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はっちゃんZのブログ

スマホの方は『PC版』『横』の方が読みやすいです。作品のもくじの章の青文字をクリックすればそこへ飛びます。

32.霧と痛みの世界

小説1:さざなみにゆられて-山陰編-

慎一は目を覚ました。

見覚えのない白い天井が目に映る。

心配そうに覘きこむ母親と妹の顔が見える。

隣にどこかで見たような顔色の悪い痩せた老人がいる。

話し掛けてきているがその内容はわからなかった。

医師が現れて、何か声を掛けてくる。

聞かれている意味がわからないので答えようとした、

その時、全身から突然の痛みに襲われた。

大きな悲鳴を上げたらしく、医師が痛み止めを打ってくれた。

 

しばらくして痛みがひいて来るとまた眠った。

夢を見るわけでなく、眠りたいという意識もなく、ただ霧の世界へ戻っていく。

そういう世界を何度か彷徨(さまよ)うあいだに

意識から少しずつベールが剥がれていく。

 

慎一は

自分がどうやらマンションの階段から落ちて入院していること。

肩を複雑骨折して手術していること。

全身打撲で身体を動かすことも困難なこと。

頭蓋骨は線状骨折で現在、脳組織への障害を経過観察中とのこと。

の4点は理解できた。

しかし

なぜ京都にいるのか

京都で何をしていたのか

全く覚えていなかった。

色々と思い出そうとしても

すぐに頭痛や吐き気が出てきて思い出せなかった。

 

意識の戻ったことを聞きつけて上司が見舞いに来たが誰かわからなかった。

チーム員も顔を出し、慎一が提案した『浜絣』が少しずつブームになりつつあると

報告してくれたがその『浜絣』を理解できなかった。

ただ慎一が京都での仕事は成果が出たということは理解できた。

そうこうするうちに年末の忙しさのため仕事関係者の足も遠のいて行った。

 

医師は、慎一と家族へ

「脳実質に頭蓋骨骨折の影響はなく、脳出血等の心配もなく

硬膜下血腫の起こらないことを確認できたのでもうリハビリに入ってください。

記憶が戻らないのは一時的なものなので安心して、しばらく静養してください」

そして、神戸の実家近くの病院を紹介され、

リハビリ開始と共に正月は実家でゆっくりと過ごした。

有給休暇も使い切ったので

銀行側も現場復帰はまだ無理との判断で長期療養の手続きに入った。

 

妹が京都のマンションに行って当初の生活着を持って帰って来た。

色々な物を箱に詰めてきたとは聞いているが中を全く見なかった。

実家では自分の部屋で横になっては眠り、リハビリに行って帰っては眠った。

当然、頭が本調子でないことは理解していたが元に戻す気力が湧かなかった。

 

実は母親と一緒にいる爺さんは父親だとわかって驚いた慎一であった。

母親が昔の写真を持って部屋に入ってきては色々と話していく。

昔の酒の入っていない父親の姿は当然だが若かった。

慎一もにっこりと笑って父親に抱き上げられている。

七五三の時の妹幸恵のうれしそうな顔。

慎一は記憶にあった父親の姿が変わっていくことに気がついた。

『夫婦のことは夫婦しかわからない』という言葉が浮かんできたが

頭痛がしてきたので写真から目を離して休んだ。

しかし少しずつではあるが、慎一は意欲が戻りつつあり

『何とかしなくては』と思い始めてもいた。

(つづく)