はっちゃんZのブログ小説

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47.函館観光1

宿泊したラビスタ函館ベイの前を通過し、「金森赤レンガ倉庫」に着いた。

ネットでは、この倉庫は明治期に建てられたもので、現在倉庫群を利用したショッピング&食事スポットとして人気と書いてある。確かに多くの観光客が歩いており、祭り期間中でもありどの店も満員のようだったので車から降りなかった。

次は、「基坂」と「八幡坂」である。

国道から末広町の高台まで一直線の道を進む。

函館は坂の多い街として有名で、

その中で有名な坂としては「基坂」と「八幡坂」がある。

基坂」は、函館から札幌へ向かう函館本道の起点で、里数を計る元標が建てられたことからその名がついた。

八幡坂は、昔、八幡神社があった頃から、その名前の「八幡」が残った坂道で、坂の上から一直線に海まで道が続いており、一番景色がいい坂といわれている。

非常に眺めがよいことから、CMやドラマにもよく使われているらしい。

ちょうど八幡坂の頂点部分でユーターンして道路脇に駐車しその景色を見る。

沿道に並ぶ夏の強い日差しをも吸収する濃緑の樹木がまっすぐに並び、

遥か遠くまで霞む港まで舗装された道路が続いている。

末広町付近には、多くの家や教会、喫茶店、レストランが並んでいる。

ところどころ昔の茶店風の木の温もりを感じる可愛いお店も見える。

明治時代の息吹が色濃く流れる街であった。

 

本日の宿泊予定の湯の川温泉にある「湯の川プリンスホテル渚亭」を目指しながら

その途中にあるトラピスチヌ修道院を訪れた。

この修道院の正式名称は、「天使の聖母トラピスチヌ修道院」、通称「天使園」とも言われている。日本初の女子修道院で、現在も厳格な戒律のもとで修道女が祈りと労働を中心とした自給自足の生活を送っている。

近くの駐車場に停め、寺院へ続く階段を上りながら、

「大天使聖ミカエル像」「慈しみの聖母マリア像」「ルルドの聖母」

聖テレジア像」「ジャンヌダルクの像」とたくさんの像が迎えてくれた。

その静謐な佇まいの中に漂う空気に強い宗教心が張り詰めているように感じた。

天使園の売店で修道女手作りの「マダレナ(マドレーヌ)」と「クッキー」を買った。

心地良い噛み心地と素材の優しい味とほのかな甘さが舌に残った。

これは後日コーヒーや紅茶で飲むことを考えて多めに買った。

 

修道女の厳しい生活を垣間見ながら、湯の川温泉「渚亭」へ向かう。

とりあえずチェックインし

荷物を部屋へ置き身軽になって再度函館市内へ向かう。

そろそろ夕方であり、函館山展望台からの夜景観光に出発した。

函館山は標高334mで、ロープウェイで登り、

展望台から見える風景は市街と函館港が一望におさまるため特に有名である。

函館山ロープウェイの駐車場に車を停めてロープウェイ客の列に並ぶ。

このロープウェイは大型で125名が乗り込むことができ、山頂まで3分で到着する。

家族がロープウェイに乗る頃にはちょうど夜の帳が降りてきている。

展望台に着く頃には、

水平線に星が瞬き太陽が沈んだ方向の夜空には名残の光が見える。

そこかしこから「オオー」「綺麗」の声が漏れてくる。

函館の街並みと港で輝く光の海、そしてそれらを囲む薄暗い海、

そのコントラストと綺麗な光の光景は目に焼きついた。

家族全員、その光景に目を奪われた。

(つづく)

95.特訓4(浅間別荘編4)

この一帯は山間部のせいか朝が遅い。

二人が眠りから覚めてもまだ暗い。

やがていつもより弱く揺れるような光が差し込んできた。

カーテンを開けると

富士山が昇る朝日に照らされ、

山中湖湖面に反射し

その光が窓から差し込んできている。

 

二人はいつものロードワークに出た。

別荘から「母の白滝」「河口浅間神社」をルートとして

翔は2周走り、百合は1周で朝食の準備に別荘へ戻っていった。

別荘に戻って庭でいつもの鍛錬を行っていると

百合から朝食の声がかかった。

鍛錬でびっしょりとかいた汗をシャワーで流し食卓へついた。

食後の美味しいお茶を飲みながらゆっくりとして特訓の時間に入った。

 

特訓と言っても二人で考えてもなかなかアイデアが思いつかなかった。

別荘の庭で目標の木の隣付近をじっと見つめて『跳ぼう』としても何も起こらない。

座禅を組んで精神統一をして半眼で目標をじっと見つめていても何も起こらない。

過去の跳んだ時と同じ状況を意識しても何も起こらない。

それならと息が上がるまで動いて試しても何も起こらない。

滝から飛び降りる事も考えたが、仮に失敗した場合は生きていないし

百合が絶対に反対するので諦めた。

 

じっと見ていた百合から

「あまり無理しても仕方ないから、気分転換に以前の様に河口湖を散策しない?」

と声がかかった。

焦っても仕方ないのでとりあえず午後は散策に向かった。

 

相変わらず河口湖湖畔では、多くの観光客が歩いている。

百合は翔と手をつなぎながら色々と見て回った。

以前の婚約旅行の時を思い出して二人とも嬉しかった。

以前借りたレンタサイクル店で再度借りて、

さっそく二人で湖畔を1周することにした。

 

