『小料理屋さざなみ』で気持ち良く飲んで眠った翌日、自然に目覚めたのは正午手前だった。
朝昼食兼用でトーストとコーヒーとサラダをニュースを見ながら食べた。
ベランダからは、『秀峰大山』が花曇りの空を背に際立って見える。
掃除しながらここ一週間の溜まった洗濯物を洗い、
乾燥後はワイシャツや下着やズボンへアイロン掛けをした。
元々きちんとした性格の慎一は、長い独身生活で
日常ではあまり困ることがなくなっており、
家事に関してはだんだん結婚から遠ざかる自分を感じている。
20歳代はそれなりに恋人もいて結婚も考えていたが、
生活のすれ違いから別れてからは仕事一筋で生きてきた。
最近同僚を始めとして最近の若い女性を見ていると
掃除、食事、洗濯、アイロン掛けなど日常生活も苦手な人が多く、
いくらテレビ番組がおもしろおかしく大げさに編集されているとはいえ、
『ただ若いだけ』では彼女たちにそれほど魅力は感じなかった。
30歳頃までは母親からしつこく結婚するように言ってきていたが、
35歳を過ぎた頃から教師をしている妹夫婦と住むようになり、
孫の面倒を見始めると何も言わなくなった。
実家は分家なので墓や跡取りとかを気にしなくていいことが幸いだった。
明日からは米子市を中心としたエリアのドライブを考えている。
山陰地方の地形的特長として、東西に非常に長く、南北もそれなりに長い。
JRは山口県下関から京都まで東西に一本通っているので海岸沿いの移動には便利だが、南北には不便だった。高速道路は計画段階のものが多くバス移動が主で十分でない。
結局、長時間の運転を覚悟すれば自動車が一番便利な移動手段だった。
昔からドライブや神話・神社を趣味としている慎一には楽しみだった。
翌朝すっきりと目が覚めたので少し早めだが、
朝ご飯を食べて大山へ出かけた。
米子市街地から出雲街道(国道181号線)に入り、
米子南インターから米子バイパスへ左折し、
米子東インターで下りれば大山への道に入る。
まだ行き交う車もまばらで、窓から入って来る涼しい風は
新緑の季節を満喫している木々の喜びの香りに満ちていた。
道沿いにはところどころ数台の車が止まっており、
山菜をとる地元の人の姿が見える。
色々な看板がフロントガラスを流れていく。
「大山トムソーヤ牧場」「乗馬センター」「ブルーベリー農園」、
その他ゴルフ場やホテルへの案内だった。
そんな中、道路沿いのうっそうと茂る樹木の間にポツンと立つ
ペンションのような外装の『喫茶マナイの家』を見て、
帰りには立ち寄って美味しいコーヒーでも飲もうと考えた。
しばらく走っていると旅館街が見えてきた。
大山寺と大神山神社奥宮を参拝するため駐車場へ車を停めた。
大山寺までの道は旅館や土産物屋・食事処が並んでいた。
まだ昼まで時間はあったが多くの人が歩いている。
ネット情報では
『大山寺は、天台宗別格本山角盤山の名称の他に中国観音霊場29番札所、伯耆観音霊場14・15札所、出雲國神仏霊場10番札所とされている。奈良時代養老二年(718年)出雲の国玉造りの依道(出家後、金蓮上人)に依って開山されました。昭和の三年四度の火災に見舞われた本堂は昭和二十六年に再建されました。現在も尚、山内寺院十ヶ院、重要文化財阿弥陀堂及び弥陀三尊を初め、宝物類も数多く残され、実に山陰の名刹として、天台でいう所謂鎮護国家の霊場として更に、中国地方一円の人々から御先祖様に会える寺として崇敬を集めています』と紹介されている。
まず大山寺に着くと、
「本堂」のご本尊の地蔵菩薩様
「下山観音堂」のご本尊の十一面観音菩薩様(控仏)
「阿弥陀堂」のご本尊の阿弥陀三尊像
「護摩堂」のご本尊の不動明王様へと順次厳かな気持ちでお参りした。
そして霊宝閣の十一面観音菩薩様を始めとして多数の仏像に見入った。
昔から多くの人々が一心にお祈りを捧げてきたのだと思うと心が落ち着いてくる。
慎一は仏を前にして心を空にして、ただひたすら自らの健康と無事に感謝した。
次は、『大神山神社奥宮』への道を探した。
大神山神社奥宮までは、うっそうと茂る森の中、自然石による参道が続いている。
神門が見え、その奥に佇む奥宮が見えた時、慎一は息を呑んだ。
日本最大級の権現造りの立派なその造りに、
そして奥宮内部の華麗さに、
天井画の鮮やかさに感動し、厳かな気持ちで参拝した。
縁起には
御祭神は、大己貴神(おおなむちのかみ・奥宮)又は、大穴牟遅神(おおなむぢのかみ・本社)様で、どちらも大国主神のお若いときのお名前だった。大己貴神(大国主神)は古事記、日本書紀、出雲風土記等の神話・伝説の主人公の一人であり、特に国造りをされたことから産業発展、五穀豊穣、牛馬畜産、医薬療法、邪気退散の神と紹介されている。
確かにはるか昔、古代それも日本創世の時代の話である。
慎一は京阪神・四国などで今まで多くの神社に参拝したが
これほど古い歴史のある宮には参拝したことはなかったので感動した。
大山寺へ下りて来ると少し汗ばんでおり、喉が渇いていたが
自販機で飲み物を買うのを我慢して朝に見つけた喫茶店へ直行した。
『喫茶マナイの家』では幸いなことに駐車場には1台も車が無かった。
ゆっくりとコーヒーの香りと味を楽しむには1人が1番だったからだ。
入口で靴を脱いで、いい香りのする板張りの廊下を進んだ。
可愛い英国製のアンティークが部屋中に飾られていた。
「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」
案内された部屋は木製のテーブルと椅子が8セットほど並べられている。
案内された時、テーブルにそっと置かれた水滴のついたコップの水。
その水滴に宿る光に惹きこまれて、ついついメニューを見る前に、
軽く喉を潤すためにそのコップの水を飲んだ。
「!!!???」
この水は声にならない美味しさだった。
慎一は一気に飲んでしまっていた。
ほんの少しのリンゴ果汁でも絞り込んでいるかのような
しつこくない甘みと喉通りの爽やかさ!
