はっちゃんZのブログ小説

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21.彼との距離

慎一が帰ったあと静香はゆっくりと湯船へつかり彼の笑顔を思い浮かべた。

彼の家庭がうまくいきそうで嬉しかった。

もちろん幼い頃からの辛い記憶を変えることは大変なこととわかっている。

しかし彼本来の性格は、そんな辛い記憶で変わるものではないはずとも感じ

少しでもいい方向に向かえば、彼自身の幸せにつながるのでは?と思えた。

 

『彼自身の幸せ』・・・

そう考えた時、静香は気づいた。

『彼の幸せと私達親子の幸せは交わることがないのでは・・・』

静香親子と彼との距離があまりに近すぎることに危惧を感じた。

美波は彼を父親のように慕い、

静香自身も亡き夫にしか見せなかったものを無意識に見せている。

 

最初はお店のお客さんだった人・・・

亡くなった夫に良く似た仕草だった人・・・

その彼が、いつの間にかこんなに近くの人に・・・

 

彼は転勤族でいつかこの土地とは離れる関係のはず・・・

もし彼が転勤していなくなったら・・・

 

彼は結婚の経験もなく子供を持った経験もない人・・・

私の夫や娘への思いは変わっていない・・・

静香は彼との関係のアンバランスさに今更ながら気づいた。

 

『彼との近さ』と『静香親子の世界』の距離・・・

彼は私達親子とは異なる世界の人なのかも・・・

だからこそ、お互いが物珍しさで魅かれたのかも・・・

でももう今となっては私には彼と距離をとる勇気はない・・・

最後まで彼の心に触れていたい気持ちが強い・・・

その思いと夫への変わらぬ思いの葛藤から

普段は目を逸らせている自分に気づいた。

 

彼の心を利用しているのではないかと感じる自分のずるさに恥ずかしくなったが、

夫とは全く異なる彼の魅力にも魅かれている自分の心も否定できなかった。

彼と二人だけの時間に時々訪れる

ずっと二人だけで過ごしてきたような錯覚にとらわれる心の不思議・・・

ただあの時、愛することに必死だった夫の時にはなかった心の情景だった。

この気持ちは夫が亡くならず、ずっと暮らしていたら普通の情景かもしれない。

しかし、短い期間ながら多くの楽しい思い出を残して14年前に夫は亡くなった。

それから、ただ娘を大きくするだけに力を注いできた。

 

ふと『縁(えにし)』と言う言葉が浮かんできた。

『縁』がうまく循環すればみんな幸せになるのかも・・・

仮に彼の幸せと私達親子の幸せのラインが交わることはなくても・・・

今まで自分は良い縁の循環により夫の父母とも仲直りし父ともわかり合えた。

今は自分の心より美波を独立できるまで育てることが一番と考え

将来のことは『縁』におまかせすることとした。

静香の心がすっと軽くなり、今の『縁』に身を任せようと思った。

(つづく)

17.百合との出会い1

桜舞い散る中、新入生がキャンパスで光り輝く未来を夢見て歩いている。

翔は、政治経済学専攻の3年生だが将来をまだ見出すことも出来ず、

ただただ鬱屈した日々を送っていた。

 

大学の帰り道にガラの悪そうな数人が一人の女性を囲んでからかっている。

その女性は怖がる風もなく、彼らをじっと見ている。

「あれえ、このお嬢さん、俺たちを怖くないのかな?

 という事は付き合ってもらえるのかな?じゃあ、暗い所へ行こうよ」

「いやです。この道を通して下さい。なぜこのような事をするのですか?」

「なぜ?決まってんじゃん。楽しいからだよ」

「楽しい?わたくしは楽しくありません」

「これから、俺たちと付き合ってくれれば楽しさがわかるぜ」

「結構です」

「そう言わずにさあ」

 

翔は彼らが嫌いだった。

一人一人は弱いくせに徒党を組んで一般の人を怖がらせて喜んでいるからだ。

もっと違うことに情熱を傾けるべきだと考えているからだ。

「おーい。俺の彼女に何の用かな?」

「彼女?いいよなあ。こんな綺麗な彼女で、俺たちにもお裾分けしてくれよ」

「おい、馬鹿なこと言っていないで、もうどこかへ行けよ」

「女の前だといい恰好する奴は嫌いでよお。なあ、みんな?

 この彼氏、みんなに袋にされたいんだとよお。ご希望通りやってやろうぜ」

 

翔は、ここにいる奴らを全員病院送りにできるが、

そんなことをしても実家の爺さんは喜ばず、

なぜ目立つことをしたと叱られるので、

手間はかかるが全員、諦めるまで逃げることとした。

奴らは翔を囲んで一斉にかかろうとするが、

翔とすれ違った瞬間から尻もちを着いて歩けなくなっていく。

囲んでいる奴らは全員???の状態で戦意は消失している。

簡単な技で足の根元のツボを軽く指で突くだけで力が抜けて立てなくなるのだ。

奴らは足を引きずりながらこの不気味な男から逃げていく。

 

「すごい技ですね。誰も傷つけることなく闘いを終わらせる。

 相当に修行されましたね」

「???」

「失礼しました。あまりの技のすばらしさにお礼が遅れました。

 私は、このたびこの大学の薬学部に入学しました『館林百合』です。

 さきほどは危ない所を助けて頂きありがとうございました」

「危なかった?今の落ち着きを見てわかったよ。

 君一人で奴らを何とかできたのじゃないか?と思えるんだが・・・」

「いえ、そんなことはありません。女一人であの人数は捌けません。

 実は私はあまり表情にでないタイプですから誤解されるのです。

 本当に大変助かりました。ありがとうございました」

「俺は政治経済学部3年生の『桐生 翔』。今度は気をつけなよ」

「ああ、ちょっと待ってください。お礼・・・」

「いや、お礼はいま言って貰ったからもういいよ。じゃあ」

 

『館林・・・百合、どこかで聞いたことがあるような無いような名前・・・

あんなに綺麗で可愛いい子がこの世にいたんだなあ。

笑ったらもっと綺麗に可愛くなるのに惜しいな』と心でつぶやいた。

だが翔とは『住む世界の違う完全なお嬢様』であることはわかった。

 

『きりゅう・・・しょう様。すごい技を持つ殿方。

きりゅう・・・どのような字なのでしょうか?

でも、どこかでお会いしたような・・・

お聞きすれば良かったのでしょうか。いつかまたお会いできたら・・・』

(つづく)

20.母の再婚

28日朝に出発し昼過ぎには着いていた。

家で甥っ子と遊んだ。やがて甥っ子も疲れて昼寝を始めた。

そこから母親と妹の3人で話し合いが始まった。

父は明日に来るらしい。

一番反対すると思っていた慎一が再婚を認める発言をすると

母と妹は意外な顔をして驚いている。

そして母親はすごくうれしそうに

『ありがとうね。ありがとう』と泣いている。

母がそのあと父へ電話をしていたようだ。

翌日10時に父親が玄関に入ってきた。

母が迎えに行っている。

慎一と妹は居間で父を待った。

 

父が部屋へ入ってきた。

子供の時はあんなに大きかった身体が今は小さく細くなっている。

顔もげっそりと痩せて昔のふくよかな顔ではなくなっている。

真っ黒だった髪の毛も真っ白になっている。

顔色もどことなく冴えない。

 

「久しぶりですね、みんな元気にしてるみたいで安心しました。

 今さらやけど、あの時は本当にすまな」

「まあまあお父さん、先ずは座って座って、そこにどうぞ」

慎一は父親の言葉を遮るように上座の座布団へすすめた。

父親は驚いた様子で遠慮しながら座った。

「お父さん、お母さんから聞いたよ。

 僕らはまた家族になったんやからもういいやん。

 帰ってきてお母さんと楽しく暮らしたら?」

「ええのんか?こんなわしでも・・・」

「お母さんがいいんならいいんちゃう?なあ、お母さん」

「うんうん、慎一、幸恵、ありがとう、ありがとう」

「ありがとう、こんな男でも父親や、ゆうてくれて」

「昔は昔、昔のこと今頃言っても始まらんやろ、

 今はお酒も飲んでないねんやから、もういいやん。

 お父さん、お母さん孝行したげてや」

「お前らが許してくれるんやったら、

 精一杯がんばってお母さんを幸せにする」

「許すも許さんも、僕らはもう大人で独立しているから。

 ただお母さんに良くしてやって」

「わかった。ありがとう。ありがとう」

父は現在のアパートを引き払ってこちらへ引越予定となり

母がすぐさま準備に入った。

慎一は同級生に会って、吹っ切れたようにお酒を飲んで楽しいひとときを過ごした。

瞬く間に連休は終わり、仕事が始まる2日前5月4日に米子へ戻った。

 

米子からの移動の間に美波ちゃんから『いつ帰るの?』コールがあった。

『今、帰ってる』コールを返した。

マンションに帰ると今晩の家庭教師の準備に入った。

いつものように数学と物理などの問題集を解きながら過ごした。

ただ最近大会が近いせいか、テニスに力が入っていて、

勉強中でも眠気に襲われるようで夜も早く寝るようになっている。

現在、予選が始まっており、土曜日毎にどこかで試合があるようだ。

新人でも強いペアが多かったが、新人ではない今は上級生も出ており、

非常に強い相手ばかりだからがんばると燃えているようだ。

晩ご飯を食べて、美波ちゃんがお風呂に入り2階へ上がっていく。

 

慎一は静香と一緒にお茶を飲みながら、母と父の再婚について話した。

久しぶりに見た父の様子と印象、

母の父を見る表情、

夫婦のことは夫婦でしかわからないと言うことは本当だったと、

父が家に戻ってくることで妹夫婦はどうするかの話し合い中だとも、

静香さんが自分のことのように喜んで聞いている。

慎一が以前感じた『二人がずっと一緒にいたような』錯覚の時間が

まだ続いている気がしていた。

『この人は本当に初めて会った女性なのか?』とも感じている。

どこか懐かしく、なぜか心が暖かくなり落ち着く女性だった。

経験したこともないような感覚で戸惑っている反面それにひたっている。

これが『相性』というものなのかもしれないとも感じた。

(つづく)

16.ストーカー事件を解決せよ!4

ボスの「チョウ」と用心棒らしき男1人が到着したとの連絡があった。

2階の幹部用の部屋へ入った。

都倉警備から地上・地下道全てで配備完了の連絡が入った。

 

