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はっちゃんZのブログ

スマホの方は『PC版』『横』の方が読みやすいです。作品のもくじの章の青文字をクリックすればそこへ飛びます。

5.面影

小説1:さざなみにゆられて-山陰編-

6月中旬を目標としていた大きな融資案件がやっと決まり、融資課開設後、

初めて月目標が達成する目処が着いた。

9月までは徐々に決まりつつある案件でスムーズだった。

6月21日は誕生日で、久しぶりに『さざなみ』でゆっくりとできそうだった。

仕事を早く仕上げて、帰宅しラフな服装に着替えた。

「いらっしゃい。あら?今日はラフな格好ですね。日下さん」

「こんばんは。うん、大きな山が一段落したから」

「それはおめでとうございます」

「うん、ほんまにきつい2ヶ月やった。でもここのご飯で体力が持ったみたいや」

「いえいえ、日下さんがずっとがんばっていたから、本当におめでとうございます」

静香は、いつもの日下さんが戻ってきたことをうれしく感じた。

 

「はい、まずはビールを一杯、どうぞ」

慎一はコップに注がれたビールを口に含み飲んだ。

『ゴクリ』

いつものように目が閉じられた。眉毛が寄る。

『ふう』

ここから寄った眉毛が広がっていく。

次には目が開けられて

「うまいなあ」の一言。

静香はこの仕草をじっと見ている。やがて柔らかな笑顔に変わった。

『やはり勇二さんと同じだった』

 

慎一は自分をじっと見ている女将に気が付いた。

『うん?』

『ううん、ふふふ』

二人は笑った。

「女将さん、今日のお奨めをよろしく」

「はい、そうねえ。今日はタイ、アジ、スズキ、沖メバル、ハマチくらいかしら」

「今日はゆっくりと飲みたいので刺身からよろしく」

「はい、わかりました」

いつものように手際よく魚が裁かれた。

 

「タイ、アジのタタキ、スズキの洗いの盛り合わせよ。どうぞたっぷり召し上がれ」

「おう、こりゃあ、うまそうや。いただきます」

アジのタタキは、細ネギがかかっており、コリコリした新鮮な歯ごたえ。

スズキは、洗いにされており磯の香りが口一杯に広がり鼻から抜けてくる。

タイは皮付きと身だけの方の2種類ある。

皮付きは湯引きされており皮の旨さが加味された甘さが、

皮を削いだ方は、コリコリした身の触感と甘さが、噛めば噛むほど湧き出てくる。

やはり魚の王様だけあると感心した。

 

ふと慎一は日本酒が欲しくなった。

「女将さん、日本酒飲みたいなあ。冷やして飲めるお酒はある?」

「うちでは、『稲田姫』と『トップ水雷』がお奨めです」

「じゃあ、初めて聞いた『トップ水雷』をお願い」

「はい、わかりました」

冷酒がコップから零れるほどに注がれた。

慎一は受け皿へこぼれたお酒をそっと飲んで、おもむろにコップから一口。

『トップ水雷』は、舌触りが柔らかで、やや甘めだが舌に残らずすっきりしている。

これはいくらでも飲めそうで、ある意味危険なお酒であった。

脳裏に一升瓶を抱いたまま眠っている自分を想像し苦笑いをした。

 

女将さんの話では、『純米酒トップ水雷』の醸造元は、江戸時代より続く米子市の老舗酒蔵「稲田本店」で、昭和の初めに全国に先駆け「冷やして飲む」ためのお酒として発売した。『水雷』と言う名称は明治時代に天皇陛下が山陰行幸に随行した時、東郷平八郎元帥が蔵元へ立ち寄り、そのお酒に『水雷』と命名したらしい。『トップ』は日本一になるという思いを込めて『トップ水雷』と改名したとの話だった。

このすばらしい美味しさならば、東郷元帥を陶然とさせたのもわかる気がした。

 

しばらくすると慎一以外のお客さん数人が席を立った。

「女将さん、そろそろ勘定ごしない」

「はい、今日はありがとうございました。またいつでもお越しください」

「女将さん、今日はだんだん」

「そうそう、女将さん、昔・・・・・・」(声が小さく聞こえなかった)

「それはそれは、ありがとうございます」と頭を下げてお礼を言っている。

そのお客さん達が出ていくと、女将さんは足早に厨房奥に引っ込んだ。

慎一の前を通る時、横顔が一瞬見えたが、目頭が少し赤く見えた。

女将さんは厨房の奥からしばらく出て来なかった。

 

