はっちゃんZのブログ小説

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53.翔、初めて葉山館林家へ 3

翔は洋館の一角にある道場へ連れて行かれた。

壁を挟んで隣は女道場となっており、百合とお婆さんが入るようだ。

女道場からは百合の気合いか声らしきものが漏れてくる。

『これはきっとあんなことをしたから二人ともお仕置きされるんだ』と翔は覚悟した。

「翔君、どうした?

 君の格闘術の腕前を見ておきたい。早く身体をほぐしなさい」

「???」

「君と百合の付き合いを許すか許さないかは、君の腕前を見てからと考えている」

「は、はい、でもだいぶ高齢ですし大丈夫ですか?」

「ははは、心配するな。わしの身体に触れることができれば相当の腕前ということだ」

「??? 触れる事?」

「そうだ、はっきり言って、君より私は強いということだ。全力出して結構だよ」

 

翔は半信半疑ながら柔軟体操を始め身体を暖めた。

本来桐生派の格闘術は柔軟体操を必要としないのですぐにでも可能だが、

怪我をさせてはいけないと思い悩みながら時間を稼いだが、

もう爺さんが正座して待っているのでこれ以上の時間稼ぎは出来なかった。

執事の藤原さんがじっと待っている。

 

戸惑いながら試合が始まった。

翔は先ずは軽くジャブから入ったが、早いはずの拳が全て当たらない。

次は蹴りも使い、先ずはローキックから入った。

「いつまで遊んでおるのか?ほれ」

ローキックが届くより先に

流れるような動きで懐へ入ってきて

腹部水月へ軽く掌底が入れられた。

『ズーン』と身体の芯へ響く打撃で脚が止まった。

「これは!!!・・・???」

「驚いたか?陳家太極拳じゃ、翔君は知っておるか?」

「は、はい、名前だけは」

 

陳家太極拳は中国河南省温県陳家溝在住の陳氏一族を中心に伝承されている中国武術で、現在分派した全ての太極拳の源流である。その武術の理想は剛柔相済、快慢兼備な動きであり、太極拳に特徴的な柔軟さや緩やかな動作だけではなく、跳躍動作や激しく剛猛な動作をも含んでいる。発勁太極拳の得意とする暗勁だけではなく、明勁や纏絲勁によって全身の勁力を統一することが他派の太極拳に比べて異なる点だった。

 

「どうした、この前、プロレスラー崩れに勝ったのはまぐれか?」

「いえ、そんなことは」

「どうしても年寄りと思って気になるのなら、先ずはわしから行こう」

爺さんはそう言うやいなや、

こちらの呼吸を読んでいるかのように

早くも遅くもない速度ですっと近寄ってきた。

翔は何の準備も出来ないまま、目の前に爺さんの顔が寄せられ避けようとした。

今度は足元で『ドーン』と大きな音が鳴った瞬間、全身を壁板へ吹き飛ばされた。

翔は桐生本家の爺さんの顔を浮かべた。

『この爺さんは桐生の爺さんと変わらないくらい危険な生物である』と認識した。

翔は一瞬にうちに桐生流呼吸法で戦闘態勢を整え構えた。

(つづく)

14.雪のイベント

2月の北海道は、全エリアで雪の行事が盛り沢山だ。

札幌市では『さっぽろ雪祭り』が2月上旬から中旬にかけて開催される。

その同じ時期に小樽市では『小樽雪あかりの路』が開催される。

その他近隣では、『支笏湖氷爆祭』『層雲峡氷爆祭』『旭川冬まつり』などである。

 

先ず美波は地元の『小樽雪あかりの路』へと足を運んだ。

このイベントは、平成11年2月上旬の10日間、

小樽の古い街並みをキャンドルの灯火が優しく照らす幻想的なイベントだった。

夕暮れ時から小樽市内の主な会場(運河会場、手宮線会場)で開催される。

照らされるキャンドルの種類は、漁具をモチーフにした浮き玉形のものやスノーキャンドル、様々なオブジェなどでボランティアの手作業により作成され飾られている。

小樽の街のすべての場所において、このイベントへ市民が参加しているため

手作りの温かさが伝わってくるイベントで心が落ち着いてくるのだった。

 

それらと趣が異なる会場としては天狗山会場がある。

ここは小樽市の夜景を見渡せる絶好の会場で

JR小樽駅から臨時バスが用意されている。

その会場からは美しい夜景を背景に、

色とりどりの幻想的なイルミネーションが

まるで別世界のように浮かび上がってきている。

美波は何日も掛けて友達と一緒に全会場をゆっくりと回り、

各会場の趣向を凝らせたその幻想的な光景に瞳を輝かせた。

 

『小樽雪あかりの路』の次は『さっぽろ雪まつり』だった。

土曜日の夜は大きなイベントがあると聞いて、

土曜日昼過ぎに小樽市からJRに乗って札幌駅まで行き、まず大通公園に向かった。

多くの観光客が公園の凍った雪道の上を滑らないようにヨチヨチと歩いている。

雪の経験の無い外国人と思われる人達はやはり滑って転んで笑っている。

美波も転んで間違われないように注意して歩いた。

 

道端には屋台も出ており、

美波は『峠の揚げイモ』

大きなカリッとしたホットケーキの生地で包まれたジャガイモが串に刺さっている。

芳賀さんは『じゃがバター』

蒸かしたじゃがいもからホカホカの湯気があがり黄色いバターがトロリと溶けている。

他の友人はトウモロコシを頼んでいる。

ほんの一粒でもトウモロコシの風味と甘味が主張している。

 

『止まらないで下さい。逆回りはしないでください』とアナウンスされている。

見上げるような大きな雪像から

市民が作ったと思われる2メートルくらいの小さなものまで

長い公園にところ狭しと飾られている。

昼間なのでゆっくりと各雪像を見ることができた。

降り積もる雪で隠れた雪像を直している人もおり、とても冷たそうだったが

彼らの表情はどれも楽しそうで心から祭りを楽しんでいることがわかった。

 

