ナビに「三内丸山遺跡」と入力して出発する。
青森駅から大体15分くらいの場所にある。
青森駅から浪館通りを南西に進み、青森県総合運動公園の北側を道なりに進み、
県立美術館建設予定地を過ぎると遺跡が見えてくる。
【三内丸山遺跡】は、昨年より特別史跡として指定された遺跡で、
現在より約5500年前~4000年前に営まれた縄文時代の集落跡である。
発掘調査では竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかり、集落全体の様子や当時の自然環境などが具体的にわかるようになった遺跡だった。
膨大な量の縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しており、当時栽培されていたヒョウタン、ゴボウ、マメなどの植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになるなど、数多くの発見が縄文文化のイメージを大きく変えたとネットでは説明されている。
「縄文時遊館」で子供達のトイレを済ませて早速館内を回る。
「さんまるミュージアム」では、遺跡から出土した重要文化財約500点を含む総数約1700点の遺物を展示されている。
入口のタイムトンネルを抜けると左手に「縄文のこころ」コーナーがあったり、重要文化財の大型板状土偶をはじめ、「ヒスイ製大珠」「クリの大型木柱」などが展示されている。
右手の「テーマ展示-縄文人のくらしをひもとく-」コーナーでは、人形などを用いて、出土品から考えられる縄文人の生活の各場面をわかりやすく展示しており、子供達も人形を見てはマンマとか話しかけており、当時の住居内の生活を想像でき非常に興味深い展示内容だった。
時遊トンネルを抜けて遺跡への道を歩く。
最初に目に入るのは高さ20メートルほどの
「大型掘立柱建築跡(おおがたほったてばしらたてものあと)」
6本柱で長方形の大型高床建物で柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、建てられている木柱は直径約1メートルのクリの木だった。これらを見ると緑が深く木の生い茂る日本ならではの古代巨木文明の証と感じた。
そこから奥へ視線を送ると、家族用住居の「竪穴住居跡」、倉庫と思われる「掘立柱建物」、そして何より目を引いたのは「大型竪穴住居跡」だった。
中は何十人いや100人以上が集まることができる規模のものだった。
当時栗などを栽培しながら、海や山で魚や獣を捕まえていたようだが、これほどの人間は長い間生活できたほど、当時は豊かな自然であったことに慎一は驚きを感じた。しかし、食べ物の少ない冬にこの雪深い中で過ごす彼らの生活は相当にひもじく寒かったであろうことは想像できた。
また別の場所には、お墓のようなものもあり、亡くなった人を送り出す、現在と変わらない光景が人形で再現されている。
それは現在の我々と同じで人と人とが肩を寄せ合って、助け合って生きた時代だった。
一巡してから縄文時遊館内のレストランで「あおもり名物貝焼き味噌定食」「縄文美人蕎麦」「温かつくねうどん」「三内丸山縄文古代飯おにぎり」を頼んだ。
双子母娘はやはり「縄文美人蕎麦」を頬張っている。
デザートは縄文人が味わった素材の「そふと栗夢(クリーム)」と「津軽の太陽をいっぱい浴びたリンゴジュース」にした。
(つづく)