はっちゃんZのブログ小説

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30.局アナ盗撮事件を解明せよ 3

翌朝、事務所へ出るとRyokoが検索結果を出していた。

やはり合成技術の該当者は、TSV(東京スーパーテレビ)の人間だった。

百合へ事件経過と状況証拠を伝え、

仮に山本アナから連絡が入った場合の答え方について打ち合わせた。

決して彼女に調査していることを悟られてはならなかった。

 

山本アナは、朝早く家を出て

ニュース番組の打ち合わせなど夜遅くまで仕事をしている。

ある水曜日の夜、おめかししてタクシーで会社を出て行った。

翔は、バイクに乗って300メートルほど離れて尾行する。

新宿のとある料亭へ入っていく。

政財界の大物が集まる店と評判の料亭だった。

場所を突き止めたので百合に連絡すると、

ちょうどアスカがメンテナンスで事務所にいたので

バトルカーに乗って来て貰いバイクと交代した。

バトルカーを近くのコインパーキングに停め、トランクからドローンを発信させた。

ドローンで透視撮影をしながら、クモママを屋根瓦へ投下した。

ドローンをトランクへ格納しクモママの操作に没頭した。

まだ食事の時間帯なので衾は開けられている。

透視画像から考えて山本アナと思われる女性のいる部屋が確定できた。

早速クモママを移動させた。

 

山本アナはお茶にも手をつけず待っている。

ニュース原稿を見ている時と違い、綺麗に化粧をして色気ムンムンだった。

クモ助も出動させ、部屋の入口の天井で待機させた。

やがて女中に先導されて1人の男が現れた。

顔の写真を撮ってRyokoに解析を依頼する。

いつものようにクモ助を男の背中へ落とし襟足に隠れて待機させた。

背広はすぐに脱がされて部屋の隅にある洋服入れへ仕舞われた。

クモ助はオナモミ型盗聴器『聞き耳タマゴ』を襟元の繊維へ仕込んだ。

次にその隣に吊られている山本アナの服の襟元にも仕込んだ。

あとはそっと影へ隠れて女中が料理を持って入ってくる時に

衾の合わせ目から脱出してクモママまで戻ってくるだけだった。

この『聞き耳タマゴ』にはGPSも入っているので

この男と山本アナの今後の場所はすぐわかることとなった。

 

Ryokoからの解析結果が送られてきた。

相手の男は、白川アナが移籍すると噂されている

YHT(ヤエスハッピーテレビ)の副社長 山谷越太郎だった。

夕食が終わりタクシーに乗ってホテルに移動すると一戦が始まった。

山本アナは少女っぽい部屋に住んでいるだけあって、

いつもより少し高めのアニメのような声で甘えて副社長へ奉仕し始めた。

「奈々って呼んで下さい。私の事をいつものようにお好きにして下さい」

「奈々、そうかそうか、わしが元気になるまで泣けよ、ははは」

『パシッ、パシッ』

「はい、あっ、痛い、もっとお願いします、もっと・・・」

「ははは、どうだ、どうだ」

「あっすてき、もっと強くお願いします。もっとそこに当たるようにお願い」

「こんな大事なところをいいのか、わかった、ははは」

「あっ、あっ、あっ・・・」

こんな時間がずっと続きやっと終わった。

「ねえ、副社長、いつに私を引き抜いてくれるの?」

「専務派の白川を潰してからだな」

「あの写真が出たら、もう駄目じゃないですか?

 ましてや専務に抱かれている写真を公表されてるし」

「そうだな、あいつは最近落ち着きがなくなって、

 俺に何を言われるか心配みたいだな」

「あと少しね。今、警察の紹介の探偵に頼んでるけど

 頼りなくてわからないと言ってる」

「あいつの技術はすごいもんじゃ、さすがに誰もわからないだろうなあ」

「ええ、あとは白川アナを潰すだけ」

「佐々木アナにはかわいそうなことをした、お前もひどい女よなあ」

「いいのよ、私に並ぼうなんていい気になり過ぎなの、男も知らない癖に」

(つづく)

38.再び『さざなみ』へ

家に戻り着替えてから米子市の繁華街の一角と聞いている角盤町へ行くこととした。

角盤町の路地には夕暮れに家路へと急ぐ人達に混じり、

もうだいぶアルコールが入った様子の数人もいる。

町の様子を見ながら少し細めの路地へ目を移した。

 

