はっちゃんZのブログ小説

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35.静香親子、神戸へ

静香は、今週の土曜日に彼の実家に行くことを決め、妹の幸恵さんに伝えた。

『娘』と一緒に行くことを伝えると、

一瞬の間はあったが、幸恵さんは兄も記憶が戻ればいいなと大喜びだった。

 

土曜日は、米子駅で彼の大好きなできたての『ふろしき饅頭』を買い

朝一番のスーパーやくもに乗って岡山経由で新幹線に乗り換えて新神戸へ向かった。

そこから在来線に乗り換えて神戸駅へ降りた。

当然のことながら神戸は静香が依然住んでいた時とは全く印象は変わっていた。

 

慎一の実家の近くに行くと幸恵さんが長男の遼くんと一緒に待っていた。

遼くんが『オネーチャーン』と手を振っている。

『はじめまして美波です』と言って遼くんの手を繋いで家へと向かっている。

静香と幸恵はお互い挨拶をして歩き始めた。

その時、幸恵の視線が静香の左手に流れたことを自覚した。

静香は夫と死別してから指輪類は一切していなかった。

指輪が夫の代わりにはならなかったからだった。

 

玄関では慎一さんのご両親や幸恵の夫が待っている。

「初めてお目にかかります。後藤静香と申します。

 米子で日下さんには良くして頂いた者で

 日下さんが大変な怪我をされたと聞き急いでお見舞いにまいりました。

 これはつまらない物ですが、日下さんがお好きだった『ふろしき饅頭』です。

 今朝に蒸しあがったものですから皆さんでお食べ下さい」

「こんにちは、娘の美波です。

 おじさんには色々と良くしてくださって感謝しています。

 今日はおじさんの顔を見たくて参りました」

「まあまあ、こんなところで立ったままもなんですから、どうぞお上がり下さい。

 慎一ももうじき出てくると思います。さあ、どうぞ」

 

静香と美波が居間に通されて、お茶を飲みながら色々と話していると

慎一がゆっくりと奥の部屋から出てきた。

頭や肩には厳重な包帯が、顔や手足にはまだ絆創膏が貼られている。

心なしか顔つきにいつもの精彩が見られない。

「兄さん、今日は米子から後藤静香さんと美波ちゃんがお見舞いに来てくれたわよ」

幸恵が気を利かして、家族を部屋から出して3人だけにした。

「おじさん、会えて良かった。美波だよ、覚えてる?」

「みなみ・・・ちゃん?」

「美波、そんなに焦らないで、日下さんもびっくりしてるでしょ?」

「そうだった、おじさん、ごめんね」

「・・・」

慎一は頭の中の白い霧は晴れつつあるが、記憶の霧は晴れてこなかった。

確かにこの2人とはどこかで出会った気はしているが、

ほんの4か月前の話だそうだが、米子と言われても現実感はなかった・・・

 

しばらく色々と話してはいたが、

慎一は頭痛がひどくなって、吐き気がするようになりトイレへ向かった。

静香が後ろから背中をさすってくれている。

美波が我慢できずに泣き顔になって外へ出て行った。

慎一の症状が落ち着いてから

「日下さん、じっくりと養生してください。

 またいつでも米子に遊びに来てくださいね」

「すみません。美波ちゃん・・・でしたか、後でお詫びしといてください」

 

静香は幸恵さんへ米子に帰る事を伝えて日下家を出た。

幸恵は美波ちゃんの態度から兄の記憶が戻らなかったことに驚いてずっと謝っている。

『彼に私達のことはもう話さないで欲しい』とお願いした。

そして、もうこちらには顔を出さない考えであることを伝えた。

彼の苦しみをこれ以上見たくなかったからだ。

私たちと会えば彼を苦しませることになるからだった。

彼のあの様子ではやはり思い出す事は、記憶が戻る事はすぐには無理だと感じた。

『もう二度と彼に会う事はない』と心に決めた。

美波にはかわいそうだが、けがをしたからとの理由で納得させるしかなかった。

しかし、静香も美波も彼との1年半は一生忘れない出来事だった。

『縁(えにし)』という言葉が浮かんだが、今は祈る気持ちにはなれなかった。

彼によって開かれた静香の心の扉は彼によって閉じられた。

また彼に出会う前の静香と美波の日常が始まるだけだと思いこもうとした。

(つづく)