手元の日本酒が無くなる前に女将さんが厨房奥から出てきた。

まだほんのりと目頭が赤く、心なしか声も少し震えている。

「日下さん、すみませんでした。少し嫌なことがあって」

「別にいいよ、美味しい刺身を食べて、美味しいお酒を飲んでるから幸せ」

「日下さんは、まだ帰らないで下さいね。少し早いけど暖簾を下ろします」

「大丈夫なん?」

「ええ、大丈夫です。今日は気が乗らないので閉めます」

「うん。それがいいよ。もし良かったら帰るよ」

「違うんです。女だてら一人でお酒飲むのは飲んだくれみたいで嫌だから、

 日下さんさえ良かったらご一緒してください」

「それは大歓迎です。ラッキー」

 

女将さんは暖簾を下ろして、「さざなみ」の看板の電気を消した。

「ちょうど娘の美波ももうじき晩御飯を取りにくるので一気に作っていいですか?

 それとここからはお金要りませんから安心してください」

「別にええよ。お金は払うから」

「いいえ、では今、今日のお勘定を頂きますのでそれでいいかしら?」

「女将さんがいいならいいけど。ではお言葉に甘えて」

女将さんが、娘さんや慎一のおかずを作り始めた。

慎一の手元のコップには、なみなみと『トップ水雷』が入っている。

お酒のアテには『ヒラマサの塩焼き』が置かれている。

少しずつ飲みながら女将さんの手元を見ていた。

女将さんの表情から暗さが少し消えて目に光が戻ってきている。

カウンターにはどんどん料理が並べられていく。

『沖メバルの煮付け』『鯛のお頭煮付け』『真子と野菜のあっさり煮』

『大山地鶏の塩焼き』『野菜サラダ』『ラッキョウの塩漬け』

 

「あれっ?もう終わってるの?お母さん?あっ、いらっしゃいませ」

「ああ、美波、今日は早く終わったの。カウンターの人は日下さん。

 お母さんがいつもお世話になっている常連のお客さんよ」

美波は、慎一に近づいてくるとニコッと笑いあいさつをした。

「ただいま、紹介に預かりました美波です。いつもさざなみをありがとうございます」

「ああ、日下です。いつもお母さんにはお世話になってます」

「もしかして、おじさん、関西の人ですか?イントネーションが関西風なので」

「美波、何を失礼なこと聞いているの。ダメよ」

「はーい。でもどこかで聞いたことある感じなんだよねえ」

慎一はやっと思い出した。

「美波ちゃん。3月31日に元町サンロードの小物を売る店にいたよね?」

「3月31日?あまり覚えていないけど土日はよく友達と行くわよ」

「ちょうど、その日、米子に赴任してきて、そのサンロードを歩いた時、

 誰かにぶつかったこと覚えてる?まあ昔だし覚えてないか」

「あっ、あの時ぶつかって謝った時、『別にええよ』とか言ったおじさん?

 コテコテでない柔らかい関西弁って米子では珍しいから覚えていたの」

「いやあ、奇遇やねえ。あの可愛いお嬢さんが美波ちゃんか」

「かわいいだなんて、おじさん正直者。ありがとうございます」

「美波、何を騒いでいるの?今日は店で一緒に食べましょう。準備して」

「はーい、じゃあおじさんゆっくりと飲んでてね」

 

それから慎一はしばらく女将さん親子と楽しい時を過ごした。

昔、結婚していればきっとこれくらいの娘がいたのだと思うと、

美波ちゃんの顔が眩しく見えて、一緒にいる自分が面映ゆかった。

美波ちゃんはご飯が終わった後はテレビを見てゆっくりとしている。

ただ冷酒のせいかアルコールのまわりが思ったより急で、

女将さんも珍しく酔って眠そうな感じになっている。

美波ちゃんはいつも一人で食べている。

今日は3人なのですごく嬉しいと喜んでいる。

 

その楽しい時間も女将さんがいよいよ船をこぎ始めると

「今日の母さん珍しいな」と美波が焦り、後片付けや店じまいを始めた。

女将さん小上がりにすわり、そっと柱に持たれて眠っている。

美波ちゃんが鍵を持って、女将さんの腕を肩に回して立ち上がった。

「お母さん、帰るよ。お客さんもいるのに失礼だよ。おじさん、今日はありがとう。

 今日みたいなお母さんは初めてで私も焦りました。

 これに懲りずまたのご来店をお待ちしています」

「うん、お母さん、疲れているみたいだから気をつけてくださいと。

 心配しなくても来るよ。こんな美味しい料理の店は米子ではここだけだからねえ」

女将さんと美波ちゃんはタクシーを拾って帰って行った。

慎一は心地よい酔いに身を任せて、ゆっくりと歩いてマンションに向かった。

(つづく)