突然、エレベータが3階に上がってきた。

翔は、監視の男と反対側のエレベータの扉の横に身体を寄せて待機した。

エレベータが空いて、5名の若い男が出てきた

「あっ?どうした?何があった?」

すぐさま後から翔が2名の後頭部に手刀を入れて昏睡させた。

残りの3名が後を振り向いた時に彼らの鳩尾へ拳を突き入れて昏睡させる。

同時に正面の敵に蹴りを入れようとしたがさすがに避けられた。

「てめえ、何者だ」

翔は、答えもせず対峙する。

こいつは相当に空手の経験があるようで構えが決まっている。

手の平で、おいでおいでをすると胸元に回し蹴りと顔への正拳突きを放ってきた。

するりと回り込んで懐に入ると掌底を顎へ叩きこみ脳みそを揺らしてから

後頭部へ手刀を入れて昏睡させた。

この5人の両手両足と口と目に布製ガムテープを貼った。

 

都倉警部へ5名を捕獲したことを連絡する。

入口へ警察隊が突入する。

下水道でも待機している。

すぐさま待機させていた高所引越し用のトラックを

ビルに横付けし3階へ上げて行く。

翔は、彼女達の部屋へ戻りドアの鍵をきちんと閉めた。

ドンドンとドアを叩く音がする。

異変を察知して人質にしようと仲間が上がってきたようだ。

翔は窓を開け、トラックを誘導した。

そのうちドアが蹴破られた。

彼女達を乗せるまでは闘うことができないので急いで振動棒を強のまま発射した。

敵は全員、突然にフラフラし始めた。

翔は敵の中に踊りこんで全員叩きのめしに入った。

一発で相手を戦闘不能にさせていくしかなかった。

敵も翔があまりに強いので距離をとり始めた。

ちょうどその時、荷台が窓の前まできたので彼女達を移動させた。

彼女達がいなくなると敵は逃げに入った。

だが、残念ながら彼らに逃げ道はなかった。

 

この捕り物では、何とボスらしき男「チョウ」には逃げられてしまった。

予定通り下水道で挟み撃ちしたが、用心棒の男が強くなかなか逮捕できなかった。

そのうちに5mもある下水道をボスらしき男の身体を抱えて向こう側へ跳ばし、

自らも跳んで逃げたらしい警察官も数名大怪我をしている。

 

『新宿はぐれ団というチーマー一味』と『闇医者の陳果捨』は逮捕できた。

これで臓器売買と人身売買組織は潰せたはずだった。

この事件も大きなニュースとなり、新宿における闇組織の資金源と犯罪は摘発できて

少しは新宿の平和に貢献できたと感じている翔と百合がいた。

翔はチーマーとの闘いを思い出した時、ふと百合と出会った頃を思い出した。

(つづく)

19.二人で出雲へ

5月連休前に妹から電話が入った。

いつに帰ってくるのか教えて欲しいらしい。

理由を聞くと父親が家に顔を出すからだと言う。

それを聞くと一瞬帰りたくなくなったが、母親のことを考えて帰ることとした。

26日は静香さんと松江・出雲の方を案内してもらう予定だったため

『28日に帰るつもり』と答えた。

当日美波ちゃんは、朝早くから夜まで他校との対外試合で1日いないらしい。

美波ちゃんには悪いが、静香さんと二人きりで行くこととなった。

 

26日朝8時に迎えに行くと静香さんはもう駐車場に出て待っていた。

白のボートネックオーバーサイズプルオーバーにブルージーンズ、

白いパンプス姿だった。

髪はいつものように長い髪をシュシュでひとつにまとめている。

「今日もよろしくお願いします」

「こちらこそよろしく。とりあえずネットでは調べたけどよろしくね」

「お役に立てるかどうかわかりませんよ」

「いいえ、横にいるだけで十分です」

「ふふふ、それなら十分に役に立てると思います」

「では出発しましょう」

音楽は姫神を入れた。

「この音楽は何度も聴いていますがいい音楽ですね」

「そうでしょう?僕はこの姫神と言う人の音楽が気に入ってて、

 縄文音楽というべきか、昔の自然の光景が浮かんでくるんです。

 特に『風の大地』と『神々の詩』が好きです」

「じっと目をつぶって聞いていたいくらいですね」

「ええ、でも僕がそうしちゃうと事故るのでやめておきますね」

 

車は、米子国際ホテルから右折して山陰道国道9号線を走り、

途中左折し米子西ICから山陰道安来道路を松江へ向かう。

東出雲ICで下り山陰道松江道路を通過し、

途中にあった黄泉比良坂の看板あたりを越えて

宍道湖の左岸をJRと共にひたすら西へ向かう。

2時間ほどして出雲大社への標識が現れた。

出雲大社は知らない人はいないと言われている有名な神社だ。

 

ネット情報で『出雲観光ガイド』で正門からの正式な参拝の仕方を調べた。

一 勢溜(せいだまり)に立つ木製の鳥居をくぐり、参道へ入る。

二 参道の途中、右側に小さな社で祓社(はらいのやしろ)があり、

  4柱の祓井神へお参りし、心身を清めます。

三 坂を上ると祓橋(はらいのはし)と言われる太鼓橋を渡ると

  松並木となっており、三つに分かれている参道があるが、 

  神様の道を外して左側の参道を進んだ。

  大国主大神とウサギの像が見えてきたら境内の入口は近い。

四 手水舎で左手、右手、左手で口すすぎ、柄杓の柄を清める。

五 そこからは高さ6m、柱の直径52センチの銅鳥居から

  神様へ挨拶し拝殿へ向かう。

六 拝殿は長さ6.5m、重さ1トンの注連縄を前にする。

  注意点:一般の神社の注連縄とは逆向きなのが特徴です。

七 ここでは「二拝、四拍手、一拝」にて拝礼を行う。

  注意点:手を合わす際には、指の節と節を合わせて「節合わせ(不幸せ)」

      にならないように、右手を少しずらすといいそうです。

八 拝殿の後ろに回り八足門(やつあしもん)から本田を正面から参拝する。

 

二人は『へえーへえー』と感心しながら参拝した。

さすがの静香さんも小さい頃に来ただけなので初めてなことばかりだと驚いている。

その他、十九社、釜社(かまのやしろ)、素鵞社(そがのやしろ)などに参拝した。

車に向かう参道の途中、出雲発祥の和製スウィーツの『ぜんざい』のお店に入った。

ぜんざいは江戸時代の文献に載っているくらい古いスウィーツで、

キュウリ塩漬けの付け合せが珍しかったが、甘さを引き立てて美味しかった。

 

松江市へ向かう途中、宍道湖の嫁が島の看板のところで少し休憩した。

宍道湖の対岸は大国主大神が綱で大陸から土地を引っ張ってきたとのことで、

この汽水湖である宍道湖ができたとされる。

宍道湖の中で唯一ある島が『嫁が島』だが、

伝説では姑にいじめられた嫁が湖で水死した際に水神が可哀想に思い、

その身体を浮き上がらせたとする伝説などの悲しい伝説が残されている。

だが今は松江でも屈指の『夕陽スポット』にもなっており、

天気の良い日は観光客や市民が列をなして並ぶそうで、

今頃はきっとお嫁さんも喜んでいるかもしれない。

 

「きっとその姑さんは後ですごく後悔したんじゃないかなあ。

 お嫁さんもそうだと思う。だって二人は仲直りする時間がなかったんだから」

「そういえばそうやねえ。普通嫁さんがかわいそうとしか考えないものだけれど、

 そういう考え方もあるよなあ」

慎一は、母親のことを相談しようと思った。

こんな風に両方のことを考えることができる人ならば・・・と感じた。

慎一は松江城に向かう間、母親と父親の再婚について相談した。

「私がこんなことを言っていいのか悩みますが、よろしいですか?」

「ええ、僕としては気持ちを整理したいところがあるので気にしないで下さい」

「あなたの気持ちもお母さんの気持ちもすごくわかります。

 その時、きっとお母様はお二人の事を考えて離婚したのでしょうねえ。

 私が同じ立場であってもそうしたと思います。

 私にもよく似た経験があります。

 ただ、お母様にあってお子さん二人になかったもの、

 それは夫婦二人だけの歴史だったと思います

 でもそれは当然なんです。

 親子の歴史と夫婦の歴史は違いますから、

 お酒を飲まないお父様の良さを一番知っている人、

 お酒を飲まずにはいられないお父様の弱さを一番知っている人、

 それはお母様だけだったと思います。

 そして、その全てをわかって結婚した人がお母様だったと思います」

「そうなんだろうなあ。最近、静香さんところですき焼き食べた時、

『確か昔、親父が鍋奉行をしていたなあ』と思い出して

 なぜか嬉しい気がしたことを思い出した」

「あの時、あなたが急に嬉しそうな顔になっていたから不思議に思ってはいたけど、

 お父様やご家族とのことを思い出していたんですね」

「そうだった?あの時はなぜか家族が仲の良かった時のことを思い出したんや」

「お子さん二人が大きくなって独立したら、今度はお母様が幸せになる番ですね。

 お父様のお身体もたいそう悪いようですから、

 残りの人生を今度こそ一緒に生きることができたらと、

 思われたのは当然のことと思います。

 夫婦のことは夫婦だけしか分からないし、子供にはわからないもんですから」

「静香さん、ありがとう、何か吹っ切れた気がする。

 今度帰ったら母親に話してみる」

「それは良かった。あなたの悲しい顔を見るのはわたしも悲しいので」

そうこうするうちに松江市が近づいてきた。

国道432号線に入り、島根県八雲立つ風土記の丘公園方向へを右折し、

そこを越えてしばらく走れば、

次の目的地「神魂神社(かもすじんじゃ)」である。

 

神社の正面に「神魂神社」と彫った古い碑が建っており、それに鳥居が続く。

ゆっくりとした勾配の石畳の参道をゆっくりと上がり本殿を目指した。

主祭神イザナミノミコト(伊弉冉尊)、合祀はイザナギノミコト(伊弉諾尊

日本を生み出した2柱を祀る本殿からは神格の高さから威圧感さえ漂っている。

天正11年(1583年)に建てられた現存する最古の大社造りで国宝に指定されている。

由来として、この神社を創建したのはアメノホヒモミコト(天穂日命)とされ、

アマテラスオオミカミの第二子とされるこの神がこの地に天降ると、

出雲の守護神としてイザナミノミコトを祀った。

それがこの神魂神社の始まりらしい。

 

帰りに八雲立つ風土記の丘公園へ行き、

前方後方墳の形にした鉄筋コンクリート高床式の展示館で古代出雲の姿を見て、

植生されている当時の植物群や古墳を見て竪穴式住居に入ったりして古代を偲んだ。

静香さんは神社も公園もどちらも初めてだったようで興味津々で見ている。

 

山陰名産の和菓子情報としては

松平家7代目の治郷公(はるさと)不昧公(ふまい)の時代に

不昧公自らが不昧流という茶道を完成させ、

京都、金沢と並ぶ茶処、菓子処を作ったそうな。

松江市の老舗の「彩雲堂」に寄り

『若草』「伯耆坊」『朝汐』を美波ちゃんへのお土産とした。

近くに島根県の陶器『出西窯』の出店があり、

慎一は三人のコーヒー用にモーニングカップの白掛地釉、黒釉、呉須釉を各1個買い、

静香は慎一とのお茶用に黒釉の湯呑を2つ買った。

 

