はっちゃんZのブログ小説

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63.層雲峡氷瀑祭り

美波の就職活動もいよいよ佳境に入っている。
もうじき2月だし4年生になる前の内定を目指している。
美波としては父の勤める六花銀行も考えているが、
身内の採用でもし父へ迷惑を掛けたらと思うとなかなか切り出せなかった。
そんな時、2月の始めに前田さんからドライブのお誘いがあった。
|層雲峡《そううんきょう》|氷瀑《ひょうばく》まつりだった。
1月下旬から開催されており一度も見た事がないのでいつかは行きたいと思っていたし、彼に就職の相談もしたかった。
彼に誘われたのは2月8日土曜日で、
当日は派手な花火大会があって少し帰るのが遅くなるけどごめんと言ってきている。
小樽のマンションへ遅く帰るのもみんなに色々と勘繰られて嫌なので実家に帰る事にした。

当日、彼と10時頃に小樽駅の前で待ち合わせて旭川へ向かう。
層雲峡氷瀑祭りは、夕方から会場で過ごす事にして、途中|神居古潭《かむいこたん》へ回った。
ここは旭川でも屈指の景勝地で秋の赤や黄色に染まる山肌は非常に美しいらしい。
この「カムイ」と名の付く地名だが北海道には複数カ所あって、
『カムイ=神』でカムイと名の付く場所は、アイヌの人々の神聖な場所だった。
雪の積もる駐車場に車を停めて、石狩川の急流に架けられている木製の橋を渡った。
吊り橋ではないが、歩くとギシギシと音が出て、
途中で止まっていると、他の人の歩調に合わせて揺れて怖かった。
恥ずかしかったけど、彼の手が差し出してくれたのでそっと握ったものだった。
橋の下を流れる石狩川の両岸の岩は、ゴツゴツで表面には拳大の穴がたくさん開いている。
立て看板の説明では、
この場所は穏やかな石狩川が急に細くなって渓谷になる場所であり、深さも一番深いところで70mもある。
当時、交通手段が船だったアイヌの人々にとって、この場所は一番の難所で、何度も事故が起きたようだ。彼らはそれを神が起こしているとして恐れた。
またこの地形は「神居古潭おう穴群」という名称で旭川市指定の天然記念物に指定されている。
両岸の岩には拳大の穴がたくさん開いていることから、アイヌの人々は「魔神の足あと」や「魔神の頭」に見立てていると説明されている。

橋を渡ってしばらく歩くと、駅の跡地があった。
神居古潭駅」となっており、「おさむない/いのう」と駅名看板に記載されている。
どうやらここは国鉄の線路が引かれていた場所のようで、ここは1969年(昭和44年)10月1日に廃止になったと記載されている。サイクリングロードとして整備されていて、旧駅舎は休憩場所となっている。またこの駅舎は、1989年(平成元年)に復元され旭川市の指定文化財にもなっているようだ。
そこを奥へ進んでいくと、鉄道ファンには垂涎ではないかと思われるSLが止まっている。
その他、トンネルや鉄橋跡や線路も一部分残っていてコアなファンにはたまらない展示物と思われた。
このSLは、以下3台が置かれ、
・「キュウロク」の愛称で親しまれた「29638」蒸気機関車
・「デゴイチ」でおなじみの「D51」型機関車、
・「貴婦人」の愛称を持つ「C57」型機関車、
今でも走れそうなとてもキレイな状態で保管されている。
特にC57 に関してはラストナンバー(最後に作られた番号)だと説明されている。
この駅の跡地をさらに奥へ進むと、急な山登り区間になり看板に「神居岩へ」と書かれている。
雪も深いし道幅も狭くなるので今日はあきらめて、
『ここは秋にもう一度来たいね』と二人で話しながら車へ戻った。

