はっちゃんZのブログ小説

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11.美波、秋の県大会新人選へ出場

 9月、10月は上半期末と下半期始めのため慌しい日々が続いている。

土日も家に書類を持って帰る日々が続き、なかなかゆっくりとできる日がない。

そんな中でも『忙中、閑あり』、その金曜日にやっとゆっくりとできる日ができた。

それでも夜8時まではデスクワークだった。

頭も身体もフワフワになりながら小料理屋『さざなみ』へ入った。

「いらっしゃいませ、あっ日下さん、今日はゆっくりできるの?」

「うん、やっと今日とこの土日はゆっくりできるようになった」

「お疲れ様、あまり無理なさらないでね。はい、先ずはビールをどうぞ」

「ありがとう」                                                                                                 

『ゴクリ』

身体中の疲れを流すようにビールが拡がっていく。

目を閉じてその感覚を楽しんでいる。

「うん、うまい」

ふと、目を開けると静香さんが笑顔でじっと慎一の顔を見つめている。

「うん。ほっとするなあ。やっぱりこの店はいいなあ」

「ありがとうございます。ここ最近は本当にお忙しそうでしたねえ」

「うん、これから12月中間決算、3月決算に向けての時期なんで皆、

 気が急くみたいで」

「そうでしょうねえ。お身体には気をつけてくださいね」

「うん、ありがとう。じゃあ何かつまみをよろしく。今日はトップ水雷にする」

「はい、わかりました。どうぞ」

静香さんから枡に入ったコップが置かれ、

コップの縁からこぼれるほどたっぷりとトップ水雷を入れてくれる。

 

いつものようにゆったりしていると美波ちゃんが顔を出す。

「あれっ?おじさん、今日はゆっくりできるの?」

「ああ、久しぶりに明日の土日もゆっくりとできることになった」

「やったあ、じゃあ晩ご飯一緒に食べようよ」

「うん、そのつもりで来てるよ」

「良かった。ここ最近、おじさん忙しそうだったものね」

店のお客さんは慎一だけだったので、美波ちゃんに案内されて小上がりへ移動する。

「そうそう、おじさん、明日土曜日ね、鳥取市で新人戦があるんだ」

「新人戦って、テニスの?」

「そう、すごくがんばって来たんだ。うまく行けば優勝できるかも」

「それは楽しみや。わかった。今決めた。応援に行く」

「えっ?いいの?やったあ。お母さん、おじさんが鳥取に来てくれるって。

おじさん、美波、すごくがんばるからね」

「もう、美波ったら、日下さんに無理ばかり言って、

日下さん、お疲れなのに。別に無理して行かなくてもいいんですよ」

「別に無理はしてないよ。鳥取市の方は初めて行くから楽しみ」

「お母さんも日下さんと一緒に応援に来てくれたらいいのに」

「女将さん、そうしよう。僕は鳥取市あまり知らんから一緒に行こうよ。

 せっかく美波ちゃんが、がんばっているのに応援せな、あかんやろ」

「お母さん、応援せな、あかんやろ、って」

「日下さん、いいんですか?いつも良くして下さってありがとうございます。」

「女将さんにはナビして貰いますから、よろしく」

「お母さん、ナビをよろしく」

「もう、美波ったら、日下さんの真似ばかりして」

「ははは」「へへへ」「ほほほ」と笑い声が、小料理屋『さざなみ』に広がった。

 

土曜日の朝、後藤家へ向かうと

美波ちゃんは、朝一番の電車に乗って会場へ向かっていると聞いた。

「まだ早いのでお茶でもしませんか?」

「そうですね。少しお茶でも飲みますか」

「ご飯はお食べになりました?お昼のお弁当の作った時におにぎりも作りました」

「それはありがたい。いただきます」

「いつも美波が無理言ってすみません。では準備しますね」

静香さんは、気分がいいのか鼻歌を口ずさみながらご飯を作っている。

「あっ」

『ガチャーン』と食器が落ちた。

「大丈夫?」

「はい、大丈夫ですから」

左手を見ると、血がしたたっている。

「静香さん、救急箱はどこ?」

「隣の部屋です。あっ」

 

 慎一が急いで襖を開けると、そこは仏間で仏壇からまだ線香の香り漂っている。

タンスの上にある救急箱を持つと居間へ戻った。

慎一は、静香の手の傷を調べ、消毒をした。

傷は思ったより小さかったが、深そうだったので大きめの救急判を張った。

その間、静香は無言でやや蒼い顔をしてうつむいている。

目頭が少し赤い。

「ああ、そうや。よく考えたら、家に来てるのに旦那さんに挨拶するのを忘れてた。

 これはいかんなあ。静香さん、挨拶させてもらいますね」

慎一は仏壇の前に座り、両手を合わせた。

 

