はっちゃんZのブログ小説

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83.美波の初恋の終わり

ある日、慎一が家に帰ると珍しく美波が戻ってきている。

部屋から静香が顔を出して

「あなた、おかえりなさい。お疲れさまでした」

「あれっ、美波が帰ってるの?こんな日に珍しいね」

「ええ、私にちょっと話があるんだって。

 雄樹も夏姫も今日は早めに眠ってるわよ。

 あなた、晩ご飯はどうします?」

「みんなと一緒に食べて来てるから、軽い感じの物をお願い出来るかな」

「ええ、ちょっとしたおつまみとお茶漬けでいい?」

「うん、ありがとう、それで頼むよ」

「ではあなたがお風呂に入っている間に用意しますね」

慎一は湯船に浸かりながらほろ酔いで気分が良かった。

風呂を上がると水割りと「枝豆とオクラの和え物」が用意されている。

水割りを飲みながらテレビを見ていると「鮭とイクラのお茶漬け」が出された。

「じゃあ、美波と話してきますね。

 もし遅くなるようなら先に眠っていて下さいね」

「うん、大変な話なん?」

「うーん、どうでしょう。まあ話を聞いてからだわ」

と静香はお茶をお盆に載せて美波の部屋へ入って行く。

 

美波の部屋へ静香が入ると

「お父さん、何か言ってた?」

「ううん、急にお前が帰って来てたから驚いたみたいだよ」

「それならいいんだけど・・・」

「あまり聞かなかったけで心配はしてたわよ。娘のことだからね」

「そうかー、娘だもんね、私」

「そうよ。それでどうしたの?」

「お母さん、私ね、よくわからないから聞いて欲しいの」

と美波は元気のない顔つきで話し始めた。

 

美波は大学時代の先輩だった前田さんと付き合っていたが、

会いたくて電話しても『最近は忙しいから』と会えなくなっている。

先週の土曜日にやっと会えることとなって

土曜日の朝に小樽を出発して旭川まで行った。

マンションのエントランスのインタフォンを押すと、画面に前田さんが出て来た。

「あれっ?美波さん、どうしたの?」

「前田さん、今日会えるって木曜日の電話で言ってたから」

「えっ?ああ、そうだった・・・えっと・・・」

その時、彼の後ろに微かに動く人影が見えた。

「前田さん、お客さんが来られてるのね?」

「う、うん、そうなんだ。ちょっと手が離せなくてね」

「じゃあ仕方ないね。私帰ります。忙しいのにごめんなさい」

「いや、ちょっと待って、駅まで送るよ」

「大丈夫ですよ。すぐに帰ります」

美波は何か嫌な予感がして早足に旭川駅へ歩いた。

マンションを振り返ると前田さんの部屋の窓には人影が二つ見えた。

その夜、前田さんからの電話があり謝られたが、結局誰と居たかは話さなかった。

『最近ずっと仕事ばかりで疲れている前田さんに元気を出して貰おうと、

美味しいご飯でも作って食べて貰おうと思っていた』と伝えたが、

「ごめんね。仕事を持って帰って部屋が汚かったから美波さんを入れられなかった」

美波は前田さんの態度が今までとは違っていることに気がついた。

 

翌週に彼から電話あって、彼の部屋へ訪れた。

久しぶりに会った彼は何か雰囲気が硬かった。

それにいつもはソファに座る時は美波の隣に座るのに今日は座らない。

そして何かあるとやたら謝ることも多く態度がよそよそしかった。

彼がコーヒーを入れにキッチンへ行った時に、

ふとソファーに長い髪の毛が付いていることに気がついた。

手洗いのため洗面所に入ると今まで嗅いだことの無い香りが微かに残っている。

美波が気に入っていた音楽のCDの棚もいつの間にか無くなっている。

今まで落ち着いて居られた彼の部屋が、別の何かに変わった様に感じた。

美波は『レポートがあるから』とその日は早々に帰った。

彼からはいつもの様な引き止めと車で送るとの言葉は無かった。

 

