ねぶた祭りについては、青森ねぶたオフィシャルサイトの紹介では以下である。
七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。
初期のねぶたの形態は「七夕祭」であったのでしょう。そこに登場する練り物の中心が「ねぶた」と呼ばれる「灯籠」であり、七夕祭は7月7日の夜に穢れ(けがれ)を川や海に流す、禊(みぞぎ)の行事として灯籠を流して無病息災を祈りました。これが「ねぶた流し」と呼ばれ、現在の青森ねぶたの海上運行に表れています。
「ねぶた(ねぷた・ねふた)」という名称は、東北地方を始め、信越地方「ネンブリ流し」、関東地方「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」等の民俗語彙分布と方言学から「ねむりながし」の眠りが「ねぶた」に転訛したものと考えられています。
その他の情報としては、青森ねぶた祭りの一番の特色は、「ハネト(踊子の意味)の大乱舞」らしくどのようなものかがとても興味深かった。
ねぶたは決められたコースを一方向に全ねぶたが同時に動き始める。
そのコースは、青森駅前のアスパム通り交差点から柳町通りを通過し、中央公園通りで右折し、国道4号線に突き当たると右折しアスパム通りに突き当たると右折して駅前のアスパム通り交差点まで続く四角のコースであった。
多くの観光客がぞろぞろと歩道を歩いて、見るのにいい場所を探している。
ねぶたも待機しており、踊り子は興奮した表情で既に道路に待機している。
本日と明日は、子どもねぶた(約15台予定)・大型ねぶた(約15台予定)で有名ねぶたも数多く出陣されているらしい。
開始予定時間の19時になったとたん、
街中から一斉に笛(篠笛)、太鼓(締め太鼓)の派手な音と『ハネト』と呼ばれる踊子の持つ手振り鉦(ジャガラギ・テビラガネとも言われる)の『シャン、シャン』と言う音が響き渡った。
先ず最初に目がひきつけられるのは、
目などに光が入り極彩色に輝く大きなねぶた。
職人が時間を掛け、ねぶた祭りへの思いを練り込めたねぶた。
装飾の施された高さ2mの車付きの台に載せられ、高さ5mくらいのものとなったそれは、見る人を驚かせ楽しませ感心させる。
「大型ねぶた」は、担ぎ子が観客へすごい勢いで突っ込むような勢いで観客を驚かせ喜ばせている。
歌舞伎のメイクの様な色彩のねぶたが多く、戦いに強く勇ましい男を表しているものが多かった。
慎一は歴史で習った蝦夷討伐を思い出しながら、青森ねぶた祭り全体を流れる静かで厳かなムードから、兵隊への必勝祈願、無事に帰ってきて欲しい心、亡くなった方への感謝の気持ちが作り出した祭りであることを感じた。
花笠をかぶりねじり鉢巻に揃いの半纏のたくさんのハネトが
そこらじゅうを練り歩きながら飛び跳ねて踊っている。
ねぶたの動きに合わせてついていく。
小型の「子供ねぶた」も同様に参加している。
大型ねぶたに負けじと大きな掛け声を発し、観客へ突っ込んで行く。
子供達が慣れない手で作ったであろうねぶただが、
それが逆に大型ねぶたと違って手作りに見えることで可愛かった。
家族で道端に座って21時の終了までじっと見ていた。
ネットにも載っていたが、「阿波踊りのニワカ連」ではないけれど、
地元の人間ではない観光客などが集まり同じように踊る集まりもあるようで、
バラバラの服装のハネトがピョンピョン跳ねているのが見える。
観光するだけでなく地元民と同じ気持ちで祭りに参加して、
この東北地方でも大きな祭りを盛り上げて、
短い夏を目一杯楽しもうとしているように見えた。
子供達は、両親の膝に抱っこされながら、
目を輝かせてねぶたを見上げて、足をピンピン延ばして
両手を動かせてハネトに参加していた。
その夜はホテルで今後何度か青森に来ようという話となった。
(つづく)