はっちゃんZのブログ小説

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70.旭川にて1-三浦綾子記念文学館-

前田さんからメールで
『今度の土曜日の夕方に美波さんの内定のお祝いをしたい』との連絡があった。
彼も新しい職場にもやっと慣れたみたいで美波はホッとしたものだった。
|義父《ちち》もそうだったし、年度始めは非常に忙しい上に、
特に4-6月は、担当者へスタートダッシュ期間として激がかかっているからだった。

彼と久しぶりに会うことになり美波はドキドキした。
電話で話している時はそうでもないのだが、
ふと一人になって層雲峡氷瀑祭りの時のことを思い出すと
いつのまにか顔が真っ赤になっている。
美波にとっては初めてのキスで、誰にも言っていなかった。
彼の真剣な目を見た時、思わず目を瞑ってしまったが、
その後は何がどうなっているのか全くわからなかったのだった。
そんな顔を彼に見られなくて良かったと思う反面、
彼の仕事が順調に進んで一日も早く会えたらいいなと思う気持ちも強かった。
彼が美波のことを『日下さん』から『美波さん』と変わったのは初めてのキスの後からだった。
彼から『土曜の朝は迎えに行く』と言ってくれたが、
金曜日も遅いであろう彼の身体の疲れを考え、
今の時期、日曜日は朝から実家の手伝いもあると聞いているので、
『送ってもらうのは余市の実家への帰りの途中にしてほしい』と伝えた。
朝の10時30分頃に旭川駅で待ち合わせた。
明日はどんな服を着て行こうかと鏡の前で色々と服を取り換えながら、
やっと決まって安心したが、色々なことが頭を|過《よぎ》ってなかなか眠れなかった。

翌朝は8時前に小樽駅からJRに乗って、札幌駅で乗り換えて旭川へ向かう。
旭川駅には10時25分に着いたが、彼がすでに改札前で待っている。
手を振っている彼の元気そうな優しい笑顔を見ていると安心した美波だった。
「おはよう、美波さん、長旅お疲れ様です。今日はありがとう」
「おはようございます。なんもなんも、大丈夫です」
「だいぶ北海道弁がうまくなってきたね」
「そうですか?良かった」
「じゃあ、お昼前に車でちょっと行ってみたいところあるんだ」
「どこですか?」
「君の趣味に合うかどうかわからないけど、
 作家の三浦綾子さんの記念館に行きたいと思ってるんだ。
 君は行ったことがある?」
「いや、残念ながら行ったことはないです。
 でも三浦綾子さんのことは、何かのおりに|義父《ちち》や母から聞いています。
 確か実家の本棚にも本があったような気がします」
「へえ、そうなんだ。
 三浦綾子さんの代表作は、『氷点』『続・氷点』『塩狩峠』とかたくさんあるよ。
 僕たちは地元だから授業で習っているので彼女を知っているのは当然だけど、
 君が知っているのは意外だったよ」
「名前くらいしか知らないわ」
「君の年齢くりの女の子なら、普通は名前も知らないからねえ」
「そうなんですか?じゃあ私、すごいんですね」
「まあ、これを機会に三浦綾子さんを知ってよ」
「そうですね。楽しみにしています。
 ちょっと家に何の本があるのか聞いてみます。
 もしもし、お母さん?
 今、旭川にいるんだ。
 そう、先輩の前田さんと一緒よ。
 ちょっと教えてほしいことがあるんだ。
 あのね、家の本棚に確か三浦綾子さんの本があったよね?
 へえ、お|義父《とう》さんの本だったの?
 題名は何かな?
 『氷点』ね。1冊だけだった?
 うん、ありがとう、
 今から三浦綾子さんの記念館に行くんだけど、
 もし同じのを買っても困ると思って。
 わかった。
 『氷点』の1冊だけね。
 今日は小樽に帰るからね。
 札幌は来週に帰るね。
 わかったわ、前田さんに言っとくね」
「お母さん、僕に何か言ってた?」
「いつもありがとうございますって、おかげで内定が決まりましたって」
「いやあ、内定は美波さんの実力だし、お父さんの銀行だしねえ」
「以前母と話をしたことがあったの。
 私の就職にはお母さんは何の力になれないから心配してたんだって、
 そんな時、先に銀行に就職した前田さんに相談できると聞いてほっとしたんだって」
「そんな大げさな・・・それはそうとお母さん、僕と一緒で心配していなかった?」
「うちの母は以前商売してたから人を見る目があるの。
 その母が前田さんで安心したということは、心配してなんじゃないかな」
「そう?でもお父さんは心配じゃないのかな?
 よく言うじゃない?娘は世界で一番可愛いとか・・・」
「確かに父はそうかもね。私を大切にしないと怒るって言ってた」
「えっ?そのつもりなんだけど・・・・」
「なんちゃって、嘘です。
 |義父《ちち》は私を信頼してるから私の判断に任せてるみたい。
 それに残念ながら、|義父《ちち》にとっての一番は私では無く母なの。
 今でもそうだけど、本当にいつまでも熱々なんだから」
「へえ、いいお父さんとお母さんだな。羨ましいな。
 うちなんて毎日喧嘩ばかりだし、
 姉貴は気が短いからすぐに離婚して帰ってきてるしね。
 それにどうやら前田家の果樹園は、姉さんとその子供達が継ぎそうなんだ」
「そうなの?いずれ前田さんが継ぐんだと思ってたわ」
「当初は親もそうだったみたいだけど、
 姉さんが帰ってきたらやはり姉さんがいいんだって。
 姉さんは小さい時から僕とは違って、良く家の手伝いをしてたからね。
 果樹園のことは親の次に知ってるみたいで、
 もう最近では経営にも入り込んでるんだ。
 僕は土日に帰っても姉貴の子供の世話係ばかりさ」
「じゃあ、前田さんは、ずっと銀行関係のお仕事をするの?」
「そのつもりなんだ。美波さんは?」
「私も一生の仕事として出来ればいいなと思ってるの。
 まあ、結婚したり子供が生まれたらどうなるかわからないけど」
「そうだね。結婚はいいけど、子供とか生まれたら、
 その期間はなかなか仕事との両立は難しいかもね。
 うちの仕事のすごくできる先輩がいて、
 結婚して子育ての時間とかで一定期間、
 仕事から離れ気味になったんだけど、
 復帰する時とか職場関係とか大変だったと言ってたよ」
「そんなんだったら困るなあ。結婚しても仕事したいのに。
 もしかして私、結婚しない方がいいのかなあ」
「えっ?そ、そんな・・・単なる一例だから、
 それに、まだまだ先だからそんなことを考えなくても」
「あっ、そ、そうですね・・・その時に考えます」
「えっと、もうそろそろ記念館に着く頃かな」

