はっちゃんZのブログ小説

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6.捜査1 須田氏の人生(第2章:いつまでも美しい女)

昼前になって神社へ宮尾徳蔵警部と小橋光晴刑事は顔を出した。
遼真は祈祷所内で二人へ写真を渡した。
「えっ?宮さん、この女・・・」
「そうだな、ほんの少し前に見てた顔だぞ」
「そうなんですか?どなたです?」
「美真野涼子、クレオパトラ化粧品の社長だ」
「へえ、もし警部が知らないならネット検索をしようかと思ってたのですが」
「この男二人はあまり覚えていないが・・・」
「宮さん、男の一人は弟で美容整形医師の士郎ですよ」
スマホで検索した小橋刑事が叫んだ。
「遼真君、えらい人間を一発で当てたものだな」
「はい、驚きました。でもまだ確実かどうかはこれからですね」
「そうだな。彼女達は今まで捜査線上にも一切上がって来なかった。
 もしうちの上層部と何かと繋がりがあっても邪魔くさいので
 はっきりするまでしばらくは我々だけで動くことにしよう」
「そうですね。宮さん、本当にこの二人ってすごいっすね」
「そうだな。今後の捜査次第だけどうまく行ければいいな」

遼真達は、須田さんの記憶を確認する意味で荒川の河川敷へ向かった。
須田さんが生活していた場所はすでに他の浮浪者が住んでいる。
そこの場所での一番年上らしき年寄りの家を訪ねた。
その老人は杉浦正道(すぎうらまさみち)と言い、
もう長い間ここの場所での取りまとめ役をしている。
須田さんも彼にはお世話になった様で嬉しそうに近くに立っている。
「はい、須田さんは急に居なくなりました。
 『杉浦さん、今晩は美味しい物を食べさせるから楽しみにしていて』
 と言ってそのまま帰って来ていないのです。
 彼の場所をいつまでもそのままにしておけなかったので
 後に入って来た人の場所にしていますが、
 彼が大切にしていた物はとりあえず私の家に保管しています。
 彼の大切にしていた包丁セットやラジオなどもこの棚にあります。
 彼はとても優しい人でねえ。
 こんな年寄りの私を良く助けてくれたのです。
 腰や肩が凝って痛い時でもよくマッサージしてくれたものです。
 今はもうどこに住んでいるのかわかりません。
 刑事さん、もし彼に会ったら、
 大切な物を預かってるから取りに来るように言って下さい」
「杉浦さん、須田さんは実はもう何年も前に亡くなっていたのです」
「えっ?何があったのですか?」
「ええ、実はある事件に巻き込まれて亡くなったのです」
「えっ?あんなに良い人なのに・・・
 いつ帰って来ても良いように綺麗に保管してたのに・・・」
「その事件を今も捜査してましてここに来ました。
 捜査中ですので彼の持ち物は警察で預かります」
「わかりました。どうぞ」
杉浦は棚の上から須田の持ち物を持ってきた。
木製バッグで内部が本革製のホルダーにプロ用の包丁セットが収められている。

ここで須田範宣氏の人生を知ることになる。
須田は、北海道の日本海側にある漁港で有名な増毛(ましけ)と言う町に生まれた。
その村は世界に有名なシェフを輩出している町でもありそれを聞いた須田も憧れた。
須田が小学生6年生になったある冬の日、
漁師だった父親の船が突風で転覆し沈み父親が亡くなった。
その船が新造されてすぐだったため、多額の借金だけが残っていた。
借金は生命保険だけは足りず自宅も売却し、
母子二人の小さなアパートでの貧しい生活が始まった。
須田は小学校時代から漁港で毎日朝晩アルバイトをしてお金を貯めた。
やりたい仕事もない町で夢を諦められない須田は
母へ『東京へ出ないか?』と何度も誘うも
『思い出のある土地を離れられない』と断られ、
仕方なく高校卒業を機会に一人で東京へ出て行った。
そして築地市場で住み込みのアルバイトをしながら何とか料理学校を卒業した。
朝早く夜は遅くまで勉強で、非常にキツイ毎日だったが、
うまく行けば調理師の資格も取れるし、
肉魚野菜果物などの食材の目利きも鍛えられるため
一石二鳥の生活だと自分に言い聞かせて毎日を過ごした。
須田は成績がとても優秀で学校からの特別な推薦もあり、
一流のフレンチレストランへ就職し、やっと夢への第一歩を踏み出した。
そこで再び母親へ東京へ呼んだが、
全く知り合いの居ない都会での生活を嫌った母は断った。
そこから長い間下積み生活の後、
その努力が認められやっと店の料理を任せられるまでになった。
そのうち母親は日常生活も不自由となったが、
それでも東京での生活を嫌がり、
とうとう介護施設へ入り、
今では認知症を患い我が子の事も忘れる毎日となった。
須田も年に数度増毛へ帰っていたが、
認知症が急速な悪化の一途を辿りとうとう亡くなった。
母親の最後の言葉は『お父さんが迎えに来てる』だったそうだ。
その時にショックを受けた須田は、
職場に戻る途中、ふと目に入った教会へ入り、
エス様に前で静かに自分の今までの生活を振り返り、
深く懺悔しその日からキリスト教の信者となった。
ある時、ヨーロッパのある国の大使館の食事会が行われることとなった。
客の好みやアレルギー等調べて、すばらしいメニューを作成した。
事件は当日に起こった。
須田はコック全員へ何度も注意しながら料理を作っていたが、若いコックが間違えて、ある客へ出してはいけないアレルギー成分の入った方のドレッシングを料理へかけてしまう。殆ど透明なドレッシングのため、間違えてもわからなかったのだった。
結果として、大切な客はアナフィラキシーショックを起こし昏倒した。
すぐに救急車を手配したが、国際問題にもなりかけたため、チーフだった須田は責任を取ってその店を辞める事となった。
その後、街の鄙びた洋食屋などで働かせて貰うも、
料理そのものが美味しく美しいためすぐに評判になった。
SNS全盛のため、料理とコックの名前や顔が晒されることとなり、
とうとう『殺人シェフ』などと揶揄され始めると店を出ていくしか無くなった。
何処に行っても同じことが繰り返されたため、
コックの仕事はあきらめて、
荒川の河川敷で浮浪者として生活を始めた。
地元に帰っても住むところもなく、
友人ももう何十年も会っていないし、
『殺人シェフ』と発信された須田にとって故郷はなかった。
そんな中で、河川敷での仲間の絆は心の拠り所となった。
たまに若干古くても美味しい食材が手に入れば、
須田がその素晴らしい腕を揮って料理を作り、仲間達と舌鼓をうった。
仲間達にとっては須田は専用料理人みたいでみんなが彼を慕った。
須田も気の置けない仲間達との共同生活に満足していたのだった。

長老の杉浦が心配そうに話すには、
須田以外も数人の浮浪者が帰って来ていないらしい。
ここ3年ほど、医師によるボランティアの診察は無くなったようで、
それ以降は、行方不明者は無いらしい。
年間数万人が行方不明者や不審死で溢れている現在の日本では何も珍しい事ではなかった。
警察も特に事件性が無ければ、わざわざ事件として考えないのだった。