はっちゃんZのブログ小説

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77.道央旅行1(襟裳岬・広尾・大樹・忠類)

 雄樹と夏姫も大きくなってきたので、お盆休みに試しに宿泊旅行を決めた。
美波に聞くと家庭教師のアルバイトはお休みを取れるとの返事で一緒に行くことになった。
場所は、以前美波から聞いた雲海テラスを経験したいと考えて
宿泊は星野リゾートトマム ザ・タワーで2泊の予定にしている。
ただその前にまだ行っていない襟裳岬を回ってのコースで長距離ドライブである。

 昨夜子供を寝かせながら一緒に9時頃に寝て、いつもよりも早く3時に起きる。
雄樹を毛布で巻いてパジャマのままそっと抱っこして車へ移動する。
夏姫も美波が同じようにして抱っこして運んでいる。
静香は前の夜にトランクケースへ詰め込んでおり、今は今日の分を鞄に入れて運んでいる。
さて出発である。
今日の襟裳岬までのルートは国道36号線を進み、北広島ICから道央道へ乗り、苫小牧東ICから日高自動車道へ入る。そこから日高厚賀ICで降り、浦河国道・襟裳国道を走り襟裳岬へと至る片道230km、途中トイレ休憩を含めて約6時間の行程である。
朝も早いため車も少なく当然ながら混むこともなく順調にスピードを出せた。
苫小牧ICまで来ると水平線から朝日が見え始めた。
日高自動車道へ左折し道なりに進む。
フロントガラスから見える右側の風景はずっと太平洋が続いている。
朝焼けのオレンジ色の雲が海から右から東へ海から陸地へと吹き流されている。
きっとあれが雲海の元となる雲なのだろうと思った。
以前、シシャモを買いに来た鵡川町付近を通過する。
もうあと2か月もすれば「シシャモ祭り」が開催され多くの人で賑わう。
今年も関西や仙台の実家へ「本場のシシャモ」を送るつもりだった。
そろそろ日高自動車道の終点の日高厚賀ICが近づいてきている、
静香が入れてくれたコーヒーを飲みながらそんなことを思っていると
いつの間に起きたのか後ろから可愛い声が聞こえてくる。

「あっ、お馬さんだよ」
「そうね、牛さんもあんなにいっぱいいるわ」
「そうだねえ、いっぱいね」
「馬さんや牛さんは朝ごはんを食べてるのよ」
「牛さんや馬さんのご飯はなあに」
「牛さんや馬さんのご飯は地面の生えている草よ」
「美味しいのかな?」
「私たちには美味しくないけど、牛さんや馬さんにはごちそうなのよ」
「お母さん、お腹空いたよー」
「私もご飯食べたい」
「はい、わかったわよ。じゃあ先ずは服を着替えましょ」
「うん」
「はーい」
二人が良い子にして服を着始めた。
もう大人が手伝わなくても一人で着ることが出来る様になっている。
子供用のおにぎりやお茶を用意して大人も一緒に食べ始める。
子供達が車内テレビでいつもの番組を見始め、子供達の大きな歌声が流れてくる。
日高厚賀ICを降りて海岸の突き当りを左折し浦河国道へ入る。
しばらく進んでいくと国道沿いに「道の駅 みついし」の看板が見えてくる。
トイレ休憩も兼ねてここで朝ごはんを食べることにした。

 この道の駅は、新ひだか町(旧 三石町)のマリンレジャーの拠点・三石海浜公園の中にあり、
敷地内にはみついし昆布温泉「蔵三」もあるとネットでは書いてある。
三石海浜公園は、目の前に綺麗な大きな砂浜のふれあいビーチがあり、充実した施設で注目されるオートキャンプ場と16棟のバンガローもあり、道の駅自体もオートキャンプ場のセンターハウスも兼ねている。このセンターハウスの横には、三石特産の昆布などの海産物の販売所があり、もう観光客でにぎわっている。
センターハウスの中を色々と見ていると何かいい匂いがしてくる。
上がってみると「本格インドカリー、ナン付き」と書いてある店が見えた。
車の中で家で作ってきたサンドイッチやおにぎりは食べているし、
さすがに朝のこの時間にカレーも無いと思い我慢した。
子供達にはジュースやアイスクリームを買って戻って出発する。