相変わらず自然が保護されているのだろう

湖水面からはコイ、フナなどの多くの魚影が映っている。

今回も湖の中にある富士五湖で唯一の島「うの島」がよく見える。

湖面を渡る風にそよぐ百合の長い髪と翔へ向けられる笑顔が輝いている。

  

 

その後、少し遠出をして「中ノ倉峠展望地」へ行くことにしている。

中ノ倉峠展望地は、山梨県道709号沿いにある登山口から徒歩30分ほどの場所で、本栖湖の全景と富士山の姿が堪能できる絶景スポットだった。設置されている展望デッキには30人が並べるほどの面積で、今日は快晴だったため千円札と同じ逆さ富士が眼前に広がっていた。

次に富士山世界遺産センターへ行った。

この施設は富士スバルライン沿いにあり、富士山の魅力などについて楽しみながら学べる体験型展示観光施設だった。館内中央には、富士山を1,000分の1スケールで表現した巨大オブジェ「冨嶽三六〇」があり、照明や音響演出によって四季の移り変わりが再現されていた。この地でなければ見る事のできない富士山の顔を全ての人に見せていた。現実の展示空間とデジタルの融合によるすばらしい体験だった。

(つづく)

46.青森から函館へ-竜飛海底駅-

 ねぶた祭り2日目の朝、JRで青森駅から函館駅へ向かう途中、

竜飛海底駅」に降りて観光することにした。

見学時間は2時間30分。

駅に到着し、車掌さんが非常コックを使いドアを開け、

緑のジャケットを着たガイドさんに続いて観光客は降りる。

ホームに降りると夏にも関わらず涼しい空気が流れている。

本坑から直角の建設されている若干薄暗い連絡誘導路へ移動していく。

ホームは480メートルと、東京駅の新幹線ホーム(410メートル)よりも長く、

最大編成の新幹線(17両)の停車にも耐えられるように建設された。

ベンチが並んでいる場所でガイドさんから見学ツアーのスケジュール説明を聞く。

ホーム誘導路の駅名プレートが目に入った。

白地に大きくひらがなで「たっぴかいてい」その下に漢字で「竜飛海底」、

その下に緑地の両矢印へ「←Tappi-kaitei→」、

最下段に「つがるいまべつ よしおかかいてい」と印刷されている。

普段は駅名プレートをしみじみと見る趣味はないのだが、

今回は初めてじっくりと見ていると、何となくここは津軽海峡の海底の駅、海面下140mもの深さにある駅なんだという実感が湧いてきた。

これより作業坑側に進む先にあるホームへの誘導路には、コンクリートの厚みが側面30cm 床面20cmであることが壁面に印字されており、その先にある連絡通路内に設置されている金属製の棚へ荷物を預けた。

ふと見上げるとトンネル上部には電線や空気ダクト、水道管などがひしめきあっている。

やがてケーブル斜坑の入り口が見え、そこからは壁がそれまでコンクリートだったものから吹付コンクリートの壁に変わっている。

吉岡海底駅に繋がっている通路もあるそうで、以前は歩いて吉岡定点まで行くイベントも行われていたようだが現在は行われていないようだ。

このまま避難所がある左側に進むとトンネル内で湧出た水を地上に配水するポンプ設備が見えた。平常時は常に1台が稼働しているとの説明で、常時強烈な水圧と染み出てくる水との戦いがあることに気がついた。

毎分排出される水量が約20000リットル。ポンプで排水された水は、ほとんどが海に流されますが、その一部は龍飛地区小水力発電所で発電に使われ、この水は海水と地下水(淡水)が混じった汽水ということで、チョウザメやヒラメ・イトウの飼育をする試験が行われていると説明された。

避難所に到着。ここにはトイレと公衆電話と更衣室が設置されている。

避難所を奥に進むと、頑丈な防風扉が見えてきた。奥にもう一つの扉があり、強い風が発生しないように簡単なエアロック状態となっている。

2つ目の防風扉を通過すると竜飛海底駅外のエリアとなり、青函トンネル記念館の地下展示施設・体験斜坑が展示されている。記念館に飾られている多くの写真は工事中の写真で工事の苦労や技術について細かく解説されており、体験斜坑コーナーでは、トンネル掘削で利用した機器や説明パネルなどが展示されている。

 

ここまで来ると「地上部へ出る竜飛斜坑口」とのアナウンスがあった。

青函トンネル竜飛斜坑鉄道のケーブルカー「もぐら号」に乗り込み地上を目指す。

乗り心地は、振動が激しく、ピコンピコンと警告音が絶えず流れ、騒がしかった。

窓から眩しい光が差し込んで地上の青函トンネル記念館駅にたどり着く。

地上駅はコンクリートの建物で、記念館の外からは津軽海峡が見える。

自由時間は約40分で、残念ながら竜飛岬まで行く事は出来なかった。

記念館には青函トンネルや使った機器などの説明展示をしており、慌しく見て回った。

すぐに集合時間が来て、ケーブルカーに乗り込み、再び海底駅、ホームへと向かった。

慌しい見学ではあったが、当時の最高技術を目にすることができたこと。

多くの人々の力が結集されてできた奇跡の工事であったことが理解できた。

しばらくすると帰りの特急白鳥が到着し、見学客は全員乗り込み函館駅を目指す。

函館駅周辺の3日目のみなと祭りを楽しむ人達に交じり、

屋台などで簡単なお昼ご飯を食べて乗車する。

先ずは五稜郭を目指したが、道路も駐車場もいっぱいで動けない状態だった。

五稜郭はまた別の機会にと考えて車で見ることのできる観光地を考えた。

(つづく)