会場は大通公園だけでなく、すすきの会場などがあるが、大通会場が有名である。

さっぽろ雪まつり』は、1950年に初めて開催され、最初は札幌市内の中高校生が美術科教諭の指導の下に6基の雪像と元国鉄管理局が祭りに合わせて、札幌駅前に雪像を作ったものだったらしい。

雪像の作成イベントは、1954年(第5回)から市民制作の像が加わり、

次に陸上自衛隊、商社、市の出張所が加わり、

現在のように様々な参加者による多数の像が並ぶスタイルが定着した。

この祭りが有名になったのは1972年の札幌オリンピックの時で、世界的に雪まつりが紹介され、これ以降海外からの観光客も目立つようになり、その後国際親善を目的として海外都市の派遣による「国際雪像コンクール」も始まった。

 

『すすきの会場』では「すすきの氷の祭典」と銘打って、

「氷を楽しむ」をテーマに、幻想的な氷像が並んでおり、

氷像に触れたり、乗ったりできて楽しかった。

イルミネーションロードと言う撮影スポットも企画されておりついつい撮影している。

拍手が起こったので見に行くと「氷の女王の撮影会」が開催されており、綺麗な女性達が立って笑顔を振りまいている。

 

夕方になると「ホワイトイルミネーション」が大通会場を照らす。

イルミネーションに照らされた美しい雪像

芸能人やお笑い芸人などのイベントが開催されて

寒い中であっても時間の過ぎるのが早かった。

芳賀さんから聞いたところによると、

この祭りは陸上自衛隊の協力が不可欠で、

札幌近隣の不純物のない純白な雪の搬入や雪まつり雪像製作に協力しているそうだ。

この会場にあるすべての雪像は、雪まつり閉幕の翌日には重機ですべて解体され、

その後にできる雪山はしばらく公園に残され、一部がソリ遊び用などに再利用されるが、札幌市内の排雪作業が一段落する頃にはなくなるらしい。

あまり遅くなるといけないので夜8時の電車に乗った。皆と来年も来る約束をした。

美波はさっそく母へ『来年は遊びに来るように』と電話をすると

なんと母から札幌への転勤の連絡を貰いとても驚いたが、少し安心した美波だった。

(つづく)

52.翔、初めて葉山館林家へ 2

翔は百合の誘導で葉山館林邸の中に入った。

ピーンと張り詰めた空気が漂っている。

ふと視線を感じて見上げると植木職人が翔をそれとなく見ている。

百合が挨拶するとその職人はぺこりと頭を下げている。

よくよく観察してみると、館林邸は洋館で植木、花壇や池の配置といい、

外部からの侵入を防ぎ、視界を遮る構造になっていることがわかった。

このような構造は桐生本家も同様なので翔には理解できた。

 

百合がこっちこっちと手を振っている。

「桐生さん、いらっしゃい。百合の祖母の悠香です。

 いつも百合に良くして頂いてありがとうございます。

 急なことで驚かれたでしょう?」

「いえ、こちらこそご挨拶が遅れ申し訳ありませんでした。

 いつも館林さんにはお世話になってます」

「爺様が是非会いたいと言いだして、年寄は気が短いのですみません」

「いえいえ、これは桐生家の方からお届けしなさいと言われたものです」

「あらあら、ひもかわうどんと上州牛の味噌漬けですね。

 これはうちの爺様の好物です。ご丁寧にありがとうございます。

 百合、桐生さんをお部屋へご案内しなさい」

「はい、お婆様わかりました。さあ翔さんこちらです」

「は、はい」

百合がそっと耳元へ小声で囁いた。

『翔さん、私はあなたが大好き、だから自信を持って」

 

奥の棟梁の部屋に案内されていく。

磨きこまれた床がにぶい光を放っている。

樫製のドアの前には秘書らしき初老の男性が待っておりドアが開かれた。

中に入ると板間に続き畳のある和室が見え、百合の祖父である隆一郎が待っていた。

翔はカチコチになって正座して両手をついて挨拶をした。

「本日はお招き預かりました桐生 翔と言う者です。何卒よろしくお願い致します」

「桐生君、いや翔君と言おう。そんなに緊張しなくていい。

何も取って食おうと言うわけではないから安心して。よく来てくれたね。

いつも百合を守って頂いてありがとうございます」

「いえいえ、まだまだです。いつも館林さんにお世話になっています」

「お爺様、あまり翔さんをいじめないで下さいね。

緊張しちゃって、いつもの翔さんじゃなくなってるわ」

「そのようだな。しかしあのプロレスラーくずれとの戦いによく勝ったものだ」

「えっ?ご存じだったのですか?」

「おう、百合は大切な姫だから常に見ていますよ」

「常に?」

「危ないことがないようにと言う意味だ。君は信用できるから見張っていないよ」

「はあ、そうですか。お恥ずかしいところをお見せしました。

あの時は私の油断が招いたことで、館林さんを守るために必死でした。

今度はあのような事態にはさせません」

「君の格闘術は突出しているな。相当に昔から鍛えこんできたようだな」

「はい、仔細はお話できませんが幼い頃より修行はしています」

「そうか、しかしそれほどの技量を持っていても

今の社会ではそれを活かすことができなくて残念であろうなあ」

「はい、私自身はただの暴れん坊と変わらないと自覚しています」

「翔さん、そんなことないわよ。

私はあなたの正義感が誰よりも強いことを知っています。

いつも弱い人をたくさん助けてきたじゃない。もっと自信を持ってお願い」

「うん、ありがとう。でも仕事となるとないんだよ」

「でも・・・」

「まあ、翔君、仕事の話はここまでにして、少し道場で男同士の話をしよう」

「お爺様、何をするつもりですか?」

「百合、お前は私と話をしましょう」

「お婆様・・・」

(つづく)

13.ゲレンデ

北海道の雪は、「ユキムシ」がその訪れを知らせ、

遠くに見える高い山が「初冠雪」し、

街中に「初雪」が降り「初積雪」となり春まで「根雪」となる。

12月には背丈以上の雪壁が出来て小樽の街も大学も白く染まる。

テニスサークルがウィンタースポーツサークルへと変わり、

倶知安の『ニセコ合宿』が開始される。

ニセコスキー場の雪質は日本でも珍しいパウダースノーで、

世界中に知られており、ここを訪れる外国人客も多い。

 