車内テレビではCDで子供達の好きな漫画が流れてご満悦だった。
右側に太平洋を見ながら浦河国道、野塚国道、襟裳国道と道なりに進み、
いよいよ襟裳岬の看板が出始めたら襟裳町である。
道端の家の砂利庭や海岸沿いの砂利の上には、
まだ茶色の多くの大きく太い立派な昆布が干されている。
「道の駅 みついし」にも名産品として売られていたが、
これはまだ乾燥させる前の立派な昆布だった。
やがて遠くに海へ突き出した岬らしい地形が見えてくる。
襟裳国道の突き当りを直進し道道34号線へ入り、海岸線を進んでい行く。
10時過ぎにようやく襟裳岬に到着した。

 襟裳岬観光センターの駐車場には既に多くの観光客の車が停まっている。
車から降りた慎一は大きく伸びをした。
岬では思ったより風が強く、夏の日差しの強さが全く感じなかった。
先ずは岬の突端にある展望台まで歩いてそこから沖合の岩礁を見下ろした。
足元を覗いて見ると高さ60 mほどの断崖で、段々になった岩礁を大きな波が洗っている。
この岬は、北緯41度55分28秒、東経143度14分57秒。平成22年8月にアイヌ民族の精神的・聖地的に重要な場所であるとして、国指定文化財「名勝ピリカ・ノカ(美しい・形)」として、神威岬幌尻岳とともに指定された。「襟裳岬」は、アイヌ語でオンネエンルム(大きな岬:「オンネ」=「大老の・大きい」、「エンルム」=「突き出たところ=岬」)と呼ばれている。ここの地形は非常に珍しいとされていて、北海道の背骨と言われる日高山脈が次第に標高を下げ、そのまま太平洋に沈んでいく大自然の力を感じることが出来る。たぶん人間がここで住む以前から長い間荒波に洗われているにもかかわらず、海蝕で消えて無くなることもなく海面上2キロメートル沖まで岩礁地帯が続き、更に海面下に6キロメートルも続いている。
襟裳岬の展望台の横には、平成18年9月8日に、天皇陛下えりも岬緑化事業の視察で訪れた様子を詠まれた「吹きすさぶ海風に耐えし黒松を永年(ながとし)かけて人ら育てぬ」という御製(御歌)の記念碑と2つの襟裳岬歌碑(左:森進一、右:島倉千代子)が建立されている。
歌碑の1つは1971年に島倉千代子さんの歌「襟裳岬」を町名へ改称した記念として建立され、もう1つの歌碑は1997年に「風の館」が建設され、森進一さんが来町した際に記念として建立されたらしい。
そして目の前には「日本の灯台50選」にも選ばれた白亜の襟裳岬灯台がある。
灯塔高(地上から塔頂まで)13.7メートル、標高(平均海面から灯火まで)73.3メートル。現在は第3大型フレネル式レンズを使い、光度は72万カンデラ(実効光度)、光達距離22.5海里(約41キロメートル)。この付近の沖合では暖流の黒潮日本海流)と寒流である親潮千島海流)とがぶつかり、1年の3分の1近く霧が発生し海の難所といわれていたため、この岬一帯を航行する漁船や貨物船の安全のために建てられた。1889年(明治22)6月25日に初点灯。当時は第1等(特大レンズを使用した)灯台だったが、1945年(昭和20)7月15日に第二次世界大戦時の爆撃で破壊され、1950年(昭和25)2月3日に再建されたと記されている。
 やっと遊べる場所だと思い雄樹は走り回り、夏姫は美波に抱っこされて遠くを見ている。
今日は天気も良く、青い空と水平線の丸みが綺麗に見えて髪を乱すくらいの風が気持ち良い。
岬の突端から何も遮るものの無い風景を見たあと、
なぜか脳裏に森進一氏の「襟裳岬」のサビの一節が思い出された。
観光センター駐車場へ向かう途中にある「風の館」へみんなと向かう。
この館は、日高山脈襟裳国定公園内にあり周囲の景観や植生に考慮し、また、すぐ隣にえりも岬灯台があるため、灯台の明かりを遮らないように配慮され、地下に埋もれるような形で設計されている。建物の形は風が作る「カルマン渦」をイメージして作られている。カルマン渦とは、強い風が細い枝など円柱状のものに当たったとき、その風下側にできる規則的な空気の渦のことである。襟裳岬は、風速10メートル毎秒の風が吹く日が260日を超える、わが国有数の強風地域。時には、風速30メートル毎秒以上になる日も決して珍しくないと記されている。
この「風の館」は、その強風を活かした風のテーマ館で、
館内には、えりもの強風(風速25メートル)を体感するコーナーなどを設置されている。
早速みんなで入って見ると今でも飛ばされそうな風の力で、
身体がまだ小さい雄樹と夏姫などは立っていられなかった。

