はっちゃんZのブログ小説

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2.「さざなみ」初来店(改)

明日から久しぶりの大型連休で十連休となった。

4月は年度初めであり、融資部全員一丸となって高い目標で動いたが、

残念ながらいい成績は出なかった。

連休前の4月27日夕方は、職場の同僚もソワソワしている。

恋人や家族との旅行を控えた人が多いようで

口々に「お疲れ様でした」とそそくさと退社していく。

慎一は特に計画もなかったが、米子市近辺のドライブでもしてみようと考えていた。

 

今日の晩御飯こそは、久しぶりにゆっくりと食べて飲んでみようと

米子市の繁華街の一角の角盤町へ出てみることとした。

角盤町の路地には夕暮れに家路へと急ぐ人達に混じり、

もうだいぶアルコールが入った様子の数人の酔客も歩いている。

町の様子を見ながら何気なく少し細めの路地へ目を移した。

 

小さな看板で『さざなみ』と板書された小料理屋が目に入った。

暖色系のライトが、さざなみの四文字を抜き取った水色地の新しい暖簾を照らしている。

暖簾から中を覗くともうすでに数名のお客さんが入っており、

酒に染まった赤い顔で大声を上げて笑っている。

あまり変な店でもなさそうなので新規開拓に自分用の店として入ってみることとした。

「いらっしゃいませ。こちらのカウンターへどうぞ」

「お絞りをどうぞ」

慎一は熱々のお絞りで顔や手を拭きながらそっと店内を見廻した。

『小料理屋さざなみ』は小さな造りのお店で、

カウンター席8席、奥に6名ほど座れる畳の小あがりがあった。

女将さんは着物を襷掛けにして、髪をアップにし料理を作っている。

その横顔をどこかで見た記憶があったがすぐには思い出せなかった。

「女将さん、まずビールをお願いします」

「はい、生ビールにされます?瓶にされます?」

「最初の一杯は生ビールで」

「はい」

中ジョッキにビール7割、泡3割の生ビールが手元に運ばれてきた。

久しぶりのビールを一気に流し込む。

冷たくほろ苦い柔らかい液体が喉を通り、疲れた身体の隅々まで広がっていく。

知らぬ間に目が閉じられ、五臓六腑に染み渡る心地良い痺れを堪能した。

 

「これは、お通しです。『白イカげその酢味噌和え』です。」

「白いか?ふーん。初めて聞きました」

「えっ?お客様、米子は初めてですか?こちら山陰で獲れるイカなんですよ」

『どれどれ、味はイカガ?』と一切れ口に運んだ。

ちょうどいい塩梅に湯引きされており、小気味よく歯で切れる。

舌には小さな吸盤が当たり、噛んでいくとイカの甘みが口一杯に広がった。

イカ好きの慎一は今までたくさん食べて来ているがこれほどのものは初めてだった。

「美味しいでしょ?

 このイカは年中美味しくて米子の人はみんな大好きなんですよ」

「うん。これはおいしい」

「では白イカを刺身にしましょうか?」

「うん。お願いします」

女将さんは慎一の目の前で手際良く白いかを捌き始めた。

胴体を糸作りにしている。

店の中をよく見ると他の客も白いかの刺身を頼んでいる。

ビールを飲みながら女将さんの包丁裁きに見いっていたが、

ふと襷掛けしている着物の袖から二の腕が一瞬見えて、

少し心臓のリズムが早まったのを感じた。

「はい、どうぞ。次は何をお飲みになりますか?」

「では、次は瓶ビールにします」

 

『白イカの造り』

 瑞々しく光った半透明に透き通る刺身が綺麗に並べられている。

先ず、刺身に山葵を少し盛り、そっと持ち上げる。

山葵を落とさない様にそっと刺身の端へ醤油を付けて口へ運ぶ。

刺身の角が立っておりイカ特有のツルリとした感触が舌に触れる。

歯でそっと噛んでみる。

やや厚めの肉質のわずかな抵抗が歯に伝わり、

噛み切ると切れ端が歯茎や舌に跳ねるほど弾力に富んでいた。

それ以上に驚いた事はそこから訪れる甘みの世界の秀逸さだった。

 

慎一の仕草を微笑ましく見ている女将と目が合い

「いかがですか?まあビールをどうぞ」

「いかがですか?うまい洒落ですね。

 ははは。本当にうまいイカですね。驚きました」

「それは良かった。気に入ってくれてうれしいです」

女将さんに地の魚や米子のことなどを聞きながら、

この四月に四国から転勤してきたことやこの一ヶ月殆ど休む間のなかったことを話した。

「四国なんですか?関西の人と思っていました」

「ああ、生まれは神戸です。転勤族ですから色々なところに行ってます」

「神戸?そうですか。

 私も若い時、少しですけど神戸にいた事があります」

「そうなんや。それは奇遇やねえ」

「そうですね。もうあまり覚えていませんが・・・」

「でも、それはすごくうれしい。またここに来る楽しみが増えた」

「ありがとうございます。いつでもお待ちしています」

女将さんは、刺身がなくなると野菜の煮つけや肉の炒め物など

色々と違う品を出してくれるので慎一は満腹になった。

ここ一ヶ月の疲れもあり腹が一杯になると眠くなりもう帰ることにした。

 

お勘定をしてもらい外に出ると偶然ポニーテールの女の子とすれ違った。

どこかで見た記憶があると考えながら

思い出せないままマンションに帰り、

風呂へ入りすぐにベッドに横になった。

久しぶりの気持ち良い睡眠だった。

その夜の夢は、なぜか『さざなみ』の女将さんと

この前アーケード街で出会った女子高生が出てきて、

二人が作った巨大白イカの造りを必死で食べている慎一がいた。

(つづく)