美波は初めてのウィンタースポーツを楽しみにアルバイト代を必死に貯めた。

土曜日の朝に倶知安駅で集まり、バスに乗ってスキー場へ向かう。

ゲレンデには外国人も含め多くの人が滑っている。

初心者は新入生の美波や県外出身の女の子くらいのもので

あとのメンバーは我先に颯爽と滑って行く。

美波は友人とスノーボードの初心者スクールに入って練習を始めた。

美波は運動神経がいいので上達は早かった。

簡単に基礎を教えてもらって終了した。

スノーボード人口はまだ少ないのでゲレンデの隅でしか滑れなかった。

しかしターンがなかなかできず、

すぐに転ぶ初心者の美波にはちょうど良かった。

 

そんな最中、ゲレンデの一角で人が集まっている。

サークルメンバーのウェアが見えたので急いで現場へ行くと香山さんが倒れている。

そんな時、前田さんが到着すると彼女を背負ったままストック無しで滑り降りていく。

先輩方の話ではさすがスキーA級の腕前だと感心している。

普段は便利屋で笑わせ屋の前田さんが、その時だけは格好良く見えた美波だった。

 

夕方になりホテルに着くと

足を痛めた香山さんがギブスと松葉杖をして手を振っている。

病院へ行ってレントゲンを撮ると骨にヒビが入っていたらしい。

道理で捻挫の割にはすごく痛がっているはずだった。

サークルメンバーは倶知安駅の前のビジネスホテルへ泊まった。

夕食後、食堂の部屋をサークル貸切で飲み会が始まった。

座も騒がしくなってきた時間を見計らって

食堂から出てホテルのベランダへ出て、

夜のライトアップされたスキー場を見た。

大きな雪が舞い降りてきてダウンジャケットに降り積もる。

袖部分をよく見ると六本枝の結晶が付いている。

『雪って、本当にあの形になるんだ』

と感心して見いっていると後から声が掛かった。

 

「日下さん、大丈夫?酔ったの?」

「ああ、前田さん、酔ってませんよ。ナイトゲレンデを見ていただけです」

「本当に綺麗だよね。日下さんはスキーじゃなかったの?」

「はい、スノーボードの方が、保管スペース少ないからちょうど良かったので」

「そういえばそうだね」

「今日は大変でしたね。でもすごくスキーうまいですね。驚きました」

「ありがとう、小さい時からよく滑ってるから自然とね。

 テニスではいいところを見せられないけどスキーなら自信があるんだ」

「いえいえ、そんなことないですよ。一緒にプレーしてて安心できます」

「ありがとう、でもこんな風に話すの初めてだね。だいぶ大学には慣れた?」

「はい、お陰様で。でも北海道はいいですね。思った通り」

「雪が大変で不便じゃないの?」

「まあ慣れの問題です。食べ物は美味しいし、

 空気も澄んでてサラッと乾燥しててとっても好きです」

「そうなんだ、僕は北海道しか知らないからわからないけど。

 でもそう言われると嬉しいな。

 僕は小さい時から冬は毎日ずっと雪かきだし、

 夏や秋は家の手伝いばかりの毎日だったから嫌だったけど」

「そうだったんですね。私は前田さん見てたら毎日楽しそうだったから意外でした」

「まあね、色々とあるから、田舎は嫌なんだ」

「まあ、それは田舎出身だからよくわかります」

「そうだったね。じゃあ、寒くなってきたから部屋へ戻ろうか」

「私は、着込んで着ましたからこの綺麗な光景をもう少し見ています」

「じゃあ、気をつけてね」

「はい、ありがとうございます」

 

ニセコ合宿から帰ってほどなくして、

怪我した香山さんの部屋に前田さんが訪れる機会が増えてきた。

付き合っているのがわかったので自然と彼女の部屋へ行くのは遠慮するようになった。

自然とマンションとゼミが同じのもう1人の友達の芳賀さんと

図書館で一緒に勉強したり札幌に行って遊ぶ機会が増えた。

芳賀さんは茨木(イバラキ。間違うと訂正あり)県生まれで、

明るく頭の良い女の子だった。

この人もお嬢様のようだが3姉妹の真ん中で、

非常にしっかり者で美波は色々と相談することも多かった。

(つづく)

51.翔、初めて葉山館林家へ 1

百合が桐生本家へ行ってしばらくして、百合から話があった。

葉山館林の爺様と婆様が『是非に翔君を連れておいで』と呼んでいるとのことだった。

『もしかして大事な姫の百合とキスとかしてるのでこっぴどく叱られるに違いない』

ビクビクしながら百合と一緒にバイクで葉山へ向かった。

百合が翔の背にしっかりとつかまってマイクで色々と話してくれる。

足が長くスタイルの良い百合のライダースーツが眩しかった。

 

葉山の海は青く多くのサーファーが波と戯れている。

まだ春先なので海水浴客はいないが、

夏になると多くの海水浴客でごったがえして静かな葉山が一変するらしい。

百合はこの静かな街で幼少の時から育った。

やがて葉山の小高い丘の上に建つ洋館と研究所らしき建物が目に入った。

近づくにつれて屋敷の大きさが実感できた。

桐生本家はその周り1町全てが一族の土地で守りを固めている。

館林家は研究所を含めて桐生本家と変わらないくらいの広さであった。

その周りも同様に一族で固めているとすると驚くべき広さであり要塞であった。

 

翔は背中にあたる柔らかい物を昨夜そっと触ってしまったことを

今更ながらに思い出して背中から汗が噴き出てきた。

何度もキスするうちにお互いが求め合った結果だが・・・。

百合のお嬢さん度がわかるにつれて

彼女の実家の大きさを想像すればするほど翔は焦ってきた。

しかし世間一般から見れば

翔自身がお坊ちゃまであることまでは理解していなかった。

 