こんな強い風が吹くこともあることを考えるとこの一帯で昔から住む人たちの苦労が偲ばれた。
その他、ガラス張りの屋内展望室があり、そこからは野生のゼニガタアザラシの姿などをのんびり眺めることができると記されているので望遠鏡を使ったが、残念ながらゼニガタアザラシを見つけることは出来なかったが、岬突端から見るよりも遠方まで見えた。
ここから南東方向185キロメートルの海面下には、襟裳海山と呼ばれる海中の山が潜んでいるらしい。この襟裳海山は日本海溝の最北端の深い海底にあり、海山の高さは富士山よりも高い約4,200メートルだが、その高さであっても山頂は海面下3,735メートルの深海にあるといわれている。
 後日知った話だが、訪れた当初は、「さすが北海道、非常に自然が豊かだな」と感じていた襟裳岬だったが驚きの事実を知った。この周辺は昔も今も良質なコンブの産地であり、江戸時代後期より水産資源を求めた和人が移住し、明治になると開拓農民も加わり、炊事や暖房用の薪として海岸林を伐採した。さらに明治中期には牧場が開かれたほか、樹木は洋紙のパルプ原料と見なされて、植生が破壊されとうとうここら一帯は、はげ山同然の状態となったらしい。その結果、強風で飛散する砂塵は屋内にまで舞い込み生活に支障をきたすほか、海中に砂が蓄積されコンブが生えなくなり、サケや回遊魚も去ってしまったらしい。そこで”襟裳砂漠”と呼ばれるまで荒廃した植生を回復させようと、地元の漁師が国とともに1953年から緑化に取り組んだらしい。この緑化の経緯は、NHKの番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で取り上げられていて(2001年3月放送)、林野庁は最初砂地に草本の種子を蒔いたが、強風によりすぐ吹き飛ばされてしまい全く草木が育たなかった。そこで蒔いた種子の上へ漁師の間では「ゴタ」と呼ばれる雑多な海藻の塊を使い種子を覆い、地面に固定する方法で緑化を完成させた。その後、防風垣で覆いながらクロマツを中心とした植林が行われ、2000年頃には荒廃地面積のほぼ90%にあたる面積の緑化を終了させたとのことで、その後2006年9月には天皇・皇后の行幸があり、植林されたクロマツ林を見学し、襟裳岬に立つ碑には、後に植林の苦労を偲び詠んだ歌が刻まれているとの話だった。
これを知った慎一はこの地域の地元民の行動に感動して妻の静香にもすぐに話したものだった。
 次へ移動する前に「えりも岬観光センター」に入ったが、
まだそれほどお腹も空いていないので名産の昆布ソフトを買って車に乗った。
この施設は大きな生け簀もあり、買物や食事が楽しめて活ウニ丼や、焼き魚定食、旬のお刺身定食や、ラーメンや、昆布ソフトのデザートまであるので、家族みんなが満足する食事ができる。
この近くになんとあの有名なミシュランガイド北海道にも紹介された店「むてき食堂」があり、その店の「つぶラーメン」は、えりもでしか味わうことのできない「えりもラーメン」で、地元産のつぶ貝や、刻み昆布、マツモや岩海苔が入った塩味の絶品ラーメンだそうで、その他ラーメンとうに丼の贅沢なセットも人気のようで今度襟裳岬に来たら食べようと話し合った。(※残念ながら現在は2016年の火事によりそれ以降は閉店されています)