帰り道は高速道ではなく下の道を通り、安来市にある足立美術館へ入った。

海外からの客も多く日曜日となれば大賑わいだった。

この美術館は美術品も庭も全てが美しかった。

庭はそのまま見ても十分に美しい。

室内から椅子に座って見える日本庭園、美しい砂の流れ、絶妙な石の配置・・・

窓というキャンパスに描かれた別の世界の景色のように感じた。

夕方に近づいているせいか、日差しが柔らかく感じられる。

 

米子市へ向かう途中に『カフェレッセ』という看板が目に入った。

噂でアートカプチーノの店が出来たと聞いていたので入ってみた。

バリスタの日本大会でも有名な店らしく、

明るい店内で多くのお客さんが来店している。

テラス席が空いていたのでそこに案内してもらう。

目の前に中海が見えるレイクサイドである。

慎一はアートカプチーノ2つとシフォンケーキを1つ頼んだ。

運ばれてきたカプチーノには、表面に絵が描かれていた。

ウサギの可愛い顔が描かれているものは静香さんへ

ハットをかぶった男性の顔のものは慎一の前に置かれた。

静香さんは珍しがりそしてすごく喜んだ。

「あなたと一緒にいると、私の初めてばかりです。

 これ、すごくかわいい。こんな風にできるなんてすごーい」

「そうだろうなあ。ここまでできる人はそういないよ」

「うん、おいしい。でも私は、あなた特製の静香スペシャルの方が好き」

「そりゃあ、良かった。マスターも自信持てます」

「ふふふ、マスター、よろしく」

二人で暮れゆく中海を見ながらコーヒーをゆっくりと飲んだ。

(つづく)

15.ストーカー事件を解決せよ!3

都倉警部から前回の事件の被疑者の中国人リーダーの男が、

拘留中の拘置所の中で死んだらしいとの連絡が入った。

耳の中に細い毒針が刺さっていたらしい。

最近採用になった職員が1人だけいなくなっているので

きっとそいつの仕業だろうとの話だった。

警察としては、これが外部に漏れれば

誰か偉いさんの首が飛ぶほど大変なことで都倉警部も困っている。

新しい話題が必要だったので明日の夜に捕り物は開始されることに決まった。

彼女達へはその連絡をし、こちらの指示にしたがって動くようにお願いした。

 

下水道への逃げる道もふさいで一網打尽の予定だった。

地下室の爆弾部屋の存在が不気味だった。

爆発させればビル倒壊の上に誘拐された女性たちも無事では済まない。

爆発させないためには、今夜までに忍び込んで信管を抜く必要があった。

翔は午前中に下水道から侵入した。

下水道にはやはり大きなワニが飼育されているみたいに波打って泳いでいる。

振動棒の振動を当て催眠効果を発揮させ静かにさせて麻酔薬を打って捕獲していく。

10匹で終わったがこれは熱く臭く大変な作業だった。

地下道の向かい側の道までは5m近くもあり通常は渡ることができないはずだった。

この後、鉄製ドアの鍵を開けて地下室へ侵入し爆弾部屋へ向かった。

この爆弾はオクタニトロキュバンのプラスチック爆弾で、

500kgほど積まれていた。

もし爆発すればあたり100m四方は大変な被害が出ることになったはずだった。

設置された信管を抜き振動棒でバラバラにして使用不能とした。

ボスのチョウが来る夕方まであと1時間ほどだった。

百合に彼女達への指示内容を伝え、時間が来たら行動するように連携している。

 

翔は、まず3階の彼女達を保護しなければならなかった。

黒のバトルスーツセット(ヘルメット、ブーツ、ハンド)を装着し、

ビルの裏手からアンカー付のワイヤーを編んだロープを発射し屋上へ上がっていく。

 

ちなみにこのバトルスーツセットは、テロ教団事件の時から使用しているが、

軽くて防弾・防刃・防衝撃機能を持つすぐれものだった。

素材としては、

布部は超高分子量ポリエチレン繊維へ炭窒化チタンを吹きつけ編みこまれたもの。

プレート部は超高分子量ポリエチレン繊維を特殊な温度制御式超高圧プレス機で

圧着し硬度の高いプラスチックの板状にしている。

身体の前面にある急所、首筋・肩・ひじ・ひざ部分及び脊髄保護のための

プレートが入っている。

またプレート内側には衝撃吸収素材が貼られていて身体にショックは感じない。

ただし、繊維は高熱には弱いので注意する必要があった。

実はヘルメット、ブーツ、ハンドにはその他の機能を備えているが

今は説明している時間はないので割愛する。

 

屋上のドアを開けて4階への階段を下りていく。

敵は屋上からの侵入を想定してないので警報装置は設置されていない。

4階は大きな保冷庫が設置されている。

中を確認したかったが扉を開けると警報が作動するのであきらめた。

3階の廊下にはチーマーらしき若者が監視していると言うよりスマホで遊んでいる。

4階の階段から身を伏せて、そっと見張りの方向へ強度振動波を発信した。

百合から彼女達へ『そろそろ救出に向かうので安心するよう』連絡させている。

しばらくしてクモ大助からの情報を確認すると見張りは完全に眠りこけている。

翔は急いで見張りの両手両足と口と目に布製ガムテープを貼った。

きっと目のガムテープをはがす時は酷いことになるが

悪い事しているので仕方なかった。

3階の軟禁部屋の鍵を開けて彼女達を1室へ保護した。

鍵を内から掛ける様に指示した。

1階警備室を外から見張っているクモ大助2号からの信号では警備員に変化は無い。

(つづき)

18.桜街道

米子市が桜色に染まるある土曜の朝、

湊山公園で桜を穏やかな気持ちで眺めている。

中海の水面は桜の花びらに染められており、

水鳥公園の鳥達も花見をしているのか、ときおり水鳥の声らしきものが響き渡る。

賀茂川沿いの白壁土蔵を背景とした桜並木も見もので多くの人が散策している。

明日は、3人で米子市から少し離れて桜街道を散策しようと計画している。

場所は西伯郡の法勝寺川土手。

土手の両側に2,000本の桜が植えられており、桜並木は5.3キロ続くらしい。

 

昼前に部屋に戻って本を読みながらコーヒーを飲んでいると美波ちゃんが来た。

いつものように音楽を聴きながらお菓子を食べたり、雑誌や漫画を見ている。

ハムサンドイッチに美波スペシャルを作ると喜んでいる。

美波ちゃんも後期試験には、

手ごたえを感じたようで勉強により力が入るようになった。

土曜日の夜に家庭教師をすることになっているので昼間は気楽に過ごしているようだ。

静香さんはいつものように家の掃除や洗濯をしているのだろう。

 

翌朝10時に後藤家へ迎えに行く。車で1時間ほどの道のりだった。

山桜はすでに満開で、フロントガラスから見える山肌は、

ぼんやり濃い桜色の靄がかかっている。

やがて目的の場所に着いた。

駐車場は無かったため道路沿いなどに多くの車が駐車されている。

慎一達も同様に車を停めて、お弁当やゴザなどを持ってお花見場所を探した。

ちょうどひときわ大きく枝が張っている真下の場所が空いている。

そこを花見場所に決めて準備に入った。

 

慎一はゴザに足を伸ばして手を後につき空を見上げた。

青い空の中に可愛いソメイヨシノの花が咲き誇り、

そよ吹く風にも花びらを散らしている。

ふと地上に目を向けると、川土手の両側に満開の桜が咲き誇り春を謳歌している。

美波ちゃんは知り合いにあったようで、二人で楽しそうに川沿いを歩いている。

「日下さん、準備しておきますので、ゆっくりと桜を見てきてください」

「せっかくだから、もし良かったらご飯の後に二人で歩きませんか?」

「はい、ここに来るのは初めてで楽しみです。よろしくお願いします」

慎一は下見のつもりで法勝寺川の土手を歩いた。

川上に向かって歩くと、右手には小高い山、左手には法勝寺の街並みがあり、

桜だけでなく春の穏やかな風景は歩く人を飽きさせなかった。

向こうから来る美波ちゃんと会ったが、

一緒にいる子はテニスのペアの遠藤さんだった。

遠藤さんも慎一に笑って挨拶をしてくる。

 

しばらくして戻ると昼ご飯の準備は出来ていた。

『アゴ野焼き、かまぼこ、出汁巻き卵、車海老の焼物』

『里芋味噌田楽、煮しめ(ごぼう、人参、コンニャク、高野豆腐)』

『イカメシ、いただき(ののこめし)、鯖寿司』

『エビフライ、卵サラダ、鶏の空揚げ、フルーツトマト』

ゴザにも花が咲いたように色とりどりの食材が並んでいる。

いつもながら静香さんの料理は綺麗で健康的で美味しく考えられたものだった。

お酒を飲みたいところを我慢して、白折を飲んで、少しずつ食べていく。

 

咲き誇る桜の花びらを優しく揺らす風の声だけが耳に届いてきた。

四月の期首の多忙な中でこのような豊かな時間を持てる幸せを満喫していた。

静香さんも桜の花びらをじっと見ている。

目が合うと静かな微笑が返ってくる。

喧騒の中にあってもここだけはゆったりとした静かな時間が流れている。

美波ちゃんは食べ終わるとまた遠藤さんと遊びに行ったようだ。

静香さんは荷物を片付けている。

 

慎一は片付け終わるのを見計らって静香を誘った。

二人並んで桜並木の土手をゆっくりと歩いた。

時々立ち止まってはこの方向の桜が美しいなどと話した。

少し遠出をしているせいか彼女の表情は明るく伸び伸びしている。

きっと髪を下ろした彼女をさざなみの女将とわかる人間はいないのだろう。

今日は綺麗な長い髪を流している。

白いブラウスに桜色のカーディガンが清楚で素敵だった。

反対側の土手を美波ちゃん達が歩いている。

こちらを見つけると大きく手を振って笑っている。

顔に吹く風に若干の冷たさを感じ始めた夕方3人は家へ帰った。

(つづく)

14.ストーカー事件を解決せよ!2

資料を見ていた時、一瞬スマホの電話が鳴って切れた。

相手はクライアントの安達玲奈さんだった。

すぐにかけ直したが一切出なかった。

嫌な予感がしたので追跡装置をトレースすると、

目立つ方の追跡装置はあちこちへ移動している。

これは敵が気づいて混乱させている可能性が高いので信用できなかった。

彼女達の部屋の盗聴・盗撮装置すべてを撤去したせいで

部屋からの情報が全くなくなり敵が察知して動き出した可能性が高かった。

 

