま私も真美さんの高校を目指しているところなんです」
「是非ともお待ちしているわ。良い学校よ」
「そうですよね。勉強は大変だけどすごく雰囲気の良い学校と聞いています」
「そうよ。私は県外から入学したけど、みんな優しい人ばかりよ」
「へえ、もし高校の事で聞きたいことがあれば連絡してい良いですか?」
「ええ、いいわよ。いつでも歓迎します」
「ありがとうございます。
 実は瑠海も真美さんの高校を目指していたんですよ」
「そうなの・・・一緒なら良かったのにね」
「うん、瑠海の分もがんばって真美さんの高校へ入ります」
「がんばってね」

9.霊査3(木村瑠海の悲しみ3)(第7章:私の中の誰か)

粉雪の舞う冬のある日、主治医の先生から父母へ
「あの、実はあるご提案があるのですが・・・」
「!!!先生、何ですか?もしかして瑠海が助かるのですか?」
「いえ、残念ながら、もうそれはありません」
「・・・???」
「実は、お嬢さんがこのカードを持っていたのですが・・・」
医師の手の中には『臓器提供意思表示カード』が握られていた。
「そのカードは?・・・」
「はい、お嬢さんの手帳から現場に落ちていた物です」
「先生、そのカードを見せてください」
「はい、これです。どうぞ」
「確かに娘の名前が記入されていますね。
 それにこんなにたくさんの臓器に〇がついてる」
「お嬢さんは本当に心が優しいですね。
 なかなかこの年齢でここまで考えることはないですが、
 このようにキチンと考えられていたのですね。
 私はすばらしいお嬢さんだと思いました」
「はあ・・・瑠海がこれを?・・・」
「そういえばあの子は、
 ドラマでもそんなシーンがあったら泣くような心優しい子だったな」
「そうですね。でも・・・」
「さきほど話したご提案なのですが・・・」
「はあ」
「お嬢さんの臓器を他の患者さんへ移植することを考えて頂けませんか?」
「移植?」
「はい、このカードにもありますようにお嬢さんのご意思に従って、
 お嬢さんの健康な臓器を他の子供の患者さんへ移植することを検討して頂けませんか
 との提案です。残念ながらお嬢さんはこのまま目を覚ますこともありませんし・・・
 もちろん再度キチンと診断させて頂きます。
 はい、そして覚醒する可能性が少しでもあれば絶対に臓器移植はありません」
「先生、もうこの子も目を覚まさない日がだいぶ経ちましたね。
 その間、少しでも覚醒の兆候が有ればと考えて、
 過去に効果があったとされる読み聞かせや手足を擦ったり握ったりしてきましたが、
 やはり『奇跡』は起こりませんでしたね」
「お父さんもお母さんも長い間、大変努力されていたと思います。
 その間、『ご両親の思いはこれほどのものか』と
 医師である私や看護師達も痛いほどわかりました。
 その上でのご提案です。
 瑠海ちゃんの臓器を他の待っている子供へ移植して、
 そこで瑠海ちゃんに新しい人生を送らせてあげませんか?」
「瑠海はいなくなりますよね・・・」
「はい、でも瑠海ちゃんは移植した別の子供の中で新しい人生を送ります」
「先生、少し考える時間をください。家族で話し合ってみます」
「はい、大切な事ですから、皆様で十分に話し合って下さい。
 これは臓器移植に関する資料ですのでお渡ししておきます。
 それとわからない事があれば私へいつでもご連絡下さい」
と主治医は看護師が持っていた分厚い封筒を両親へ渡した。

 さて時間は現在へと戻る。
少し前に真美と一緒にお花見をした工藤三姉妹であるが、
長女の真奈美から真美へ放課後に二人きりの話があった。
最近の舞華ちゃんは、夜中に悪夢でうなされる事も無くなり、
今まで見なかった楽しい夢を見たと言い始めているらしい。
その笑顔が明るくて両親も非常に喜んでいるとのことでお礼を言われた。
「ううん、お礼を言われる様なことは何もしていないわ。
 私は、真奈美や二人の妹さんと一緒にお花見をしただけよ」
「そうかなあ、不思議に思ったのは帰ってからなの。
 あの時、ついつい眠くなって3人とも寝ちゃったけど、
 普通はそんなこと、ないよね?」
「いや、私もみんなと一緒に寝てたからよくわからないわ。
 あの時は暖かい桜の風が気持ち良くて・・・」
「ううん、お礼を言いたいの。
 あの眠りのおかげで私も妹たちも、特に舞華は苦しまなくなったから。
 きっと真美の家の神様のおかげなんだろうなと思ってる」
「きっとそうね。私は舞華ちゃんが苦しまなくなればいいだけ。
 私も今夜、もう一度、うちの神社の神様にお礼を言っておくわ」
「神様へのお礼は、今度の日曜日に家族全員でするつもり。
 お父さんもお母さんもとても喜んでいるの。家族で行きたいって」
「それは良かった。真奈美、本当に良かったね」

真奈美の口から不思議な話が出てきた。
舞華ちゃんが楽しい夢を見たと言う店やその場所は、
実際に本当にある場所ばかりで
夢に出てきた小学校や中学校も実際に都内にある学校ばかりだという。
家族は、舞華が入院中や家に帰って来てから、
きっとネットやユーチューブやテレビで見たのではないかと言っているが、
真奈美が感じるには、夢の割にはあまりに細かくはっきりし過ぎているらしい。
例えば、
舞華ちゃんが夢で『恵理那という友達と一緒に行った』と話した店は、
原宿にある「MOMO」という店で、昨年の9月に開店しており、
『桃』がテーマとなっている、ピンク色の店で、
最近、小学生・中学生に流行り始めている可愛い小物の店だった。
実際にその店のオリジナルグッズを持っている真奈美の友人も多かった。
しかし、舞華には
・恵理那という友達はいないこと。
・「MOMO」には一度も行って居らずローマ字のため店の名前が読めなかったこと。
・「MOMO」のオリジナルグッズは家には何もないこと。
・夢に出てくる学校は家や病院からは遠く一度も行ったことがないのに
 校庭や教室内の様子が細かくて正確であること。
真美は、聞いたその日の夜に遼真へ舞華ちゃんの情報を伝えた。