三浦綾子記念文学館の建物が見えてきた。
この記念館は、『外国樹種見本林』の中に建てられており、白い壁の変形12面体の可愛い建物だった。
この形は氷の結晶を模したものではないかと美波は感じた。
この記念館は、市民による「民営」の文学館で、旭川に生まれ育ち生活していた小説家・三浦綾子の全国のファンの方々の想いが結集し、その募金で建てられ1998年6月13日に開館しました。
三浦綾子氏の生み出す文学を広く国内外に伝えるための施設で、”ひかりと愛といのち”をテーマに、『氷点』の舞台となったこの地に建てられた。
入館料:大人 700円 学生 300円 ※高校生以下は無料
住所:北海道旭川市神楽7条8丁目2-15
電話:0166-69-2626 FAX:0166-69-2611 メール:toiawase@hyouten.com
館内には代表作『氷点』をはじめとして多くの作品や彼女の人生に関する資料が所狭しと並び、
彼女の文学観や人となりを身近に感じることができるようになっている。

ここで小説家 |三浦綾子《みうらあやこ》氏の紹介である。
生涯:1922年4月25日~1999年10月12日
生まれ故郷:北海道旭川市出身
旧姓:堀田
創作のきっかけ:結核の闘病中に洗礼を受けた後、創作に専念した。
経歴:
1922年:堀田鉄治とキサの第五子として4月25日北海道旭川市に生まれる。
     両親と九人兄弟姉妹と共に生活した。1935年に妹の陽子が夭逝する。
1939年:旭川市立高等女学校卒業。その後歌志内町・旭川市で7年間小学校教員を務めた。
     終戦により国家のあり方や自らも関わった軍国主義教育に疑問を抱き1946年に退職。
     この頃、肺結核を発病する。
1948年:北大医学部を結核で休学中の幼なじみ、前川正と再会し文通を開始。
     前川は敬虔なクリスチャンであり、三浦に多大な影響を与えた。
1952年:結核の闘病中に小野村林蔵牧師より洗礼を受ける。
1954年:前川死去。1959年に旭川営林局勤務の三浦光世と結婚。
     光世は後に、綾子の創作の口述筆記に専念する。
1999年:結核脊椎カリエス、心臓発作、帯状疱疹、直腸癌、パーキンソン病など度重なる病魔
     に苦しみながら、多臓器不全により10月12日に77歳で亡くなる。

作品一覧【長編小説】
『氷点』(1965)、『続・氷点』(1971)、『ひつじが丘』(1966)『積木の箱』(1968)、
塩狩峠』(1968)、『道ありき』『道ありき わが青春の記』(1969)、
『この土の器をも わが結婚の記』(1970)、『光あるうちに 信仰入門編』(1971)、
『裁きの家』(1970)、『自我の構図』(1972)、『帰りこぬ風』(1972)、
『残像 愛なくばすべてはむなしきものを』(1973)、『石ころのうた』(1974)
細川ガラシャ夫人』(1975)、『天北原野』(1976)、『石の森』(1976)、
『泥流地帯』(1977)、『続・泥流地帯』(1979)、『果て遠き丘』(1977)、
『広き迷路』(1977)、『岩に立つ ある棟梁の半生』(1979)、『千利休とその妻たち』(1980)、
『海嶺』(1981)、『青い棘』(1982)、『愛の鬼才 西村久蔵の歩んだ道』(1983)、
『水なき雲』(1983)、『嵐吹く時も』(1986)、『雪のアルバム』(1986)、『草のうた』(1986)、
『夕あり朝あり』(1987)、『ちいろば先生物語』(1987)、『あのポプラの上が空』(1989)、
『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』(1989)、『母』(1992)、『夢幾夜』(1993)、『銃口』(1994)、
『命ある限り』(1996)、『雨はあした晴れるだろう』(1998)の39作品。

