朝早く2階の客間で慎一は目覚めた。
台所からいつもの音が聞こえてくる。
下りていくと静香さんが忙しそうに二人分のお弁当を作っている。
「おはよう」
「あっ、おはようございます。今日は一日いい天気みたいです」
静香さんは慎一の方へ一瞬含羞(はにか)むような表情を浮かべ笑った。
顔つきが少し明るく見える。
慎一はほっとした。
少しすると美波ちゃんが下りてきた。
美波ちゃんは夏休みの仕上げとして他校との練習試合があるらしい。
今日は『この時計で絶対に勝つ』とはりきっている。
やがて3人のおだやかで楽しい朝食が始まった。
『ほかほかの仁多米』
『アラ汁』
『ダシ巻卵』
『鯵の一夜干しの焼き物』
『刻み野菜の浅漬け』
『岩のりの自家製佃煮』
普通の家の朝食風景。
本当にこの家の料理は美味しかった。
優しい味付けで身体の内から力が湧いてくる。
ふと慎一は早くも今晩からのご飯に味気無さを感じた。
試合は昼前からのため、慎一と同じような時間に家を出るようだ。
「男の人と一緒に出るなんて、なんかお父さんと一緒みたいでうれしい。
お弁当も一緒だし、『お父さん、いってらっしゃい』ってね。
じゃあ、いってきまーす。試合結果はメールで知らせるね」
「まあまあ、慌ただしい子ねえ。でも本当にうれしそう」
「ああそうやなあ、こんな感じなんよなあ。きっと家庭って」
「じゃあ、慎一さん、いってらっしゃい」
「うん、静香さん、いってきます。帰る時は必ず連絡するから」
「はい、待ってます。お気をつけて」
岡山から新幹線に乗り京都まで一本でドアツードアで4時間もすれば着いた。
新幹線の中で食べた静香さんのお弁当は本当に美味しかった。
冷たくなってもしっかりと味が付いており食べ終わるのが惜しかった。
空になった朱塗りのお弁当箱をハンカチに包み鞄に入れた。
15時に引越業者が来るので駅前の社宅に向かった。
その夜美波ちゃんから『今日も勝利、おじさんもきっと勝利』とメールが入っていた。
翌日、支店長へ挨拶に行くと
『君には期待している。是非とも我が支店をトップにしてくれ』との一言だった。
職場に顔を出し挨拶をしてチーム員と打ち合わせ、
またもや慌ただしい日々が始まった。
毎日多くの得意先への挨拶と資料の読み込み、資料持ち帰りの日々が続く。
たまに送られてくる美波ちゃんや静香さんのメールを
読む時だけが慎一の憩いのひとときだった。
慎一を呼んだ繊維会社の支店長は知らない人だった。
神戸支店で相当に実績を上げた人らしく、
慎一のことを支店で色々と聞いてきているため、何かにつけて直接連絡が入る。
『京都の商売が初めてで不安で一杯だが絶対成功させなければならない』と力説している。
それは慎一も同じだったが、
大切な会社なので何とか励ましながら夜討ち朝駆けで働いた。
慎一は新しい提案として『米子市の浜絣』を京都で紹介してみようと考えていた。
京都には浜絣を扱っている会社はなく、この会社だけが扱うことで
『普段着の絣生活』という感覚を京都市民へ紹介できるのではという骨子だった。
着物の本場である京都ではちょっとやそっとでは注目されない。
昔から京都とも関係のある山陰地方の一地方、米子の名産品は珍しいと考えた。
これがうまくいけば米子に早く帰れるかも・・・
土日も時間が出来れば、横になって寝ている日々が続く。
京都産の食材は美味しかったが、残念ながらさざなみに匹敵する小料理屋はなく
味付けも慎一には合わなかったため、味気なくご飯を詰め込んで帰る日々だった。
12月もまたもや人間的な生活をできる時間は全く無かった。
だが、慎一のチームのがんばりで融資課は徐々に成果があらわれつつあり、
繊維会社も少しずつうまく行き始めているとの連絡があって慎一もほっとしていた。
(つづく)