「わかった。舞華ちゃんも苦しみが無くなって良かったね。
 安心したよ。荒御魂を分離した成果が出て安心したよ。
 でも事件が気になるので京都の師匠に相談してみるつもりだ」
遼真は自分の部屋に籠り、リモートで相談している。
その時間は相当に長く夜中まで続いている。
途中に真美はコーヒーを部屋へ持って行ったが、
二人の師匠である遼真の祖父に当たる狐派頭領の桐生令一も
温厚に笑っているいつもとは違って深刻な顔つきになっている。
机の上には遼真が読み取り真美により念写された多くの写真が並べられている。
・舞華へ臓器を送った女の子「木村瑠海」の顔
・「木村瑠海」が殺された歩道橋
・「木村瑠海」が拉致された時の女性の顔
・「木村瑠海」の実家と家族の写真
・「木村瑠海」の友人の恵理那の写真
・「木村瑠海」の入院していた病院
・「木村瑠海」を歩道橋から突き落とした男「狂次」の顔
・「木村瑠海」を殺した男の所属するハングレ組織のいる倉庫
・「木村瑠海」を殺す様に依頼した男「上田」の顔
・上田がお金を渡していたハングレ組織の男達の顔
・「木村瑠海」を解剖した医師の名前と顔
・「木村瑠海」の臓器を移植した患者の顔

日が変わってから遼真が居間へ戻ってきた。
今回の事件は遼真と真美だけでは難しいので、
桐生一族の他の派である鬼派や霧派とも打ち合わせるとの話だった。
祖父令一は何かを知っているようだが遼真にはわからなかった。
二人はこの事件が大きなものになりそうな予感に顔を見合わせた。

84.秋の道東旅行1(丘珠空港から阿寒湖へ)

 北海度ではお盆も過ぎ朝晩も涼しく感じてくると
そろそろ街の人々も紅葉シーズンの訪れを意識するようになる。
道庁前の広場では例年通り北海道内にある市町村の特産品展が開催されている。
いよいよ海川山大地のあらゆる食材の旨味が深くなる季節の訪れだった。
来年春の神奈川県への転勤も決まり、
先月の道央旅行で子供達も長期の旅行にも大丈夫なことがわかったので、
秋休みに有給休暇を取って北海道最後の記念として長期旅行を計画した。
美波も来年には就職のため、なかなか家族で旅行は出来ないのではないかと考え、
強行軍ではあるが街が雪で閉ざされる前に家族全員での道東旅行を企画した。
今回は、移動距離も長いことから飛行機を使っての旅行を考えている。

 さて出発の初日、朝ご飯を食べて荷物を確認して、
車に乗ってマンションから丘珠空港へと向かった。
30分ほどで到着、駐車場へ車を停め空港へ向かう。
空港内では観光客や出張者らしき人々で溢れている。
搭乗手続きをして少し多めの荷物を預け女満別空港行きのゲートへ向かう。
子供達は待合から駐機場に停まっている飛行機を見つけてからはずっと見ている。
雄樹は飛行機が好きで飛行機を指差しては母親の静香へずっと楽しそうに話している。
夏姫は美波に抱っこされて飛行機を見て何かを話しては笑っている。
しばらくすると機内への案内のアナウンスが聞こえてくる。
飛行機は小さくて横1列、通路左右2席ずつの4席のため慎一だけ別の席に座り、
母の静香と雄樹、美波と夏姫は一緒に並んで座っている。
子供達が少し離れた席に座る父親へ伸びあがっては手を振っている。
慎一は手元に準備した旅行のコースや地図を再確認しているといつの間にか眠っていた。
席の傾きの変化と女満別空港に到着の機内アナウンスが聞こえてきて目を覚ます。
子供達の席を見ると二人とも眠っているのか静かだった。
女満別空港に着いて、空港から出て予約しているレンタカー会社へと向かう。
自家用車と同じタイプの車にしてチャイルドシートを二つ用意してもらっている。

 今日のコースは、
オンネトー湖と阿寒湖の観光をしてニュー阿寒ホテルで泊まる予定である。
女満別空港から美幌バイパス、そして美幌ICから北見国道を進み美幌町へ入り、
美幌町国保病院を越えて次の大きな交差点手前を美幌駅方向へ右折し、
駅前にあるロータリーに車を停めて、
駅前にある「映画 君の名は」の石碑の前で写真を撮って貰う。
すぐさまロータリーを回って元の北見国道方向へ走り、
途中の美幌駅前郵便局で左折し、突き当たりを左折し予定通り釧北国道へ入る。
後はこの釧北国道を南下し津別町を進み途中にある「道の駅あいおい」へ向かう。

 さて最初の休憩地、木の香ただよう山のオアシス「道の駅あいおい」である。
この道の駅は釧路と網走を結ぶ産業観光の大動脈、国道240号沿いにあり
道産そば粉を使った手打ちソバや、地元産大豆を使った手造り豆腐をはじめ地元農産物、木工クラフト製品等を販売する物産館、旧国鉄北見相生駅を利用した展示館やカフェ、客車を改造した宿泊可能な展示車両など、さまざまな興味深い施設があり、絶好の休憩ポイントである。

 駐車場に車を停めた途端に秋風に揺れる「クマヤキ」の幟が最初に目に入る。
道の駅「あいおい」の代名詞ともいえるお菓子の「相生名物元祖クマヤキ」。
名前のいかつい印象とは裏腹に、ほっこりするデザインが人気を集めるお菓子で、その味のある風貌は、地元イラストレーターで造形作家の大西重成さんが考案したものらしい。 焼きあげられたクマヤキは全て手作業で”耳“をカットしてから客に渡しているため、微妙に一つずつ表情が異なるところがあって可愛いと評判である。

クマヤキの大きさは手の平くらいでお腹が丸く可愛いフォルムとその表情が特徴的だった。
特に生地のフワフワ感と優しい甘みは疲れを取るには最適だった。
クマヤキの種類としては、4種類あって、
クマヤキ:津別産のホクホクの小豆を使用した自家製のつぶあんを生地で包む。
ナマクマ:自家製のつぶあんと濃厚生クリームを生地で包む。
ヒグマ:濃い豆乳クリームを生地で包む。普通のカスタードよりさっぱりなのにコクが感じられる逸品。
シロクマ:たっぷりの自家製粒あんタピオカ粉で作った真っ白でモチモチの弾力の生地で包む。
秋限定クマヤキ:旬の甘いかぼちゃを使ったクリームをフワフワ生地で包む。
これらがちょうど5種類だったので1個ずつ買ってベンチに座ってみんなでシェアをして食べる。
夏姫は、「白熊さん可愛い」と言ってじっと熊の表情を見ている。
雄樹は、「熊さん、ガオー」と言って一気に顔から被り付いている。
どのクマヤキも名物だけあって噂通り美味しくて小腹の空いた慎一達にはちょうど良かった。