実は館林家の詳しいことは百合にも知らされていない。                                                 

徳川時代の館林一族本家は群馬の前橋館林家であり葉山館林家は分家であった。

将軍家守護の一族として前橋館林家と桐生家は懇意な関係だった。

明治以降、前橋館林家は党首が次々に怪死してゆく事件があり、

葉山館林家が本家として存続していくこととなった。

この館林邸に出入りする者、業者も含めて全員が館林一族で固められており、

一族は警察・公安を初めとして政治、経済の各業界へ広く深く人脈を持ち、

桐生家と共同であらゆる情報を入手している。

現在の館林家頭首は、隆一郎、妻は悠香である。

隆一郎は館林家頭首相伝の抜刀術と組討術を護身術として習得しているが、

若い頃、中国大陸に渡った折に剛柔相済、快慢兼備を理想とした「陳家太極拳」を習得し、日本国内で唯一のマスターでもあり、

悠香合気道の達人で百合の師匠でもある。

百合の父親は葉山館林家次期頭領で、現在米国ニューヨークで研究をしており、

母親は著名なピアニストであり、殆ど日本にはおらず年に数回のみ帰国する。

(つづく)

12.サークル

大学の講義も最初は高校時代の延長なのでそれほど難しくはなかった。

サークルはとても楽しかった。少しずつ友達も増えてきている。

みんな受験から解放されての大学生活なので大いに羽を伸ばしている様子だった。

土日の休みには女の子同士で札幌市へ出掛け、

ウィンドウショッピングや映画やスイーツ探索をした。

北海道はスイーツ王国で

使用される果物や乳酸品が新鮮で種類が多かった。

小樽で食べたルタオのケーキも美味しかったが、

札幌にはいたるところに色々なスイーツの店があった。

特に市電の西4丁目駅の近くにあるフルーツタルト専門店は、

以前冬に来た時に「さくらももいちごのタルト」を食べて以来のファンだった。

旬の色鮮やかでとても美味しいフルーツを敷き詰めたタルトが並べられており

ケーキ1品は500円から1000円くらいまであるが、

ケーキセットで頼めばどんな金額のケーキも700円で食べることができてお得だった。

 

サークルやゼミの女の子同士で出かけるとたまに男性のことが話題に上る。

『ふーん』と言う感じで聞いている。

美波は昔からファザコン気味な性格なので

同世代の男の子に好意以上の気持ちを持ったことはなかった。

昔から友達が男の子の話を出しても聞いてはいるが

自分から話すような気持ちになった存在の男の子はいなかった。

恋心という感じも全く記憶にないのできっとないのだと感じた。

でもそうだからと言って寂しいとは一切感じなかった。

毎日のテニスや勉強、そして女の同士の他愛もない会話が楽しかったからだ。

 

そんな中、サークルの先輩の前田さんのことが出ることもあった。

前田さんはサークルでは幹事役の先輩で明るく場を盛り上げることが上手だった。

サークル部屋に実家で採れた果物をたくさん持ってくる先輩で

実家は隣町の余市にあり、果物農家を営んでいて、そこから通学している。

サークルの女子には結構人気があるようで

知っている人なら誰の頼み事も一切断らないし

最後まできちんと責任を持ってやってくれる優しい人らしい。

 

前田さんは一度ダブルスを組んで試合をして以来、

何かと美波へ話しかけてくる機会が増えてきて好意は持っている。

ただ彼女たちの話を聞いていると前田さんを

『ただの便利屋さん』のような扱いをしている印象を受けた。

友人の1人に仙台から来ている香山さんという女の子がいる。

由緒正しい大きな家のお嬢様らしく、

「結婚相手は親が決めるので、遊ぶのは今しかないから」と笑っているのを聞くと

『ふーん、そんなものなのか』と聞いているだけだった。

(つづく)

50.百合、初めて桐生家へ

爺さんからの話をすると百合は大喜びで

『すぐにでも行きたいけど

 色々と準備があるので3日後にして欲しい』と大慌てだった。

どうやら葉山の御実家へ連絡するつもりのようで今度は翔が緊張し始めた。

もしかしてすごい女の子と付き合い始めたのかも?とドキドキした。

もし結婚することになったらすごくうれしいけど、

自分はいまだ修行の身であり、仕事も決まっていないし結婚など夢また夢だった。

そこを聞かれる可能性があると思うと焦りの感情が湧いてきて、

今度は自分が何だか情けない存在に思えてくるのだった。

 

翔は本家から帰ってから、ずっと将来の職業について考え始めた。

自らの利点は格闘技術で特に秀でていること。

プロ格闘家を目指すことは一族のしきたりからは考えられない。

自分にできることは本当にこれだけだった。

 

そうこうするうちに百合を本家へ連れて行く日がやってきた。

本家の門の前に立つと百合は、

「わあ、葉山の館林と同じ匂いがします。すごく素敵なお屋敷です」

「そう?ただ古いだけの屋敷だけど」

「いえ、私はこの屋敷に何度も来たいと思っています。翔さん、いいでしょ?」

「うん、気に行ってくれたらいいよ。まあ家に入ろうよ」

「いらっしゃい、館林さん」

「お婆様、百合と呼んで下さい。またお婆様にお会いできました。嬉しいです」

「何もない所ですがどうぞ、あれからお変わりありませんでしたか?」

「はい、翔さんにはいつもよくして頂いています」

「それは良かった。どうぞ。主人が待っておりますよ」

「はい、ねえ翔さん、私、変なところないですか?」

「う?うん、いやいつもと変わらず綺麗だよ」

「翔さん、ありがとう、なら良かった」

 

頭領の爺さんがいる部屋へ婆さんが案内していく。

百合は緊張した面持ちでついていく。

「いらっしゃい、いつもうちの翔がお世話になっています」

「初めてお目にかかります。館林百合でございます。

 今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

 これ葉山の実家からです。つまらない物ですがお納めくださいませ」

「おお、これは立派な天然真鯛の一夜干しじゃ、葉山の皆様はお元気ですか?」

「はい、みな元気です」

「おお、それは良かった」

やがて早めだが楽しくにぎやかな夕食が始まり終わった。

 