94.特訓3(浅間別荘編3)

ビールで咽喉を潤してしばらく休んだ二人は、

いつものように鍛錬の時間に移った。

二人は別荘の外へ出て庭で鍛錬を行った。

一時間ほどして百合が夕飯を作りに別荘へ入っていく。

翔はたっぷりと2時間掛けて柔軟から格闘訓練まで行い、

全身が汗でびっしょりとなっている。

ちょうど終わると思われる時間に百合から声がかかった。

 

夕飯の献立は

食前酒として、淡い桜色の冷やしたロゼワインさくらんのワイン』

メインのワインは、『シャトーブリヤン2013』

翔のお気に入りの厚さ2センチの『富士山麓牛』400gのステーキ。

たっぷりのサラダと具沢山のスープ。

そしてまたまた翔のお気に入りの『ミルキークイーン』のおむすびが添えられている。

 

ちなみに

さくらんのワイン』は、山梨県産の甲州ぶどうとマスカットベリーAのぶどうを主原料にしたロゼワインで、サクランボの実を入れ、ほのかなサクランボの香りとフルーティーな甘さで冷やして飲むとほのかに春が感じられるものだった。

『シャトーブリヤン2013』は、ワインの醍醐味ともいえる長期熟成を経て味わう仕上がり1946年からのベストセラー商品らしくやわらかな果実の風味が落ち着きを感じさせた。

『富士山麓牛』は、赤身そのものの旨味が濃く、

噛めば噛むほど細かく交じり合った脂身の甘味が口中でほどけてくる。

ミルキークイーンのおむすびは

この米特有の優しい甘さといい、のどこしの良さといいバランスの取れたお米で、

空気を入れて優しく丸められたおむすびは最高に美味しかった。

前回、翔が初めて食べてファンとなったお米だった。

 

食事の後は、テレビや映画を見てゆっくりとして

二人で『信玄公の隠し湯』から浴室へ泉源を引いているお風呂に入った。

明日からの特訓のために早く寝ようと思ったが、

いい匂いの可愛い百合を見ているとそうならず、

ついついいつものように二人は抱き合った。

久しぶりにふたりきりになって変わったところは、

いつもの百合より少し感じやすくなり、

ほんの少しだけ大胆になった百合がいたことだった。

(つづく)

45.ねぶた祭り4-祭り本番-

ねぶた祭りについては、青森ねぶたオフィシャルサイトの紹介では以下である。

七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。

初期のねぶたの形態は「七夕祭」であったのでしょう。そこに登場する練り物の中心が「ねぶた」と呼ばれる「灯籠」であり、七夕祭は7月7日の夜に穢れ(けがれ)を川や海に流す、禊(みぞぎ)の行事として灯籠を流して無病息災を祈りました。これが「ねぶた流し」と呼ばれ、現在の青森ねぶたの海上運行に表れています。

「ねぶた(ねぷた・ねふた)」という名称は、東北地方を始め、信越地方「ネンブリ流し」、関東地方「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」等の民俗語彙分布と方言学から「ねむりながし」の眠りが「ねぶた」に転訛したものと考えられています。

その他の情報としては、青森ねぶた祭りの一番の特色は、「ハネト(踊子の意味)の大乱舞」らしくどのようなものかがとても興味深かった。

 

ねぶたは決められたコースを一方向に全ねぶたが同時に動き始める。

そのコースは、青森駅前のアスパム通り交差点から柳町通りを通過し、中央公園通りで右折し、国道4号線に突き当たると右折しアスパム通りに突き当たると右折して駅前のアスパム通り交差点まで続く四角のコースであった。

多くの観光客がぞろぞろと歩道を歩いて、見るのにいい場所を探している。

ねぶたも待機しており、踊り子は興奮した表情で既に道路に待機している。

本日と明日は、子どもねぶた(約15台予定)・大型ねぶた(約15台予定)で有名ねぶたも数多く出陣されているらしい。

 

開始予定時間の19時になったとたん、

街中から一斉に笛(篠笛)、太鼓(締め太鼓)の派手な音と『ハネト』と呼ばれる踊子の持つ手振り鉦(ジャガラギ・テビラガネとも言われる)の『シャン、シャン』と言う音が響き渡った。

先ず最初に目がひきつけられるのは、

目などに光が入り極彩色に輝く大きなねぶた。

職人が時間を掛け、ねぶた祭りへの思いを練り込めたねぶた。

装飾の施された高さ2mの車付きの台に載せられ、高さ5mくらいのものとなったそれは、見る人を驚かせ楽しませ感心させる。

「大型ねぶた」は、担ぎ子が観客へすごい勢いで突っ込むような勢いで観客を驚かせ喜ばせている。

歌舞伎のメイクの様な色彩のねぶたが多く、戦いに強く勇ましい男を表しているものが多かった。

慎一は歴史で習った蝦夷討伐を思い出しながら、青森ねぶた祭り全体を流れる静かで厳かなムードから、兵隊への必勝祈願、無事に帰ってきて欲しい心、亡くなった方への感謝の気持ちが作り出した祭りであることを感じた。

 

花笠をかぶりねじり鉢巻に揃いの半纏のたくさんのハネトが

そこらじゅうを練り歩きながら飛び跳ねて踊っている。

ねぶたの動きに合わせてついていく。

小型の「子供ねぶた」も同様に参加している。

大型ねぶたに負けじと大きな掛け声を発し、観客へ突っ込んで行く。

子供達が慣れない手で作ったであろうねぶただが、

それが逆に大型ねぶたと違って手作りに見えることで可愛かった。

家族で道端に座って21時の終了までじっと見ていた。

 