ふと駅舎風のカフェ「くるみの森」が目に入った。
ここはネットにも紹介されている様に旧国鉄北見相生駅時代の時刻表や料金表などがそのままの旧駅舎を活用したカフェで自家焙煎コーヒーや焼き菓子がメニューにあった。
その隣には相生鉄道公園があって、旧国鉄時代の北見相生駅の駅舎の資料室や当時走っていた列車が置かれており当時の面影を再現されている。
雄樹は置かれている列車に興味津々で母親と手を繋ぎながらその周りを歩いている。
夏姫はいつもの様に美波に抱っこされながら駅舎の中を歩いている。

 実はここら辺りには他にも以下のような観光場所もあり宿泊して楽しむことも可能である。
「チミケップ湖」
原生林の奥地に潜む幻想的な湖、澄んだ湖面の周囲約12kmは野生生物が生息している天然樹に囲まれた神秘的な秘境がある。
「シゲチャンランド」
造形作家として活躍する大西重成さんが開設した私設ミュージアムで、道の駅「あいおい」から阿寒湖方面に向かって約1kmの雑木林の中にある。
「木材工芸館」
木のまち「つべつ」のシンボル館で、館内には樹齢数百年の巨木による森が再現され、動植物や、木材の資料が展示されている。併設されている木工体験工房では、自分だけの一品を製作可能。
「ランプの宿 森つべつ」
森に囲まれた物静かな環境の中で、ゆったり過ごすことのできるホテル。満天の星を眺めることのできる天然温泉の露天風呂で泉質は単純アルカリ泉。 
「津別峠展望台」
この峠は標高947mで阿寒摩周国立公園の人気観光地である屈斜路湖の北西、サマッカリヌプリ(標高974.4m)とコトニヌプリ(標高964m)の間に位置し、屈斜路湖畔西部国道243号屈斜路交差点から津別市街を結ぶ北海道道588号屈斜路津別線が津別峠を通る。
ここは美幌峠や小清水峠よりも標高が高いため雲が掛かりやすく雲海の広がる名所としても知られ、天気が良ければ眼下に屈斜路湖雌阿寒岳雄阿寒岳などの阿寒の山々の稜線やオホーツク海まで一望することができる。またここら一帯にはキタキツネやエゾリスなどの野生動物もよく出没する。

 道の駅で休憩後再び南下し、まりも国道を進み、次の交差点で右折し、
241号線阿寒横断道路・足寄国道と進み足寄町方向へひたすら一本道を走る。
この足寄町は、ご存知でない方は居られないとは思いますが、
「果てしーない おー空と広い大地の・・・」
の歌で有名な国民的大歌手の松山千春氏の生まれた町である。
その昔、新婚旅行で北海道を旅した同僚に聞いたところによると
彼の生家がそのまま観光名所にもなっており、
家の屋根の上に彼の似顔絵が描かれた大きな看板が備え付けられていたらしい。
そんなことを思い出しながら、窓から見える景色、
遠くの山並みは、既に紅葉し始めており初秋の旅行を強く意識させている。
空港を出て2時間くらいすると『オンネトー』の看板が出てくる。

 このオンネトー湖は、“北海道3大秘湖”の一つである。
この“北海道3大秘湖”に関しては、この小説の20話でも説明はしていますが再掲します。
北海道三大秘湖とは、「阿寒カルデラオンネトー」「東大雪の東雲湖(しののめこ)」、「支笏カルデラのオコタンペ湖」と言われています。
ただ最近は、北海道三大秘湖のうちオンネトー・オコタンペ湖は、アクセス路が整備され、秘境と呼ぶにはあまりにインパクトに欠けるという理由から、この2湖に代わり「チミケップ湖」「シュンクシタカラ湖」を含めた新北海道三大秘湖が提唱されるようになっている。ただしこの新北海道三大秘湖の定義ははっきりしていないため、人によっては「|豊似湖《とよにこ》」を含める場合もあるいう。

オンネトー湖のネット情報>
所在地は、北海道足寄郡足寄町茂足寄原野国有林内
名前の由来は、アイヌの言葉で「年老いた沼」「大きな沼」を意味する「オンネトー」。
出来た時期は、約2000年前。
規模としては、周囲2.5km、最大水深9.8mの湖。
成因としては、阿寒富士の爆発によって螺湾川が堰き止められて誕生した。
景観としては、湖の周辺の見事なアカエゾマツ、トドマツに広葉樹を混ぜた原始性の高い針広混淆林で、
エメラルドグリーンに輝く湖面に、周囲の緑、雌阿寒岳、阿寒富士を映す絶景の湖で怖いほどに神秘的である。湖底から天然ガスや酸性の温泉が湧出しているため生物が繁殖せず、沈んだ木にも苔や水草も付かず、昔に沈んだ当初の色合いのまま神秘的な湖底の様子が見える。

 いよいよ三大秘湖最後の「オンネトー湖」に着いた。
湖の畔に作られた駐車エリアに車を停めて家族で湖へ近づいていく。
湖畔西側にある展望デッキをゆっくりと登っていく。
やがて目に入って来た湖はまったく風も吹いておらず、
秋の冷たさを含んだ空気だけが肌を包んでいる。
湖面には秋の陽に照らされた阿寒富士と呼ばれる雌阿寒岳が正面に逆さに映っている。
覗き込んで見たその湖の水は秋の空の色を写してるかの様に透明で神秘なまでに蒼く、
湖の深い場所は濃いエメラルドグリーンに染まっている。
湖底に沈んでいる樹木は、沈んだ当時のままの色合いで所々に苔が生えている。
ネット情報にある様に、もし湖底から天然ガスや酸性の温泉が湧出していたら
それらしき匂いがあるのかと考えていたが何も匂いは感じられなかった。
ここは「五色沼」と呼ばれ、季節や天候や見る角度により
現在見えているエメラルドグリーンやダークブルーなどその色合いを変えると言われている。
ちょうど家族以外誰も居ないため、子供達の走る笑い声が湖面へ響いている。
この湖が2000年前からこの場所で息づいていたと考えると北海道の大地の深さにも驚かされた。
さすがに秘湖だけあってこの一帯に店らしきものも何も無かったため、
ある程度家族の写真やビデオを撮ったら車へと戻り阿寒湖に向かった。
我が家としては美波が近くまで行った上士幌町にある然別湖隣の東雲湖を含めて
とりあえず「北海道3大秘湖」近傍への接近は達成したことになる。
子供達が小さいことを考えるとこれが最大限だろうと考えている。
ここら辺りの観光スポットとして、
オンネトー湯の滝」「オンネトー展望台」「山の宿 野中温泉」「雌阿寒オンネトー自然休養林」
などたくさんの北海道の原生林の息吹が感じられる場所だった。

