はっちゃんZのブログ小説

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16.初詣

マンションに戻るとポストに美波ちゃんから年賀状が来ていた。

『新年あけましておめでとうございます。

 美波は今年こそテニスで県大会上位を目指します。

 今年も昨年同様に『さざなみ』をよろしくお願い申し上げます。』

 PS.旧年中は大変お世話になりありがとうございました。

   今年も身体に良い美味しい物を作りますのでお待ちしています。

   今年こそドジをしないようにがんばります(笑)静香

 

慎一は文面を何度も読みながら部屋へ入った。

窓を開けて空気を交換していると、雪に包まれた綺麗な大山が見える。

富士山のような形で米子の人がこの山を愛するのがよくわかる気がした。

ピーンと張り詰めたような冬の空気が顔や肺へ刺激を与え、

胸に溜まっていた父母への鬱屈した怒りは少しずつ吐き出されてきている。

 

『ピンポーン』

ドアを開けると何と晴れ着を着ておめかしした静香美波親子が立っている。

「おじさん、明けましておめでとうございます。今年もよろしく」

「日下さん、驚かせてごめんなさい。

今、カンダ神社へ初詣に行く途中、偶然日下さんの車が停まっているのを

美波が見つけたものだから寄って見ました」

慎一は米子では初詣に行っていなかったことに気がついて、

「そうですか。じゃあご一緒していいですか?」

「おじさん、いいの?疲れてないの?」

「大丈夫、車の運転は好きやから疲れれへんよ」

「日下さん、お忙しくないですか?」

「大丈夫、明日1日あれば仕事の準備はできるから心配せんといて下さい」

「じゃあ、みんなで行きましょう!レッツ、カンダ神社!」

 

カンダ神社は、その音だけきくと「神田」を思い浮かべてしまうが

「勝田」と書いて「カンダ」と読む。

勝田神社

賀茂神社天満宮祇園社などとともに米子で最も古い神社の一つ。商売繁盛の神様。

江戸時代には米子城の北の守りとして重んじられ、昔から米子の総鎮守として、一般に「かんださん」の名で親しまれてきたようだ。

社伝によれば、米子市境港市の間にあった夜見ノ浜外江村にご鎮座されていたが、

天文年間(1532~1554)この場所に鎮座された。

社号の起源は不明だが、昔からここら一帯を勝田庄と呼ばれたためとなっている。

 

手水舎で手と口を清めて境内へ入り、3人で参拝してから、

いつものように社伝やご祭神名や由来の説明板を丹念に読んでいる慎一の姿を

静香美波親子は笑って見つめている。

そして、必ずおみくじを引く。

「招き猫のおみくじ」が目に入ってきたので3人で祈りながら引いた。

「やったー、私、大吉」美波が大喜びしている。

慎一と静香は「末吉」で顔を見合わせて笑いあった。

お店用に商売繁盛の御札を、車用に交通安全のお守りを購入した。

 

 帰り道に静香が

「もし良かったらうちで晩ご飯でもいかがですか?大したものはありませんが」

「おじさん、一緒に食べようよ」

「うん、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて。

 その前にうちでコーヒーでも飲もうよ。美波ちゃん何か予定ある?」

「残念、実は私、夕方まで元町サンロードで友達と遊ぶ約束してるの。

 ごめんなさい。良かったらお母さんにコーヒーをご馳走してあげて」

「いえいえ、もう帰りますから」

「まあ、いいやないですか。ぜひ飲んでいって下さいよ」

「は、はい、お言葉に甘えて」

美波は晴れ着を着たまま友達と歩くようで携帯でもう楽しそうに話している。

慎一と静香はマンションまで帰ってきてエレベーターに乗った。

品の良い化粧品の香りが漂ってくる。

「失礼します」

少し頭を下げて玄関から入ると静香が部屋の中をそっと見ている。

「静香さん、そこのソファーに座ってて下さい。今コーヒーを淹れますから」

「日下さん、申し訳ないですが、実は私、コーヒーが苦くて飲めないの」

「えっ?じゃあ、苦くない甘いコーヒーを淹れましょう。

 美波スペシャルとは違うレジメで考えてみます」

「美波スペシャル?もしかしてあの子、この部屋にお邪魔していましたか?