ネットにも載っていたが、「阿波踊りのニワカ連」ではないけれど、

地元の人間ではない観光客などが集まり同じように踊る集まりもあるようで、

バラバラの服装のハネトがピョンピョン跳ねているのが見える。

観光するだけでなく地元民と同じ気持ちで祭りに参加して、

この東北地方でも大きな祭りを盛り上げて、

短い夏を目一杯楽しもうとしているように見えた。

子供達は、両親の膝に抱っこされながら、

目を輝かせてねぶたを見上げて、足をピンピン延ばして

両手を動かせてハネトに参加していた。

その夜はホテルで今後何度か青森に来ようという話となった。

(つづく)

93.特訓2(浅間別荘編2)

今回は別荘に行く前に「河口浅間神社」へお参りし

この度の特訓がうまく行くように必死でお願いした。

この神社は安産や良縁の神様だが、百合との事や様々なお願いの一つにした。

館林家の別荘は「河口浅間神社」と「母の白滝」の間の道から少し入った高台にある。

突き当たりの鬱蒼とした林の中に建っており外面は鉄筋コンクリートの洋館だった。

窓からは真っ白の富士山を映す紅葉に染まる河口湖が目の前に広がっている。

以前来た時は夏だったので湖の様子が異なっているがこちらの方が綺麗だった。

 

百合が豪華な樫の木の扉を開けて入っていく。

それに続き、荷物を一杯に担いだ翔が入っていく。

既に空調は動いていたようで、

部屋の空気もしばらく使わなかったようなカビ臭さも一切無かった。

暖炉にも薪が入っており揺れる炎の暖かい光が部屋を照らしている。

 

二人だけの生活は久しぶりだった。

事務所ビルに生活用の部屋はあるが、

警備用のロボット犬「ロビン」が歩いているし、

事務所にはアスカが常に待機している。

二人ともなるべく気にしないようにしているが

やはり彼らの目が気になって少しは遠慮している。

しかし、両一族の重要人物である二人には

常に優子からバトルヘルメットやテレビなどへ

別荘周りの状況などが送られてくる。

本当の所は二人きりとは言えないが十分に二人だけの生活だった。

 

翔は百合が忙しげに荷物整理をしている間、

暖炉の前のソファーに座ってテレビのニュースを見ている。

いつも見ている番組とは異なる地元の番組が放送されており、

地元情報を中心に穏やかな毎日のニュースが流れている。

整理の合間に百合が「富士桜高原麦酒クラフトビール」を

テーブルに置いてくれている。

ほど良く冷えた瓶の栓を抜くと『シュッ、ポン』と心地良い音がした。

冷えたコップに注ぐと小麦色の液体と真っ白な泡の二層が出来ていく。

とりあえず液体7、泡3の割合の1杯目ができた。

 

ちょうどその時に百合が居間に顔を出した。

「翔さん、荷物の整理は終わったわ」

「お疲れ様。少し休もうよ。今、美味しいビールが出来たよ」

「わかったわ。少し休むわ。ふう、暑いわ」

百合は翔の隣に座った。

翔は急いで2杯目を慎重に作った。

「綺麗なビールね」

百合が嬉しそうに手に持ってコップの壁面を立ち上る泡を見つめている。

「乾杯」

「乾杯」

二人は一緒に飲んだ。

『ゴクッ』

とても美味しかった。

百合の最高の笑顔が翔へ向けられた。

このビールは、女性でも飲みやすいフルーティーな香りと上品な味わいドイツ・バイエルン地方で愛飲されているビールを元に作られたもので、小麦麦芽と上面酵母による濁りとフルーティーな香り、上品な味が特徴で、あまりアルコールに強くない百合にもそれほど多くは飲まない翔にも最適だった。

(つづく)

44.ねぶた祭りへ3-青森観光2-

三内丸山遺跡」を後にして「棟方志功記念館」へ向かう。

近隣のパーキングに車を停めて記念館へと入って行った。

 

棟方志功氏は、『おれは日本のゴッホになる』と言って有名になった、

板画家で20世紀の美術を代表する世界的巨匠の一人とされている。

青森県出身で1903年明治36年)に刀鍛冶職人の三男として生まれ、1975年(昭和50年)に亡くなった。

幼少の頃、囲炉裏の煤で眼を患い極度の近視となった。そのため眼鏡が板に付く程に顔を近づけ、軍艦マーチを口ずさみながら板画を彫ったらしい。

第二次世界大戦中、富山県疎開したおり浄土真宗にふれた事が大きく作品へ影響しており、その心情が「阿弥陀如来像」「蓮如上人の柵」「御二河白道之柵」「我建超世願」「必至無上道」など仏を題材にした作品を生み出した。

自らの身の小ささ、無力さを自覚して仏への帰依する心を作品にしている。

青森県下の学校では版画の授業が多く、今でも棟方志功氏を偲んでいるらしい。

版画作品には彼の魂がこもっているかのように、炎が燃え上がるような荒々しいタッチの中にも、映し出される仏の優しい眼差しや指先が特徴的だった。 

この記念館は校倉造を模した建物で、池泉回遊式の閑静な日本庭園と調和の取れた形となっている。代表作「釈迦十大弟子」等の板画を展示する他、倭画、油画、書など多数の展示があって、特に初期の代表的作品の殆どを収蔵しているのが特徴と説明されている。ただ展示されている作品数としてはそれほど多いものではなく、以外と少ない印象が残ったが、作品を一点一点じっくり見てほしいという作家自身の意向が反映されていた。

