昼食も終わり三浦綾子記念文学館を出て、
『夕方まで時間あるから、晴れてるし次は青い池にでも行こうか』と思っていたら、
突然美波が、
「ねえ、前田さんのお部屋ってどんなところなの?」
「えっ?普通のマンションだよ。2LDKかな」
「ねえ、今まで一度も行ったことないから行ってみたいなあ」
「どうしようかなあ、昨日まで仕事も残してたから汚いままだからなあ。」
「汚くても気にしないわ。少しだけ、ね?」
「う、うん、わかったよ。本当に汚いから笑わないでね」
「大丈夫、笑わないわ」
「じゃあ、少しだけ案内するよ」
前田は、マンションの駐車場へ向かった。
車から降りてマンションへ向かう。
「うわっ、綺麗で立派なマンションね」
「社宅なんだ。
まだ新しいから少し高いけどセキュリティもしっかりしてて気に入ってるんだ」
「ふーん、社会人になるとこんな立派なマンションに住めるのね」
「美波さんも働き始めたらセキュリティの高いマンションにしないと駄目だよ」
「はーい、もし札幌市勤務だったら実家から通うことになるけど、
札幌市以外に決まったら、こんなしっかりしたマンションにするわ」
マンションのエントランスからエレベーターに乗って部屋へと向かう。
「さあ、着いたよ。汚いから驚かないでよ。さあどうぞ」
「お邪魔します。
わあ、大きなベランダ、素敵、出てもいい?」
「どうぞ、その間に部屋を少し片づけるから」
彼の部屋は、最上階の角部屋で南西角だった。
南側と西側に備え付けられているベランダに出ると
彼の大きめのサンダルを履きながら歩いて見まわした。
眼下に広い旭川の街並みを始めとして
東には大雪山の山々、南には富良野方面の山々、西には日本海側の山々が見える。
ふと美波は山陰にいた時、|義父《ちち》のマンションのベランダから見た
米子市の南側にそびえる『|大山《だいせん》』の姿を懐かしく思い出した。
同時に山陰にいた時からの様々なことが思い出された。
母と二人だけで必死でがんばった生活、
美波と|義父《ちち》との出会い、
母と|義父《ちち》と三人での楽しかった生活、
|義父《ちち》の入院した時の悲しみと驚き、
母と|義父《ちち》との結婚、
母と|義父《ちち》が札幌に来た時の喜び、
弟と妹ができた喜びなどが美波の脳裏を駆け巡った。
美波は”人と人との出会い”と”運命”の不思議さに驚きながらも
それらが織りなす訪れるかもしれない明るい未来の自分の姿を思い描いた。
もう片付け終わったのか彼から声が掛かった。
「やっと、終わった。ここからの風景って素敵でしょ?」
「そうね。とっても素敵。風も気持ちいい。いいなあ、毎日こんな風景が見られて」
「残念ながら朝は起きたらすぐにあたふたして出て行くし、
夜は遅いから真っ暗で、実は風景を見るのは久しぶりなんだ」
美波は米子にいた時の|義父《ちち》の生活も良く似たものだったことを思い出した。
「じゃあ、何か飲み物でも作るよ。何がいい?」
「さっき、お茶で甘い物食べてるから、お茶以外がいいかなあ」
「コーヒーと紅茶どちらもできるよ」
「じゃあ、ミルクたっぷりのコーヒー。苦いの苦手なんだ」
「わかった。じゃあ僕もコーヒーにする。そこに座って待ってて」
「本棚があるから見ていい?」
「いいよ、美波さんの趣味に会えばいいけど、どうだろなあ」
「わあ、経済や金融関係の本が多い。さすが前田先輩だわ」
「いやあ、置いてるだけだよ。今読んでないからもし良かったら貸すよ」
「CDもある。どれどれ・・・。へえ、あっ、以外、YOASOBIとかある」
「ああ、テンポのいい曲でボーカルの高い声がいいなと思ってね」
「私もあのユニットは好き。カラオケでも歌うことあるわ」
「へえ、美波さんがカラオケ?・・・そうなんだ」
「ええ、芳賀さんと一緒に行って二人でガンガン歌ってるの。
へえ、他にAimer、LISA、川嶋あい、米津玄師、ゆず、レミオロメンもある。
あっ、アニメのDVDとかもあるんだ。
『Fateシリーズ』『魔法科高校の劣等生』『盾の勇者の成り上がり』
『転生したらスライムだった件』『鬼滅の刃』か・・・
ふーん、私も聞いたことあるわ」
「子供っぽいって笑われるかな?