美波は、『氷点』は家にあるので新しい本を購入しようと考えて色々と見ていた。
たくさんあるので迷っていたが、『氷点』と共にベストセラーとなった『塩狩峠』という本のあらすじに引き寄せられ、感動して家へのお土産はこの本に決めた。
その他、多くの展示コーナーを見て、お昼ご飯のつもりで分館の『氷点ラウンジ』へ入った。
二人は、『オムライスセット』と『クロワッサンセット』を頼んでシェアした。
『オムライスセット』は、
地元の野菜や鶏肉を使ったもので、丹念に作られたデミグラスソースが秀逸だった。スープもついていてジャガイモの香りが強いスープで優しくて安心する味だった。
『クロワッサンセット』は、北海道産小麦を使い、新鮮なバターを大量に織り込んだ生地で、焼き立てのパリパリした食感と強い小麦の香りと深いバターの風味が最高だった。
食事の後に、ここおススメの『森のアイス』と『氷点お汁粉』を頼んだ。
『森のアイス』は、
地元の餅屋「一久大福堂」のあんこを使用した、”森のアイス”(粒あんと濃厚バニラ)だった。
これは、甘過ぎず半分潰した小豆の食感が舌を刺激し芳醇な小豆の香りが前面に立っているあんこに、北海道ならではの濃厚なバニラクリームが一つのカップに盛られており、絶妙な配合であった。
『白い氷点おしるこ』は、
普通のお汁粉は小豆や餡子の色が付いているものだが、このお汁粉は白いお汁粉の中に茶色の焼き目の付いたお餅が入っている。白いがお汁粉はしっかりとした北海道小豆の濃い味のするものでおしゃれなお汁粉だった。これも二人でシェアして食べた。

ここで代表作の小説『氷点』について、
1963年、朝日新聞社の1000万円の懸賞小説公募に投稿し入選し、1964年12月9日より朝日新聞朝刊に『氷点』の連載を開始した。この『氷点』は、1966年に朝日新聞社より出版され、大ベストセラーとなり、1966年には映画化された。
あらすじ:
辻口病院長夫人・夏枝が青年医師・村井と逢い引きしている間に、3歳の娘ルリ子は殺害される。「汝の敵を愛せよ」という聖書の教えと妻への復讐心から、辻口は極秘に犯人の娘・陽子を養子に迎える。何も知らない夏枝と長男の徹に愛され、すくすくと育つ陽子だった。陽子が小学1年生になったある日、夏枝は書斎で夫啓造の書きかけの手紙を見付け、その内容から陽子が殺人犯の娘であることを知る。それに気づいた夏枝は、激しい憎しみと苦しさから陽子の喉に手をかけるが、かろうじて思いとどまる。しかし、夏枝はもはや陽子に素直な愛情を注ぐことが出来なくなり虐め始める。一方の陽子は、自分が辻口夫妻の実の娘ではないことを知り、心に傷を負いながらも明るく生きようとする。陽子が高校2年生の冬、夏枝は陽子の出自を本人と恋人の北原に向かって暴露し、陽子は翌朝自殺を図る。その騒動の中、陽子の本当の出自が明らかになる。
表題の「氷点」は、何があっても前向きに生きようとする陽子の心がついに凍ってしまった瞬間を表している。その原因は、単に継母にひどい仕打ちを受けたという表面的なものではなく、人間が生まれながらにして持つ「原罪」に気付いたことであると解釈されているようだ。この小説は”愛と罪と赦しをテーマ”にした著者の代表作である。

次に購入した『塩狩峠』についてである。
この小説は、1909年に実際に起こった鉄道事故で殉職した職員長野政雄がモデルとして描かれている。
あらすじは、幼い頃より病弱だったがやっと回復した婚約者ふじ子との結納のため、札幌に向った鉄道職員永野信夫の乗った列車が、塩狩峠の頂上にさしかかった時、突然客車が離れ暴走し始める。声もなく恐怖に怯える乗客。信夫は飛びつくようにハンドブレーキに手をかけたが止まらない。そこで、信夫は自分の命と引き換えに客車を止める。
明治時代、北海道旭川塩狩峠で、自らの命を犠牲にして大勢の乗客の命を救った一青年の、愛と信仰に貫かれた生涯を描き、人間存在の意味を問う長編小説である。

(つづく)