はっちゃんZのブログ小説

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56.彼とドライブ2-愛国駅・幸福駅-

道東道から見える帯広市のある十勝平野雄大だった。

見渡す限り地平線がずっと続いている。

美波の生まれた米子は非常に古い昔から街道の町として発達してきたが

北海道は先住者のアイヌ民族の人々が開いた街は別として

現在発達している街は、明治以降に多くの入植者が開拓した街ではある。

ふと頭の中で街の景色を全て消して原生林に置き換えてみると

そして当時の開拓器具やほとんどが人又は馬・牛によるものだったことを考えれば

この街が出来るまでのその人達の努力に頭の下がる思いだった。

今でこそ、その子孫は暖かい部屋で

冬でもアイスクリームを食べるような生活を享受しているが、

そういう生活が出来るようになったことは本当に有難いことだと感じた。

 

やがて帯広ジャンクションを降りて愛国駅と幸福駅跡へと向かう。

この駅の話題は、1973年に放送されたNHKの紀行番組「新日本紀行」において『幸福への旅~帯広~』が放送され、「幸福駅」の駅名が全国的に知れ渡った。そして幸福駅ブーム(愛の国から幸福へ)起こったらしい。

このブームは二人が生まれる前の話なのでよくわからないが、

とにかく行ってみようという事になった。

 

先ずは愛国駅に向かった。

もう駅としては機能していないが、交通記念館となっていて、

館内には、旧国鉄時代の懐かしい品々が展示されている。

二人とも鉄道ファンではなかったが、何か懐かしさを感じる品物が多かった。

館外には旧国鉄当時のまま保存されている愛国駅プラットホームがあり、

蒸気機関車19671号の漆黒に輝く車体が記念展示されている。

また、「愛国駅~幸福駅きっぷモニュメント」が展示されており

これは幸福駅ブームの火付け役になった「愛国駅~幸福駅」の切符の石碑らしかった。

そして、「恋人の聖地登録記念碑」があり、数人のカップルがそこで写真を撮っている。

看板にはNPO法人地域活性化センターの「恋人の聖地プロジェクト」で、プロポーズにふさわしい場所として選定されたことを記念して建てられたボードと説明されている。

 

次に幸福駅に向かった。

この縁起の良い地名の由来としては、集団入植が行われる前の幸福町周辺は、アイヌ民族により「サツナイ」と呼ばれる地域だったようで、福井県からの入植者が多いことから、この地域の集落名を「福井」の一字を充当して「幸福」と名付けたらしい。

鉄道駅としての歴史は浅く、1956年に駅として運営されたが、赤字路線のため、とうとう1987年に廃線となった。鉄道駅としての寿命は短かいものだったが、地元を含めて存続を求める声が多かったため、観光ポイントとして新たに再整備され、人々へ幸福をおすそ分けする『観光駅』として再出発したと看板には説明されている。

売店では、当時も今も売れている「愛国から幸福行き」という駅区間切符が雑貨で販売されていたので、家族用に人数分を買った。

 

昼ご飯には、全国的にも有名な「豚丼」を食べる事になった。

帯広市内にあるお店で長い列が見える、

『帯広の豚丼発祥の店』と言われる「ぱんちょう」の列へ二人は並んだ。

待つ間、焼けた醤油の香ばしい匂いが辺りに充満し、ずっと胃を刺激してくる。

いよいよ順番が来て店内へ入る。

そこは小さな店で4人座りのテーブルが5卓しかなく奥から順番に座る。

メニューを見ると松竹梅となっているが、普通の店とは違って逆だった。

大女将のお名前が梅さんなので梅のボリュームが一番多いらしい。

やがて二人の前に豚丼が運ばれてきた。

二人とも丼の蓋からもはみ出るくらい大きな肉厚のロース肉に驚く。

蓋を取るとグリンピースが散らされている。

その時、お店に大女将の梅さんが現れて、

客への来店の御礼と

『蓋にグリンピースが付くことがあるのでご注意下さい』と話している。

 

美波はその肉厚の豚を少しかぶりついた。

その豚肉の柔らかさ、

鼻を通る炭火の香り、

舌にガツンと響く甘辛タレが絶妙だった。

こんな丼を食べたのは初めてで、

目が丸くなるくらい美味しかった。

二人とも

『美味しいね』

『はい、そうですね』

と言葉少なくひたすらに食べた。

本当に美味しい時には言葉が出ないという話は本当のことだった。

食べ終わって出ようとすると

レジの近くには『豚丼のタレ』が、置かれていたので家族用にも買った。

(つづく)