今回の聞き耳タマゴは新宿区すべてで位置確定が可能な強度の電波の物に変えている。

3人の聞き耳タマゴからの発信は歌舞伎町のあるビルに集中していた。

車で近くまで行き目的のビルをドローンで撮影した。

聞き耳タマゴの電波とドローン情報で彼女たちの場所は明らかになった。

4階は、大きな鉄製の部屋らしきものがある。保冷装置のようなものが置かれている。

3階の大きな部屋に閉じ込められているが、他にも数人の女性らしき姿が見える。

トイレもシャワー室もついておりそれなりの待遇だった。

2階には診察室らしき形状の部屋と幹部用の立派な造りの部屋がある。

地下室もあり下水道への道も見えている。危機の時には逃げ道となるのだろう。

地下1階の一室には何か物騒なものが山のように積まれている。

解析の結果、プラスチック爆弾の塊ではないかとRyokoは解析している。

たしか、前回の事件でもあの謎の中国人は「ウカイグループ」と口にしていたし、

下水道への道といい、前回の事件と相当に関係があると考えられた。

『今度こそ一網打尽を』と考える自分と

『現在困っている女性を助けたい』自分がいる。

 

聞き耳タマゴからの情報では

彼女たちは、中国本土へ送られ、女優として政治家や企業人の彼女として働かされる。

または、代理母として何回も孕まされ、その子供は闇ルートで売られていく。

1か月後に横浜港へ豪華クルーズ船が着く。

それまで集められた女性達はこのビル3階で拘束されている。

医師名は『陳 果捨』、なんと前回の事件にかかわった医師だった。

やっと見つけた、そして繋がったという思いだった。

この医者がいるということは臓器売買も絡んでいるはずなので都倉警部へ連絡した。

首謀者の姿は見えないが、『チョウ様』と呼ばれている男の存在が聞こえてきた。

 

ここからは警察との二人三脚となる。

近くを通った時にクモ大助1号2号をビルのゴミ箱の陰に待機させている。

あたりも暗くなり始めた頃、

向かいのビルの1階のコーヒーチェーン店の窓際に座り、

手元のタブレットに映るクモ大助1号の視線を元に

このビルを出入りするチーマーの目を盗みながらビル内へ移動させていった。

360度視界なのでわかりやすかった。

見張りのチーマーらしき若者はスマホで遊びながらなので見張りにもなっておらず、

隠れる必要もないほどの潜入だった。

3階に無事着くと早速彼女達が見える天井部分まで移動し完全に体色を同一化した。

 

彼女達は不安な面持ちでご飯を食べている。

翔は「おしゃべりタマゴ」への通話を開始した。小さな声で

「皆さん、桐生です。やっと見つけられた。無事で良かったです」

クライアント3人がビクッとして周りを見回している。

そして、「おしゃべりタマゴ」からの音声と認識すると安心している。

「今、警察と連携を取っていますので安心していてください。必ず救出します。

それと、現時点、あなた方は傷つけられたりはしないですから安心してください。

今後の連絡はベッドなどの顔が隠れる中で行いたいと考えています。

ご了解いただきましたら、今すぐうなずいてください」

3人のクライアントはこくりと一斉にうなずいた。

 

クモ大助2号は外壁面を移動させ、2階の診察室らしき窓に待機させ情報を探った。

カーテンは閉められているが音声ははっきりと聞こえてくる。

現在、臓器取り出しの仕事はなく休憩中で

誘拐した彼女たちの健康の維持に注意しているようだ。

「はい、彼女たちはすこぶる健康で十分に喜ばれると思います。

それに立派な子供も産めることができます。

はい、チョウ様のお好みの女性もたくさんいますので大丈夫です。

はい、明日の夜ですね?わかりました。誰か見繕って用意しておきます」

どうやら、明日夜にボスのチョウ好みの女性を用意するらしい。

こうなれば闘いは明日の夜となる。

 (つづく)

17.移り変わる記憶

もう季節は春へ一歩一歩近づいている。

米子の冬は雪が多い。駐車場の雪かきが必要なこともあった。

『さざなみ』からの帰路には、

街頭に照らされたオレンジ色の雪が舞う様をいつも見上げていた。

その様が見えなくなって久しいと感じ始めた今日この頃。

 米子市外の尾高城跡梅園の噂を聞きドライブがてら観梅へ訪れた。

美波ちゃんが後期試験の準備に入ったので静香さんをドライブには誘えなかった。

今晩は後藤家で家庭教師がてら食事が用意されている。

 

梅園の規模自体は思ったより広く、250本が植栽されていると説明されている。

そこかしこから梅の香りが強く漂ってくる。

白加賀や寒紅梅など10品種の梅の木で彩られ多くの人たちを魅了している。

寒空の中で咲き誇る白梅の花の息吹を感じ、ふと静香さんの顔が浮かんだ。

まだ冷たい空気の中でも凛と微笑んでいる花。

清廉な白色の花びらに静香さんのまなざしが重なった。

 

昼二時に後藤家へ訪れて家庭教師が始まった。

美波ちゃんは頭も良く非常に吸収が早かったし優秀だった。

なぜこの子が家庭教師を依頼してきたのかがわからなかった。

慎一も本屋へ行き参考書、問題集などを買い込んできているため、

それを解いているのを近くでじっと見ているだけだった。

ただ時々不明部分の質問がありその時に答える程度だった。

ちょうど慎一の部屋でいる時と変わらなかった。

慎一は穏やかな親子の生活に溶け込んでいくような錯覚を覚えていた。

 

夕食は勉強が一段落ついてから始まった。

今日はすき焼きだった。

「やったー、すき焼き、すっごく、久しぶり」

「日下さん、今日はすき焼きにしましたがいかがですか?」

「そりゃあ楽しみ。独り者はまずせえへんからねえ。

 もし良かったら鍋奉行をしましょうか?」

「えっ?そんなこと、いいんですか?」

「適当にするけど許してね。おうすごい牛肉や」

それからは、日下家のすき焼きを振る舞った。

 

まず牛脂を鍋に入れて脂を引いて、煙が出てきたらその上に肉を並べる。

そして肉の上に砂糖をたっぷり置いて溶けなじませてから醤油を振りかける。

肉の周りの醤油が砂糖と混じり熱せられブクブクと泡を出し始める。

肉の周りに水の出る野菜を並べ、

豆腐、白菜茎部分、長ネギ根元部分に焼きを入れていく。

とたんに牛肉特有の焼けた香りと醤油、砂糖が焦げた香りが混然一体となって

あたりに漂い始めるとすぐさま日本酒を少々振りかける。

片面に火が通ったらすぐさまひっくり返して肉を醤油の泡にくぐらせる。

日下家では最初はダシ肉と称して、牛肉の細切れを使う。

いいお肉は後でじっくりと味わうために先に出汁肉をいただくのである。

ただ貧しかったのでいいお肉を頂いた時のすき焼きのみであるが・・・

中火にして鍋肌側に

豆腐や白菜葉部分、長ネギ葉部分、玉ねぎ、生椎茸などを並べる。

焼けた肉を順次野菜の上や間に移動させながら、

焼けた肉を乾燥させ過ぎず、火が入り過ぎないように鍋の水分量を調整する。

真ん中の空いたスペースに新たな肉を並べて、同様に砂糖と醤油をかけて火を通す。

野菜類から水がでてくることを見越しているので日本酒は少な目にしている。

白菜の葉脈に歯ごたえが残り、長ネギの芯部分がトロトロになれば食べ頃となる。

 

「もう我慢できない。いただきます・・・うん、おいしい、幸せ・・・」

「そりゃあ良かった。まあ静香さんどうぞ。いつもの味とそう変わらんと思いますが」

「いいえ、うちは最初から全て煮込んでしまうのでこの方法は初めて、楽しみ」

「特に鍋物は、みんなで食べるとおいしいから。僕も久しぶりや・・・

 うん、家の味もこんなもんやろ」

「そうですか、・・・このお肉、味が濃くておいしい・・・

 お野菜も歯ごたえあっておいしい・・・

 いつもだと野菜の歯ごたえがなくなってしまうんですよ・・・本当においしいわ」

「ありがとう。奉行になった甲斐があります。でもみんなで食べるんが一番ですね」

「お母さん、そうだね。一人増えるだけでこんなにおいしくなるんだねえ」

「そうねえ。今後、日下さんが来た時は、鍋を増やしていいですか?」

「それは、いいなあ。僕は鍋が好きですから。お願いしますね」

 

一人鍋などとメニューがあるが、全く食べる気がしなかった。

鍋とはたくさんの具材の味が出て、それぞれの具材は自らの味を主張しつつ、

全体として一体感のあるものなのだから。

それ以上に鍋は複数で囲んで楽しく食べるもの。

これに勝る調味料はなかった。

 食後、美波ちゃんが部屋へ戻り勉強を開始している。

慎一は静香さんと白折を飲みながら、今日の尾高城跡梅園の風景を話した。

コタツに入って二人でゆったりと話していると心が落ち着いてくる。

 

ふと慎一に小さい時の光景が思い出された。

妹が生まれた時、妹を抱き上げて喜んでいた父親の姿。

七五三の慎一を抱き上げている父親の笑顔。

それらを見ている楽しそうな母親のまなざし。

すき焼きの鍋奉行父親だった光景も記憶の底から蘇ってきた。

『あの時は良かった』と感じた。

脳裏には、まだあの子供の頃の嫌だった父親も残っているが、

なぜか楽しかった新しい記憶が追加されていた。

静香は急に表情が明るくなった慎一を見つめていた。

(つづく)

13.ストーカー事件を解決せよ! 1

ある日、クライアントから立て続けに新しい依頼があった。

【依頼内容1】

依頼人氏名:安達 玲奈様、30歳、

依頼人状況:一人暮らし。化粧品会社業務課勤務。

      最近年下の彼(高村 正志、27歳)と別れる。

      彼が犯人かもしれないが現在は行方不明。

      今の部屋はサークルで仲良くなった彼に薦められて入居。

      サークル名は『小さな幸せ探しサークル』

種類:ストーカー被害

経過:日常的に監視されている感覚があり、スケジュールも把握されている。

   家にも侵入されている痕跡がある。

   警察に言っても、事件が起こっていないと相手にしてくれない。

調査方針:自宅での盗聴装置等の検出及び回収。

     ストーカー相手の調査。

【依頼内容2】

依頼人氏名:木村 由香様、28歳、

依頼人状況:一人暮らし。事務機器会社勤務。

      最近年下(高林 正志、25歳)の彼と別れる。

      今の部屋はサークルで仲良くなった彼に薦められて入居。

      サークル名は『独りでも幸せになるサークル』

種類:ストーカー被害

経過:日常的に監視されている感覚があり、家にも侵入されている痕跡がある。

   会社からの帰り道につけられている感じがして気持ち悪い。

調査方針:自宅での盗聴装置等の検出及び回収。

     ストーカー相手の調査。

【依頼内容3】

依頼人氏名:志村 華子様、29歳、

依頼人状況:一人暮らし。医療機器会社勤務。

      最近年下(村林 正志、26歳)の彼と別れる。

      今の部屋はサークルメンバーで仲良くなった彼に薦められて入居。

      サークル名は『風水で幸せになるサークル』

種類:ストーカー被害

経過:日常的に監視されている感覚があり、家にも侵入されている痕跡がある。

   最近、不審な人間を見たことがあり怖い印象がある。

調査方針:自宅での盗聴装置等の検出及び回収。

     ストーカー相手の調査。

 