小さな看板で『さざなみ』と板書された小料理屋が目に入った。

暖色系のライトに照らされ、

さざなみの四文字を抜き取った水色地の新しい暖簾が下がっている。

暖簾から中を覗くともまだお客さんは居らず静かだった。

あまり変な店でもなさそうなので、

新規開拓に自分用の店として入ってみることとした。

 

「ガラッ、すみません、店空いてます?」

『はーい、いらっしゃい。今開けたところですので少々お待ち下さい』

とカウンターの奥の厨房から聞こえてくる。

女将さんの姿は見えなかった。

慎一はどこに座ろうかと考えて小料理屋の中を見回した時に、

突然、激しい頭痛に襲われた。

激しいフラッシュバックが起こり目も開けていられないくらいだった。

そして意識が混濁していく。

慎一は頭を押さえながら小上がりの畳間へ倒れこんだ。

 

静香は大きな音がしたので驚いて奥の厨房から顔を出した。

お客さんが小上がりに倒れている。

「お客さん、大丈夫ですか・・・あっ」

お客さんの顔を見て、今度は静香が立ちすくんでしまっている。

予想もしていなかったことに静香もしばらく動けずにいたが、

急いで店の扉を閉めて、『本日閉店』の札を下げた。

 

静香は火元を全て止めて

小上がりに座り

彼を膝枕し

彼の髪や背中や肩をそっと撫でている。

 

そっと撫でられるたびに痛みが引いていく。

『この不思議な感覚は何だろう』と目を開けると静香さんがいた。

慎一は、一瞬で全てを思い出し・・・心が理解した。

『この縁(えにし)を大切にした先には幸せがあるはず・・・』

 

「静香さん、ただいま」

「慎一さん、お帰りなさい。もうじき美波もくるわ」

(つづく)

29.局アナ盗撮事件を解明せよ 2

翔には腑に落ちないことがあった。

先ず画像の精度の問題。

①山本アナの裸体画像解析

 着替え画像はキチンとピントがあっているが、

 シャワー画像でバストトップにはピントが合っていない。

 首や胸の部分を拡大してみるとやはり巧妙に修正又は差し替えられた部分が見えた。

 身体の線は年齢の割には綺麗に写っている。

②佐々木アナの画像解析

 着替え画像はキチンとピントがあっているが、

 男に抱かれている画像は顔部分が差し替えられていた。

 身体の線は着替えの時より若干崩れ気味だった。

 とても気持ちよさそうな顔で写っている。

 男の顔は横顔ではっきりとは写っていないが、

 中年のような身体で首元の痣に特徴があった。

③白川アナの画像解析

 着替え画像はキチンとピントがあっているが、

 男に抱かれている画像は顔部分が差し替えられていた。

 酸っぱい物を食べたような顔で写っている。

 男の顔は横顔ではっきりとは写っていないが、

 結構年配な身体で髪の毛の生え際に特徴があった。

 

次に暴露画像の種類と世間への影響度についてである。

山本アナ :着替えとぼやけた裸体画像だけなので商売上大した影響はない。

佐々木アナ:お嬢様としても有名で朝の顔でもあるので、

      着替え画像はともかく男との画像は致命的である。

白川アナ :朝の番組の担当でもあり、

      裸のヨガ画像はともかく男との画像は致命的である。

 

翔はRyokoへ

『男に抱かれている佐々木アナと白川アナの顔つきと同じ画像』

をネット上で検索させた。

しばらくすると、

佐々木アナの入社当時のバラエティー番組で露天風呂に入っている画像が、

白川アナのバラエティー番組の罰ゲームで酸っぱい物を食べさせられた画像が

複数件ヒットした。

 

ネットで拡散された画像を詳細に調査してわかったことは

使われた合成技術は非常に巧妙で素人にはできないものということだった。

ただ合成にはその技術者の癖が出るのでその技術に関してRyokoへ検索させた。

これは少し時間がかかるのでとりあえず今日は家へ帰った。

その日から翔はクライアントの山本アナに不審を感じ、彼女の素行調査を開始した。

(つづく)

