はっちゃんZのブログ小説

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14.師走、三人で

 年末まで過ぎ去る時間は早かった。

ふと気が付けばあれほど街を秋色に染めていた街路樹はその葉を全て落とした。

11月初めの連休こそ、ゆったりと過ごしたが、それ以降は仕事一色だった。

たまに土日のどちらかに遊びに来る美波ちゃんとの会話だけが疲れを癒した。

美波ちゃんは、慎一の部屋に来るとテレビや神話関連の本を読んで過ごした。

何を話す訳でもないが慎一と二人でただ時間を過ごしているように思えた。

彼女はコーヒーが苦くて苦手なので、慎一は「美波スペシャル」を考えた。

 

先ず苦味の少ないカフェオーレを作る。

コーヒー豆も苦味のないキリマンジャロを挽き、ドリップで落とした。

その熱いコーヒーを同量の熱いミルクと同時にカップへ落とし一気に混ぜる。

別に作った『水飴を入れて甘くし、ほんの少しバニラエッセンスを利かせた

泡立て生クリーム』を出来たカフェオーレに浮かせた。

生クリームと一緒に飲むことでコーヒーの苦味が殆ど消え、

甘い香りだけが舌に残った。

その日から慎一の部屋でのコーヒーメニューに「美波スペシャル」が入った。

 

 美波ちゃんに聞くと、静香さんも忘年会や二次会の予約で毎日が大変らしい。

毎日遅く帰ってきては、朝早く買い出しに出て行って、

早めに準備を始める毎日で、『もう勘弁してほしい』とこぼしているらしい。

そう言えば、さざなみにご飯を食べに行っても、

慌ただしく立ち回っている静香さんばかりが記憶に残っている。

美波ちゃんが不思議がっている。

「そんなに疲れるなら断ればいいものを全部引き受けるのよねえ。

 去年は結構断っていたのよ。なんでかなあ・・・」

「去年は美波ちゃんが入試だったからじゃないの?」

「そういえばそうだった。でも今年は特に無理してる感じなんだなあ」

「お母さんの料理は美味しいからお客さんの要望が多いんだよ、きっと。

 商売繁盛、商売繁盛、万歳」

「ははは、そうだね。疲れてるからかなあ、あまり話ができないんだよねえ」

「ふーん。まあ仕方ないんじゃない? はいつでもいいよ。

 日下邸は美波ちゃんを歓迎いたします。

 いつでも美波スペシャルをお申し付け下さい」

「おじさん、本当にいいの? 迷惑じゃない?」

「全然、いつ来てくれても大丈夫。部屋で仕事している時でも別に居ていいよ」

「えっ?邪魔じゃない?」

「ううん、全然やで。美波ちゃんは静かだし邪魔にならないよ」

「おじさん、ありがとう。でも静かにしておくね」

 

そうこうしているうちに慎一の部屋の片隅に小さな『美波コーナー』ができた。

安室奈美恵」「Mr.Children」「globe」「岡本真夜」のCDが並んでいる。

慎一が部屋で仕事をしている時は、

本を読みながらCDプレーヤーにヘッドフォンをつないで聞いている。

この時だけ、一般家庭の『父子の時間』がこの部屋には流れていた。

 

 いよいよ大山に雪が積もり、美しく雄大な姿が米子市民の目に映る。

米子の街にも積もるほどではないが時々雪が降り始めている。

美波ちゃんに聞くと、12月25日から冬休みが始まるらしい。

昼から夕方までテニスの部活動がびっしりと入っていると張り切っている。

12月23日クリスマスイブ前日の月曜日は休日だったが、どこにも出ていけなかった。

今年は12月27日が『御用納め』で正月休みは9連休となっている。

今年最後の週が始まり朝から夜まで働きづめで最後の山場を迎えている。

そして、27日の最終日を迎えた。

課員も全員疲れ切って、御用納めの挨拶後は、三三五五そそくさと帰宅した。

 

 慎一は着替えて早速『さざなみ』へ行った。

美波ちゃんには『27日夜は必ず来てね』と約束させられている。

もうさざなみの看板を照らす照明が落ちている。

「本日の営業は終了しました」と掛札が吊り下がっている。

不思議に思いガラス戸を開けると、女将さんと美波ちゃんが小上がりで待っていた。

テーブルの上には、炭の入った七輪が置かれており、

その周りには様々なおかずが並べられている。

「日下さん、今日で御用納めでしたね。今年、本当にお疲れ様でした」

「おじさん、ありがとうございます。ねえ、こっちに座って」

「そうそう、これはいつも私達に良くして頂いている日下さんへ、

 少し遅めのクリスマスプレゼントです」

『手編みのマフラーと手袋がセット』で紙袋に入っていた。

「へえ、これはあったかい。うれしいなあ。ありがとう」

「いえいえ、いつもお世話になっているお返しだよ。ヘタクソって思わないでね」

「そんなことこれっぽちも思わへんでえ。ありがとう、大事にさせてもらうわ」

 