同じような依頼が続くのも珍しいが、

彼女たちの様子を見てかわいそうになり、安心させるためにも引き受けた。

ただし、翔が部屋を訪問する際は、監視されている可能性も考えて、

軽く変装する事を伝えその顔も目の前で見せた。

中年の親父の変装だったので彼女達は大笑いをしている。

 

その後、都倉警部がやってきてこの前の捕り物のボスだった中国人は一切自供せず、

黙秘を続け現在に至っている。名前さえも自白していない。

スナックの夫婦は何も組織については知らなかったようだ。

 

先ずは部屋の盗聴・盗撮機器の調査からだった。

変装の上に野球帽を目深にかぶりカメラ内蔵眼鏡をつけて部屋へ入った。

①安達さんの部屋は、オートロックのマンションの2階角部屋。

 盗聴・盗撮装置は全部で3つ。

 寝室の照明内、浴室のランプ下、リビングのコンセントだった。

②木村さんの部屋は、オートロックのマンションの2階角部屋。

 盗聴・盗撮装置は全部で3つ。

 寝室の照明内、浴室のランプ下、リビングのコンセントだった。

③志村さんの部屋は、オートロックのマンションの2階角部屋。

 盗聴・盗撮装置は全部で3つ。

 寝室の照明内、浴室のランプ下、リビングのコンセントだった。

  

全ての盗聴・盗撮装置は同じ規格で同じ程度の新しさだった。

あまりの共通点に翔はその異常性を感じた。

個人的に設置するのは不可能なところが多いからだ。

電波発信のない盗撮装置の可能性が捨て切れなかったので、

再度、部屋内を詳細に調査すると

果たしてリビングの壁の取り付けライト部分の根元部分に盗撮装置が入れられている。

これは配線が天井部分を通り外部へ出ていた。

このような場合は、建設当初からそのように設計されていないとできない筈だった。

クライアント達は、盗聴・盗撮装置が撤去されたので安心しているようだった。

 

翔はここまで大掛かりな装置は組織の可能性が高いと感じ、

安心している彼女達へ目立つ発信装置を渡し、

内緒でハンドバックや身につけるものに多くの聞き耳タマゴをそっと着けた。

彼女達にはここしばらくの外出の折には安全を見て、

「おしゃべりタマゴ」を耳の後ろに張るようにお願いした。

仮に不要になれば内部に格納している証拠隠滅用酵素で分解すればよいだけである。

 

また、もう一つ気になる点があった。

マンションの入口から見えるコンビニの前あたりで、

少し前の言い方ならばチーマーのようなガラの悪い人間がたむろしていることだった。

彼らにとってはコンビニの前は常にたむろする場所なのでいてもおかしくはないが

夜型の彼らがこんな朝の時間にいるのは少し疑問だった。

帰りに別の場所からカメラ内臓眼鏡で彼らを全て撮影した。

 

早速、事務所に戻って、ネット調査を開始した。

①クライアントの住んでいるマンション

建物名  :UKマンション1~3号館

賃貸条件 :リビング付き家具付きワンルーム家賃5万円

不動産会社:UK不動産

建設会社 :UK建設

 

②3人のクライアントの元彼氏

名前:高村正志、高林正志、村林正志

   ネット上で写真が出てきているものを精査していくと

   同一人物であることが判明。

年齢:25歳から27歳。

勤務先:UK不動産。営業。

犯罪歴:結婚詐欺罪の前歴有り。

サークル所属:『小さな幸せ探しサークル』『独りでも幸せになるサークル』

       『風水で幸せになるサークル』

 

③UK建設

マンション建設が中心。ここ10年ほどで急成長してきた会社。

建設したマンションは、UKマンション1~3号館

社長 鵜飼 元(うかいはじめ)

 

④UK不動産

UK建設傘下の専用不動産会社。

物件はUKマンション1~3号館のみ。1室5万円と格安物件ばかり。

社長 鵜飼 貢(うかいみつぐ)

 

⑤UKマンションの噂

ここ5年くらいで何人もの女性が行方不明になっており、

UKはゆくえふめいの頭文字だとの2チャンネル話があった。

ケムリ情報だが百に一、万に一でも本当であれば大変だった。

(つづく)

12.臓器売買組織を壊滅せよ

ある日、事務所を東南アジア系らしき女性が訪れた。

【依頼内容】

依頼人氏名:モニカ サントス様。25歳。

依頼人状況:新宿内キャバクラ穣

種類:恋人(ジョン ガルシア 30歳)を捜索。

経過:来日後今までずっと土木作業員をしていたが、

   2週間前に空き家に昼間いるだけで大金が入ってくる割のいい仕事に就いた。

   スナック『ZOU』がたまり場。

   ここ1週間家に帰ってこない。

   彼は健康でパワフルですごくすてきな恋人。

   ※依頼人が少しカタコトの日本語だったのでこのような文章になりました。

 

先ずは、スナック『ZOU』から調査開始した。

とりあえずロングヘアーで東南アジア顔に変装をして、お客さんを装い店に入った。

薄暗い店ではあるが、多くの東南アジア系の客でザワザワして熱気にあふれている。

カウンターをすすめられたが、断って部屋の隅にあるボックス席を選んだ。

天井には大きなミラーボールが回っている。                                             

これでクモ大助の居場所が決まった。

皮ジャンのポケットから、そっとクモ大助を放しソファと壁の間へ待機させた。

ビール1本だけ飲んで適当にスマホで遊ぶフリをして3000円払って店を出てきた。

奥からママさんらしき女性とガラの悪そうな親父が翔をじっと見ていた。

ここからは、盗聴や盗撮がメインとなる。

店が閉まるまでは相当に時間があるので事務所に戻って準備に入った。

情報収集で今晩は戻れないことを百合に話した。

 

翔は再度変装し、スナック『ZOU』の隣の漫画喫茶の一室で時間を過ごした。

やがて『ZOU』の閉店時間が近づいてきた。

タブレットで操作もできるが、簡易3D装置を目の部分にセットし指示をした。

店が閉店となり照明も落とされているため移動は容易であった。

クモ大助の視界も良好で、体色を同化させ機材の影を伝って天井まで到達させ、

ミラーボールの真上に移動させ身を伏せさせた。

ここだけが部屋の全てが見えて、かつ誰からも見つからない場所だった。

「あんた、今日来たあの長髪のでかい身体の男、覚えてる?」

「うーん、あのビールだけ飲んで帰ったしみったれか?」

「あの身体ならちょうど良くないかい?今度の仕事に」

「うーん、そうだなあ。この前のジョンと骨格も似ているしいいかもなあ」

「じゃあ、今度来たら、うまいこと言って睡眠薬でも飲ませるかい?」

「お前は人を見たら臓器としか見えない、こええ女だよなあ」

「それもこれもあんたがあんな奴らに借金するからこんな羽目になってるんだろ?」

「そりゃあそうだが、俺はお前にこの内臓を取られそうで怖いんだよなあ」

「お前さんみたいな生活している人間の臓器なんぞ、入れられた方が迷惑さね」

「ひでえことを言うよなあ。でも良かったボロの臓器で」

「そうそう、あんたは私だけを喜ばせておけばいいのさ」

「はいはい」

「それと今度の商品はどうなってるの?」

「ああ、あいつには『3日後の金曜夜11時くらいに友達に黙って飲みに来い。

 大仕事だからお前にだけ儲けさせてやるから!』と言ってるから大丈夫だろ」

「あの子はあれほどの身体しているから相当になるね。

 しかしあの新宿のビルの先生は気持ち悪いよねえ。見ているだけで身震いしちゃう」

「ああ、でもモグリの医者にしては腕もいいし、

 外科技術だけでなく整形も堕胎も得意だから重宝な先生だぜ」

「あのジトッとした爬虫類のような目を見ていると気持ち悪くなるわ」

「お前、そういうなよ。あの先生のお蔭で俺らも商売できるんだぜ」

「そんなことわかってるけどさあ、でも死体の処理はどうしてるんだろうねえ」

「しっ、ていげいなことは口にするんじゃねえ。俺らが危なくなっちまう」

「はいはい、くわばらくわばら」

 

またもや偶然とは言え、大きな犯罪と出会ってしまったようだ。

クライアントには、もう亡くなっていることを伝えてもいいが、

彼を愛する彼女には彼の死体がないとわかってもらえないと感じた。

3日後にはまた一人の人間が殺されることを知って無視するわけにはいかなかった。

 

すぐさま事務所に戻り、Ryokoにあらゆるパスワードを入れて検索した。

ニュースからの抜粋

①臓器売買事件に関しては、噂段階ではあっても明確なものはない。

 臓器のない死体は海難事故以外では発生していない。

②人間の消失事件に関しては、日本では年間数万人が行方不明となり、

 原因不明の死体もそれと同数くらい発生している。

 人身売買も人間消失には関係している可能性が高い。

④堕胎した胎児死体は闇市場で処理され、生きている子供は売られる。

 

モグリの医師情報はなかなか確定できなかった。

そこでなりすましで

「子供出来ちゃった。新宿あたりで内緒で処理できるところ知ってる人いない?