37.再赴任

「次は米子、米子」

慎一はひとつ背伸びをして手元にある人事異動通知書を見た。

                人事異動通知書

京都支店融資部 

日下 慎一  殿

                                  関西中央銀行本店

                                  人事部長 清水 英雄

貴殿を平成10年4月1日付で山陰支店への異動を命ずる。

                                            以上

 心の中の何かが記憶の蘇ることを邪魔していると感じている。

その部分が明確にならないと次の人生が踏み出せないとも思っている。

ただ焦るつもりは全くなかった。

まあ山陰の知識が無い以外、業務に支障は無いのでじっくりといく予定であった。

部屋は偶然、前と同じところが空いていたようだ。

部屋は覚えていないが、ベランダから見えるあの山にはうっすら記憶があった。

 

新しい配属先である『預金課』へ挨拶に行くと、

皆は『お久しぶりです』と言ってくれているが、

慎一には全く新しい顔の人達で戸惑いも感じている。

新しい知識とスキルを覚える毎日で、

無理をしないようにしていても自然と無理が掛かってきている。

朝に家を出て、夕方に弁当を買って帰っては寝る毎日だった。

ただ新しい業務は面白く、色々と深く考えることができ

新しい提案も考えるようになれそうな予感が出てきている。

思い出そうとする努力さえしなければ、ただ特に不満もなく毎日が過ぎていく。

毎日仕事で埋めていく慎一の脳裏からは

1月に頭痛の中で会った静香と美波の記憶は完全に消えていた。

 

米子市が桜色に染まるある土曜の朝、

湊山公園で桜を穏やかな気持ちで眺めている。

中海の水面は桜の花びらに染められており、

水鳥公園の鳥達も花見をしているのか、

ときおり水鳥の声らしきものが響き渡る。

賀茂川沿いの白壁土蔵を背景とした桜並木も見もので多くの人が散策している。

頬をなでる風も気持ちよく、すこぶる気分が良かった。

去年もきっとこんな風に桜が咲いていたのだろうなと思うと惜しい気がしてくる。

そうすると少しずつ頭痛に襲われるため

思考を停めて風に揺れる桜に見入った。

すべてがこんな状態なので機械的に仕事をしているのが一番良かった。

 

5月の連休は、27日28日30日1日を休めば長期となるが、

預金課員は無理で皆で調整し休暇を取り合った。

慎一は特に用事はなかったので1日に休暇を取り連続5日間の休暇とした。

全体的に短いため神戸には帰らずにこちらでゆっくりと過ごすつもりだった。

30日の夜は、米子市の繁華街にでも出てみようと考えていた。

(つづく)

28.局アナ盗撮事件を解明せよ 1

今、ネットではある情報が炎上している。

有名アナウンサー数人の全裸写真がネット上へ投稿されてしまったからだ。

一度、これが出てしまうと

コピーのコピーが出回り始めどうしようもなくなってしまう。

最初の被害者になったのは、

TSV(東京スーパーテレビ)からの移籍も噂されるほどの

実力派『山本奈々』アナ。

次がポスト山本アナと噂されている同局の『佐々木麗子』アナ。

山本アナが移籍すると噂されている

ライバル局のトップアナの『白川絵里』アナだった。

何気にネットを見ていて、翔が無意識についついプチッと押してしまった。

山本アナは、着替えている画像とシャワーを浴びている画像

佐々木アナは、着替えている画像と男に抱かれている画像

白川アナは、裸でヨガをしている画像と男に抱かれている画像だった。

 

それを百合が見逃すはずも無く、さっそく

「私のことしか見ないって言ってて、ふーん」

「違うよ、何気に百合に似て可愛い目だなと思ったんだよ」

「はいはい、所長、そんな画像を見る時間があるなら早く仕事へ行って下さい。

 確か昨日、いつものお婆さんからの依頼があったと記憶していますが」

「はい、わかりました。じゃあ、行ってきます」

 

翔が立ち上がった時、クライアントが入ってきた。

大きなサングラスとマスクで隠しているがどこかで見た顔だなと思ったら、

さきほどのネットの女性だった。

「いらっしゃいませ、こちらへどうぞ」

「ど・・・どうぞ、こちらへ」

 

クライアントは『山本奈々』アナだった。

目つきもきりっとして、大学のミスコン優勝者だけあってオーラが強かった。

今まで見ていた画像がチラリと頭をかすめるが必死で振り払った。

今回の依頼は3人のアナウンサーからのもので代表して、

一番年上の山本アナが来たとのことで

何とか犯人を見つけて欲しいとのことだった。

本庁の都倉警部にテレビ局の上層部が相談し翔が紹介されたようだ。

週刊誌はおもしろおかしく3人を報道し、裸の画像がドンドン出ている。

全員、若い女性でもあり精神的にも傷ついて番組を休んでいるらしい。

 