気を取り直して、

「実は静香さんが、以外とドジなことがよくわかった。

お店ではこれっぽっちも見せないけどね」

「えっ?ドジ?ひどーい。少し考えごとしてただけなのに・・・」

静香さんの顔つきから緊張が消えていき、ふくれっ面になった。

「静香さんもそんな顔するんやね?可愛いやん?」

「えっ?ヤダー、恥ずかしい。見ないで」

と顔を隠している。

 

 慎一は胸を撫で下ろした。

1人の愛する人間の死は、残された人間に多くの苦しみを残すことを知った。

きっと静香さんは仏壇を気にしたのだと思う。

生きている僕と死んでいる夫、両方に対して、罪悪感を持っていると感じた。

美波ちゃんから聞いたところによると、旦那さんはもう14年前に亡くなったはず、

それから考えると、3人だけの結婚生活は短かったように思える。

その思い出だけであと何年生きていくのか・・・

 

「日下さん、ご飯ができましたよ。どうぞ。

 実は、私もまだ食べていなかったのでご一緒させてね」

朝ご飯は、

『目張りおにぎり』

大きなおにぎりに高菜漬けが巻かれていて、中の梅干は自家製らしい。

『出汁巻き卵、大根オロシ添え』

『アゴ出汁の味噌汁』

食後のお茶『白折』をゆっくりと飲み、準備が出来次第出発した。

 

 旗ヶ先から、県道47号線(米子境港線)へ出て、鳥取大学医学部の横を通り、

米子国際ホテルを左折し、県道207号線(皆生街道)へ入り、突き当たりの国道431号線を左折して進む。

 米子市内の間は、左側は弓ヶ浜のある美保湾が横たわり、

前方には秀峰大山が聳え立つ。

ほんの少し前まではあんなに新緑が目立っていたが、もう山裾から色づき始めている。

やがて、米子市をでて国道9号線山陰道)へ入り鳥取市へ向かう。

運転席より左側が日本海、右側が山の景色がずっと続く、

小さな町が現れては離れていく。

米子市を出て1時間半くらいすると白兎海岸の看板が見えた。

ここまで来れば、目的地は目の前である。

『布施運動公園』の標識を探し向かっていく。

湖山池を越え、鳥取大学の横を通り過ぎていくと試合会場があった。

 

 開会式の時間が迫っている。

急いで駐車場に停めて、お弁当や飲物のかばんを持って大会会場へ向かう。

会場近くに行くと、美波ちゃんがこちらを見つけて走ってくる。

「遅かったから心配したんだよ。良かった間に合って」

「ちょっとお母さんが『ドジ』ことしたから遅くなった」

「ああ、美波に言っては駄目、もう、しん・・・」

「ふーん、どんなドジをしたのかは帰って聞くとして、みんなで写真を撮ろうよ」

3人は美波ちゃんを真ん中にして、相方の遠藤さんに撮影して貰った。

美波ちゃんの笑顔が明るくてまぶしかった。

 試合が進んでいき、いよいよ美波ちゃんと遠藤さんペアの試合が始まった。

それまで『日焼けが怖いわ』などと言って日傘を必死で刺していた静香さんが、

日傘そっちのけでハンカチを握りしめ、じっと試合を見つめている。

時々、『あ~あ』『そう、そこ』『うーん、これは相手がうまい』などと口にしている。

3ゲームはストレートに先取したが、そこからは1ゲームずつの取り合いになった。

何とか6ゲーム先取することができ、美波・遠藤ペアは無事1回選を突破した。

次の試合はしばらくして始まる。

美波ちゃんは二人の方を見て、両手を大きく振って笑っている。

慎一と静香さんも手を振った。

「このチームがこの大会の優勝候補みたいだがあ」

相手チームを知っている人の声が聞こえてくる。

確かに今度の相手はこういう場に慣れているのか試合運びがうまかった。

態度も堂々としており、相当に練習しているようで憎らしいくらいに強かった。

試合が進むにつれ、だんだんと静香さんから聞こえる声も小さくなった。

残念ながら、美波・遠藤ペアは敗退した。二人は抱き合って泣いている。

静香さんも少しうつむいている。相当に力が入っていたのでその気持ちは理解できた。

勝負の世界はきびしい。実力の差がそのまま結果となる。

午後の全試合を見学する美波ちゃんへお弁当を渡し、二人は帰途に着いた。

(つづく)