 お金はありません。どうしよう・・・困っちゃった、エーン(泣)」

とつぶやいてみると、一気に会話が成立していく。

また聞き情報も含めて少し情報が入ってきた。

 

医師名:陳 果捨

住所:新宿の○×ビル1階に診療室。

情報:腕は優秀。堕胎は5万円。妊娠何か月でも引き受ける。

 

こうなれば浮浪者情報も集めるしかなかった。

翌早朝、浮浪者に変装し事務所を出発。

目的のビル付近で情報を集める。

①医者は昼過ぎに出てくるが確かに勤務している。

②毎日のように女性が訪れている。

③金曜日の夜中に冷凍車が横付けされる時がある。

④時々中国系らしき中年が部下と共に来院する。

 

診療所の周りを調査しているとこちらを見る視線に気がついた。

すぐに離れて早足で遠ざかろうとするとアジア系の人間に周りを囲まれた。

「おまえ、たれね? なまえ いう よろし」

「いえ、偶然通り掛かっただけですから許して下さい」

「あやしいあやしくないは、わたし きめる あるよ」

皆ナイフを出して、ニヤニヤ笑いながら翔を見ている。

翔はこれくらいの奴らは怖くはないし、叩きのめしてもいいが、

それでは警戒されてしまうしどうしようかと思っていると

「お前達、とうした? そいつ たれ?」

「ボス、わからない、こいつ診療所 しらぺてた」

「お前、ちょと ついてこい。逃けたら 死ぬあるよ」

ボスらしき人間の後ろをついていきながら、

打開策を考えているうちに、診療所の隣の部屋へ連れ込まれた。

そして、その部屋には多くの男性や女性が檻に入れられていた。

「男は必要な物 取ったらワニのエサになる ある、

 女はセクス専用にされて麻薬を打たれてさいこは 死ぬたけね。

 ウカイグループもかんぱってるね。ははは」

 

翔は、彼らを救出するしかないと決意した。

悲しい表情で床にひざまずいてボスに哀れな風に近づいて油断させ、

突然銃を持つ手を握った。

指のツボを押さえているので引き金の指は動かせない。

「あっ?お前、何するある。おとなしくするね。お前 にけられないあるよ」

ボスのみぞおちに当身をして、意識を失くさせると、

身体を盾にして手下のナイフから身を守った。

部下達は戸惑っていた。

ボスが風采の上がらない中年の浮浪者にやられたのだ。

我先に子分たちは逃げて行った。

翔は警部に連絡して、人質を救出しボスを逮捕させた。

『スナックZOU』の夫婦も逮捕された。

 

クライアントには、辛い調査結果を伝えねばならなかった。

『ジョンは1週間前に臓器を抜かれ、新宿下水道に飼われてワニに食べられた』と。

 

翌日の新聞はこのニュースで持ちきりだった。

本当は一味を一網打尽にしたかったが、

最後まで待っていたら多くの人が死んでしまうので仕方なかった。

ここからモグリの医者、組織、全ての情報は途絶えた。

(つづく)

16.初詣

マンションに戻るとポストに美波ちゃんから年賀状が来ていた。

『新年あけましておめでとうございます。

 美波は今年こそテニスで県大会上位を目指します。

 今年も昨年同様に『さざなみ』をよろしくお願い申し上げます。』

 PS.旧年中は大変お世話になりありがとうございました。

   今年も身体に良い美味しい物を作りますのでお待ちしています。

   今年こそドジをしないようにがんばります(笑)静香

 

慎一は文面を何度も読みながら部屋へ入った。

窓を開けて空気を交換していると、雪に包まれた綺麗な大山が見える。

富士山のような形で米子の人がこの山を愛するのがよくわかる気がした。

ピーンと張り詰めたような冬の空気が顔や肺へ刺激を与え、

胸に溜まっていた父母への鬱屈した怒りは少しずつ吐き出されてきている。

 

『ピンポーン』

ドアを開けると何と晴れ着を着ておめかしした静香美波親子が立っている。

「おじさん、明けましておめでとうございます。今年もよろしく」

「日下さん、驚かせてごめんなさい。

今、カンダ神社へ初詣に行く途中、偶然日下さんの車が停まっているのを

美波が見つけたものだから寄って見ました」

慎一は米子では初詣に行っていなかったことに気がついて、

「そうですか。じゃあご一緒していいですか?」

「おじさん、いいの?疲れてないの?」

「大丈夫、車の運転は好きやから疲れれへんよ」

「日下さん、お忙しくないですか?」

「大丈夫、明日1日あれば仕事の準備はできるから心配せんといて下さい」

「じゃあ、みんなで行きましょう!レッツ、カンダ神社!」

 

カンダ神社は、その音だけきくと「神田」を思い浮かべてしまうが

「勝田」と書いて「カンダ」と読む。

勝田神社

賀茂神社天満宮祇園社などとともに米子で最も古い神社の一つ。商売繁盛の神様。

江戸時代には米子城の北の守りとして重んじられ、昔から米子の総鎮守として、一般に「かんださん」の名で親しまれてきたようだ。

社伝によれば、米子市境港市の間にあった夜見ノ浜外江村にご鎮座されていたが、

天文年間(1532~1554)この場所に鎮座された。

社号の起源は不明だが、昔からここら一帯を勝田庄と呼ばれたためとなっている。

 

手水舎で手と口を清めて境内へ入り、3人で参拝してから、

いつものように社伝やご祭神名や由来の説明板を丹念に読んでいる慎一の姿を

静香美波親子は笑って見つめている。

そして、必ずおみくじを引く。

「招き猫のおみくじ」が目に入ってきたので3人で祈りながら引いた。

「やったー、私、大吉」美波が大喜びしている。

慎一と静香は「末吉」で顔を見合わせて笑いあった。

お店用に商売繁盛の御札を、車用に交通安全のお守りを購入した。

 

 帰り道に静香が

「もし良かったらうちで晩ご飯でもいかがですか?大したものはありませんが」

「おじさん、一緒に食べようよ」

「うん、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて。

 その前にうちでコーヒーでも飲もうよ。美波ちゃん何か予定ある?」

「残念、実は私、夕方まで元町サンロードで友達と遊ぶ約束してるの。

 ごめんなさい。良かったらお母さんにコーヒーをご馳走してあげて」

「いえいえ、もう帰りますから」

「まあ、いいやないですか。ぜひ飲んでいって下さいよ」

「は、はい、お言葉に甘えて」

美波は晴れ着を着たまま友達と歩くようで携帯でもう楽しそうに話している。

慎一と静香はマンションまで帰ってきてエレベーターに乗った。

品の良い化粧品の香りが漂ってくる。

「失礼します」

少し頭を下げて玄関から入ると静香が部屋の中をそっと見ている。

「静香さん、そこのソファーに座ってて下さい。今コーヒーを淹れますから」

「日下さん、申し訳ないですが、実は私、コーヒーが苦くて飲めないの」

「えっ?じゃあ、苦くない甘いコーヒーを淹れましょう。

 美波スペシャルとは違うレジメで考えてみます」

「美波スペシャル?もしかしてあの子、この部屋にお邪魔していましたか?

 やはり・・・やたら日下さんの情報に詳しいなとは思っていたのですが・・・

 すみません。無理ばかり言って甘えてばかりで」

「別にええよ。僕自身はあんな可愛い娘がいたらいいなと思ってるんや。

 実は全然邪魔にならないどころか、こっちのストレスが癒されるくらいやで。

 僕にとっては美波ちゃんの笑顔は百人力です」

「そう言ってもらえれば安心します。ありがとうございます。

 やはり父が必要なんですね」

「いやいや、お父さんみたいなそんないいもんやないですよ。

 まあ一緒にいても安心できるオッサンちゅうことだと思いますよ」

「オッサン、やなんてそんなことあらしまへんよ。あっ」

「ははは、静香さんの関西弁もええなあ」

「もう日下さんと話してたら、移ってしもうたやん」

「ははは、こりゃあ、ええわ」

「ほほほ」

 

慎一はコーヒーの苦味が苦手な静香用コーヒー考えた。

先ず苦味の少ない豆でコーヒーを作るところは美波スペシャルと同じ、

コーヒー豆も苦味のないキリマンジャロを挽き、ドリップで落とした。

その熱いコーヒーへ、

スプーン1杯分の、火を点けてアルコール分を飛ばしたブランデーを入れる。

別に作った『水飴で甘くした泡立て生クリーム』をコーヒーと同量分を浮かせた。

生クリームと一緒に飲むことでコーヒーの苦味が殆ど消え、

ブランデーの香りだけが舌に残った。

その日から慎一の部屋でのコーヒーメニューに「静香スペシャル」が入った。

 

「静香さん、どうぞ、静香さん用スペシャルです」

「はい、ありがとうございます」

静香は生まれて初めて苦味のない美味しいコーヒーを飲んだ。

ほのかに香るブランデー、

やや甘すぎる生クリームがコーヒーの苦味をコーティングして、

コーヒーの美味しいところだけが舌に残っている。

「日下さん、こんな美味しいコーヒー生まれて初めてです。

 コーヒーってこんなに美味しいものだったんですね。

 今後は少しずつ挑戦してみます」

「喫茶日下はいつでも開店していますから、静香さんもいつでもどうぞ」

「はい、喜んで、いつもありがとうございます」

「実は、実家でちょっと嫌なことがあってムシャクシャしてたんやけど、

 静香さんと美波ちゃんに会って初詣行ったら、もう直ってしまいました。

 こちらこそありがとう」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます」

姫神の音楽を掛けて二人で並んでコーヒーを飲んだ。

静香さんは、そっと窓を見て

「このお部屋から見る大山は本当に綺麗ですねえ。心が晴れます」

「そうですね。毎日見ています。本当に綺麗です」

慎一は、静香の横顔を見ながらそう話した。

 

 静香さんが夕食を作っている時、美波ちゃんが帰って来た。

「ただいまあ、お母さん、お腹空いたあ」

「おかえり、大声で恥ずかしいわねえ」

「だって、美波は育ち盛りだもーん。ねえ、おじさん」

「そうやなあ、いくら食べてもお腹空くやろうなあ。僕もそうだった記憶あるなあ」

「そうだって、お母さん」

「はいはい、日下さんを味方にしてずるいわねえ」

美波ちゃんが二階へ着替えのために上がって行く。

「日下さん、そろそろ出来ますから、おせちをあてにお先にどうぞ」

受け皿に零れるほど冷酒のトップ水雷が枡へ盛られている。

一口飲むと鮮烈な杉の香りが胃を直撃する。

優しい味のトップ水雷にはちょうど良いアクセントが付いている。

酔っぱらって忘れてはいけないのでご飯の前に美波ちゃんへ『お年玉』を渡した。

 

ハマボウフウとイカゲソの酢味噌和え』

 清々しい野趣あふれるハマボウフウの香りが鼻に抜ける。

『あごのやき、あごかまぼこ、紅白かまぼこ、伊達巻、黒豆の盛り合わせ』

 山陰地方では良く食べられているトビウオ野焼とかまぼこ、特有の味に舌鼓。

『サトイモ、高野豆腐、ニンジン、サヤエンドウ、コンニャクの煮しめ』

 箸置きと酒のあてには最高。優しい味に癒される。

『ブリ、サザエ、アワビ酒蒸しの刺身』

 旬の脂がのったブリ、鮮烈な磯の香りが鼻を吹きぬけるサザエ、

 柔らかく蒸された肉厚のアワビ、どれも酒にご飯に良し。

『ブリの照り焼き』

 箸で身を切ると甘辛い照りをはがすほどの脂がにじみ出てくる。

『いただき』

 鳥取県西部だけに伝わる変わりご飯で、油揚げに包まれた炊き込みご飯。

『小豆雑煮』

 本来は柔らかく茹でた丸餅を塩味の澄まし汁に入れて煮小豆をのせたものだが、

 後藤家では、茹でた小豆を砂糖で甘く味付け、餅を入れて煮たものとしている。

 