【依頼内容】

依頼人氏名:山本奈々様、佐々木麗子様、白川絵里様。

依頼人状況:会社員(アナウンサー)

種類:ネットへの裸体等の暴露被害

経過:ある日突然、ネット上に画像が投稿された。

調査方針:盗聴方法の解明と装置の撤去。犯人の特定。

 

先ず山本アナの部屋へ行き盗聴装置を探索した。

山本アナの部屋は、意外と少女趣味でたくさんのぬいぐるみが置かれている。

そのぬいぐるみの一つから盗撮装置がでてきた。

居間と寝室のコンセントからは盗聴装置、

風呂からは全く出てこなかった。

 

佐々木アナの部屋へ行き同じように探索した。

綺麗に掃除され整頓された部屋でネットに出たような生活は想像できなかった。

すごく落ち込んでおり気の毒なくらいだった。

寝室に置かれているファンからのボトルシップに盗撮装置、

居間と寝室のコンセントからは盗聴装置のみだった。

 

白川アナの部屋も同様に探索した。

あまり掃除には意識の無い女性のようで、無頓着に適当に置かれている。

ファンから届けられたぬいぐるみや、ボトルシップに盗撮装置、

居間と寝室のコンセントからは盗聴装置のみだった。

 

念のため、Ryokoにも画像を送り、

前の事件のように建物構造からの盗撮装置がないか確認してみたが無かった。

ぬいぐるみもボトルシップもテレビ局に届けられてからアナウンサーへ渡される。

相手は偽名を使っている可能性もあり特定は不可能だった。

(つづく)

36.春の息吹

2月も半ばを過ぎとなると暖かい陽射しの日が増えてくる。

慎一はその陽射しを受けながら徐々に活性化していく身体に気がついた。

頭蓋骨の線状骨折も接合し、肩の固定していたネジを外すと

身体は完全に元に戻りつつあることがわかった。

脳波測定からも異常なものはでていないが記憶だけが完全ではなかった。

医師からは

記憶には短期と長期があって、事故などの記憶喪失は短期のものが多く、

長期記憶まで障害を受けるのは、心的外傷の可能性が高いと言われている。

記憶はまだ完全には戻っていないが高松支店の頃までは戻って来つつある。

携帯のマニュアルも読める意欲が戻り

以前来ていた静香さんや美波ちゃんからの溜まっていたメール全て読んだが

心が何かを察知しているのか、その時の光景が浮かんでこない。

 

そんな時、人事部から電話があり、

京都で慎一が手掛けた仕事は先方も喜んでおり成功しているので、

京都にいるよりも元の米子に戻ってゆっくりと体調を戻して欲しいと言われた。

米子で『預金業務』の異動が発令された。

 

幸恵は静香へ異動でそちらにいくことを連絡し、兄のことを頼もうとしたが、

静香の返事は、以前と違いあまりにそっけないように感じた。

幸恵は、もしかしたら彼女はそっけない風を装って、

自らを落ち着かせているのかもしれないとも感じた。

この前の兄の反応を見ていれば、

わかる気もするが妹としては兄が心配だった。

以前の兄に戻ることへの心配と体調管理のことだった。

 

静香は幸恵さんからの連絡を聞いて、喜び半分、戸惑い半分だった。

彼のあの時の様子では元に戻ることは難しいと感じてのことだった。

彼が米子に来る日は待ち遠しいが、期待し過ぎることへの警戒心もあった。

美波にはいらない希望を抱かせないようにこのことは話さなかった。

もし美波が偶然それを知ってもそれはそれまでと考えていた。

 

あの時、『もう会わないと決めた心』が早くも揺らぎ始めている。

神戸から帰ってからは、1人になるといつも涙がにじんでくる毎日だったが、

美波のためにも元の母親に戻らなければならないと心を説得し続けていた。

そんな心の悲鳴を神様が聞いていてくれたのだろうか・・・

静香は『縁』へ感謝した。

そして、あの時の彼の言葉を信じて、ただ待つこととした。

(つづく)