 今夜の宿泊場所の阿寒湖へと向かうために車に乗り込む。
夜までまだまだ時間あるので阿寒湖周辺で色々と観光の予定だった。
オンネトー湖から足寄国道へ戻り右折して阿寒湖方面へ向かう。
途中に「白藤の滝」の看板が出て来たので林道へ入り駐車場へ向かう。
駐車場から急な斜面を下りて行くと川が見えてくる。
肌を吹き渡る風に秋の気配がより深く感じられる。
流れる水を良く見ると色が茶色く濁っていて微かに硫黄の香りがする。
そこから少し上流に行くと轟音とともに勢い良く流れ落ちる滝が目に入った。
名前の由来通り真っ白い藤の花のように垂れ下がる柔らかい水流が印象的だった。
「白藤の滝」を見て駐車場を出て元の林道を走り左折する。
まりも国道に突き当たると右折してそのまま道なりに走ると阿寒湖の湖面が目に入って来る。

8.霊査2(木村瑠海の悲しみ2)(第7章:私の中の誰か)

 その男は、古い大きな倉庫の中に居た。
倉庫の大きな扉には「GDコーポレーション」と会社名が書かれている。
その中は広く奥には部屋や机や椅子があって、
机や椅子の周りには釘の打ち込まれた角材やバットなど危ない物が転がっている。
一目見て柄の悪そうな恰好をした多くの男達の中で笑っている。
「惜しかったよなあ。もう少し大きくなればみんなで回せたのにな」
「そうだよな。でもあれくらいがいいと思う奴もいるぜ」
「駄目だよ。そんなことしたら事件になるから商売にならないぜ」
「まあな。あの綺麗な身体が金になるからなあ。
 それに世の中の困っている子供のためにもなるし
 その子供達の親も喜ぶしで俺達は良い事をやってるんだぜ」
「しかし、あの男も変な奴だな。
 中身より服がいいんだと、俺にはわからねえ」
「そうだな。あんな小便臭い中学生の制服やパンツの何がいいのかねえ」
「おい、その辺にしとけ。あいつがボスの部屋から出てくるぜ」
「おお、わかった。どんな変態でもお客さまは神様ですからねえ。まいど」
「ははは、おもしれえ」

奥の部屋から男二人と女二人が、一人の男と出てくる。
最初に出てきた男二人の顔や身体には、
1人には鮫、もう一人には虎の入れ墨が入っている。
「上田さん、確かにご依頼の後金は頂きました。またのご依頼をお願いします」
「いやあ、しばらくはいいかな。でも絶対に内緒にしてね」
「わかっていますよ。良い素材をありがとうございました」
「じゃあ今回はここまででね」
上田は倉庫から出て行くと立派な車を運転して帰って行った。

『あの顔は覚えてる。
 私にストーカーしてた男だわ。確か変態上田・・・
 なぜ、あの変態上田がここにいるの?
 確かお巡りさんから言われて私の近くには寄れない筈なのに』

鮫の入れ墨をしている男から男達へ
「お前達、今晩は久々にパーッと行こうか。
 あの坊やから軍資金がたんまり入ったし好きなもの食べて良いぜ」
「「「うおー、ボスありがとうございます。
 いつでも言いつけてくださいね。どんなことでもしますぜ」」」と男達が騒ぐ。
「そうそう、狂次、今回の殊勲者はお前だから好きな女抱いても良いぞ。
 桃、狂次にいい女をあてがってやってくれ」
ボスと呼ばれた鮫の入れ墨の男の隣に、
派手なピンク色の髪に妖艶な化粧をした女がニヤリと笑う。
「はいよ。狂次、確かお前は、ナナが気にいってたね。
 今晩はお前の部屋へ行かせるから思う存分楽しみな」
「ナナか、あの色気にあの巨乳は反則だなあ。今夜は朝まで眠らせないぜ」
「わかったわ。ナナにそう言っておくから。
 でも荒っぽくして壊すんじゃないよ。
 あの子はリクエスト客も多く稼ぎ頭なんだからね」
「わかってるよ。大切な商品だから、大事にするぜ」
「わかればいい。本当にお前はいつもがっついているから心配になるよ」
「はい、桃姉さん、いつもすみません」

『この人達、私が何をしたの?』
『なぜこんな人たちがこんなことをして生きてるの?』
『なぜ私はこんなことにならないといけなかったの?』
瑠海の魂が更に黒くなっていく。
そして、その黒い一部が離れてこの場に自縛された。

「おお、何かここ寒くないか?ストーブをもっとガンガン燃やしな」
「へい、わかりました。確かに急に寒くなりましたね」
「どこか窓でも開いてるのかな?」
「ちょっと調べてみます・・・どこもきっちりと閉まってるけどなあ」
「まあいいや、俺は部屋で酒でも飲んでるから時間が来たら声を掛けろよ」
「へい、ボス。わかりました」

 瑠海は上田の顔を脳裏に浮かべると上田の部屋へ引き寄せられた。
部屋の壁と天井には、
大きく引き伸ばされた瑠海の隠し撮り写真が一杯貼られていて、
それらの写真が見える場所に大きなベッドがある。
そのベッドの上で、
切り取られた瑠海の髪の毛や制服や下着に頬ずりする上田の変態の姿があった。
「あの子の全てを俺の物にできた」
「あの子は、もう永遠に誰の物にもならない」
「あの子は、永遠に中学生で僕の物になった」
「・・・おお、何か急に寒くなったな。暖房を強くしないと」

『気持ち悪い事はやめて。お気に入りの制服だったのに』
『ああ、下着まで・・・そんなところ・・・お願いやめて・・・』
『この変態め、絶対許さない・・・殺してやりたい・・・』
『変態上田め、早く死ねばいいのに・・・』
あまりに強い憎しみの余り