 やはり・・・やたら日下さんの情報に詳しいなとは思っていたのですが・・・

 すみません。無理ばかり言って甘えてばかりで」

「別にええよ。僕自身はあんな可愛い娘がいたらいいなと思ってるんや。

 実は全然邪魔にならないどころか、こっちのストレスが癒されるくらいやで。

 僕にとっては美波ちゃんの笑顔は百人力です」

「そう言ってもらえれば安心します。ありがとうございます。

 やはり父が必要なんですね」

「いやいや、お父さんみたいなそんないいもんやないですよ。

 まあ一緒にいても安心できるオッサンちゅうことだと思いますよ」

「オッサン、やなんてそんなことあらしまへんよ。あっ」

「ははは、静香さんの関西弁もええなあ」

「もう日下さんと話してたら、移ってしもうたやん」

「ははは、こりゃあ、ええわ」

「ほほほ」

 

慎一はコーヒーの苦味が苦手な静香用コーヒー考えた。

先ず苦味の少ない豆でコーヒーを作るところは美波スペシャルと同じ、

コーヒー豆も苦味のないキリマンジャロを挽き、ドリップで落とした。

その熱いコーヒーへ、

スプーン1杯分の、火を点けてアルコール分を飛ばしたブランデーを入れる。

別に作った『水飴で甘くした泡立て生クリーム』をコーヒーと同量分を浮かせた。

生クリームと一緒に飲むことでコーヒーの苦味が殆ど消え、

ブランデーの香りだけが舌に残った。

その日から慎一の部屋でのコーヒーメニューに「静香スペシャル」が入った。

 

「静香さん、どうぞ、静香さん用スペシャルです」

「はい、ありがとうございます」

静香は生まれて初めて苦味のない美味しいコーヒーを飲んだ。

ほのかに香るブランデー、

やや甘すぎる生クリームがコーヒーの苦味をコーティングして、

コーヒーの美味しいところだけが舌に残っている。

「日下さん、こんな美味しいコーヒー生まれて初めてです。

 コーヒーってこんなに美味しいものだったんですね。

 今後は少しずつ挑戦してみます」

「喫茶日下はいつでも開店していますから、静香さんもいつでもどうぞ」

「はい、喜んで、いつもありがとうございます」

「実は、実家でちょっと嫌なことがあってムシャクシャしてたんやけど、

 静香さんと美波ちゃんに会って初詣行ったら、もう直ってしまいました。

 こちらこそありがとう」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます」

姫神の音楽を掛けて二人で並んでコーヒーを飲んだ。

静香さんは、そっと窓を見て

「このお部屋から見る大山は本当に綺麗ですねえ。心が晴れます」

「そうですね。毎日見ています。本当に綺麗です」

慎一は、静香の横顔を見ながらそう話した。

 

 静香さんが夕食を作っている時、美波ちゃんが帰って来た。

「ただいまあ、お母さん、お腹空いたあ」

「おかえり、大声で恥ずかしいわねえ」

「だって、美波は育ち盛りだもーん。ねえ、おじさん」

「そうやなあ、いくら食べてもお腹空くやろうなあ。僕もそうだった記憶あるなあ」

「そうだって、お母さん」

「はいはい、日下さんを味方にしてずるいわねえ」

美波ちゃんが二階へ着替えのために上がって行く。

「日下さん、そろそろ出来ますから、おせちをあてにお先にどうぞ」

受け皿に零れるほど冷酒のトップ水雷が枡へ盛られている。

一口飲むと鮮烈な杉の香りが胃を直撃する。

優しい味のトップ水雷にはちょうど良いアクセントが付いている。

酔っぱらって忘れてはいけないのでご飯の前に美波ちゃんへ『お年玉』を渡した。

 