慎一はゆっくりとひとつひとつ味わいながら口に運んでは酒を飲んでいく。

静香さんはと言うと『今日は特別』と言い訳がましく、

美波ちゃんに聞こえるように言いながら升酒のトップ水雷を飲んでいる。

各料理について、静香さんが由来や作り方を教えてくれている。

慎一はこんなお正月を迎えるとは想像もしていなかったので少し飲み過ぎた。

 夕食後、美波ちゃんが少し部屋に来てほしいというのでついていくと、

この前の試合の時の写真が写真立てにおさまっていた。

この写真立てをもう一つ取り出して慎一へプレゼントしてくれた。

ふと机の上の教科書が見えた。『物理』と『数学』だった。

何気なく教科書を開いて読んでいく。

「美波は、物理と数学が少し苦手なの」

「どれどれ」

「この問題が解けないの」

「ふーん。これはこの考え方で間違いないけど、この係数の意味を間違えとるよ」

「あっ、本当だ。なーんだ、そうだったの、こうしたら、解けた。うれしい」

「じゃあこれは? 物理だけど」

「力学ね。この運動は・・・・」

「ああ、そうなんだ。おじさんすごい。学校の先生よりよくわかる」

「ちょっと酔ってるけど、大丈夫だった?良かった」

慎一は高校時代、数学、英語、物理が得意で学年でも上位だった。

内容的にはそれほど変わっていないので今でも解くことができた。

「僕で良かったら家庭教師しようか?この内容なら大丈夫やで」

「えっ?いいの?じゃあ普通の日はおじさん忙しくて疲れているから、

 土曜日か日曜日の夜にまとめてお願いできる?」

「僕でいいならいいよ。今度はちょっと勉強し直しとくな」

「無理しないでね。でも美波、嬉しい。おじさん、すごいねえ」

「ああ、まぐれまぐれ、ははは」

「お母さんにこのこと話してくるね」

下に降りていくと静香さんの少し強めの声が聞こえてくる。

「静香さん、僕は無理してないから安心して」

「もう、本当にこの子ったら。日下さん、本当にすみません」

「おじさん、家庭教師の時はうちの家でご飯食べない?私はそっちの方がうれしい」

「ああ、静香さんや美波ちゃんがいいなら、こっちはその方がありがたい」

「じゃあ、お母さん、それでいいよね」

「うーん、わかったわ。もし良かったらお願いします。日下先生」

(つづく)

15.帰省、遠い記憶

さざなみで蟹三昧を満喫した翌日は、

早々に掃除をして神戸の実家への帰路についた。

ルートとしては何通りかあるが、慎一は以下ルートを選んだ。

米子市から米子道を通り、中国自動車道に突き当たる落合JCTを左折し、

岡山県を通過し兵庫県に入り、福崎ICで下り山陽自動車道へ向かい、

姫路東ICから山陽自動車道に入り、

三木JCTで神戸西ICの方向へ向かえば神戸は目の前だった。

ざっと休憩時間を入れても4時間の行程である。

妹夫婦の子供は3歳で可愛い盛りだった。

母はどこに行くにも付いて行っては

『はあ疲れる』『もうバアちゃんは疲れた』とこぼしている。

その割にはずっと笑顔なので本音でないことはよくわかった。

妹夫婦もその姿を微笑んで見ている。

久しぶりに出た大学の同窓会では、

慎一が以前付き合っていた夏美と偶然姫路市内でばったりと会った話を聞いた。

5年前に結婚して子供が生まれて幸せそうだったと聞かされて、

ほっと安心している自分と彼女を幸せに出来なかった苦い思い出が浮かんだが、

『それは良かった』との笑いと共にビールで飲み干した。

 

慎一は、昭和34年(1959年)生まれ。37歳。神戸市生まれ。

本家は和歌山県で、日下姓は『ひのもとのくさか』から来ているらしい。

現在の家族構成は母親、妹(教師、結婚後夫婦で母親と同居)である。

同じ会社でだらしなかった父を事務職だった年上の母が放っておけないと思い、

世話していくうちに、慎一を身ごもり結婚に至ったらしい。

仕事を少し失敗するとすぐに嫌になって辞めてしまう父、

色々と転職してタクシードライバーとなった父は、

一切家へお金を入れず酒に全て使う毎日だった。

母親の給料だけの生活は苦しかった。

やがて妹も生まれ、『今度こそやりなおす』と約束して、

一時期がんばったみたいだが、結局は何も変わらなかった。

慎一の脳裏には、いつも真っ赤な顔をして睨み付ける父の目、

母親を殴る鬼のような父の姿しか残っていない。

父親を見て泣き出す幼い妹まで足蹴にされる事態となり母親は離婚を決意した。

現在も父は生きているようだが全く興味が無かった。

 

貧しかった慎一は、小学校・中学校と猛勉強して進学率の高い高校へ入学した。

高校のクラブは水泳部にした。理由は水泳パンツだけでできると考えたからだ。

高校時代は貧しかったが楽しかった。水泳も県で上位まで記録を出す事ができた。

地元の国立大学の経済学部に入学し奨学金制度を使い、

家庭教師のアルバイトをしながら無事卒業した。

 大学3年の夏頃に短大に入学したばかりの2歳下の夏美と付き合い始めた。

須磨海岸で溺れた夏美を助けた縁だった。

関西ではまだ新顔に近い銀行とは言え、関西中央銀行に就職できた慎一は嬉しかった。

そして上司の期待に応えるため必死で仕事をした。

夏美は事務職で就職して、夕方5時が来れば退社する気楽な職場で楽しんでいる。

そんな時、夏美の発案で二人は結婚を前提に同棲を始めることとした。

夜討ち朝駆けで仕事をしていく慎一と事務職の夏美との生活に全く接点は無かった。

それでも最初のうちは慎一も夏美も二人っきりの生活を楽しんだ。

時が過ぎた今でも、慎一を受け入れる時の可愛い笑顔の夏美が脳裏に残っている。

いつしか、ただ風呂やご飯だけのための帰宅、

ただ関係を確認するための貪るような愛の行為、

そんな日々が夏美に慎一との結婚生活への不安を与え、

慎一に辛くあたるようになった。

慎一も最初のうちは、がんばって仕事も夏美も両立していたが、

だんだんと仕事が面白くなってきて、実力を認められポストが上がってくると、

『仕事と私のどっち』などと聞いてくる夏美を疎ましく感じるようになり、

帰るのも遅くなりあまり話さなくなった。

慎一を待つ生活に夏美は耐えられなくなり、二人の『プレ結婚生活』は破綻した。

それ以降も仕事にのめりこみ、

たまに女性を紹介されるも気になった女性も居らず現在にいたっている。

その後、大阪支店、神戸支店、名古屋支店、高松支店と多くの支店へ転勤し、

新規開拓要員の実力社員として期待されて山陰支店に赴任した。

 

毎年帰省すると口うるさいほどに結婚を聞いてくる母も慎一が35歳になり、

妹夫婦と住むようになると回数が減り、とうとう今回は結婚の話も出なかった。

 ただ母親から久しぶりに父親の話が出た時には驚きを隠せなかった。

現在、父親は大阪のアパートで一人暮らし。

『アルコール性肝硬変』と診断され『肝癌』へ進展する可能性が高く、

医師からの勧めでここ数年『断酒』を続けているらしい。

少し前、家に来て『元気にしてますか?』と挨拶をして昔を謝ったようだ。

『今更、何?』という慎一の言葉に、母は言葉を失いそれ以上は話さなかった。

 

母が眠ってから妹と父親の件で話しあった。

母は子供たちが独立しているのでそろそろ父と復縁を考えているとのことだった。

昔から酒の入っていない父親は、気弱で優しい人で子供たちをすごく可愛がった。

母親の父親への思いは今も変わっておらず、

離婚したのは子供たちへの影響を考えて決断したのだと言っていたらしい。

妹も久しぶり会った父親には昔の面影は全く無く、

ガリガリに痩せてあまり良い服も着ておらず気弱な優しそうな顔つきだったようだ。

妹も慎一同様に父親のDVの記憶は残っているはずだが、

不思議なことに酷いことをされた人という印象を受けていない様子だった。

 

30年という月日が、

人の悲しい記憶を風化させているのか・・・

楽しかった思い出だけを残していくのか・・・

その年月が与えた心への影響を不思議に感じた。

 

ただ慎一は、あの時母親や妹を守れなかった自らの無力さを思い出して、

胸に無念や父親への憎しみが湧き出てきて落ち着かなかった。

むしゃくしゃしたので仕事が始まる2日前に米子へ戻った。

米子道を通って大山を通り過ぎると真っ白い米子市が眼前に広がっている。

(つづく)

11.「目黒館林研究所」完成

とうとう目黒の新研究所が完成した。

完成記念パーティが簡単に開催されている。

コンパニオンが数名配置されておりゲストへ接客している。

ただ目の配りや姿勢の良さからどうも素人ではない気がしている。

落成パーティには、多くの招待者に混じり、紅柳瑠璃博士も招待されている。

この事件が大々的に報道された時、京一郎は彼女を見つけたらしい。

以前に大学で研究した時、彼女と共同研究をしたことがあった。

彼女の研究者としての資質や手腕を知っている京一郎はすぐに声を掛け、

館林研究所の研究員、と言うより副所長として招聘した。

彼女も京一郎のことは覚えており、ずっと尊敬していたと話している。

彼女を見つめる京一郎さんの目、

彼を見つめる彼女の目、

二人ともその目は尊敬を超えている気もするが喜ばしいことだった。

 

 そして、新しいアンドロイドが歩いている。

「アスカ」と言う名で、芸能人で言うと新垣結衣にそっくりだった。

・・・レイ、アイ、アスカ、コンピュータのリョウコ・・・

この命名の理由は後日聞こうと翔は思った。

アスカさんは、目黒研究所の警備、料理・掃除・洗濯など家事、

翔の探偵事務所内に格納されている道具のメンテナンスが主な業務らしい。

もうじきこの界隈で『謎の館林研究所三姉妹』として有名になりそうだと思った。

 

研究所1階ロビーでパーティを開いているが、本当の姿は一切見せていない。

全体像として、正門から研究棟までは1本の舗装道路で繋がっており、

入り口前にはロータリーと駐車スペースがある。

外側との境となる高い塀と研究棟の間は人工芝が敷かれており、

研究棟の左側には25mプール、右側には茶室風日本家屋を配置している。

不思議と一羽のスズメもカラスも止まっていない。

1階は広いロビーと立派な客間が3室、応接室の1室は一般公開しているが、

2階以上はプライベートエリアということで全てシャッターが下りている。

疑えばきりがないが、全容を教えてもらえるはずもないのでじっと想像してみる。

・珍しく正門付近に大きな犬小屋があり、

 黒のドーベルマンが2匹眠っているがきっと本物ではないはず・・・

・門の犬小屋と反対側に二宮尊徳翁の像が飾られているがただの像でないはず・・・

・監視カメラが多く設置されているがカメラ機能だけではないはず・・・

・ルンバのような清掃ロボが動いているが掃除機能だけでないはず・・・

・鎧の騎士数体がロビーに飾ってあるが単なる飾りではないはず・・・

・地下駐車場への入り口が見えないがきっとどこかに作っているはず・・・

 