 

そろそろ青森国際ホテルのチェックイン時間に近いため、

車をレンタカー会社へ返してからホテルへ向かった。

今回はダブルのツイン1部屋にデラックスシングル1室の予約を取っている。

美波にも今日はゆっくりと眠れるようにと一人部屋を用意した。

まだ明るいし「祭りの開始の合図」がある19時10分まで時間があったので

早めにホテル内の中華レストランで夕食をとった。

せっかくなのでみんなでシェアできるように

カニとエビの蒸し餃子」「上海蟹小籠包」「大エビのチリソース」「麻婆豆腐」

「卵炒飯」「五目そば」「鮑と貝柱の炒め物」を頼んで、丸テーブルに並べてシェアした。

海老のプリプリ感、上海蟹の甘さ、鮑と貝柱の旨味、舌を刺激する辛味と甘さで

五感を刺激する

デザートは「杏仁豆腐」「リンゴシャーベット」で締めた。

(つづく)

92.特訓1(浅間別荘編1)

このたび事件で偶然とはいえ、

翔は初めて意識して『跳ぶ』ことができて驚き半分、嬉しさ半分だった。

今までは絶体絶命の時にしか跳べず、その場所も百合の近くだった。

しかし今回は思った場所をイメージして跳ぶことができた。

これをいつでも使えるようになれば、今まで以上に戦いは楽になると考えたのだった。

テレポーテーションの発現した状況を百合にも詳しく話したが、

相変わらず心配そうな顔をしている。

 

二人で相談した結果、百合が必ず一緒にいることが条件で

現在依頼されている案件を全て終わらせて、新規案件は受けない事にして

しばらく事務所を閉めて、富士五湖にある舘林家の別荘で特訓することとした。

アスカは事務所で待機させることとした。

何かあればバトルカーで駆けつけてくれる事になっている。

早速別荘の管理人に連絡し、生活のためのガス・水道・電気などの準備を依頼した。

食器や水や基本調味料は常備されているので買うものは食材だけでよかった。

タンデムでバトルバイクに乗って東名高速を飛ばす。

サイドカーには百合が準備した服や下着など必要なものを詰め込んでいる。

 

真っ青な空と流れる冷たい風が気持ちいい。

目の前に雄大で美しい白富士山が横たわっている。

しっかりと抱きついてくる百合の柔らかい胸が当たる背中が幸せだった。

ふと3年前の婚約旅行のことを思い出した。(この物語は外伝でさせて頂きます)

その時よりも可愛くしっかり者の百合に相変わらず翔は惚れ込んでいる。

御殿場ICを降りて、東富士五湖道路へ向かう。

富士吉田ICを降りて河口湖東岸を走ると河口浅間神社が見えてくる。

ここまで来たらもう目の前なので街のスーパーマーケットに向かう。

 

百合は今回も前回と同様に食材の吟味に時間を掛けている。

米には富士吉田市特別栽培米『ミルキークイーン』

牛肉は富士山の麓で育てたジューシーな『富士山麓牛』

豚肉は脂身の甘さが赤身に溶け込んだ「山梨レッドポーク」

鶏肉は自然の中で約120日間、放し飼いにより歯ごたえのある美味しさの「甲州地鶏」

その他、旬の「シャインマスカット」「桃」などの果物や

多くの地元で作られた有機栽培の野菜を買い込んだ。

日本酒は「七賢スパークリング」と「甲斐の開運」、

ワインは『さくらんのワイン」を購入した。

地ビールはすぐに飲めるように冷えた「富士桜高原麦酒 クラフトビール」をたんまりと買った。

(つづく)

43.ねぶた祭りへ2-青森観光1-

ナビに「三内丸山遺跡」と入力して出発する。

青森駅から大体15分くらいの場所にある。

青森駅から浪館通りを南西に進み、青森県総合運動公園の北側を道なりに進み、

県立美術館建設予定地を過ぎると遺跡が見えてくる。

三内丸山遺跡】は、昨年より特別史跡として指定された遺跡で、

現在より約5500年前~4000年前に営まれた縄文時代の集落跡である。

発掘調査では竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかるようになった遺跡だった。

膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しており、当時栽培されていたヒョウタン、ゴボウ、マメなどの植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えたとネットでは説明されている。

 

「縄文時遊館」で子供達のトイレを済ませて早速館内を回る。

「さんまるミュージアム」では、遺跡から出土した重要文化財約500点を含む総数約1700点の遺物を展示されている。

入口のタイムトンネルを抜けると左手に「縄文のこころ」コーナーがあったり、重要文化財の大型板状土偶をはじめ、「ヒスイ製大珠」「クリの大型木柱」などが展示されている。

右手の「テーマ展示-縄文人のくらしをひもとく-」コーナーでは、人形などを用いて、出土品から考えられる縄文人の生活の各場面をわかりやすく展示しており、子供達も人形を見てはマンマとか話しかけており、当時の住居内の生活を想像でき非常に興味深い展示内容だった。

 

時遊トンネルを抜けて遺跡への道を歩く。

最初に目に入るのは高さ20メートルほどの

「大型掘立柱建築跡(おおがたほったてばしらたてものあと)」

6本柱で長方形の大型高床建物で柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、建てられている木柱は直径約1メートルのクリの木だった。これらを見ると緑が深く木の生い茂る日本ならではの古代巨木文明の証と感じた。