瑠海の魂の黒い部分の一部が分離してしまい上田の部屋に自縛された。

『わたし、かなしい・・・こんな気持ち・・・』
『お母さん、お父さん、愛海《えみ》に会いたい』
『寂しいよー、みんなと一緒に居たいよー』
瑠海は自分の家へと引き寄せられた。
家では両親と妹の愛海がダイニングのソファに座っている。
家族は悲しみに染まった表情でお茶を飲んでいる。
「瑠海が心配だな。何とか目を覚ましてくれないかなあ」
「そうね。でも命があっただけでも良かったと思っています。
 あんな高い所から落ちたのだから・・・。
 あなた、私、明日から瑠海が目を覚ますように病室でいますね」
「うん、頼むよ。家の方は何とかしておくから」
「お母さん、私も学校終わったら姉さんに会いに行きたい」
「わかったわ。お前も気になるだろうから気を付けてくるんだよ」
愛海、今日は遅いからお風呂に入って、もう寝なさい」
「はい、じゃあ今から入るね」
「寒いから風邪ひかない様によーく身体を温めてね」

しばらくして父から母へ
「あの子はどうしてあんな場所を歩いていたんだろうな。
 あの子、どこにいくつもりだったんだろうか・・・」
「そうね。確かに塾や家とは反対方向だし、私もそれは不思議だったわ」
「お前もか、わざわざあんな人通りの少ない場所に行かないと思うんだが」
「そうね、しばらく前にあんな気持ち悪い思いしたからねえ」
「本当に変態だったな、あの上田という奴は。しかしもう心配無い筈だし」
「そうね。あの男もお巡りさんからもきつく言われていたからもう大丈夫でしょ」
「ふーん、事故なのかなあ」
「うーん、少し不思議な事があるの・・・」
「なんだ?」
「あの子の制服だけど、なぜか新品を着てたのよ。
 それに下着も新品だったような・・・あんな下着を洗濯したことないし・・・」
「制服?下着?・・・一体何だろうな。とにかく瑠海は目を覚まして欲しいな」
「そうね。ただただ祈るしかないわね」

『お父さん、お母さん、悪いのは上田よ』
『お父さん、お母さん、悪いのは怖い危ない人達よ』
瑠海は自分の部屋へ跳んで行った。

ある日、病室で主治医の先生から両親へ
「お父さん、お母さん、残念ですが、
 もう入院してだいぶ経ちますが娘さんの脳波は平坦なままです。
 瞳孔反射はありませんし、自発呼吸もできていません」
「どういうことですか?」
「以前、お話させていただきましたように
 残念ながら娘さんは現在『脳死状態』にあります」
「先生よくわからないのですが、それは・・・」
「非常に言いにくいのですが、
 娘さんは今後ずっとこのような状態となります。
 呼吸も自立でできる状態になることはないです」
「先生、お金なら何とでもしますから目を覚ますまで娘をお願いします」
「娘さんの目を覚ます可能性は非常に低く、
 こういう植物状態のままこれから何年も続きますが・・・」
「先生、娘が目を覚ますことは無いのでしょうか?」
「はい、今までのケースから見て、娘さんはこのままの可能性が高いです」
「可能性はあるのですか?」
「いえ、酷な様ですが期待を持たせることは言えませんからいいますね。
 目を覚ます可能性はほとんどゼロと考えてください」
「そんな・・・瑠海、瑠海・・・」
まだ眠る様に横たわる娘を抱きしめて母の慟哭が部屋に響き渡った。

7.霊査1(木村瑠海の悲しみ1)(第7章:私の中の誰か)

 幼い舞華を苦しめていた荒御魂を宿し黒く変色した人形《ひとがた》”は、
現在、祈禱所内でも慎重に何重もの結界を張った場所へ安置している。
遼真と真美は帰宅すると慌ただしく祈祷所へ入った。
今回の荒御魂は恨みなどの負の感情のみで出来ているため、
その荒御魂から情報を取り、その後荒御魂を滅さなければならなかった。
もしこの世に解き放たれれば、別の人間に憑依し大変なことになるからだ。
 遼真と真美は再度心身を清めて精神統一し、荒御魂からの情報の調査に入った。
智朗さんが祈禱所内で異変が起こらない様に片隅からじっと見つめている。
真美は遼真の後ろへ座り目を閉じ、遼真の背中へ右手を当て、
左手にデジタルカメラを持ち胸の前に構えている。
別に手を置かなくてもお互いテレパシーで送ることはできるのだが、
二人とも力を極限まで使うので触れ合った方が受送像効果の効率が良かった。
遼真が白紙に包まれた黒く変色した人形《ひとがた》の上に手を置く。
『ウッ』
途端に遼真の掌へ切り刻まれるような痛みが走る。
遼真の額に汗がジワリと滲み始める。
実際に遼真の掌には強力な霊障のため、
刃物で切られた様な線が何本も走り血が滲んでいる。
やがて遼真の脳裏へ荒御魂の発する”恨み”の光景が流れ込んでくる。
遼真は黒い人型の発する連続的な光景の必要な部分を切り取っては真美へ送っていく。
真美の脳裏へ遼真から送られてくる画像が浮かぶ。
真美はその画像を丁寧に念写していく。
デジカメへ何十枚もの写真が撮影されていく。
遼真の額から滝の様な汗が顎を伝い白衣の胸元へ滴り落ちていく。
真美も同様に額から汗が白衣へ落ちていく。

 やがて遼真の目が開けられた。
「ふう、終わった。真美、大丈夫か?」
「ふう、はい、大丈夫です。今回は酷い場面が多いですね」
「そうだな、女の子の真美には見せたくないシーンもたくさんあったから、
 何とかそこは送らない様にしてた。しかし本当に酷い事件だな」
「遼真様、いつもありがとうございます。
 でももう真美も来年には大学生ですから気にしないで結構ですよ。
 そのために遼真様に要らない力を使わせることを私は望んでいません」
「まあそうだけど、まだ真美には酷い内容にあまり慣れて欲しくないな」
「ありがとうございます。でも決して無理はしないで下さいね」
「わかったよ。

 そうか・・・もう来年には大学生だったな。早いものだなあ」
「そうですよ。もう真美は大丈夫です。
 舞華ちゃんの中に居る瑠海(るみ)ちゃんがかわいそう。
 それも何個もの荒御魂に分かれてしまってどうしようも無くなってますよね」
「そうだよね。こんな恨みを持てば成仏したくてもできないよね。
 何とか瑠海ちゃんの分かれた荒御魂も一緒にして鎮めさせて助けたいな」
「遼真様、私も精一杯頑張りますのでよろしくお願いします」