27.翔とミーアと百合2

夕食が終わりゆっくりとしていると

「翔、私はそろそろ帰るよ、もう遅いから館林さんをお送りしなさい。

 そうそう、これはつまらないものですがご自宅の皆さんでお食べ下さい」

たくさんの野菜を百合用に詰めている。

「そんなにたくさんは、1人で住んでいますから」

「まあ、あなたのようなお嬢様がお1人ですか、それはいけません。

 翔、必ず館林さんをお守りするのですよ」

「いえ、そんなに大層なことではありませんから」

「いえ、大丈夫です。翔はこう見えても、

 まあまあできますから安心してください」

「もう、まだまだだと言ったり、そうじゃないと言ったり・・・

 確かにもう遅いから館林さん送るよ。今日はありがとう」

「お婆様、では私は帰ることとします。

 今日は大層に美味しいお料理をありがとうございました。」

「いえいえ、田舎料理ですから、気にしないで下さい。

 お口に合えばと思っています」

「すごく優しい味で美味しかったです。

 今度、機会があれば教えていただけませんか?」

「こんなので良かったら、いつでもお安い御用ですよ。

 次にお会いできる時を楽しみにしています」

「じゃあ、婆ちゃん、送ってくるよ」

「ああ、頼んだよ」

 

百合を電車で送りながら謝っていると、

「翔さんはあんな優しいお婆様に育てられたのですね」

「ああ、優しくて厳しい婆さんだよ。

 俺が6歳の時に両親が死んでからずっと育てて貰ってる。

 爺さんがこれまたすごい人でねえ。さすが夫婦だな」

「そうなんですか。翔さんのお爺様にも会ってみたいな」

「いや、偏屈な爺さんだからいいよ」

「こんなに強い翔さんを育てたお爺様なのでしょう?会いたいです」

「うーん、タイミングが合えばね。

 爺さんは女の子にはからっきし弱いから、きっと驚くだろうなあ」

「きっとですよ。約束ですからね。

 でも本当に美味しいご飯でした。

 ミーアも安心していたし私すごく楽しかった」

「そうだな。あの料理を食べると元気が出るよ。

 もちろん、百合のご飯が一番だけどね」

「そう言ってもらえるとうれしいです」

百合のマンションに着いたのでエントランスまで送ってアパートへ戻ってきた。

翔は、百合への婆さんの態度が気になった。

あの狸婆さんは何かを知っていると感じた。

(つづく)

35.静香親子、神戸へ

静香は、今週の土曜日に彼の実家に行くことを決め、妹の幸恵さんに伝えた。

『娘』と一緒に行くことを伝えると、

一瞬の間はあったが、幸恵さんは兄も記憶が戻ればいいなと大喜びだった。

 

土曜日は、米子駅で彼の大好きなできたての『ふろしき饅頭』を買い

朝一番のスーパーやくもに乗って岡山経由で新幹線に乗り換えて新神戸へ向かった。

そこから在来線に乗り換えて神戸駅へ降りた。

当然のことながら神戸は静香が依然住んでいた時とは全く印象は変わっていた。

 

慎一の実家の近くに行くと幸恵さんが長男の遼くんと一緒に待っていた。

遼くんが『オネーチャーン』と手を振っている。

『はじめまして美波です』と言って遼くんの手を繋いで家へと向かっている。

静香と幸恵はお互い挨拶をして歩き始めた。

その時、幸恵の視線が静香の左手に流れたことを自覚した。

静香は夫と死別してから指輪類は一切していなかった。

指輪が夫の代わりにはならなかったからだった。

 

玄関では慎一さんのご両親や幸恵の夫が待っている。

「初めてお目にかかります。後藤静香と申します。

 米子で日下さんには良くして頂いた者で

 日下さんが大変な怪我をされたと聞き急いでお見舞いにまいりました。

 これはつまらない物ですが、日下さんがお好きだった『ふろしき饅頭』です。

 今朝に蒸しあがったものですから皆さんでお食べ下さい」

「こんにちは、娘の美波です。

 おじさんには色々と良くしてくださって感謝しています。

 今日はおじさんの顔を見たくて参りました」

「まあまあ、こんなところで立ったままもなんですから、どうぞお上がり下さい。

 慎一ももうじき出てくると思います。さあ、どうぞ」

 

