はっちゃんZのブログ小説

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7.十字路の悪霊(埋められた呪詛)(第5章:真美を救え)

猿野花(さのか)の霊へ
「4人の人間の命と引き換えにお前の子供の命は蘇る」
と伝えた法師の正体は、夢乃さんの術で明らかになった。
その男は、”悪心(おしん)坊”と名乗る鞍馬山を訪れた修験者の一人だった。
”悪心》坊”という男は、
金持ちと見れば何やかやと嘘を言って近寄り、大げさに褒めて取り入り、
弱い霊を使って悪戯をさせて、
『このまま行けばこの家に大変なことが起こるかもしれない』と脅し、
その弱い霊を手繰り己の術で祓った風にして大金をせしめるのが生業だった。
すでに心は黄金色の輝きに支配された餓鬼の魂に変わっていたが
”悪心坊”本人はそれに気づいていなかった。
なまじその道を修行してある程度の力がある分|性格《たち》が悪かった。
この男が村を訪れた時、長者の家に近づき酒を振舞って貰いながら、
過去にあった猿野花の不幸譚を聞き、
村人達が噂していた白い大猿が夜盗を退治した話も聞かされた。
実はこの男”悪心坊”には、小さい時から仲の良かった兄がいた。
兄は貧しい暮らしに飽きて野盗になって面白おかしく暮らしていたが、
森の中で猿達から襲撃を受けて目玉も鼻も食い千切られ
野盗達の持ってた武器で逆に全身切り刻まれて死んだと風の噂を聞いていた。
村人達が、酒の席で昔話を思い出すたび
『悪い夜盗は殺されて当然で、
 猿野花様と|白猿様のおかげでこの村も平和になった」
と、彼らが機嫌良く酒を飲んでいる姿を見ていると、
”悪心坊”の心に
貧しさのため仕方なく野盗となり殺された兄への憐憫と
幼い頃に触れた兄の優しさと笑顔を思い出した。
確かに野盗だった兄はひどい人間かもしれないが、
猿にそこまで酷い殺され方をされて、
見も知らぬ村人にそれを笑われる道理は無いと憤慨した。
そうなると何やら殺された猿野花のことまで憎くなってきた。

”悪心坊”は、猿野花の家を訪れ、
『村の人からお話をお聞きしました。
 あまり可哀そうで、ぜひとも私もお参りさせてください』
と仏壇まで上がり込みお経をあげる振りをした。
そして猿野花の位牌と丁字路の石像にもお参りをした。
十字路や丁字路に溜まりやすいとされる”魔の素”を利用して、
石像に自らの血で”悪霊寄せの呪詛”を書いた木片を根元に埋め、
そこに近づく悪霊を捕らえてはその悪霊の力を石像へ流し込むようにした。
そして、猿野花の母に
『子猿が動けなくて悲しがってるみたいだから作り直した方がいい』と伝え、
すぐさま母親はその言葉を信じ、
母猿の胸に抱いている子猿の像は取り外しができるものへと作り替えさせた。
誰からもわからない様に石像の根元へ小さな呪詛人形を埋めて、
誰も見ていない夜中にそっと石像の子猿の像を取り外し、
護摩壇に備え付けると『呪詛』を掛けて、
最後にその背中部分を”悪心坊”自らの血で浸した。
十分に滲みた頃を見計らって子猿は朝方に元へ戻された。
その滲みた部分は母猿像の胸に当たる側のため、
正面からは血液の色が見えず、
その呪詛を込められた血の力は、徐々に猿野花の石像へ滲み込んでいく。
その日から猿野花の魂へ”悪心坊”の『呪詛』
『4人の人間の命と引き換えにお前の子供の命は蘇る』とずっと囁き続けた。
この『4人』という数は『死人』に通じる数であった。
当初は、実は妊娠していなかった猿野花のために、
シロである白猿が入り猿野花の魂を慰めていたため
『人間への強く深い憎しみ』を魂の奥深い部分に潜ませながらも
猿野花の魂は安定していたが、
”悪心坊”の『呪詛』は、
じわじわと確実に猿野花と白猿の魂を変性させていった。
2人の魂に滲み込んでいたその悪霊は、
すでに猿野花と白猿の荒魂に入り込んでしまい、
もうそれを分離することはできなかった。

この事件に出てくる”丁字路”及び”十字路”に関してのことである。
通常の世界の”十字路”は、単に十字に交わっている道のことであり、四つ辻、四つ角、四つ叉、交差点とも言われている。
しかし、”通常ではない世界の話”となると、
“十字路”は、古《いにしえ》より“あの世との境界線”となっているという説があり、
そのような場所には、“辻神《つじがみ》”という”災いをもたらす存在=悪神”が
棲みつきやすいといわれている。
国内の有名な言い伝えでは、屋久島や淡路島の四つ辻に存在すると言われている。。
特にT字路の突き当たりに建てられた家にはこの“辻神”が入りやすいとされ、
もし入られると急に病人が出たり、様々な不幸が続くとされるため、
厄除けに石敢當《いしがんどう》という魔除けの石を路傍に供えると良いとされている。
日本での記録では、古代伝承にある民間信仰の神、八衢比売神《やちまたひめのかみ》・八衢比古神《やちまたひこのかみ》の両神とされる道俣神《ちまたのかみ》は、日本神話・『記紀』において、黄泉国から逃げ伸びた|伊弉諾尊《いざなぎのみこと》が身に着けていた袴から出た『道に関する神様』のことで、『古事記』では表記が道俣神で、『日本書紀』では開囓神《あきぐいのかみ》と表記されている。
この『ちまた』は『道(ち)股(また)』と言う意味で、道の分かれる場所・いわゆる辻(十字路)や町中の道、物事の境目、分かれ目などを指すとされている。
その他、道俣神(ちまたのかみ)には、橋の神、交通安全の神、運送業(陸運)の神、車の神、鉄橋架橋工事の神、鉄道工事の神などの別称もある。
海外でも一般的に十字路は、いたるところで象徴的な重要性を持っている。それは、道の交差している場所に立つ者にとっては、十字路そのものが世界の中心の象徴とされている。
『十字路の象徴的な重要性』は、この考え方から来ており、超自然的なものの出現や啓示が起こる場所である十字路には味方にすると有利な霊、しかし大体は恐ろしい霊が出ると恐れられている。そのため十字路には伝統的にオベリスクや祭壇、また石や小聖堂や立て札が建てられた。十字路は歩く足を引き止め思索に誘う場所であり、十字路はまた1つの世界ともう1つの世界、生と死をつなぐ経由地でもあると考えられた。