慎一は妻から妊娠の事実を告げられた時、
いつかそうなるとわかっていたが、
その瞬間はどう考えていいのかわからなかった。
自分とは異なる人間の中に自分の半分と同じ人間がいるという不思議な感覚だった。
『あなたの赤ちゃんが欲しい』と言っていたので避妊はしなかった。
日々喜びを知って『こんなこと初めて』と恥ずかしそうな素振りの妻、
素敵に変わっていく妻を見ているだけで嬉しかった。
もちろん子供はできた方が嬉しいが、それほど切実には考えていなかった。
長男ではあるが分家である実家は跡取りを考える必要はなかったからだった。
長い間1人だった妻がそんなに早く妊娠するものとも考えていなかったし、
娘は美波がいるので神様にお任せしていた。
でも時間が経ち子供のいることを理解してくるとじわじわと喜びが湧きあがってきた。
『父親になるってこんな気持ちなんや』と初めて理解した。
そして、父親として家族のため仕事や生活への責任も痛感した。
今は、まだ働いているから心配は無いが子供たちが成人する時に自分は定年となる。
それにも増して銀行再編の嵐の中で生き残っていくのも大変な時代だった。
娘との約束『絶対にお母さんのそばにいて欲しい』を守るために
念のための次の人生も考えておく必要がある事に気が付いた。
最近、娘から金融や経営関係の授業の質問があって、妻も興味津々で聞いている。
もともと小料理屋を長年に渡って経営してきたのだから経営者の視点は的確であった。
特に資金活用の視点は非常に優れていた。
冒険や無理をせず安全を優先する。
儲ける時期は外さない。
常に資金に余裕を持たせる運営方針を維持する。
妻と相談してみようと考えたが、
先ずは子供が生まれて落ち着いてからと考え直した。
現在の不動産状況として、
角盤町の良い場所にあった店はすぐに売れて資金は銀行に確保している。
米子の実家は不動産会社を通じて貸し出している。
田畑も企業へ貸し出しているので当座は資金的な問題は無い。
現在の銀行金利はバブル時代の名残も一切無くなり、
今後も1%を越えることは期待できないと思われた。
バブル時代はお金を銀行や郵便局に定期で寝かせておけば勝手に金利がついて、
1億円あれば利子で暮らせると言われていたのにえらく様変わりしてしまっている。
いずれ金利は0円になる時代が来るかもしれない。
それを考えた時、将来の子供との定年後の生活に一抹の不安を覚えた。
まあそうなれば妻が『また店をする』と言い出すかもしれないが
それは最後の手段としてとっておきたかった。
(つづく)