夕食後、皆がお茶を飲んでいる時に爺さんに部屋へ呼ばれた。

百合は婆さんと色々と話をしている。

「翔、いいお嬢さんだな。お前には勿体ないくらいのお嬢さんだ」

「ありがとう、本当にいい子なんです。

 不思議だけど初めて会った時から初めてじゃない感じがしてる子だった。

 最初は笑う事も知らなかったみたいで戸惑ったけど

 その笑顔を見ているだけで、満足って言う感じです」

「それはよくわかる。あのお嬢さんの笑顔は見る人を幸せにするな。

 しかし、お前も感情が表に出るようにはなったな。昔は笑うこともなかった」

「そうなんですか?うーん、あまり覚えていないのでわかりません」

「まあいい。彼女を大切にするんだぞ」

「はい、わかっています」

(つづく)

11.母の再婚と強がり娘

入学してしばらくすると母から電話があった。

「美波、実はね・・・日下さんとね?うーん、あのね」

「結婚するんでしょ?」

「えっ?なぜわかったの?」

「お母さんを見てたらわかるよ。お母さん、良かったね。今度はおじさん、

 いや、お父さんだった、お父さんとずっと一緒に幸せになってね」

「うん、美波ありがとう、お母さん幸せになるね」

「約束だよ、美波は全然大丈夫だから心配しないでね」

「そう?ならいいけど、いつでも戻ってきていいからね」

「うん、ありがとう、交通費高いから簡単には戻らないよ。

それはそうと、いつ結婚式なの?」

「今度の5月の連休にと考えてるの、神田さんで身内だけで」

「わかった。じゃあその時には帰るね」

「くさ、いや、お父さんがチケットを用意してるから安心して」

「わかった。じゃあ待ってるね。お母さん、本当におめでとう」

「うん、ありがとうね。お前のおかげだね」

「あれっ?知ってた?」

「ええ知ってるわよ、お前が神様になるなんてねえ」

「ははは、きっと神様が私にそうさせたのよ」

「わかったわ。気をつけて帰って来るのよ。それとまだ寒いから気をつけてね」

「はーい、わかりました。もう美波は大人だよ。安心して」

 

電話を切って美波はため息をついた。

誰も知っている人がいないという事は、

全て始めから人間関係を作るということ。

生まれも育ちも違う人間が手探りで最初から関係を築いていくこと。

ただ北海道の人は他県から来た人に優しく、

非常に懐が広いのですぐに友達になれる。

これは田舎全般に言えることかもしれないが

深いところに踏み込んで仲良くなろうとすると、

その人の歴史や考え方がわからないのでそこまでは行けない厚い壁があった。

また女性はおしゃれに非常に敏感で、たまに札幌市に行った時などは、

東京のファッションが入ってくる速さに驚くことも多い。

サークルメンバーがいるのでまだそれほど落ち込まなくて済んでいるが、

やはりずっと一緒に生きてきた母から離れると心細い気持ちがまだ強かった。

(つづく)

49.翔、久々に実家へ帰る 2

「それならば良い。今日お前を呼んだのは他でもない。将来の事じゃ。

 お前はどのような職業に就くつもりだ?あと1年で社会人になるが」

「それを今、考えています。会社に入るのも性に合わないし、

 仮に入っても役には立たないと思うし、

 都倉警部から警察はどうだと言われていますが、

 警部には申し訳ないのですが警察に魅力は感じないのです」

「お前は正義感の強過ぎるところがあるのでそうかもしれんなあ。

 かといって頭領には早すぎて話にならないし」

「話にならない?そうなのですか?」

「お前は今まで何を感じていたかは知らないが、

 今のお前では一族を守れないし

 それ以上に一族の者から頭領として受け入れて貰えないぞ」

「やはりそうなのですね。薄々わかってはいましたが・・・

 お父様が生きていればお父様がなっていたのですよね?」

「いや、たらればを言うつもりはないが、

 仮に生きていても鬼派にはなれなかったと思う。

 格闘技術は同じ年齢を考えるとお前の方が明らかに上だ」

「血筋でもないし、技術だけでもない・・・頭領とは難しいものなのですね」

「当然じゃ、わしもまだまだ先代にはかなわない。人間一生修行じゃ。

 もちろん我ら一族も過去においては、

 血筋だけ技術だけで頭領になったこともあったが、

 その時は必ず一族の運命が暗転しておる」

「それほどの重責を爺様は負うているように見えませんでした」

「それが頭領じゃ。ただし頭領には正義が絶対に必要な条件じゃ」

「爺様ってやはりすごかったのですね・・・私では駄目かもしれません」

「駄目だからと言って修行を止めるお前ではなかろう?」

「ええ、修行は一生続けます」

「ならそれでいい。

 頭領なぞならずとも一族に世の中に必要な人間になればいい。

 お前はお前の正義を貫けばいい」

「はい、今、気づきました。世の中の困った人を助ける仕事を考えます」

「それでいい、目一杯考えて見なさい。必ず道は見つかる」

 

「それはそうと館林百合さんだったか?お前好きなのか?」

「は?は・・・はい。とても好きです」

「お前も次期頭領候補の身、無責任なことはしていないな?」

「はい、それは気をつけています」

「ならばいい。でもキスくらいはしたのか?」

「えー?なんで・・・いや、そんなことはありません」

「隠さなくていい、いまどきキスくらいは何も大したことはない。

 婆さんからの話ではとても可愛いお嬢さんだそうだな」

「は、はい。笑顔を見ているだけで満足と言おうか・・・」

「今まで女には一切興味を示さなかったお前が

 好きになったお嬢さんなら大切にしろ」

「いいですか?このまま好きになっても」

「ただし、百合さんを泣かすことはまかりならん。

 どんな事があっても、たとえお前が死ぬようなことがあっても守れよ」

「???・・・はい、そのつもりでいますが」

「ならいい。今度は百合さんを連れておいで」

「えっ?爺様、よろしいのですか?桐生本家に連れてきて」

「もしかしたら次期頭領かもしれない

 お前の嫁になるかもしれないお嬢さんだぞ。

 わしもそのお嬢さんと一緒にご飯を食べたいじゃないか」

「爺様、ただ若い可愛い子とご飯食べたいだけじゃないのですか?」

「婆さんには内緒だぞ。これは約束だ」

「はいはい、わかりました。

 ちょうど彼女も来たがっていたので、今度連れてきます」

翔は、以前の婆さん同様爺さんの言葉にも腑に落ちないものを感じたが、

ただそのときは、百合との交際を認められて舞い上がって深くは考えなかった。

(つづく)