 ここから、今年最後の『さざなみ』の時間が始まった。

「今年は忘年会が無かったから、これが今年最初で最後の忘年会や」

「そうでしたの?それはゆっくりと飲んで食べてくださいね」

「おじさん、今日は特別な料理だよ。お母さん早く早く」

「はいはい、わかりましたよ。美波、これを運んで」

大皿の上に、大きな生の松葉ガニが足を広げている。

足には包丁の切れ目や削ぎ目が入って食べやすくなっている。

旬の松葉蟹は、ズワイガニと言われている蟹とは一線を画する太さと重さだった。

 

手元に『トップ水雷』の冷酒をセットして

先ずは『蟹の刺身』

 殻を向いた身を氷水に通すと、

 蟹の身がきゅっと縮み、花が咲いているかのようになる。

 水を切り、刺身醤油につけて頬張る。

 経験もしたことのないような蟹の身の甘みが溶けて舌を直撃する。

 氷で引き締まった身が歯で噛まれて口の中で踊っている。

 甘くて幸せな一口だった。

次に『焼き蟹』

 足部分を殻のまま、七輪上の金網に並べる。

 ジワジワと蒸気が上がり始め、殻の色が鮮烈な赤に変色していく。

 それとともに、殻と身の間からブクブクと蟹のエキスが泡立ち始める。

 こうなれば、もう食べ頃だった。

 生でも食べるのだからここまで待つ必要はないが、

 焼き蟹の醍醐味は、その身に殻からのエキスも全て凝縮される点にある。

 普通に売られている茹で蟹はエキスが湯に溶けだしてしまい味が薄く感じる。

 蟹の全ての旨みが身に凝縮し、炭の香ばしさと相まって独特の味が出現する。

 フウフウしながら、殻を剥いてその焼き目のついた身にかぶりつく。

 別の楽しみ方としては、蟹ミソの味わい方である。

 蟹の甲羅のミソへ日本酒を注ぎ温めてから、そのミソへ焼き身を浸し口へ運ぶ。

 酒の肴に最高で最適な蟹が完成している。

 これらは蟹に感謝の一口だった。

最後は『蟹すき』

 鍋のダシ汁は、食べない蟹の足先部分などを少し焼き、水から煮出してダシを取る。

 昆布を追加し旨みを更に深め、火を通した冬野菜、豆腐、茸などと一緒に作る。

 蟹と冬の食材へ渾然一体となった旨みが滲みこんでいく。

 蟹がそれほど主張することなく各食材の旨みは失われていない。

 これらは蟹単独の旨みというよりも

 『冬の食材のオーケストラや(彦麿呂調)』だった。

 慎一は心底、蟹に魅了された。

 

「おじさん、美味しいでしょ?私は焼き蟹が一番好き」

「そうやなあ、こんな蟹を食べたの、初めてでびっくりした」

「毎年、さざなみの最終日のお楽しみなの」

「日下さん、今年は大変お世話になりました。ありがとうございました」

「おじさん、色々とありがとう。来年もよろしくね」

「おう、わかった。了解しました。こっちもよろしく」

七輪の光に照らされた3人の顔にはそれぞれの喜びが描かれていた

 

最後は、『セコ蟹の炊き込みご飯』と『セコ蟹の味噌汁』だった。

『セコ蟹』と言うのは松葉ガニの雌のことらしく、

漁獲時期は11月から年末までの約2ヶ月間と貴重な蟹だった。

特にプチプチとした食感の外子、鮮やかな朱色の未成熟卵の内子は珍しかった。

小ぶりながら蟹の旨さをすべて含んでいるのがわかった。

 

少し早めの年越し蕎麦として「日野のそば」が出された。

この蕎麦は標高200m~550mの山間地で栽培されており、

秋の寒暖の差がポイントらしく、

喉越しの良さ、

蕎麦そのものの淡い風味は勿論のこと、

ほのかな甘みが感じられる優しい蕎麦だった。

良質な蕎麦粉と霊峰大山から湧き出る美味しい水とが出会ってできた蕎麦だった。

以前食べた出雲蕎麦とは趣が異なっている。

 

慎一は心地良い酔いに身を任せ、仲良し親子を見つめていた。

毎年この日、二人だけでこのように過ごし、一年の色々なことを流していくのだろう。

この時間こそが、二人のとっての『さざなみ』であることがわかった。

そんな大切な時間を共にしている自分に対して、

本当に一緒にいることができる人間なのかとも感じた。

(つづく)