ハマボウフウとイカゲソの酢味噌和え』

 清々しい野趣あふれるハマボウフウの香りが鼻に抜ける。

『あごのやき、あごかまぼこ、紅白かまぼこ、伊達巻、黒豆の盛り合わせ』

 山陰地方では良く食べられているトビウオ野焼とかまぼこ、特有の味に舌鼓。

『サトイモ、高野豆腐、ニンジン、サヤエンドウ、コンニャクの煮しめ』

 箸置きと酒のあてには最高。優しい味に癒される。

『ブリ、サザエ、アワビ酒蒸しの刺身』

 旬の脂がのったブリ、鮮烈な磯の香りが鼻を吹きぬけるサザエ、

 柔らかく蒸された肉厚のアワビ、どれも酒にご飯に良し。

『ブリの照り焼き』

 箸で身を切ると甘辛い照りをはがすほどの脂がにじみ出てくる。

『いただき』

 鳥取県西部だけに伝わる変わりご飯で、油揚げに包まれた炊き込みご飯。

『小豆雑煮』

 本来は柔らかく茹でた丸餅を塩味の澄まし汁に入れて煮小豆をのせたものだが、

 後藤家では、茹でた小豆を砂糖で甘く味付け、餅を入れて煮たものとしている。

 

慎一はゆっくりとひとつひとつ味わいながら口に運んでは酒を飲んでいく。

静香さんはと言うと『今日は特別』と言い訳がましく、

美波ちゃんに聞こえるように言いながら升酒のトップ水雷を飲んでいる。

各料理について、静香さんが由来や作り方を教えてくれている。

慎一はこんなお正月を迎えるとは想像もしていなかったので少し飲み過ぎた。

 夕食後、美波ちゃんが少し部屋に来てほしいというのでついていくと、

この前の試合の時の写真が写真立てにおさまっていた。

この写真立てをもう一つ取り出して慎一へプレゼントしてくれた。

ふと机の上の教科書が見えた。『物理』と『数学』だった。

何気なく教科書を開いて読んでいく。

「美波は、物理と数学が少し苦手なの」

「どれどれ」

「この問題が解けないの」

「ふーん。これはこの考え方で間違いないけど、この係数の意味を間違えとるよ」

「あっ、本当だ。なーんだ、そうだったの、こうしたら、解けた。うれしい」

「じゃあこれは? 物理だけど」

「力学ね。この運動は・・・・」

「ああ、そうなんだ。おじさんすごい。学校の先生よりよくわかる」

「ちょっと酔ってるけど、大丈夫だった?良かった」

慎一は高校時代、数学、英語、物理が得意で学年でも上位だった。

内容的にはそれほど変わっていないので今でも解くことができた。

「僕で良かったら家庭教師しようか?この内容なら大丈夫やで」

「えっ?いいの?じゃあ普通の日はおじさん忙しくて疲れているから、

 土曜日か日曜日の夜にまとめてお願いできる?」

「僕でいいならいいよ。今度はちょっと勉強し直しとくな」

「無理しないでね。でも美波、嬉しい。おじさん、すごいねえ」

「ああ、まぐれまぐれ、ははは」

「お母さんにこのこと話してくるね」

下に降りていくと静香さんの少し強めの声が聞こえてくる。

「静香さん、僕は無理してないから安心して」

「もう、本当にこの子ったら。日下さん、本当にすみません」

「おじさん、家庭教師の時はうちの家でご飯食べない?私はそっちの方がうれしい」

「ああ、静香さんや美波ちゃんがいいなら、こっちはその方がありがたい」

「じゃあ、お母さん、それでいいよね」

「うーん、わかったわ。もし良かったらお願いします。日下先生」

(つづく)