 

そこから奥へ視線を送ると、家族用住居の「竪穴住居跡」、倉庫と思われる「掘立柱建物」、そして何より目を引いたのは「大型竪穴住居跡」だった。

中は何十人いや100人以上が集まることができる規模のものだった。

当時栗などを栽培しながら、海や山で魚や獣を捕まえていたようだが、これほどの人間は長い間生活できたほど、当時は豊かな自然であったことに慎一は驚きを感じた。しかし、食べ物の少ない冬にこの雪深い中で過ごす彼らの生活は相当にひもじく寒かったであろうことは想像できた。

また別の場所には、お墓のようなものもあり、亡くなった人を送り出す、現在と変わらない光景が人形で再現されている。

それは現在の我々と同じで人と人とが肩を寄せ合って、助け合って生きた時代だった。

一巡してから縄文時遊館内のレストランで「あおもり名物貝焼き味噌定食」「縄文美人蕎麦」「温かつくねうどん」「三内丸山縄文古代飯おにぎり」を頼んだ。

双子母娘はやはり「縄文美人蕎麦」を頬張っている。

デザートは縄文人が味わった素材の「そふと栗夢(クリーム)」と「津軽の太陽をいっぱい浴びたリンゴジュース」にした。

(つづく)

91.遺族の恨みは晴れるのか17

翔は横たわっている『ネコ男』の元へ急いだ。

機械部分が完全に壊されたわけではないため、

人間部分と獣人部分があり暴走しかけている。

身体はネコではなく『タテガミのある獅子』の特徴を有している。

鋭い牙のある口が苦しげに開かれ、呼吸が荒くなっている。

翔は、「獣人化減弱薬」を注入し獣人化の暴走を防いだ。

しばらくすると呼吸が落ち着いてきた。

横たわった男の顔は、普通のよくある日本人のものだった。

 

「ありがとう。助かりました」

「日本人のお前が助かって、うれしい、良かった」

「お名前は?」

「名前はない。『ネコ』とだけ言われている」

「ネコではなくライオンと思うのですが」

「そうなのか」

『ネコ男』も警察に事情聴取をされて、とりあえず翔が身元引受人となった。

 

事務所に『ネコ男』を連れて行き、怪我の手当てをした。

アスカが作った夕食を二人で食べた。                                                                       

『ネコ男』は、初めての日本料理に感激し、日本酒を飲んでは眼を見張った。

翔は、『ネコ男』の身の上話を聞いた。

 

元々彼は日本生まれの日本人だが、生活に困った母親にアジアの犯罪組織へ売られた無戸籍者で、幼少時より殺人者として育てられた。成人後、機械化された時に、記憶は消去されたにも関わらず日本国内にて淡い記憶が蘇り、組織から逃亡を図るもその罰で重症を負わされ監禁されていた。

 

ちょうど目黒研究所の京一郎から、『ネコ男』を連れてくるように連絡があった。

京一郎が元の人間の身体に戻そうとするが機械部分を外す事が出来ず、徐々に獣人化薬の影響を中和させていったため鍛えられた身体機能そのものは元には戻らず、超人的な体力と技術を持つ人間となった。

仕事に関しては、本人の希望もあり研究所警備職員『犬神獅子男(新しい名前)』として働き始めることとなった。

 

この国際犯罪集団の逮捕劇も日本中を騒然とさせた事件となった。

日本中で「死刑制度」について真剣に論議が交わされるようになったが、

今なお結論に至らない意見ばかりで、このような犯罪が起こる土壌はなかなか無くならなかった。

(つづく)

42.ねぶた祭りへ1-青森へ移動-

朝ご飯のあと、ゆったりとしてからチェックアウトして、

函館駅近くのパーキングに車を停めて荷物をまとめる。

函館駅から青森県に上陸して青森駅まで向かうつもりだった。

函館駅構内は港祭りの観光客でごった返している。

子供達をベビーカーに乗せて静香と美波が押している。

慎一は大きめのトランクを押して改札へと向かう。

函館-青森間は将来的には新幹線が延伸すると噂されているが

今は青函トンネル485系「白鳥」に乗って2時間ほどで移動する。

慎一は海底トンネルを初めて走るのでとても楽しみにしている。

 

青函トンネルについて、ネット情報では

津軽海峡の海底下約100mの地中を穿って設けられたトンネルで、全長53.85 kmは交通機関用のトンネルとしては日本一および東洋一である。全長は約53.9kmである。

トンネルの最深地点には青色と緑色の蛍光灯による目印があり、

竜飛海底駅』という海底よりも深い場所に設置された駅らしい。

今回はそのまま通り過ぎることとしたが、

列車内の案内には下車して駅の構内観光ができると記載されている。

しばらく海岸線を楽しんでいると木古内駅を通り過ぎる頃からトンネルに入った。

そこからは暗い車窓が流れていく、最深部の『竜飛海底駅』が近づいてくる。

『ガタン』と停車した車窓からは、

青色と緑色の蛍光灯に照らされたやや薄暗い構内へ数人の乗客が降りていった。

どの客も駅員の説明を聞きながら興味津々の顔つきで構内を見回している。

発進ししばらくするとトンネルから抜け、窓から深い緑が目に入ってきた。

そして、少しずつ家が増えてきて大きな街が見えてきた。

もう青森市だった。

 

