はっちゃんZのブログ小説

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60.旭山動物園1

翌日は旭川市にある有名な「旭山動物園」へと出発した。
この動物園は、テレビでもよく紹介されており、日本一有名な動物園である。

ホームページ(注:作者抜粋・編集)では
旭山動物園の理念「伝えるのは、命」
動物園で、ありのままの動物たちの生活や行動、しぐさの中に「凄さ、美しさ、尊さ」を見つけ、「たくさんの命あふれる空間の居心地の良さ」を感じてほしい。
家畜・ペット種との触れ合いを通じて「命の温もり、命の尊さ」を感じてほしい。
そして、野生動物の保護や環境問題を考えるとき、動物たちは私たちと対等な生き物なんだと思うきっかけになれる、そのような動物園でありたいと言う理念。
②敷地面積:151,998.56平方メートル(東京ドームに換算して3個強)
旭山動物園の特徴
<行動展示>
旭山動物園には珍しい動物はいません。動物園に当たり前にいる動物や北海道に身近にいる動物です。全ての動物にはそれぞれ本来持つ素晴らしさを伝えるため、本園ではその特徴的な能力や行動、感性を発揮できる環境を作り、それを見せる展示方法を目指しています。
<展示施設>
飼育動物にとって居心地が良く、それぞれが本来持っている能力や行動、感性を引き出すことを主眼に考えて施設の設計・建築をしており、珍しさではない全ての動物を平等に、人と動物が近く同じ空間にいる居心地の良さを感じられるヨーロッパの動物園らしさと傾斜地に立地する旭山の特性を生かし、限られた空間を有効活用する日本の動物園らしさを融合した新たな価値観を生み出した展示施設です。
④日本最北の旭山動物園が誕生するまでの歴史
最初は旭川市で昭和30年代(1955年頃)から動物園を作ろうという動きが始まり、具体化したのは1964年でした。候補地は、旭山、神楽岡、神居、春光台などたくさんありましたが、桜の名勝地である旭山公園に隣接し、市内や大雪の山々が一望できる場所として旭山が選ばれました。
当時の建設テーマは「日本のどこにも見られない北方特有の動物園に」そして「北国の短い夏を動物と楽しみながら存分に満喫できる開放感のある動物園に」であったが、厳しい市財政のなかのことで、議会でも一票差でのぎりぎりの可決という状況だった。同じ頃、多くの市民の熱い思いから旭川市動物園建設協力会、動物園アイディア協力会などが生まれ市民ぐるみの運動が盛んになり、旭山動物園はやっと1967年に北海道3番目の動物園として開園となった。
④廃園危機から日本一そして現在までの歩み
市民とともに歩み、市民のためにと始まった旭山動物園は、パンダなど珍しい動物が喜ばれる時代、遊具ブームの時代等、様々なニーズに応えるため時代の流れとともに様々な取組を行ってきましたが、遊具ブームも落ち着いた1994年には園内でエキノコックスが発生し、年度途中で一時閉園となり、それに続き1996年には来園者数も当時全盛の約60万人(1983年)の半分以下の26万人まで減り、廃園の噂も流れました。
しかし、開園当時から旭山動物園の飼育スタッフが理想の動物園の思いや夢について、夜遅くまで話し合い、この頃に描かれた夢の動物園のスケッチが、その後実現していくことになります。
多くのスケッチのうち、現存するものがいつしか「14枚のスケッチ」と呼ばれるようになり、1997年からは14枚のスケッチに描いた施設が現実となっていくことになりました。
その後、入園者数は回復し、2003年に北海道で一番の入園者数、2004年には、月間(7・8月)で日本一の入園者となり、2007年・2008年には年間入園者数300万人を突破しました。
300万人から10年以上が過ぎた現在でも、市民の皆様のほか、市外や外国の方を合わせて毎年140万人前後のお客様にお越しいただいています。来ていただき、支えていただいている皆様のおかげで、地方動物園のひとつだった旭山動物園の取り組みにも大きな注目をしていただけるようになりました。旭山動物園ではいつの時代も動物園として伝えられることは何かを考えてきました。
今後とも旭山動物園らしさを追求し、動物の「凄さ、美しさ、尊さ」、北海道の身近な野生動物と人の関わり、そして地球全体の環境保全を感じてもらえるよう展示方法、ガイド、教育活動等、様々な分野で活動していきます。旭山動物園は歩み続けていきます。

このホームページを読むだけで慎一の心は踊った。
子供達の驚く顔、喜ぶ顔が浮かんでくるかのようだった。
日曜日のせいか観光バスの台数も多く、駐車場がもう満杯近くになっている。
今後何回もこの動物園には来るだろうとは思いながらも
子供達にどのような順番で動物を見せようかと考えていた。
正門から入ると右側にある「フラミンゴ舎」と「ととりの村」を越えて、
最初はまっすぐに進んで「ペンギン館」を目指した。

「ぺんぎん館」は、4種類のペンギン、キングペンギン、ジェンツーペンギン、フンボルトペンギンイワトビペンギンが飼育されている。
子供たちは入館までの待ち時間は暇そうにしていたが、列が少しずつ入り口に近づいていくとペンギンの絵が見えてきて奥を覗き込むようにし始めた。
館内に入るとそこには360度見渡せる水中トンネルがあり、
そのトンネルを上から下へ、下から上へと元気にペンギンが飛んでいるように泳ぐ姿が見える。
入館者の歩いていく横や頭の上を飛ぶように泳ぐ姿を見て観客からは歓声が漏れている。
子供たちは口をポカンと開けて上を向いたり下へ顔を向けたりしていた。
慎一が「ペンギンさんだよ」と教えると雄樹と夏姫は「ペンギンさん」と笑っている。
奥へ進んで行くとガラス越しに目の前でペンギン達が岩場で立ち上がったり、餌を啄んだりしている姿が見えた。
子供ペンギンも親ペンギンの近くで安心して遊んでおり、
彼らが巣の中ではこんな風に暮らしているのだとよくわかった。
通路の壁側にはペンギンについての様々な生態についての掲示板があり非常に興味深かった。
館の外からは柵越しに岩場と海で暮らす彼らの群れ全体の姿が良く見えた。
雪が降り積もった時期には「ペンギンの散歩」が行われるらしいので、冬にも来てみようと考えた。

次は「ほっきょくぐま館」へ向かう。
展示場所は2カ所あって、
その1つは、巨大プールを設置し、分厚い大きなガラス越しに目の前でホッキョクグマのダイナミックな飛び込みや泳ぐ姿を観察することができた。
ここのホッキョクグマは非常にサービス精神が旺盛なのか、何度も我々の目の前で飛び込んで驚かせてくれた。観客の我々からも歓声がそのたびに起こった。
観客は飛び込むたびにその姿を撮影したり、その姿をバックに自撮りをしている人も多かった。
ここでも通路の壁側にはホッキョクグマについての様々な骨格や生態についての掲示板があり非常に興味深かった。
もう1つでは、堀を利用し、檻のない放飼場になっており、陸上でのホッキョクグマを観察できた。
変わったコーナーとしては、半径50センチくらいの「シールズアイ」がある。
それはポコンと地面へ突き出ている厚いカプセル状の窓で、餌となるアザラシの視点からホッキョクグマを観察することができるらしい。
とりあえず待っては見たが残念ながらホッキョクグマは来なかった。
もし仮に来たらなら目の前に鋭く大きい牙や爪が迫ってきて怖かったのかもしれないと思った。