 名物の昆布ソフトを舐めながら襟裳岬を出発し、
来た時と同じ様に右側に太平洋を見ながら岬の東側の34号線を次の目的地大樹町へと向かう。
庶野の町を越えて小さな港の手前から336号線襟裳国道と合流しその後黄金道路と変わる。
そこからは500mくらいの短いトンネルが3つと6キロ近くもある長いトンネルを4つ過ぎて、広尾町へと続く長い海岸線である。途中に黄金道路の碑があったので止まって掲示版の説明を見ると
 えりも町字庶野から広尾町へと続くこの黄金道路は、断崖を切り開き、長い年月をかけて開通した国道で、名前の由来は開通にかかった費用が、黄金を敷き詰められるほど莫大になったことによるものとなっている。その莫大な費用を象徴するかのように、道路トンネルとしては道内最長(全長4,941m)となる「えりも黄金トンネル」をはじめとした数々のトンネルがあると記載されている。”黄金”とか|験《げん》担ぎに良い、めでたい名前だと思っていたが全然違ってたことに気がついて驚いたものだった。
広尾町にある十勝港を過ぎて、ナウマン国道・広尾国道と今度はただひたすら原生林と田んぼと畑の海の中を進むと大樹町の町並みが見え始め「道の駅コスモール大樹」に着いた。
 この道の駅は、ショッピングセンターを併設している点が特徴で、また、大樹町が取り組んでいる「航空宇宙産業基地構想」にちなんだ「宇宙関連グッズ」コーナーもある。
遅めのお昼ご飯だがみんな車から殆ど出ておらずそれほどお腹も空いていないため、ネットでの口コミが良かった道の駅近くにある「小麦の奴隷」と言うパン屋で、話題の『ザクザクの食感のカレーパン』や他のおかずパンや菓子パンも買って車中で食べた。噂のパンは、正に『ザクザク』でとても面白い食感で子供達も『こんなパン初めて、ガリガリしてる』と喜んで食べている。
 その後、この道の駅で有名なスイーツ「たいきハスカップソフト」を買って食べた。このソフトクリームは大樹町産の明るい紫色のハスカップソースがたっぷりとかけられており、果肉の粒々感も楽しめ、酸味と甘さのバランスが絶妙だった。それ以外にも「きな粉こソフトクリーム」もあった。このソフトクリームは北海道ならではの濃厚なクリームに、特製きな粉パウダーを振り掛けたもので、今まであるようでなかった和洋折衷のソフトクリームで、子供やお年寄りにもなじみ深い味が特徴で美味しかった。
 特産品コーナーには、チーズ、ホエー豚の豚丼セット、ソーセージ、ししゃもなど大樹町の自慢の製品を展示されていたので、ここにしかないとの情報の「雪印工場直送のカマンベールチーズ」、帯広地方名産の「ホエー豚の豚丼セット」を実家と家へ宅配便で送付した。
 そこを出発し、子供達を遊ばせがてら「道の駅忠類」にある「ナウマン公園」に寄った。
車内から大きなマンモス像が見えた瞬間から子供達の目が輝いている。
「うわっ、大きいね、ゾウさん?」
「ゾウさんだね、親子だわ」
「ううん、あれはゾウさんの親戚で、ずっと昔にここらに居たんだって」
「あんな大きなゾウさんがいたら怖いね」
「そうね。踏みつぶされるかもね」
「踏まれたら、うげーってなっちゃうね」
そんなことを話しているうちに公園に着いた。
雄樹と夏姫は、ナウマンゾウ親子の像の近くへ急いで走って行く。
珍しそうに小さな子供のナウマンゾウの像の鼻や尾やお腹を触っている。
お母さんナウマンゾウのお腹の下に行って見上げて驚いている。
この公園にはネット遊びや水遊びの出来る場所があるため、二人をしばらくここで遊ばせた。
その後、「忠類ナウマン象記念館」へ入り、
そこに立てられているナウマンゾウ骨格標本を見た。
こんなに大きな生物でも今では絶滅し生き残っていないことに不思議な気持ちになった。
もう夕方が近づいてきている。
そこから帯広広尾自動車道へ入り帯広JCTから道東自動車道を入り左折して道なりに進み、トマムICから降りて136号線を西へ走り、星野リゾートトマム ザ・タワーへ向かった。