10.独立への一歩

大学1・2 年は基礎科目の授業ばかりで、

オリエンテーションでの説明では、「人間と文化」「社会と人間」「自然と環境」「知の基礎」「健康科学」の5つの系に分かれて、それに付随する形で、文学,哲学,心理学,歴史学社会学,社会思想史,化学,生物学,物理学,数学,健康科学といった分野を学ぶ。さらにこれらの分野をより専門的に勉強したい人にはゼミナールが設けられているようだ。

この科目を学ぶ理由としては、それらが現代を生きていく上で必要な教養を育み、経済学,商学,法学,情報学などの専門分野を勉強するには,人間の心理や行動,社会の歴史や仕組み,自然環境,異文化などに関する基本的な理解が必要とのことらしい。

特に「知の基礎」系は,新入生を対象に,大学で学ぶために必要な接続教育を行うための科目群で、専門を学ぶための基本的な知識,文献の調べ方や発表,議論の仕方,そして卒業後の進路に対する考え方を身につけるためのものだと説明された。

 

美波は入学後、すぐに家庭教師のアルバイトを探した。

生活費は貰っているが、

ファッションやクラブ用の資金を稼ぐつもりだった。

小学生高学年か中学生の女の子を対象に探した。

小樽商科大学ともなるとアルバイトの声も多く掛かってきていた。

小学生6年生(週2回各1時間)と中学2年生(週2回各2時間)で契約した。

いよいよ独立の第一歩だと心を弾ませた。

 

サークルでの新入生歓迎会が催され、

生まれて初めてアルコールを少しだけ飲んだ。

静香の血をひいているのでアルコールに弱い感じはなかったが

美波自身アルコールをあまり美味しく感じなかった。

あまり無理矢理飲ませようとする人もいないのでジュースを飲みながら

同級生の女の子と笑って楽しい時間を過ごした。

サークルで山陰地方鳥取県からきている学生は美波一人だった。

みんなが『鳥取?どっちが先?普通トリトリだよね?』

『右と左どっちが島根と鳥取だったっけ?』など冗談半分で聞いてくる。

「そうですね。確かにわかりづらいかも」と答えている。

(つづく)

48.翔、久々に実家へ帰る1

4年生の春休みに桐生本家の爺さんから『一度戻ってこい』と翔へ連絡があった。

本家の桐生家は江戸初期より続く武門の家柄である。

桐生一族は、徳川幕府北東(丑寅の方角)守護を任務とし、最強の一族として将軍家から信頼されていた。明治以降、市井に紛れその技術を伝承してきている。

この一族は子供が生まれると、その子の特性により得意領域を絞られ、最終的に『鬼派』と『霧派』に属することとなる。キリュウのキは『鬼』と『霧』へと読み替えられる。

表の顔は『鬼派』で武術専門、

裏の顔は『霧派』で探索・薬物・暗殺・武器開発等の専門となっている。

翔は『鬼派』に属し、幼少の頃から格闘術、剣術などを中心に武芸百般の祖父から手ほどきを受け、6歳のとき研究者だった両親を飛行機事故にて失い、現在まで質実剛健を旨とする厳しい祖父母に育てられている。

現在の桐生派頭首は、翔の祖父の麒一であり、別名は鬼一と呼ばれている。

妻は華絵で以前翔の部屋で百合と顔を合せている。

実は翔には桐生一族の歴史や使命も知らされていないし、

百合の実家の葉山館林家とは徳川時代から深い関係にあることも知らせていない。

 

久しぶりに群馬県桐生市にある本家の門の前に立っていた。

屋敷内の道場らしきあたりからはやや幼い気が漏れてきている。

誰か一族の若い者が修行をしているようだ。

意識を道場の方向へ逸らした瞬間、

門の上から槍が鋭く突き下ろされた。

翔はサッと身を最小限に避けると槍の穂先の根元を握り固定した。

「翔様、だいぶ修行されましたな、霧の穏形がわかるとは」

「重兵衛さん、少し前から道場の気に混じってきていたので予想していました」

「さすが、もう私ではかないませんなあ」

「いや、まだまだです。わざと少し気を漏らしてくれましたから察知できました」

「ふふふ、それもお見通しですか・・・お見事です」

 

屋敷奥の棟梁の部屋へ向かう。

「爺様、ただいま帰りました」

「翔よ、よく帰って来たな。修行は順調なようだな」

「爺様の言いつけ通り毎日鍛えています。

 まだまだ世の中には強い人間がいることがわかりました」

「そうだろうな。最近はプロ格闘家も多いが、彼らの中で格闘術だけで

 食べていける人間は一部のみでだいたいは違う仕事についている。

 その中で残念ながら暴力を生業とする組織に入ってしまうことも多い」

「そのようですね。この前、プロレスラーくずれの人間と戦いました」

「彼らに打撃は効きにくいから苦労しただろうな。

 ただ彼らは殺すことに慣れていない分、われらの方が有利だな」

「いや、普通の人間だったら内臓破裂で死んでいたと思われる衝撃でした」

「ほう、よく勝ったものだな」

「勝たなければならない状況だった故、抜き手を使わせていただきました」

「誰かを守るとはそういうことだ。負けることは守れないということだ」

「はい、肝に銘じております」

(つづく)

9.美波、学生生活スタート

ここで時間は1年前にさかのぼる。

美波は1999年4月に小樽商科大学に入学した。

大学の講堂では狭いため、

入学式は小樽市内の市民講堂を使っての大掛かりのものだった。

新入生には両親や祖父母まで一緒に来て

全員で大喜びしているのを見て、

少し羨ましくもなったが、

誰も知らない所で1人でもがんばると決めた心を思いだしていた。

小さい時からずっと母娘二人で寄り添って生きてきたが、

母が新しい道を選び歩き始めたことを知って

自分も独立することを決めたのだった。

 