慎一も静香も青森とはあまり関係のない環境で育ってきている。

青森と聞けば失礼ではあるが、雪が多く吹雪いている町並みが浮かぶ。

観光地も「白神山地」「奥入瀬渓流」「十和田湖」「津軽三味線」「恐山」

名産物も「リンゴ」「大間マグロ」くらいしか知らなかった。

実際にネットで調べてみると、歴史的にも非常に古い地域であり、

複数回来ないと回れないくらい多くの温泉と観光名所があることがわかった。

今回は「ねぶた祭り」をメインに

観光は「特別史跡三内丸山遺跡」と「棟方志功記念館」に決めている。

10時頃に青森駅に到着した。

駅前のレンタカー会社へ入り大型車を借りる。

(つづく)

90.遺族の恨みは晴れるのか16

その時、屋敷内から華田社長の声が響き渡った。

「早くそいつを殺せ。その後にお前達の願いは全て聞いてやる」

「さあ、いくよ」

「グワッ」

「・・・」

「ネコ、返事をしなよ」

「・・・」

「まあいいや、あんたはそこでこいつと私たちの戦いを見とけばいい。

 後で酷い目にあわせるよ。覚悟しときな」

 

二匹の獣人が同時に前方と上空から翔を襲った時、

『ネコ』と呼ばれた男は、翔の前に立ち二人の攻撃を受けた。

『ゴウ』『ガチッ』『ガキッ』と音が交差した。

片手でヒグマ男の拳を、もう片一方でフクロウ女の爪を受けた。

「ガウ」

「とうとう、私達を裏切るのかい。じゃあ死ね」

次の攻撃は直接、『ネコ男』に向けられた。

翔はその一瞬の機会を捉えて、

ベルトに仕込んでいた『薬注入君』を取り出して二人に投げつけた。

この『薬注入君』には「獣人化減弱薬」が入っている。

だが、勢いのある二匹の獣人の攻撃は、

『ネコ男』の腹部と首に加えられた。

ガリッ』

首の後ろ部分に埋め込まれた機械を狙っての攻撃だった。

フクロウ女の鋭い爪は、その鉄製部分をも切り裂き『ネコ男』は倒れた。

 

『ヒグマ男』『フクロウ女』は、

翔へ攻撃をかけようとし始めた途端、震え苦しみ始めた。

大量に注入された「獣人化減弱薬」の効果が見え始めたからだった。

二人の獣人の身体が急に小さくなり始めた。

その異変を感じた二匹の獣人が屋敷奥へ逃げようとした時、やっと警察隊が到着した。

その時、屋敷奥の土蔵の屋根が開き始めた。

社長の華田がヘリコプターで逃げようとしている。

それを阻むかのように土蔵の上空に警察のヘリコプターが到着して、

ホバリングで華田の高飛びを抑えた。

警察隊も今はもう既に人間に戻った二人の獣人を取り囲み逮捕した。

都倉警部は、急いで土蔵へ踏み込み華田を逮捕した。

(つづく)

89.遺族の恨みは晴れるのか15

そこから無言の戦いが始まった。

拳と筋肉が『ガツン』『バチン』と当たる音と

二人の呼吸音と裂帛の気合のみが庭に響いている。

全身筋肉のような獣、地上最大最強の獣、ヒグマに獣人化した人間だった。

敵はもう人間のような言葉は発せない。

太い幹をも折れ砕く前腕、噛み砕く牙、

翔の体重の乗った全力の蹴りをも軽く弾く身体、

翔も全力を持って闘った。

さすがに何度も受けることのできない打撃だった。

敵の払いを避けた一瞬の隙を見つけ、敵の側面へ移動し片目へ指を入れた。

これで片目は死んだ。

距離感が狂うので敵は体力を消耗するはずである。

 

「あれー、あんた。大丈夫なのかい?そんなことになっちゃって。手伝おうか」

『グオー、グオー』

「あんた、何、言ってるかわかんないよ。まあ、今回は貸しね」

今まで太い幹で高見の見物をしていた闇から女性のような声がした。

左右から殺気が押し寄せてくる。

枝に止まっていた獣はどうやら「フクロウ」のようで、鋭い爪が武器だった。

身軽い動きで一瞬の隙を付いて攻撃してくる。

また金色に光る目を見ていると、

なぜか身体が重くなるので視線も合わせることは出来なかった。

 

その時、新しい獣の気配が押し寄せてきた。

「へえ、猫が出てきたか。うまく説得できたのかねえ。社長も必死だね」

三方から囲まれて、ヒグマ・ネコ・フクロウの三位一体攻撃を食らっては

さすがの翔も苦戦することを覚悟した。

「くそー、こんな奴らに日本が好きにされるのか」と翔が呟いた。

その呟きを聞いた新しい獣から言葉が発せられた。

「お前、日本人なのか?ここは日本なのか?」

二人の獣人は、やや焦ったように

「グワッ、グワッ」

「ネコ、何をしてるんだね。そんなこと気にせずにこいつを殺せ。

そうじゃないとお前が殺されるよ」

翔は彼に急いで伝えた。

「ここは、日本です。そして私は日本人です」

(つづく)

41.函館港まつり5-ホテルの朝食-

花火が終わり、部屋へ戻って子供達をそっと和室の布団に寝かせると

コーヒーでも飲もうと言うことになった。

部屋のテーブルには豆のまま小分け包装されたコーヒーと

電動ミルとペーパーフィルターが備え付けられている。

人数分のコーヒー豆を電動ミルに入れて粉砕する。

そっとペーパーフィルターに入れると、

あたり一面がコーヒーの香りに満たされる。

湯をそっと少量注ぐとコーヒー粉がゆっくりと膨らんでいく。

十分に膨らむとお湯を入れる時間が訪れる。

コーヒーから出るエグ味をフィルターへ吸着させるように注いでいく。

出来上がった馥郁たる香りのコーヒーをカップに注いで静香と美波へ渡す。

慎一はブラック、

静香はミルク入り、

美波はミルク砂糖入りのコーヒーを楽しんだ。

 