遅めのお昼ご飯のために旭川市内へ走り、「あさひかわラーメン村」を目指した。
この村は、1996年8月に旭川が誇るべきラーメン文化をもっと広く知ってもらおうという市民意識の盛り上がりの中で誕生した。
村と命名されてる割には思ったより小さい建物で外観の壁には、北海道東海大学旭川校の学生たちによってテーマ 「旭川・ラーメン・結・絆」が描かれ、旭山動物園の動物たちが、大雪山や街並みをバックに、ラーメンを美味しそうに食べている。
村内は当地で生まれた有名な8つの店「青葉」「まつ田」「いし田」「天金」「山頭火」「さいじょう」「平和」「梅光軒」が入っている。
二人は現在の旭川ラーメンの基礎を作ったと言われている店の一つ「蜂屋」へ入った。
湯気の立つラーメンが目の前に運ばれてきた。
運ばれてきた瞬間、旭川ラーメンの特徴の豚骨など動物系と魚介系を使って取ったタブルスープの香りが空腹だった二人を直撃した。
いつまでもアツアツのスープが冷めない様に表面がラードで覆われていて、食べ終わるまで楽しめた。そして麺も中太の縮れ麺で加水率が低くスープによく絡んだ。
二人はフウフウしながら一気に最後のスープまで食べきった。
何も話さない二人は食べ終わった後、どちらからともなく笑い合った。

あさひかわラーメン村を出た二人は層雲峡へ向かった。
駐車場には既に多くの車が止まっており、会場内もどこもかしこも人で一杯だった。
|層雲峡《そううんきょう》|氷瀑《ひょうばく》まつりは、
旭川市の東側にある上川郡上川町にある層雲峡の石狩川河川敷を利用した1万平方mの広さで開催される冬季に行われるイベントである。
この祭りの始まりは1976年(昭和51年)で今回で28回で、2月1日から3月16日までの約1ヶ月半の間、開催されている。第1回は北海道恵庭市出身の彫刻家、竹中敏洋氏の指導のもとに発案されたものらしい。

冬の夕暮れは釣瓶落としどころでない早さでストンと落ちて行く。
いつの間にかあたりはもう薄暗くなってきている。
会場の光が急に明るく感じられた筈だった。
二人は滑らない様に知らず知らずの内に手を握り合って展示されている氷の造形を見て歩いた。
特に高さが約15mもある展望台は見上げてしまうくらい大きく綺麗だったし、氷の階段を滑らない様に恐る恐る上がっていくと、頂上では素晴らしい眺望でライトアップされた会場内を一望できた。
他に展示されている氷柱、碧き氷のトンネル、アイスドーム、神社なども様々な色彩でライトアップされ美しかった。
「氷爆神社」の氷の鳥居にはたくさんのお賽銭が張り付けられてる。
美波はとりあえず内定の成功をお願いした。

しばらくすると会場内に花火のアナウンスが流れた。
阿部さんが『札幌への時間があるので戻りながら見ようよ』と言ってくる。
美波もそれに気がついて時間の経つ早さに驚いたものだった。
駐車場に戻る時に最初の打ち上げ花火が始まり歓声が上がる。
上ばかり見ていると転んでしまうのでとまたもや二人は手を繋いで歩いた。
車に戻るとフロントガラスに雪が積もって真っ白なので雪かきをした。
暖機運転でフロントガラスの氷が解けるまでしばらく待って花火を窓越しに見ている。
打ち上げ時間にして10分程度だが、冬空に上がる花火もまた趣があって良かった。

どちらからともなく言葉が少なくなり静かになって、
彼が美波の方を向いて「日下さん、好きだ」と呟いた。
その言葉を聞いて美波はうなずいてそっと目を瞑った。
彼のぎこちない硬めの唇が美波の唇に重ねられた。
以前から想像してたより美波は自然に初めてのキスを受け入れた。
もう美波の耳には花火の音は聞こえなかった。
ただ自分の心臓の音に驚きながらじっと彼の香りに包まれていた。

その夜、美波は両親に就職で父の勤める六花銀行を受けていいかどうかを相談した。
彼が、六花銀行ならちょうどいいのではないかと奨めてくれたからだ。
将来的には彼の勤める銀行と六花銀行の提携の話も上がっていると話してくれた。
早速、慎一は人事部の友人に以前から聞かれていた娘の就職についてお願いした。
人事部も小樽商科大学の学生でそれも慎一の娘なら間違いないと太鼓判だった。