美波のマンションは大学にも近く女性専用だった。

ただ社会人も入っているので男性客は禁止ではないが門限があった。

その約束が守れない場合、また風紀が守れない場合は、

学生の場合は両親へ連絡の上マンションを出る事となっている。

毎日の朝ご飯はきちんと用意されており夕食は予約制だった。

部屋で作ってもいいことにもなっている。

大家さんは品が良くキチンとした女性で、

朝ご飯は特に大切との考え方で、

キチンとした栄養のものを用意してくれている。

そしてこの綺麗で静かなマンションを経営することを誇りに思っている。

 

入学してからはテニスサークルへ入り、

結構強い美波はサークル上級者となった。

ただサークルなので楽しむだけの人も多く若干不満だった。

しばらくしてその理由がわかった。

雪が積もるとテニスはできないのだった。

テニスが休止となる代わりにスキーサークルへと変わるらしい。

スキーの経験のない美波はスキーが楽しみだった。

(つづく)

47.百合、実家で相談する

翔との初めてのキスの後、百合は葉山の実家に戻り

頭首の妻である悠香へ翔との付き合いを相談した。

さすがに百合も自らの家柄は知っているので

付き合う相手が誰でもいい訳ではないことを理解している。

 

悠香へ彼との出会いから今までをキス以外は全て話した。

悠香はにこやかに百合の話をじっと聞いている。

「それでお前は、彼をどう思うんだい?

 でもお前が男性に興味を持つのは初めてのことだねえ」

「はい、初めて見た時から、なぜか懐かしく頼もしく感じました。

 彼といるだけでなぜか楽しく、でもそれ以上に心が落ち着くのです。

 そして笑うことって楽しいことと初めて知りました。

 でも彼は正義心が強く、

 困っている人をそのままにできない性格で彼の身が心配です」

「お前が、楽しく、心が落ち着く相手ならばそれ以上のことはありません。

 でもよく相談してくれたね。彼はお前を全力で守れる男性のようだね。

 実は、お前はこの館林家の姫であるから独りの生活は心配でした。

 だから、お前の身辺には警護の者を就かせていました」

「でもあの変な人たちに囲まれた時は・・・」

「はい、あの時はお前が怖がっていないので

 警護の者も大丈夫と思っていたようです。

 お前が感情を出すことが少し苦手だと私が伝えていなかったからです」

「そうですか、彼がその時来てくれて良かったです。とても怖かったです」

「そんな風に感情を出すことができれば警護の者もわかったのです。

 なるべくお前に悟られないようにと、きつく言いつけていましたから」

「感情が出ない?」

「そう、お前は小さい時から感情が出ない、と言うより全くありませんでしたよ」

「そうなのですか?でも・・・」

「そう、彼と一緒にいるようになって違うようになりましたね。

 私はお前が感情を出せるようになったことが嬉しいのです」

「ではお婆様、私は彼、翔さんとお付き合いしていいのですね」

「ああ、いいよ。

 お前のその可愛い笑顔を取り戻してくれた彼とお付き合いしなさい」

「ありがとうございます」

百合は笑顔いっぱいで昼食を食べて帰って行った。

 

「あなた、あの子ももう大きくなりましたね」

「そうだな、あの子のあの笑顔はもう15年近く見ていなかったのう」

「ええ、本当に可愛い笑顔です。しかしまた彼と出会ってしまうなんて」

「やはり絆は切れなかったということか」

「そうですね。あのあと色々な一族の男と合わせましたが

 誰ひとりとしてあの可愛い笑顔を引き出すことは出来ませんでしたものねえ。

 記憶は消えても『思い』は残るものなのですねえ」

「もう二度とあのような術を使いたくないのでこのままにしておこう」

「ええ、あの子ももう大人ですから仮に記憶が戻っても大丈夫でしょう」

(つづく)

8.YOSAKOIソーラン祭り

梅雨のないカラリと晴れた6月上旬、北海道が熱くなる。

初夏の札幌を鮮やかに彩る『YOSAKOIソーラン祭り』が開催されるからだ。

慎一の本店の屋上からは祭り会場が見えるため

一部の社員が総務に内緒でビール片手に自家製ビアガーデンを開いている。

 

今でこそこの祭りは、札幌市の風物詩で観光資源となっているが、

発足は北海道大学生だった長谷川岳さんで、大学2年の時、母親の病気治療で高知県の病院へ入院し看病のために訪れた際に、本場のよさこい祭りを見て感動し、「こうした光景を北海道でも見られたら…」と思ったのが始まりだった。

1992年6月に「街は舞台だ! 日本は変わる」を合言葉に、道内16大学の実行委員会150名で第1回YOSAKOIソーラン祭りを開催した。当初は参加10チーム、参加者1,000人、3会場という規模だったが、第8回の昨年1999年が333チーム、34000人が踊り、200万人の観客数で、今年2000年第9回は、375チーム予定、38000人が踊る予定らしい。

 

ルールとしては、演舞する曲(曲調は自由)の全てあるいはどこかにソーラン節のフレーズを入れた曲に合わせて鳴子(使い方やデザインは自由)や扇子、大旗などを持って踊る。チーム編成は踊りを構成する人(踊り子・楽器演奏者・旗・幕などの持ち手、道具運搬スタッフのこと)の150人以内(U-40は39人以下)で、あいさつ、前口上、前準備などを含めて4分30秒以内で披露する(演舞曲の目安は4分以内)となっている。

踊る形式としてはステージ形式、パレード形式の2つの形式に分けられるようだ。

 

美波が大学のチームで出場すると聞いていたので大通会場の桟敷券をと考えていたが、

残念ながら選抜に漏れて出場できないから鑑賞組になったと連絡があった。

静香のお腹が臨月に近づいていることもあり、

大事をとってテレビ中継を夫婦で見ることとした。

若い人もそうじゃない人もところ狭しと元気一杯に踊りを披露している。

音楽性といい踊りといい現代風でありとても素人とは思えないショーだった。

 