朝食は2階にある『北の番屋』だった。

ここはバイキング日本一になったと同僚から聞いていたため楽しみだった。

近海でとれる新鮮な刺身や焼物などが並び、

ビュッフェスタイルで楽しめる和風レストランだった。

函館ならではの朝取れの魚やイカ、北海道の海産物の味覚が全て並んでいる。

慎一は、子供達用にお椀にご飯を入れてイクラ、ダシ巻玉子、焼き魚を盛り、アラ汁の汁だけを入れたものとミルクとデザートのフルーツ盛り合わせを二つ作った。

いったん席に戻って静香と美波へ渡すと、

子供達は待ちきれないように「マンマ、マンマ」と手を出してくる。

静香と美波は二人にミニ海鮮丼を頬張らせている。

慎一は、急いでどんぶりにイカ、ウニ、マグロ、タイ、ヒラメ、イクラ、ダシ巻玉子、焼き蟹を散らせたデラックス海鮮丼を作り、アラ汁を持って戻った。

そして、そのデラックス海鮮丼を味わいながらかきこんだ。

イカの歯ごたえと甘さ、

大間マグロの赤身の濃い味、

ヒラメのあっさりとしながらも深い味、

焼き蟹の香ばしさと特有の甘さ、

時折プチプチはじけるイクラの醤油漬が混じり合った中でも各々が主張している。

これは日本一と言われるのがわかる逸品であった。

イカに関しては、結構うるさい慎一は

山陰地方のシロイカの歯応えと甘みを好んでいたが、

函館の朝の獲れたてのイカの身の心地良い歯ごたえも最高だった。

ただ昨晩食べたイカは夕方まで熟成させておりその強い甘みの方が好みだった。

慎一が食べ終わると、次は静香と美波が朝ご飯を取りに行く。

慎一は子供達にフルーツを頬張らせて静かにさせている。

 

ふとバイキングコーナーを見ると、

二人は目を輝かせてどんぶりに海産物を盛っている。

どうやら二人は慎一と同じデラックス海鮮丼を作っているようだ。

美波は大好きなイクラをどんぶりから溢れるほどに入れている。

スプーンで食べる方が理にかなっているほどの盛り方だった。

相変わらずの双子母娘は

「これは絶対に太るわ」と笑い合いながらもりもり食べている。

(つづく)

88.遺族の恨みは晴れるのか14

京一郎の解析によるとこの男の後頭部の管は、脳の旧皮質へ連結されており、

薬剤は旧皮質の活動を選択的に高めるものだった。

旧皮質分野での個人的特性の高い素質を特化して強大化することにより

身体の筋肉及び骨格まで影響を及ぼせることがわかった。

ジャークと言う男は、人間性そのものが『ヘビ(爬虫類)』であった。

 

この薬剤はホルモン様物質で、「獣人化強化薬」であった。

体内に埋め込まれたポンプ状の機械から噴出するようにされており、

誰かが操作する手元のボタン一つで管を切ることができるようになっている。

薬剤投与が無くなればその人間は、効果は切れて元の姿に戻り死んでいく。

これらの解明と同時に「獣人化減弱薬」も開発された。

これを彼らに撃てば、その力を発揮することができない筈だった。

 

翔は青山の華田社長宅へ向かった。

翔の接近が敵に知られていることは、屋敷内から伝わってくる殺気でわかった。

翔はインターホンを押した。

「お前達、もう逃げられないぜ。国外脱出でもするつもりかい?

 お仲間の朴川専務には殺人罪で警察がマンションへ向かってるぜ」

『ブツン』とインターホンが切れて、正門が開かれた。

樹木の生い茂った屋敷内には灯りひとつ灯されていない。

庭の一角に一際深い小山のような大きな闇が凝固している。

その闇から常人ならば気絶しそうなくらい強い殺気が漂ってくる。

もうひとつ、樹木の太い枝に蹲る闇に気が付いたが殺気はなかった。

 

その庭の闇から突如殺気が消えた。

そろりと翔へ動いた。

呼吸するように自然な動きで翔は虚をつかれた。

身体の左側から風が吹いた。

翔は空手では一番固いと言われる十字防御で左を固めて受けた。

決して軽くはない翔の身体が一瞬で吹き飛ばされた。

前腕のプロテクターに亀裂が入るほどの衝撃だった。

 

野生動物のような体臭が流れてくる。

星明りの下では毛むくじゃらでわからない。

「ほう、受けることはできたのか。

 なかなかやるな。ヘビが負けたのもわかった。

 ただ俺には勝てないぞ。

 素直に俺達を脱出させたらどうなんだ?」

「残念ながらここは日本なんでね。

 外国人犯罪者が大手を振って脱出するのは許されないね」

「そうか、そうならばお前を倒して、

 この国の警察を壊滅させてから

 ゆっくりと脱出するとしよう。

 お前は知らないかもしれないが、

 昔からこの国日本の闇には我々の仲間が潜んでいる。

 彼らもそろそろ動き始めるだろう」

「その詳しい情報は、後でお前から聞くとしよう。そろそろ警察もここにくる」

「お前に後があればな」

(つづく)