僕は元々映画やアニメが好きで色々と見てたけど、
昔と違って最近のアニメは子供っぽくなくて画像も綺麗なものが多くて、
挿入されてる音楽も結構有名な人が歌っていて良い物が多いんだ。
そういうアニメの映画って、子供の漫画っぽくなくて
人間がやってる映画みたいな作品もあるんだけど、
男一人でアニメを観に映画館に入って変な目で見られるの嫌だから、
気に入ったシリーズのDVDが出たら買ってるんだ。
テレビで結構やっててそれを録画をして溜めては休みの日に見てたんだ。
大体3か月1クールで新作が放送されてて、
ずっと見るかどうかを確認するために大体殆どを録画して、
これは見ないなと思うと次の予約から消しているんだ。
今は逆に溜まり過ぎて見るのが大変なくらいなんだ」
「へえ、そんなにたくさんのアニメがあるのね。
私は部屋にテレビしか無いから、放映してるのを見るだけ。
札幌の家には弟や妹のために番組録画をしているみたい。
二人とも好きな番組が違うので取り合いで大変みたい」
「そうだろうね。姉の子供もずっと見てるよ。
おさるのジョージとかきかんしゃトーマスとかアンパンマンとか。
そういえばカラオケの話で出てた芳賀さん、彼女は就職どうだったの?」
「この前、大通り公園に支店のある東京本社の製薬会社の経理社員に内定が決まったわ」
「そりゃあ、いい所に決まったね。良かったね」
「そう、それでこの前、札幌に行って二人でお祝いをしたの」
「へえ、芳賀さんとは卒業してもいつでも会えるから良かったね」
「そう、クラスメイトもどんどん決まってきてるわ。みんな大喜びよ」
「うちの大学は地元の会社に強いから良かったね。
はい、とりあえずコーヒーができたよ。どうかな?」
「ありがとうございます。いただきます・・・美味しい。
このコーヒーを飲むと思い出すわ。
|義父《ちち》も家で私や母に良く作ってくれているわ。
ずっと昔から私専用と母専用があって、結構本格的だったの」
「そうなんだ。お父さんは仕事もすごいけど、家族にも優しい人なんだね」
「そう・・・前田さんのコーヒーもとても美味しいわ」
「良かった。気に入ってくれて、やはりお父さんはライバルだな」
「|義父《ちち》がライバル?
ははは、それはないわ。
朝にも話したけど|義父《ちち》は、”母が一番”だから私では敵わないの。
私専用のコーヒーは、『美波スペシャル』と言って、高校生の時に作ってくれたけど、
それは、先ず最初に母専用の”静香スペシャル”が出来ていて、
それを知った私が|義父《ちち》へ文句を言って作ってくれたものなの。
私はコーヒーの苦さが苦手だったから、
熱いミルクと半々にした優しい”カフェオレ”にしてくれたみたい」
「ふーん、そうなんだ。
美波さんは、昔からよくお父さんの話をするよね?
何というか女の子は、ある程度年齢になると
お父さんを嫌うとか聞いてたから意外だった」
「世間一般には、そういうケースが多いとは聞くけど、
私は昔から|義父《ちち》のことは大好きよ。
高校の時によくわからなかった数学や物理とか教えて貰ったし、
それより泳げなかった私を泳げるようにしてくれたのも|義父《ちち》だったわ。
でも一番の理由は、私の大好きな母を幸せにしてくれているからなの」
「そうなんだ。すごいお父さんだし、いい親子だなあ。羨ましいや」
「私も将来は、|義父《ちち》みたいな優しい男の人を探すの。
もしかして、私、相当にファザコンかな?
芳賀さんからもよく言われるわ。きっと相手がいないかもね、ははは」
「うーん、家族を好きなのは良い事だからいいんじゃない?」
それからは、二人は本などを読みながら音楽を流してゆっくりと過ごした。
お互い何も話さなくても普通に穏やかに流れる時間が二人の間にはあった。