はっちゃんZのブログ小説

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1.赴任(改)

「次は米子、よなご」

慎一は軽く背伸びをして手元にある人事異動通知書を見た。

               人事異動通知書

高松支店融資部 

日下 慎一  殿

                         関西中央銀行本店

                         人事部長 清水 英雄

貴殿を平成8年4月1日付で山陰支店への異動を命ずる。

岡山駅を11時過ぎに発車した特急やくも9号は、13時過ぎに米子駅へ到着した。

今日3月31日はちょうど日曜日であり、

初出勤の明日は、新年度の始まりで、

少しハードだが張り詰めた気持ちを維持するには最適なスケジュールだった。

昨日まで慌しい期末決算月を何とか乗り切るために駈けずり回り、

土曜日夜中まで引継ぎ資料を作成し、

ほっと一息つけたのは日付が変わってからだった。

 

今朝四国の玄関口と言われる香川県高松市から瀬戸大橋線に乗り、

眼下に広がるおだやかな瀬戸内海の景色を楽しみながら岡山県へ入った。

岡山駅でコーヒーを買い、山陰方面へ向かう伯備線のホームに停まる特急列車に乗り換えた。

伯備線は、山陽地方と山陰地方を結ぶ路線の一つで、中国山地をはさんで鳥取県伯耆国)と岡山県備中国)を結んでおり、伯備の意味はその頭文字を取っている。

岡山駅を出発してしばらくすると街並みも疎になり、こんもりとした森や山が目に入ってきた。

中国山地へ入ったようだ。

新緑の季節を迎えるための準備に入ったかのような勢いがその木々には感じられた。

車窓を流れる山間の小さな集落

樹木に囲まれた小さな駅

川の流れから飛び立つ山鳥の姿などを楽しみながらいつしか眠っていた。

さきほどのアナウンスで目覚めたのだった。

 

あと1時間くらいで引越のトラックが着く時間である。

急いで会社から渡された社宅までの地図を取り出した。

社宅の『道笑町マンション』は10分も歩くと見えてきた。

部屋は最上階の508号室。

管理人へ簡単な挨拶を済ませエレベーターに乗り部屋へ向かう。

部屋のドアを開けて真っ先に目に入ったのは、

南東の窓から見える綺麗な形の山だった。

米子市全体を見守っているようなそんな重みのある立派な姿の山と感じた。

窓を開け放ちベランダで街並みを見ているとインターフォンが鳴った。

引越業者が来たようだ。

元々家具付きの部屋であり、独身で数年毎の転勤が慣例化しているため、

あまり家具もないので荷物の搬入時間はあっと言う間だった。

少し落ち着いたので軽く腹ごしらえをしようと考え近くを散策した。

 

しばらく歩くとアーケード街があった。

『元町サンロード』となっており、歩道は狭く鄙びた風情があった。

あまり歩行者はいないが、

小物売りの店には女子高生達が集まって楽しそうに笑っている。

『フワリ』と突然背中に柔らかい衝撃を感じて振り向くと、

一瞬女子高校生らしき顔が目に入った。

「あっ、ごめんなさい」

「ああ、別にええよ」

慎一の声を聞いて、

その女子高生は視線を慎一の顔へ戻し「良かった」と白い歯を見せた。

その女子高生は健康的に日焼けしており、

陽が当たると少し茶色がかったように見える長い黒髪を

ポニーテールにまとめた細面の可愛い女の子だった。

彼女達は

「もうあんたが押すからじゃない、やめてよ」などと

笑いあって小物店に入っていった。

 

このアーケード街は少し歩くとすぐに終わってしまい戸惑っていると

馥郁としたコーヒーの香りが漂ってきた。

『珈琲浪漫』の看板が目に入り、その立派な木製の扉を開けた。

「カラーン」

「いらっしゃいませ」

使い込まれた飴色の木製の椅子に座り

メニューから「ハワイコナ」を選び注文した。

いつもは「ブラジル」だが、今日は特別の日だったからだ。

マガジンラックの地方紙「ザ・米子」を手に取り読み始めた。

 

米子市の人口は約15万人で、場所は鳥取県の西側島根県に近いところにあり、山陰地方のほぼ中央に位置する町で、東には「伯耆富士」とも呼ばれる国立公園大山(だいせん)、西には日本で2番目の大きさの中海という汽水湖が広がっている。日本海中国山地という豊かな自然に囲まれ、歴史的にも古代出雲王国とも関わりが深く紀元前から歴史を持つ土地だった。

ドライブが趣味で神話や神社を好きな慎一には魅力ある土地だった。

 

翌日の出社からしばらくは毎晩遅く部屋に戻る日々が続いた。

ご飯もそこそこに食べてくたくたに疲れて眠る毎日だった。

慣れない初めての土地であるが、ここ数年融資成績が低迷している山陰地方の融資部へのてこ入れのために、新規開拓で力を認められ異動した自分の立場を自覚している慎一にとって、1日でも早く土地の状況を理解し戦力になりたいと思っていたからだった。

やがて1ヶ月が瞬く間に過ぎ去った。

(つづく)