何日かして京一郎さんの会話からこの研究所は「リョウコ」のマザーの「ユウコ」が

管理していることが判明している。当然リョウコとは回線でつながっている。

いずれ周辺区画も買い、都内に葉山に次ぐ規模の研究所を作るつもりらしい。

 

これほどの規模の研究所でも、住んでいるのは京一郎さんと紅柳博士二人だけで

警備の薄さが心配だったが杞憂に終わった。

都倉警部からの話では、

完成記念パーティの夜中に壁を越えて二人の泥棒が侵入したが、

壁から芝生に降りた瞬間に空中より光が当てられ、

驚いているうちに金属製の網が投げられ身動きが取れなくなり、

泥棒二人は抱き合ったまま木の枝に吊り下げられてそのまま御用になったと聞いた。

命には優しい人が主人なので泥棒たちも無事で済んでいる。

勿論これは報道されることもなく、

いつの間にか泥棒仲間では『侵入不可能の要塞』と呼ばれるようになったらしい。

(つづく)

14.師走、三人で

 年末まで過ぎ去る時間は早かった。

ふと気が付けばあれほど街を秋色に染めていた街路樹はその葉を全て落とした。

11月初めの連休こそ、ゆったりと過ごしたが、それ以降は仕事一色だった。

たまに土日のどちらかに遊びに来る美波ちゃんとの会話だけが疲れを癒した。

美波ちゃんは、慎一の部屋に来るとテレビや神話関連の本を読んで過ごした。

何を話す訳でもないが慎一と二人でただ時間を過ごしているように思えた。

彼女はコーヒーが苦くて苦手なので、慎一は「美波スペシャル」を考えた。

 

先ず苦味の少ないカフェオーレを作る。

コーヒー豆も苦味のないキリマンジャロを挽き、ドリップで落とした。

その熱いコーヒーを同量の熱いミルクと同時にカップへ落とし一気に混ぜる。

別に作った『水飴を入れて甘くし、ほんの少しバニラエッセンスを利かせた

泡立て生クリーム』を出来たカフェオーレに浮かせた。

生クリームと一緒に飲むことでコーヒーの苦味が殆ど消え、

甘い香りだけが舌に残った。

その日から慎一の部屋でのコーヒーメニューに「美波スペシャル」が入った。

 

 美波ちゃんに聞くと、静香さんも忘年会や二次会の予約で毎日が大変らしい。

毎日遅く帰ってきては、朝早く買い出しに出て行って、

早めに準備を始める毎日で、『もう勘弁してほしい』とこぼしているらしい。

そう言えば、さざなみにご飯を食べに行っても、

慌ただしく立ち回っている静香さんばかりが記憶に残っている。

美波ちゃんが不思議がっている。

「そんなに疲れるなら断ればいいものを全部引き受けるのよねえ。

 去年は結構断っていたのよ。なんでかなあ・・・」

「去年は美波ちゃんが入試だったからじゃないの?」

「そういえばそうだった。でも今年は特に無理してる感じなんだなあ」

「お母さんの料理は美味しいからお客さんの要望が多いんだよ、きっと。

 商売繁盛、商売繁盛、万歳」

「ははは、そうだね。疲れてるからかなあ、あまり話ができないんだよねえ」

「ふーん。まあ仕方ないんじゃない? はいつでもいいよ。

 日下邸は美波ちゃんを歓迎いたします。

 いつでも美波スペシャルをお申し付け下さい」

「おじさん、本当にいいの? 迷惑じゃない?」

「全然、いつ来てくれても大丈夫。部屋で仕事している時でも別に居ていいよ」

「えっ?邪魔じゃない?」

「ううん、全然やで。美波ちゃんは静かだし邪魔にならないよ」

「おじさん、ありがとう。でも静かにしておくね」

 

そうこうしているうちに慎一の部屋の片隅に小さな『美波コーナー』ができた。

安室奈美恵」「Mr.Children」「globe」「岡本真夜」のCDが並んでいる。

慎一が部屋で仕事をしている時は、

本を読みながらCDプレーヤーにヘッドフォンをつないで聞いている。

この時だけ、一般家庭の『父子の時間』がこの部屋には流れていた。

 

 いよいよ大山に雪が積もり、美しく雄大な姿が米子市民の目に映る。

米子の街にも積もるほどではないが時々雪が降り始めている。

美波ちゃんに聞くと、12月25日から冬休みが始まるらしい。

昼から夕方までテニスの部活動がびっしりと入っていると張り切っている。

12月23日クリスマスイブ前日の月曜日は休日だったが、どこにも出ていけなかった。

今年は12月27日が『御用納め』で正月休みは9連休となっている。

今年最後の週が始まり朝から夜まで働きづめで最後の山場を迎えている。

そして、27日の最終日を迎えた。

課員も全員疲れ切って、御用納めの挨拶後は、三三五五そそくさと帰宅した。

 

 慎一は着替えて早速『さざなみ』へ行った。

美波ちゃんには『27日夜は必ず来てね』と約束させられている。

もうさざなみの看板を照らす照明が落ちている。

「本日の営業は終了しました」と掛札が吊り下がっている。

不思議に思いガラス戸を開けると、女将さんと美波ちゃんが小上がりで待っていた。

テーブルの上には、炭の入った七輪が置かれており、

その周りには様々なおかずが並べられている。

「日下さん、今日で御用納めでしたね。今年、本当にお疲れ様でした」

「おじさん、ありがとうございます。ねえ、こっちに座って」

「そうそう、これはいつも私達に良くして頂いている日下さんへ、

 少し遅めのクリスマスプレゼントです」

『手編みのマフラーと手袋がセット』で紙袋に入っていた。

「へえ、これはあったかい。うれしいなあ。ありがとう」

「いえいえ、いつもお世話になっているお返しだよ。ヘタクソって思わないでね」

「そんなことこれっぽちも思わへんでえ。ありがとう、大事にさせてもらうわ」

 

 ここから、今年最後の『さざなみ』の時間が始まった。

「今年は忘年会が無かったから、これが今年最初で最後の忘年会や」

「そうでしたの?それはゆっくりと飲んで食べてくださいね」

「おじさん、今日は特別な料理だよ。お母さん早く早く」

「はいはい、わかりましたよ。美波、これを運んで」

大皿の上に、大きな生の松葉ガニが足を広げている。

足には包丁の切れ目や削ぎ目が入って食べやすくなっている。

旬の松葉蟹は、ズワイガニと言われている蟹とは一線を画する太さと重さだった。

 

手元に『トップ水雷』の冷酒をセットして

先ずは『蟹の刺身』

 殻を向いた身を氷水に通すと、

 蟹の身がきゅっと縮み、花が咲いているかのようになる。

 水を切り、刺身醤油につけて頬張る。

 経験もしたことのないような蟹の身の甘みが溶けて舌を直撃する。

 氷で引き締まった身が歯で噛まれて口の中で踊っている。

 甘くて幸せな一口だった。

次に『焼き蟹』

 足部分を殻のまま、七輪上の金網に並べる。

 ジワジワと蒸気が上がり始め、殻の色が鮮烈な赤に変色していく。

 それとともに、殻と身の間からブクブクと蟹のエキスが泡立ち始める。

 こうなれば、もう食べ頃だった。

 生でも食べるのだからここまで待つ必要はないが、

 焼き蟹の醍醐味は、その身に殻からのエキスも全て凝縮される点にある。

 普通に売られている茹で蟹はエキスが湯に溶けだしてしまい味が薄く感じる。

 蟹の全ての旨みが身に凝縮し、炭の香ばしさと相まって独特の味が出現する。

 フウフウしながら、殻を剥いてその焼き目のついた身にかぶりつく。

 別の楽しみ方としては、蟹ミソの味わい方である。

 蟹の甲羅のミソへ日本酒を注ぎ温めてから、そのミソへ焼き身を浸し口へ運ぶ。

 酒の肴に最高で最適な蟹が完成している。

 これらは蟹に感謝の一口だった。

最後は『蟹すき』

 鍋のダシ汁は、食べない蟹の足先部分などを少し焼き、水から煮出してダシを取る。

 昆布を追加し旨みを更に深め、火を通した冬野菜、豆腐、茸などと一緒に作る。

 蟹と冬の食材へ渾然一体となった旨みが滲みこんでいく。

 蟹がそれほど主張することなく各食材の旨みは失われていない。

 これらは蟹単独の旨みというよりも

 『冬の食材のオーケストラや(彦麿呂調)』だった。

 慎一は心底、蟹に魅了された。

 

「おじさん、美味しいでしょ?私は焼き蟹が一番好き」

「そうやなあ、こんな蟹を食べたの、初めてでびっくりした」

「毎年、さざなみの最終日のお楽しみなの」

「日下さん、今年は大変お世話になりました。ありがとうございました」

「おじさん、色々とありがとう。来年もよろしくね」

「おう、わかった。了解しました。こっちもよろしく」

七輪の光に照らされた3人の顔にはそれぞれの喜びが描かれていた

 

最後は、『セコ蟹の炊き込みご飯』と『セコ蟹の味噌汁』だった。

『セコ蟹』と言うのは松葉ガニの雌のことらしく、

漁獲時期は11月から年末までの約2ヶ月間と貴重な蟹だった。

特にプチプチとした食感の外子、鮮やかな朱色の未成熟卵の内子は珍しかった。

小ぶりながら蟹の旨さをすべて含んでいるのがわかった。

 

少し早めの年越し蕎麦として「日野のそば」が出された。

この蕎麦は標高200m~550mの山間地で栽培されており、

秋の寒暖の差がポイントらしく、

喉越しの良さ、

蕎麦そのものの淡い風味は勿論のこと、

ほのかな甘みが感じられる優しい蕎麦だった。

良質な蕎麦粉と霊峰大山から湧き出る美味しい水とが出会ってできた蕎麦だった。

以前食べた出雲蕎麦とは趣が異なっている。

 

慎一は心地良い酔いに身を任せ、仲良し親子を見つめていた。

毎年この日、二人だけでこのように過ごし、一年の色々なことを流していくのだろう。

この時間こそが、二人のとっての『さざなみ』であることがわかった。

そんな大切な時間を共にしている自分に対して、

本当に一緒にいることができる人間なのかとも感じた。

(つづく)