「このお水をもう一度下さい。本当に美味しいですね。
何かされているのですか?」
「いえ、このお水は毎朝、『天の真名井』まで行って汲んできたそのままです。このお水でコーヒーや紅茶も作ります」
慎一は、ブレンドコーヒーを頼んだ。本当に楽しみだった。
しばらくすると
「ボーン、ボーン、ボーン」とアンティークの時計が鳴った。
入口方向から新しいお客さんの足音がしてきた。
ほんの少しの間に半分ほどの席が埋まった。
やがてコーヒーが運ばれてきた。
カップの隣には、英国製であろうビスケットが二本置かれている。
さてコーヒーは如何にと一口含む・・・
果たして、
出会ったコーヒーは『雑味が全く無い綺麗なコーヒー』だった。
良い水と良い豆だけを贅沢に使い出来上がった、
英国製を髣髴させる秀逸の一品であった。
少し飲んでは、ビスケットをかじり、
また飲んでは、その絶妙なうまさに『フウ』とため息をつく。
その繰り返しでいつの間にか、至福の時間が過ぎ去った。
コーヒーの代金を支払って帰ろうとしていると、
二階にあるアンティークコーナーへの案内板があった。
そこにはアンティークの趣味の人ならば喜ぶ品がそこかしこに陳列されていた。
すごく幸せな気持ちで家へ向かっている途中、
地元のスーパーマーケットに寄り、
大山鶏と白菜など野菜を買った。
久しぶりに『水炊き』でたっぷりと野菜を食べるつもりだった。
ちなみに世間でよく言われている水炊きは、九州の水炊きを指しており、
地鶏をたっぷりと使いガラを煮込んで真っ白に濁った出汁を使う鍋だが、
慎一の作る『水炊き』は、日下家でしょっちゅう食べていたもので、それらの鍋とは異なる『サラサラ鶏の水炊き』だった。
作り方は簡単で鍋に水を張り日本酒と昆布を入れて火にかける。
昆布の出汁が出たら、鍋から出して刻んでおく。
すぐに鶏肉を入れて少し火が通ったら豆腐、白菜、椎茸、人参、長ネギを入れるだけ。
付けダレは、ポン酢に醤油を入れても良し、醤油にスダチやカボスを絞り込んでも良し、味ポンにスダチやカボスを絞り込んでも良し、味ポンにポン酢を入れても良しと、とにかく醤油味と酸味と若干の甘みがあれば何でも良かった。
作った付けダレに七味を振り込んでたっぷりの野菜と鶏肉を食べる。
ご飯にも刻んだ昆布を振り、肉や野菜の出汁の出たお汁をかけて、
お茶漬けの感覚で具と一緒にご飯も頂いていく。
この『サラサラ鶏の水炊き』の良いところは、
作り方が簡単で誰でも作ることができる点、
肉や野菜をバランス良くたくさん食べられる点、
しつこくないので冬だけでなく夏でも食べられる点、
翌日にも味を変えた鍋を楽しめる点、
この出汁そのものはサラサラしており、
どんな味にも変化させることができる点だった。
翌日のメニューは『豚の味噌炊き』に決まっていた。
残った水炊きの出汁に豚肉の細切れと豆腐、白菜、モヤシ、長ネギ、麩などを入れ煮込み、味噌や砂糖で若干甘めに味付けして、
またもご飯に具や汁をかけて七味を振った具と一緒に食べていく。
この二つの鍋は、酒・ご飯、どちらでも美味しく一緒に頂けるので便利だった。
(つづく)