 二人は祈禱所から居間へ戻りウメさんからコーヒーを貰って一息ついた。
残念なことに現在祈禱所にある黒い人型はまだ送霊できない。
智朗さんにはしばらくこの人形《ひとがた》を祈禱所内で安置しておいてもらうしかない。
不幸な事にあまりに恨みが深いため他の場所にも縛り付けられている、
木村瑠海の荒御魂を一緒にして一つとして送霊しなければ意味が無かった。
真美はデジタルカメラの画像をワードやパワーポイントへ貼り付けていく。

遼真が観た光景は以下だった。
舞華ちゃんへ心臓を与えた少女の名は『木村瑠海』。
年齢は、中学1年生。都内の公立中学へ通う。
どこにでもいるような元気でおしゃれの好きな女の子。
ある冬の夕方、塾からの帰り道。
友人の恵理那との明日のお出かけを脳裏に描いて楽しみにして歩いている。
誰も歩いていない道端で女性がお腹を押さえて苦しんでいる。
瑠海は、心配になって急いでその苦しむ女性へ近寄る。
「どうかされましたか?大丈夫ですか?」
「うう、持病の癪が・・・なんてね」
と突然瑠海の口元に濡れたハンカチを当てられた。
そのハンカチからは化学薬品の様な匂いがしたがすぐに意識が無くなった。
瑠海はふと知らない歩道橋の上に立っていることに気がつく。
『ここはどこ?なぜ私はここに?』
その時、ふらつく身体を後ろからドーンと押されて
フワリと身体が歩道橋の階段の上へ放り出される。
「勘弁してくれよ。まだこれからなのになあ。
 もう少し大きかったら相手したのに惜しいな。じゃあな」
目に入る風景がスローモーションとなり、やがて視界が階段と道路で一杯になる。
スローモーションの様に流れる光景を見たその一瞬後、
『ゴーン、ゴトゴトゴト・・・』
と自分の頭や身体が階段と歩道へ当たる音が聞こえてくる。
酷い痛みは一瞬で、
瑠海はその時、歩道橋の階段から落ちていく自分を見ていた。
瑠海を突き落とした男は、ニヤリと笑って階段を下りていく。
そして頭から血を流して倒れている瑠海をじっと見て、
そっと辺りを見回して誰もいないことを確認して走って行った。
瑠海は頭や口元からも血を流し、
手足が不自然な形に曲がっている自分の身体を見ていた。
路上に落ちている生徒手帳からは、
今まで手帳へ入れたこともない「臓器移植カード」が見えている。
しばらくするとそこを偶然通ったサラリーマンが、
倒れている瑠海を見つけて、慌てて携帯電話で救急車を呼んでいる。
救急車がすぐにきて瑠海はストレッチャーに乗せられ運ばれていく。
手術をしたようだが瑠海の身体は意識を回復しないようだった。
やがて瑠海の両親と妹が病室へ入ってきた。
病室の壁には瑠璃のなぜか汚れた新しい制服が掛けられている。
ベッドで横たわる瑠海は、全身を包帯で巻かれ、
開頭手術のため、長く自慢だった髪も丸坊主にされ包帯で巻かれて、
酸素吸入器や数本の点滴チューブに繋がれて眠っている。
医師から両親へ
「娘さんは歩道橋の高い所から落ちたようで、
 その時に頭を強く打ち脳内出血を起こし大きく脳組織を損傷しています。
 我々としても全力を尽くして出血部分を除去しましたが、
 その範囲が非常に広く、最悪の場合、
 娘さんはこのまま意識を戻らず、植物状態になることも覚悟してください」
と言われている。
大好きだった母は瑠海の横たわるベッドに泣き崩れ、
優しい父も泣きながら泣いている母の背中をそっと擦っている。
妹の|愛海《えみ》も『姉さん、姉さん』と泣きながら声をかけている。

瑠海は自分がなぜこんな事になったのかわからなかった。
瑠海を拉致した女も、突き落とした男も、
今まで見たことも無い知らない男女だったからだ。
瑠海はその男を探そうと思った。
不思議なことにその男の顔を思い浮かべると
身体が引き寄せられるようにその男がいる場所へ飛んでいく。

6.舞華の笑顔(第7章:私の中の誰か)

 遼真はすぐさま浴室へ入り水垢離をして身を清め、
祈禱所では智朗さんと一緒に” 荒御魂分離修復術”の準備を進めていく。
やがて遼真から真美へテレパシーで『真美、こっちは準備できたよ』と伝えられた。
真美の部屋の香炉には、今朝から心を沈静させる成分が入れられている。
ウメさんが少量の睡眠薬の入った新しいジュースとショートケーキを部屋へ持っていく。
みんながそれを食べていると少しずつ眠くなってくる。
ウメさんから「皆さん、綺麗な桜ですね。如何ですか?」と
工藤三姉妹の一人一人へ順番に声を掛けた。
その時ウメさんの瞳が青く輝き、『催眠力』”眠りへの誘い”が出て、
一瞬にして工藤家三姉妹は深い眠りの世界へ入った。
真美はそっと舞華ちゃんを抱き上げると祈祷所へと向かう。
ウメさんは姉の真奈美と真琴の二人をそっと横にして眠らせた。

 祈禱所では、護摩壇に炎がチロチロと燃え上がり始めている。
スヤスヤと気持ち良さそうに眠る舞華ちゃんの小さな身体が、
遼真の前、護摩壇の手前に敷かれている小さな布団へそっと横たえられる。
真美は急いで浴室へ向かい、浴槽に入った井戸水で一心に祈り水垢離を始めた。
春とは言えまだ冷たい井戸水を何度も頭から被ると
真美の普段から白い肌や頬が次第に赤く染まり始める。

 真美が水垢離を終え、着替えて舞華の隣へ座る。
遼真は、護摩壇へ護摩木を投げ入れながら祈り始めた。
護摩壇の炎が強く弱く燃え上がり、舞華の身体がその赤い炎の色で染まる。
遼真の前に30センチ四方の三方が設置され、その台上には折られた白紙が見える。
その白紙の上には手のひらサイズの”人形《ひとがた》”が置かれている。

