読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

はっちゃんZのブログ

スマホの方は『PC版』『横』の方が読みやすいです。作品のもくじの章の青文字をクリックすればそこへ飛びます。

13.とまどい

小説1:さざなみにゆられて-山陰編-

『私、弱くなったのかもしれない』

ふと脳裏にその言葉が浮かんできた。

 

 静香はステーキハウス精山から帰宅後、お風呂へ入り、

パジャマを着てゆっくりとお茶を飲んでいる。

左手のバンドエイドを張り替えながらじっと今日のことを考えていた。

砂丘で自然と握り合った手の感触を思い出す。

大きく暖かい手だった。

朝のことを思い出すとほほに温度を感じる。

あの時、なぜか二人がずっとこの時間を過ごしていたかのような錯覚を覚えていた。

その瞬間、脳裏に夫勇二の顔が浮かび、焦って食器を落とし割れた破片で指を切った。

夫の事を隠すつもりもなかったが、聞かれなかったので答えなかっただけだった。

ただあの時は、彼にいらない気を使わせたくなかったから仏間の襖を閉めた。

結果として、仏間の襖は開けられ、彼が夫へ挨拶をしてくれた。

そして、気にする必要はないとの彼の行動で静香への優しさを見せてくれた。

あの時、彼が笑わせてくれなかったら、1日どんな顔をしていいのかわからなかった。

鳥取市米子市往復の時間は、おだやかで落ち着いた、それでいて楽しい時間だった。

 

 最初、お客さんで来た彼の何気ない仕草が夫と似ていたので気になっただけだった。

顔、身体の大きさ、声、言葉、すべてが夫とは異なっていたが、なぜか同じに見えた。

それ以降は、長年のお客さんのようになり、

静香と美波にとって一番近い男性となった。

 いつも彼の優しさに甘えている親子だと感じている。

美波は3歳の時に父親を亡くしているので父親のことはほとんど覚えていないはず。

ただ、毎日のように抱きしめられていた記憶はあるのかもしれない。

そのせいで、ファザコン気味なところがあるのは仕方ないと思っている。

彼の美波を見る時の表情は本当の父親のように優しく見つめている。

そしてときどきその視線は遠くをみつめている。

 花火大会の時も、十数年前の記憶がよみがえって、

夫と一緒に見ている錯覚を覚え、つい彼の肩にもたれそうになった。

『女将さん』と呼ばれたくなくて、『静香でいいです』と言った時は、

自分でも驚いてしまい、彼の方を見ることができなかった。

そんな自分を優しく受け止めてくれる彼の大きさに驚いている自分がいた。

 

 今まで、この小さな街で色々なことを言われても気にせず、

必死で美波と一緒に生きてきた静香にとっては、信じられない心の変化であった。

 

『本当の父親が良い、忘れたくない』と言い張る美波のことを考え、

一時期あった再婚話を断ってきた静香だった。

その美波が彼を慕っている。

静香の知らないところで会っている様子もある。

少しずつ大人になる娘を嬉しく思う自分と、

本当の父親が良いと言って泣いた娘の顔が交互に浮かび少し寂しくもなる自分がいる。

 

その時、美波が二階から降りてきた。

「お母さん、今日は疲れたし、美味しかったね。今度おじさんにお礼しなきゃね」

「そうだね。何がいいかしら」

「また、考えておくね」

「お願いね。お母さんも何か考えておくわ」

「じゃあ、お休み」

美波は二階へ戻っていった。

 

 美波は眠る前に、今日のことを思い浮かべた。

おじさんとお母さんの二人の応援してくれている姿。

『今日は負けといたろ』と言ったおじさんの笑顔。

今までで初めて味わったステーキの味。

3人で家族のように美味しそうに食べている光景。

母の幸せそうな笑顔。

 

美波は小さい時から母の笑顔が好きだった。

母の笑顔を見れば何も悲しくなかった。

いつの頃からかその笑顔が少なくなり、寂しい笑顔へと変わっていった。

この頃の母の笑顔は、昔の大好きだった笑顔だった。

 

おじさんも店以外では母のことを「静香さん」と呼んでいるのは知っていたが、

母がおじさんのことを「慎一さん」と呼んでいることを知ったことに驚きを感じた。

母の口からつい出たような感じだったので、普段の言葉ではないと思い、

おじさんのことを母は心では『慎一さん』と呼んでいると感じた。

 

美波はおじさんのことは好きだった。

その優しさは父親のように感じている。

母への優しさも同じでそれも好きだった。

 

母へ昔の笑顔が戻ったことは嬉しいが、

代わりに『何かが失われるのでは?』と漠然とした不安が心に湧き出てくる。

『もしかしたら父との思い出では?』と感じた。

母の心の強さは昔から意識しており、

美波もそれを見習って今まで何を言われても気にしなかった。

その母が、いつの頃からかおじさんの前ではその強さが消えていた。

その姿が本来の母と思っているが、

『亡き父の前だけで出していた母ではないのか?』

そう考えると、嬉しくもあり寂しくもあった。

 

美波はいてもたってもいられず、二階から降りてきて母へその不安を話した。

「お母さん、誤解しないで聞いてね。

 美波、どうしていいかわからないの。

 美波はおじさんがとっても好きだよ。

 死んだお父さんも大好き。

 今のお母さんの笑い顔が好き。

 おじさんの前で出す笑顔も大好き。

 昔に戻ったような気がすることもあるの。

 でも不思議だね、美波はお父さんのことを何も覚えていないのにね。

 おじさんといる時だけが、お父さんといる気がするの。

 これって、お父さんに悪い事?

 美波って、悪い子なの?」

 

静香は、突然の美波の告白に声も出なかった。

そして娘が大きく成長していることを知った。

そういえば、夫と付き合い始めたのも美波の年齢だった。

美波の話した言葉は、静香も同じだった。

ただ美波を独り立ちさせるまで娘を不安にさせるわけにはいかないと感じた。

「それは悪い事ではないわ。

 日下さんは優しい人だからあなたがそう感じても仕方ないわ。

 でも、あの人は転勤族だから米子へずっといる訳ではないの。

 あの人が米子にいる間、あの人がさざなみにくる間は仲良くしましょうね。

 お母さんも少し日下さんに甘え過ぎていたわね。

 あなたを不安にさせてごめんなさい。今後は気をつけるわ」

「お母さん、そうじゃないの。そうじゃないの。わからないだけなの」

「いいのよ。いつかあなたが大人になったらわかることよ」

 

その日から、母はいつもの母に戻った。

寂しい笑顔の母へ・・・。

(つづく)