母はその話を聞いて、

「彼にも何か事情はあるとは思うからいずれお前に連絡はあると思うわ」

「そうね。でも何か釈然としないんだ」

「その気持ちはわかるわ。でもお前の話を聞いている限り

お前が原因とは思えないからきっと彼の都合だろうね」

「彼の都合?」

「そう、会えなくなり始めた時期に何か彼に無かったかい?」

「うーん、銀行間のビアパーティがあってからかなあ。

そういう日は今まで連絡があったけど珍しくその夜は無かったから覚えてる」

母である静香は『彼の変心』を察知したが口にはしなかった。

美波が彼と付き合い始めてから、社会人と学生の恋は環境や考え方が異なるため、

なかなかうまくいかないのは理解していたので静香はずっと心配はしていたのだった。

「まあ、社会人と学生は生活のリズムとかが違うから難しいんじゃないかねえ」

「そうかもね。それに銀行は女性も多くて大変と聞いてる」

「どちらかというと女性の多い職場だからそうだろうね。

お前も来年には社会人としてスタートするのだから大変だけれど頑張ってね」

「うん、そのつもり。実は私、前田さんと付き合ってはいたけど、

 彼とそんなに早く結婚をしたいとは思っていないんだ」

「ふーん、そうなの・・・」

「うん、先ずは仕事をしたいの。

 この前、卒業した人に聞いたら朝早くから夜遅くまでずっと仕事があるんだって」

「そうだろうね」

「新入社員で入ったら最初は全部門を回るって聞いてる。

 その後、私は融資課を希望してお父さんの様にがんばりたいの。

 一つ一つの会社の特徴や将来性を良く見て、

 その会社へ新しい方向性とか提案して、

 それが成功して会社が大きくなればすごいじゃない」

「そうだね。大変だけどお前ならきっと出来るよ」

 

それから彼から連絡のないまましばらく時が過ぎた。

芳賀さんと札幌へ遊びに出た時、

芳賀さんのクラブの先輩だった女性に偶然会って

西4丁目の「フルーツファクトリー」へ入り、久しぶりに“ケーキとお茶”をした。

その女性は前田さんと同級生だったみたいでその場で前田さんの話題が出た。

何と彼は夏のビアパーティに出席した時、

秘書課の女性とついつい飲み過ぎてその夜のうちに深い関係となった。

その女性はというと支店長の知り合いのお嬢さんで、

それが銀行内でも有名となり結婚するしかなくなったと聞いたらしい。

それを聞いた芳賀さんは、二人きりになって大いに怒り美波を慰めてくれた。

美波はその話を聞いた時、大きなショックではあったが、涙は出なかった。

彼とはそれほど深い関係にはなっていないし、

最初から何となくそういう結果を心の底で予想している醒めた部分もあった。

美波が1年生の「よさこいソーラン」の時といい、

女性から積極的にモーションを掛けられると

ついつい断れないという彼らしいと言えば彼らしい行動だった。

その週の土曜日に家へ戻り母にその話をした時、

母から家族一緒に新入社員として神奈川へ赴任することを聞かされて

美波は「卒業論文の完成」と「家庭教師の子の志望校合格」へ気持ちを切り替えた。

その後、前田さんから電話が掛かってきた時、結婚の話を聞いた事を伝えた。

彼は驚いて言い訳をしながらすぐに謝って来たが、

美波はまだまだ結婚とか考えていなかったこと、

来年からの社会人生活に燃えていること、

彼へ結婚のお祝いの言葉と

来春には新入社員として神奈川県へ異動することを伝えた。

大学4年生夏休みの終わりと共に美波の初恋は終わった。

 

芳賀さんはというと、大通りに支店のある製薬会社の内勤社員として採用となるが、

出身が関東地方であったため、ちょうど欠員が出ている支店、

神奈川県中区にある横浜支店となる可能性が高いとの連絡があったらしい。

彼女は横浜に住むことに憧れており、山下公園の近くへ住むつもりだと張り切っている。

芳賀さんと美波は、社会人になっても色々と楽しい毎日が待っていそうだった。