祈禱所に遼真の祈りの声が流れ始めて、
しばらくすると人形《ひとがた》”は、『フワリ』と起き上がった。
舞華の方へと空中を泳いでいく。
人形《ひとがた》”は、舞華の胸の上で立ちじっとしている。
よく見ると舞華の胸辺りに黒い霧の様な物質が集まり始めている。
どうやらその黒い霧は、
舞華の身体の中からジワジワと滲み出て来る黒い粒々が凝集したモノだった。
やがてその黒い霧は吸い込まれる様に”人形《ひとがた》”へと入って行く。
それにつれて白い”人形《ひとがた》”が、角のある黒い”人形《ひとがた》”へと変わっていく。
舞華の身体から黒い粒状物質が出なくなった頃合いで、
真美が黒くなった”人形《ひとがた》”へ近づいて、呪文を唱えながら白紙へそっと包む。
そしてその人形《ひとがた》”の入った白紙は、元の三方の上へ置かれた。
スヤスヤ眠る舞華の表情からは、沈んだ滓《おり》の様な暗さが抜けていた。

「薬師琉璃光如来様、なにとぞこの子の霊体の修復をお願い申し上げます」
護摩壇の赤い炎がひときわ大きく燃え上がり
その炎が徐々に瑠璃色へと変わり始め、やがて祈祷所内は瑠璃色へ染まった。
日光菩薩月光菩薩を脇侍として薬師琉璃光如来がその姿を見せた。
日光菩薩の掌より白い暖かい光が、
月光菩薩の掌より黄色い優しい光が発せられ舞華を包む。
舞華の霊体の大きく窪んだ不整合部分へとその光が集まっていく。
舞華の霊体の胸の不整合部分は、まだ赤い切り口が見えていたが、
徐々にその損傷部分が修復されていく。
最後に薬師琉璃光如来の薬壺が、舞華の身体の上へ傾けられる。
薬壺からは金色の細かく柔らかい光の粒子が無限にその身体へ降り注がれる。
柔らかい金色の光が舞華を繭の様に包み、その光が脈動するように揺れる。
その霊体はこの世に生まれたばかりの霊体の様に輝いていた。

 真美はそっと舞華を抱き上げると部屋へと向かう。
部屋の中では真奈美と真琴がスヤスヤと眠っている。
舞華の身体をそっとビーズソファーへ横たえた。
ウメさんに三人をしばらく見ていて貰い、浴室で急いで元の服へ着替えた。
「みんな、起きて起きて」
「?」
「??」
「うーん、良く寝た」
「真美、私たち眠ってた?」
「私もついつい一緒に寝てたわ」
「ごめんなさい。何か気持ち良くなって知らないうちに寝ていたわ」
「真美さん、私も一緒です。ごめんなさい。
 眠る前におばさんに声を掛けられたことまでは覚えてるんですけどねえ」
「私も一緒に寝てたから気にしないで。舞華ちゃんはどう?」
「すごく気持ち良いの。ぐっすりと眠ったわ。
 こんな気持ちで目が覚めたのは今までで初めて。
 何か今までモヤモヤしてた胸の辺りがすっきりしてるの」
「そう?それは良かった。
 頑張った舞華ちゃんへの神様のプレゼントかもね」
「そうかも?
 帰りにもう一度、神様にお礼を言いたいから
 真奈美姉ちゃん、私にお礼の仕方教えてね」
「ええ、わかったわ。何度でもお礼を言うわ。
 舞華の表情がすごく明るく可愛くなって、姉ちゃんすごく嬉しい」
「姉さん確かにそうね。朝とは違ってるわ。舞華、本当に良かったね」
「うん。今日は最高のお花見だったね」
「お花見はまだまだ続くわよ。今からお花見弁当があるのよ」
「舞華、すごくお腹が空いたの。一杯食べていいですか?」
「ええ、存分に召し上がれ」
ウメさんが台所から重箱に入った懐石弁当を持って入ってきた。
「わあ、すごく綺麗なお弁当。
 こんなお弁当、お家では外で頼まないと食べられないわよ」
「そうね。姉さん、こんな可愛くて綺麗なお弁当は初めてね」
「わー、美味しそう。こんなすごいお弁当は初めて見たわ」
「皆さんどうぞ、たっぷりと眠った後は存分に召し上がってね」
「「「はーい。いただきまーす」」」
舞華の輝く様な笑顔には、
まだ日光菩薩様、月光菩薩様、薬師琉璃光如来様の優しい光が宿っている。
その様子をそっと見ていた遼真は、安心して祈祷所へと戻っていった。

『遼真様、本当にありがとうございました』
『いや、日光菩薩様、月光菩薩様、薬師琉璃光如来様のご加護だよ』
『はい、それはわかっていますが、遼真様にもお礼を言いたいです』
『ああ、僕は工藤三姉妹や真美の笑顔が戻ればいいだけだから』
『はい、みんな、良い顔になりました。私も安心しました』
『じゃあ、みんなと美味しい物を食べて楽しんでね。僕も食べるから』
『はい、遼真様と私が大好きな出し巻き卵がありますよ。是非ともお召し上がりください』
『おお、楽しみだな。また後でね』
『はい、お先にいただきます』

「真美、どうしたの?急に黙って・・・」
「ううん、舞華ちゃんが明るくなって良かったなと思ってね」
「真美の所の神様ってすごいのね。今度は父母も一緒にお参りします」
「舞華ちゃんやみんなが明るくなれば私は嬉しいだけ」
「真美、ありがとうね。ずっと不安だったから・・・(グスン)
 どうしたら・・・(グスン)・・・ほんとにありがとう」
「真奈美、もう泣かないの。妹さんも困ってるわよ。さぁもっと召し上がれ」
「う、うん、ほんとうにありがとう。
 じゃあ、いただきます。ウグッ、ゴホンゴホン」
「もう姉さんたら、泣いたり食べたり忙しいんだから、はい、お茶」
「・・・真琴、ありがとう。ゴホンゴホン、はあ・・・苦しかった」
「真奈美姉ちゃん、子供みたいだよ」
「そうね、そうね、気を付けるわ。でも本当に美味しいわ」
そんな満開の桜にも負けない娘四人の楽しい時間が過ぎていく。