静香と美波が居間に通されて、お茶を飲みながら色々と話していると

慎一がゆっくりと奥の部屋から出てきた。

頭や肩には厳重な包帯が、顔や手足にはまだ絆創膏が貼られている。

心なしか顔つきにいつもの精彩が見られない。

「兄さん、今日は米子から後藤静香さんと美波ちゃんがお見舞いに来てくれたわよ」

幸恵が気を利かして、家族を部屋から出して3人だけにした。

「おじさん、会えて良かった。美波だよ、覚えてる?」

「みなみ・・・ちゃん?」

「美波、そんなに焦らないで、日下さんもびっくりしてるでしょ?」

「そうだった、おじさん、ごめんね」

「・・・」

慎一は頭の中の白い霧は晴れつつあるが、記憶の霧は晴れてこなかった。

確かにこの2人とはどこかで出会った気はしているが、

ほんの4か月前の話だそうだが、米子と言われても現実感はなかった・・・

 

しばらく色々と話してはいたが、

慎一は頭痛がひどくなって、吐き気がするようになりトイレへ向かった。

静香が後ろから背中をさすってくれている。

美波が我慢できずに泣き顔になって外へ出て行った。

慎一の症状が落ち着いてから

「日下さん、じっくりと養生してください。

 またいつでも米子に遊びに来てくださいね」

「すみません。美波ちゃん・・・でしたか、後でお詫びしといてください」

 

静香は幸恵さんへ米子に帰る事を伝えて日下家を出た。

幸恵は美波ちゃんの態度から兄の記憶が戻らなかったことに驚いてずっと謝っている。

『彼に私達のことはもう話さないで欲しい』とお願いした。

そして、もうこちらには顔を出さない考えであることを伝えた。

彼の苦しみをこれ以上見たくなかったからだ。

私たちと会えば彼を苦しませることになるからだった。

彼のあの様子ではやはり思い出す事は、記憶が戻る事はすぐには無理だと感じた。

『もう二度と彼に会う事はない』と心に決めた。

美波にはかわいそうだが、けがをしたからとの理由で納得させるしかなかった。

しかし、静香も美波も彼との1年半は一生忘れない出来事だった。

『縁(えにし)』という言葉が浮かんだが、今は祈る気持ちにはなれなかった。

彼によって開かれた静香の心の扉は彼によって閉じられた。

また彼に出会う前の静香と美波の日常が始まるだけだと思いこもうとした。

(つづく)

26.翔とミーアと百合 1

翔がミーアを飼い始めてから百合が翔の部屋へ来る回数が増えている。

そうなってくるとお互いが急速に親しみを増してくるもので、

百合のぎこちない笑顔が自然なものとなるまで時間はそれほどかからなかった。

元々百合は翔の強さを尊敬しているし、態度はぶっきらぼうだが、

本当の彼の優しいところを知っているので恋へと変わるのは自然だった。

翔も小さい時から修行一本の生活で女の子とは全く接点がなかったし、

ネットを見て、デートだとかファッションだとかに時間を費やすつもりはなかった。

実は百合もそういうことは苦手というより興味がなかったので二人の波長はあった。

百合は生物化学研究室で研究をする傍ら、同好会にも顔を出し学生生活を楽しんだ。

翔とはまだ手もつながない関係だったがそばにいるだけでお互いが落ち着いた。

二人には一緒にいるだけで何をするでもない時間が意外と心地良かった。

 

百合が翔のためにご飯を作るようになると

質素ではあるが吟味された素材を使った料理は翔のお気に入りになった。

翔も今流行りの草食系男子では決してないし、

健康な男であるから女性にはそれなりの感覚を持っているが、

なぜか、特に百合に対してはその笑顔だけで十分満たされてしまっていた。

ぱっと花が咲いたような笑顔、

キラキラ光るあどけない瞳、

口許からこぼれる真珠のような歯、

翔はその全てが好きだった。

次期党首候補として、男として、人間として無責任なことはしないと決めていた。

ただミーアを挟んでの二人でいるだけで満たされる暖かい関係を好んだ。

 

ある時、百合が翔の家へ向かっていると、

大きな風呂敷を持っているお婆さんがベンチに座って汗を拭きながら休んでいる。

「お婆さん、そんなに大きな荷物を持って大変ですね。

 もし良かったら、行かれる場所まで荷物を持ってお手伝いいたしますよ」

「あらまあ、こんな若いお嬢さんが、ありがとうございます。

 実はこの近くに孫の住んでいるアパートがあって、

 田舎から野菜を持ってきたのですよ。助かります」

百合とそのお婆さんが連れ立ってアパートに向かっていくと

なんと翔のアパートだった。

そして向かう部屋も翔の部屋だった。

百合は驚いて

「もしかして、桐生さんのお婆様ですか?」

「はい、そうですよ。翔、ドアを開けておくれ」

「ああ、婆ちゃん、開いてるよ。

 あっ、百合、さん、も一緒だったの、驚いた」

「偶然、お婆様にお会いして一緒に来ました」

「ああ、私がベンチで休んでいるとこのお嬢さん、百合さん?