明日がファイナルとなる6月10日(土)22時30分頃、その事件は起こった。

大通公園西八丁目会場での演舞が終わった直後に西6丁目公園内の仮設ごみ置き場付近で爆発が起きたのだ。祭り帰りの踊り子たちや観客で祭りの余韻が残っているさなかだった。灰皿付近に仕掛けられた爆発物(爆弾)は、ファストフード店の紙コップに入っていたと見られ、学生を意識不明の重体にさせ、10人ものスタッフに重軽傷を負わせるほどの殺傷力があるものだった。警察発表では、多数のクギが飛び散り、飛散物に火薬の痕跡が見つかったことなどから、何者かがクギと火薬を仕込んだ爆発物を、ごみに見せかけて祭り会場に置いた可能性が高いとのことだった。

 

美波に急いで連絡して無事だったことを確認してほっとした夫婦だった。

その夜に美波が家に戻ってきて、楽しかった祭りの話を聞いたが、

残念ながら事件の後では後味の悪い物を感じた。

でも来年こそは子供たちに姉ちゃんの勇姿を見せてあげるとはりきっている。

綺麗に化粧して大人っぽくなった娘を見て、

自分が娘を産んだ年齢を娘が通り過ぎてしまったことを今更ながらに感じた。

そして今、新しい命がここに宿っているとお腹をさすった。

親にはもちろん言わないが、

実は同じマンションの友達が前田さんと札幌のホテルに入るのを見て

同じ年頃の女の子がそんなことをすると考え、ショックを受けて帰ってきていた。

(つづく)

46.初めてのくちづけ

「お化けアパートの怪事件」解決後、

ふと学生時代の百合とのことを思い出した。

ある日の夕方、

翔がアパートへ向かって歩いているとミーアが走ってくる。

不思議に思い抱き上げるとミーアは何かを知らせるように鳴いている。

アパートの鍵を閉めているのに関わらず

ミーアが外出するのはおかしいことに気がついた。

部屋の合鍵を持っているのは百合だけだった。

翔は嫌な予感がして急いでアパートへ向かった。

翔の部屋のドアが閉められている。

急いでドアを開けると真っ青な顔の百合が

見たことのある若い男を後手に極めている。

最近、このアパートに越してきた男だった。

百合を見る眼が嫌な感じだったので覚えていた。

 

「ほう、もう戻ってきたのか、あと少しだったのに残念だったな。

 しかし、この女、合気道が出来るとは誤算だった。

 でももう少しでこの技を解くところだったんだけどねえ」

 男の左手がポケットへ入れられている。

「百合、手を離せ。後は俺がやる」

「警察に渡した方がいいのじゃないんですか?」

「いや、こいつはそんなことでは懲りないよ。おい、外に出ろ、

 百合は鍵を閉めてここにいて」

 

百合の方へ視線を投げた瞬間、

「そんな話、聞けるはずないだろう?今、お前をやってやるよ」

男は翔に向かってポケットのナイフを投げつけた。

翔は、サッと身体を開いてナイフを避けると

すっと近寄り隙の空いた男の右脇腹へ拳を入れた。

角度的に肝臓を直接揺さぶる体重の乗った拳で手首まで埋まっている。

『ウグッ』

吐かれると面倒なので男の襟をもって外に放り出した。

 

あばら骨の一番下にひびくらいは入ったかもしれない。

しかし、それ以上に痛く苦しい拳だった。

ボクシングでもこのパンチを貰うと

息が出来なくなって身体の力が抜けてくる。

そして抑えきれない痛みと苦しみが内臓からこみ上げてくる

男は地面で腹部を押さえて転がりながら涙を流して吐いている。

次に翔は腕と脚と背中の痛点を刺激するツボへ一本拳で入れていく。

男は新たに与えられた全身の激痛にのた打ち回った。

「止めてくれ、もう近づかないから、すぐに引っ越すから」

「もし今後近くで見かけたら、これくらいの痛みでは済まないからな」

「はい、わかりました。許してください」

翔は交番へ連絡して、

男の指紋のついたナイフと百合の証言もあり

翔の正当防衛となり男は逮捕された。

 

二人で部屋に戻ると百合が真っ青な顔をして座った。

翔はコーヒーを入れて、

百合の前へカップを、ミーアの前にはミルクを置いた。

カップへ伸ばす指が細かく震えている。

カップを落とさないように両手でコーヒーを飲んでいる。

ミーアが心配そうに見上げて膝に頬を擦り付けている。

翔が心配そうに隣に座る。

「翔さん、とても怖かった。

 人間ってあんな顔つきができるのですね。

 あの血走った目、

 あの吊りあがった舌なめずりしている口、

 思い出すだけで身体の中から震えが止まりません。

 私は不覚にも最初は全く動けませんでした。

 お願いです。百合の身体をしっかりと抱きしめてください」

 

翔はそっと抱きしめた。

百合は翔の胸に頬をつけてじっとしている。

まだ細かい震えが感じる。

お嬢様の百合にとって、

自らを獣欲の対象として見られた経験は無かったため

その衝撃は普通ではなかったと思われた。

「あのまま、翔さんが来るのが遅れていたら、

 私はきっとあのナイフで刺されたのですね」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 単に脅すつもりだったのかも」

「でも翔さんに投げつける時は何の躊躇もなかったです」

「ああ、だからあんな獣には警察引き渡す前に

 僕達の前に二度と現れないような痛みを与える必要があった」

「私は本当に怖くなりました。でも翔さんが駆けつけてくれて良かった」

「ああ、ミーアの様子があまりに変だったから、

 俺も心底ほっとしてる。

 今後は俺の部屋に来る時は連絡することにしよう」

「はい、翔さん、とても翔さんの胸って大きくて暖かいです。

 震えが止まるまでしばらくこうさせてください」

「いいよ、百合・・・・」

 

百合の目が閉じられて翔の方へ向けられた。

翔もまだ少し震えが残る細い身体を抱きしめて唇を重ねた。

二人とも初めてだったので唇をつけただけだった。

唇が離れた後、百合は頬を染めキラキラ光る瞳で翔を見つめていた。

(つづく)