 遼真は、祈禱所の護摩壇の前に設置されている三方の上に
真美の自縛印で固定されている黒くなった”人形《ひとがた》”を確認し、
智朗さんに様子を見て貰ってる間に工藤三姉妹を真美と一緒に家へ送って行った。
三姉妹は来た時よりも明るく華やかになって帰って行った。
二人きりなって真美が遼真へ
「遼真様、本当に今日はほっとしました。ありがとうございます。
 これからもがんばりますからよろしくお願いいたします」
「ああ、いつもと同じだよ。真美の事は心配してないからね」
「はい、ありがとうございます。でも気は抜きません」
「うん、わかったよ。よろしく頼むね」

5.臓器の記憶(第7章:私の中の誰か)

ここで移植された臓器が本当に記憶を保持しているかどうかであるが、
これは都市伝説ではなく実際に研究もされているし、
世界でも数そのものは非常に少ないものの実際に報告されている現象である。

 臓器移植と記憶に関しての興味深い論文と事象に関して、
インターネットで調べるとそれ関係の情報がヒットする。
先ず2019年にMedical hypothesesへ投稿された、
『心臓移植後の人格変化:細胞記憶の役割』という論文がある。
この論文では、心臓移植後の患者の性格の変化は、数十年にわたって報告されており、ドナーの性格特性を獲得したレシピエントの個人情報(記憶?特性?)が含まれているとされている。
その中でレシピエントの性格の変化について
(1)好みの変化 
(2)感情や気質の変化
(3)アイデンティティの変更
(4)ドナーの生活からの記憶 の4つの分類で説明されている。
心臓移植後のレシピエントのドナーの性格特性の獲得手段に関しては、
細胞記憶の伝達を介して起こると仮定され、
以下4種類の細胞記憶の種類が提示されている。
(1)エピジェネティック記憶
(2)DNA記憶
(3)RNA記憶
(4)タンパク質の記憶
その他の可能性として、心臓内神経学的記憶およびエネルギー記憶を介した記憶の移動なども議論されているようだ。
現在の死の定義を再検討し、ドナー記憶の移動が提供された心臓の統合にどのように影響するかを研究し、他の臓器の移植を介して記憶を移動できるかどうかを調べ、心臓移植の将来への影響を調査され、どのタイプの情報が心臓移植を介して転送できるかなどさらなる研究が進んでいる。いずれにしろ、移植医療ではレシピエントとドナー側との接触が基本的には禁止されているため、これらの研究において、細胞レベルの仕組みの追及はおろか、現象の真偽の検証すら充分に出来ないのが現状のようだった。

 次に臓器記憶の実話として知られる事例、”クレア・シルビアの事例”を紹介する。
1988年米国でユダヤ人の女性クレアが重篤な「原発性肺高血圧症」という病気を患い、、コネティカット州の大学病院で心肺同時移植手術を受けた。彼女には、ドナーはバイク事故で死亡したメイン州の18歳の青年ということだけが伝えられたが、その数日後から、彼女は自分自身の嗜好や性格が手術前と違っていることに気がついた。例えば,苦手だったピーマンが好物になり、またファストフードは嫌いだったのにケンタッキーフライドチキンのチキンナゲットを好むようになった。歩き方も男性のようになり、以前は静かな性格だったが非常に活動的な性格へ変わった。そして彼女は夢の中に出てきた青年をドナーと確信し、夢の中で青年の名前がティムであることを知った。ドナーの家族と接触することは禁止されていたが、クレアはメイン州の新聞の中から、移植手術日と同じ日の死亡事故記事を手がかりに、青年の家族と連絡を取り家族との対面が実現した。家族によると、青年の名はティムでクレアが夢で見たものと同じであり、ティムはピーマンとチキンナゲットを好み、活発な性格だったという実話である。

 その他、肯定派と否定派の意見も散見されている。
 ある肯定派の学者の意見は、”記憶転移”の仕組みについて、記憶に関係していると考えられる神経線維は脳細胞だけにあるのではなく、全身にも臓器にも存在することから『臓器の神経線維にも脳とは別に記憶のサーバーの一部があり、そこにドナーの記憶や情報の一部が残っている。特に心臓という臓器は、持ち主の意思とは関係なく一生涯動き続けるために、“自動能”や“刺激伝導系”という他の臓器にはない特殊な細胞や神経線維を持っており、その独自性から記憶サーバーとして強く働く傾向がある』と考えられるとの意見だった。
別の視点からは『臓器というより細胞そのものに記憶を蓄える能力があり、脳だけでなく全身の細胞一つ一つのDNAにその働きがあるのではないか』という説を唱える学者もいる。そのほか、精神世界の研究者の中には『人間の肉体の外側にエーテル体というエネルギー体があり、人間の魂の記憶や情報は臓器や細胞ではなくこのエーテル体に蓄積しており、臓器移植によりこのエーテル体も一部移動することで”記憶転移”が生じる』という学者もいる。 しかし、これらはあくまでも一部の科学者や研究者による仮説であるため、これらの説が科学的に広く認められていることではない。
 ある否定派の学者の意見は、『”記憶転移”と呼ばれる現象は、あくまで臓器移植という大手術に伴う麻酔や薬の副作用や精神的負担によるものであり、臓器移植により日常生活も苦労していた者が健常者に生まれ変わるという劇的変化は人生観そのものを変える為、その変化により物事の捉え方や考え方、嗜好などが変わっても何ら不思議ではなく、その上、ドナーへの感謝の気持ちや思いが“故人のようにありたい”“意思を引き継ぎたい”という気持ちに変化し、それが行動に現れているだけということで説明可能である』という考え方の学者もいる。

 遼真はこれらの情報を調べていくうちに舞華ちゃんの状態が、
この臓器記憶に関係しており、その背後には不可解な殺人事件が隠れていると直感した。
しかし、先ずは戦っている幼い舞華ちゃんの心を穏やかにさせること、
舞華ちゃんの心臓に記憶されている”恨み”=|荒御魂《あらみたま》部分を分離し、
悪夢や苦しみから解き放ち、|和魂《にぎみたま》のみとして残し、
現在不整合部分のある霊体の構成を滑らかなものへと修復させる必要があった。
心臓に宿った記憶は全てが恨みに染まっている訳ではなく、
過去からの楽しい記憶も同時に宿っている。
それらの記憶は決して移植した舞華ちゃんへ悪い影響は与えず、
まだ色々と経験していない幼い舞華ちゃんの魂には良い影響を与えると考えられた。
このために”荒御魂分離修復術”は行われる。
この術では舞華ちゃんの性格や嗜好に悪影響を与えることは無いとされている。