 手伝いますよと声を掛けてくれて、持ってもらってたのさ」

「ああ、館林さん、ありがとう。助かったよ」

「えっ?館林?さん・・・」

「ええ、いつも桐生さんにはお世話になってます」

「まあ、そんなところで話もなんだから部屋へ入ってよ」

「ああ、そうだね。あらっ?この前来た時とはえらく綺麗になってるねえ」

「うん、館林さんにたまにやって貰っているんだ」

「いえ、そんなにうまくできている訳ではありません」

「ふーん、館林さんにねえ」

三人は部屋に入り、百合がお茶を入れる準備を始めた。

「こんなことまでしていただいて申し訳ありません」

「いえ、私が入れます。お婆様にしていただく訳にはまいりません」

「それはそれはありがとうございます。翔、館林さんに座布団を出しなさい」

「あ、はい、座布団は座布団は・・・」

「あの、押入れの右下にしまっています」

「ああ、ありがとう」

「何だね、この子は、もしかしてみんな館林さんにさせているのかねえ」

「いえ、そういう訳ではありません。私が昨日掃除した時にしまったもので」

「いつも孫の翔に良くして頂いてありがとうございます」

「いえいえ、私が桐生さんに助けて頂いてばかりなのでほんのお礼です」

「まあ、何をしたかはわかりませんが、

 この子はまだまだですから、いい気になるのでおだてないで下さい」

「婆ちゃん、もういいよ。館林さん、ごめんね、ありがとう」

「いえ、全然気にしていません。お元気で明るいお婆様で私は好きです。

 うちの葉山の祖父母も元気すぎてこちらが困るくらいですから」

「へえ、葉山に居られるのですか・・・

 年寄りは元気でいるのが一番ですからお大事にされて下さい」

「はい、ありがとうございます」

今夜は翔と百合とミーアに翔のお婆さんが入って4人で賑やかな夕食となった。

(つづく)

34.幸恵の疑問

幸恵は以前から不思議に感じていることがあった。

兄の慎一が父親へある時から理解を示すようになったことに対してだった。

『夫婦の事は夫婦でしかわからない。子供にはわからない』

『お酒を飲んでいない父さんを知っているのはお母さんだけやから』

兄とは長い間一緒にいるがそんな言葉は聞いたことがないものばかりだった。

兄は米子に赴任してから大きく変わったと感じている。

今までは仕事だけの人だったが最近は仕事以外のことにも興味を持っている。

もちろん昔も今も相変わらずの仕事漬け人間であることは確かだが、

少しは人間らしく変わったと感じている。

 

その時に幸恵はあの写真立てのことを思い出した。

兄に内緒で段ボールの中から取り出した。

花見とテニス大会の時のようだ。

良く似た印象の笑顔の母娘が一緒に写っている。

兄の顔も今まで見た事も無いような明るい笑顔だった。

そして、携帯電話の声と写真の母親らしき女性が重なった。

幸恵は急いで携帯電話を出して着信履歴を見るとあの時の番号が残っている。

急いで彼女へかけ直した。

 

「はい、後藤です」

電話番号は彼の物だがもし奥さんだったらいけないと思ったのだ。

「もしもし、私は日下幸恵と云う者で日下慎一の妹です。

 先日お電話があったようですが、兄に連絡があったのではないのですか?」

「は、はい、ああ日下さんの妹さんですか?

 はい、日下さんがどうされているかと思ってお掛けしたのですが、

 お元気ですか?」

「実は・・・」

幸恵は今までの経緯と兄の怪我の状態や記憶喪失になっていること、

携帯電話は壊れていたので昨日新しいものに変えたことなども伝えた。

控え目ながらしっかりとした電話の受け応えから、

どうやら兄が好みそうな女性であることがわかった。

そして兄が米子で付き合っている女性ではないかと思い、

年も近いであろう後藤さんに幸恵は好意を覚えた。

そして「もし良かったら一度、兄に会って貰えないですか?」と伝えた。

 

静香は電話を切って、あまりの出来事にその場で座り込んでしまった。

一瞬、喜んでいいのか悲しんでいいのかわからなかった。

ほんの今まで彼を忘れようと考えていたところだったからだった。

美波にどう伝えようか考えて、

やはり悲しいけれど正直に言うしかないと思っていたからだった。

彼がそんな大変なことになっていたのに

私は自分のことばかり考えて恥ずかしかった。

今はとにかく彼の身体の怪我と記憶喪失の事が気になった。

怪我のせいでここ数年の記憶がないらしい。

(つづく)

25.幼い兄妹(きょうだい)の依頼 5

 「おまえ たれ ある」

趙が突然客室へ入ってきた。

翔は急いで彼女をベッドの後へ隠れさせると趙へ攻撃した。

それなりに中国拳法使うが、高齢で体力も続かなくなりフウフウ言い始めたので

後頭部へ手刀を落とし昏睡させた。

続いて秘書らしき男も入ってきたが、趙を盾にしているので攻撃してこない。

甲板まで出ていき理恵子さんに内側から鍵を掛けさせた。

後から気配を消した先ほどの秘書が無言で拳を放ってきた。

口が丸くすぼめられているのが見えた。

さっと盾の趙を前に出し拳を避けると趙が苦しみだした。

趙の顔面を見ると細かい針が突き立っている。

そのうち趙が痙攣を起こし始めた。

毒針だった。

 

こいつがこの前の事件のボスを拘置所内で殺した男に違いなかった。

何とかしたいと考えていると海上保安庁が近づいてきた。

男が浮足立って逃げに入った。

手の平からクモの巣を発射した。

男はデッキの柱に縛り付けられた。

急いで振動棒で機関部を破壊し、目につく武器類をバラバラにした。

 

向こうからもう一人がダブダブの服をはためかせながらやってくる。

両手から光る物が投げられた。

手の位置がまっすぐに心臓と首筋を狙ってきている。

さっと避けて近寄り蹴りを放つ。

袖からキラリと光るものが見えた、長い針のようだ。

男は上に跳んで避けながらこちらに蹴りを放ちつつ針を投げる体勢は変わっていない。

この針にも毒が縫っている可能性がある。

蹴りを受ける振りをして後に倒れこむ隙を作ると

すぐさま敵は馬乗りになり針を突き立てる体勢となった。

その瞬間、後頭部に蹴りを放った。

男の顔の表面が浮くほどの強烈な蹴りだったので男は吹っ飛んで倒れている。

もし蹴りを避けられてもその瞬間、隙が出来た脇腹へ抜き手が入る。

 

もう一人の太った男が向かってくる。

無防備に向かってくるので蹴りと拳を繰り出したがすべて弾き返された。

どうやら硬気功のようで物理的攻撃は効きづらい。

腹筋の間に抜き手を狙ったが入らない。

こうなれば相手にはかわいそうだが使うしかなかった。

翔は『一本拳』を使い指の根元までたっぷりと水月へ打ち込んだ。

さすがの敵も転げまわって苦しんでいる。

そっと後へ回り後頭部へ手刀を入れて昏睡させた。

これでこの事件は一見落着だった。

後でわかったことだが、趙が東京におけるチャイニーズマフィアの一人であり、

「臓器売買」「人身売買」「仕事人による殺人」組織は壊滅させることができた。

 

理恵子さんは、覚醒剤中毒となっており、施設に入り断薬をしている。

子供たちは少しの間という事で児童相談所へ預けられた。

この兄妹から聞いたところによると、

木の根元でお腹が空いて寒くなって、意識がだんだん無くなって来た時

お父さんが現れて翔のところへ導いたらしい。

その後、ずっとお母さんの近くにいたそうで、

ある時、突然お兄さんの元へ引っ張られて助けてもらったと言っている。

指輪もいつの間にか無くなっていたと言っている。

(つづく)

33.間違い電話

兄が実家に帰って来て、だんだんと話すようになると

幸恵は兄の枕元に壊れた携帯があったことを思い出した。

仕事上の事は全く心配する必要がないのでそのままにしようかと思ったし

兄に聞いても特に困っていないと言うばかりなのでそのままにしていた。

 

ある夜、ふと兄の部屋に行った時に見た写真立てを思い出したが、

兄に聞いても「???」の状態で何の返事も無いのでそのままにした。

土曜日に自分の携帯電話の調子が悪いついでにショップへ行き

兄の携帯も見てもらった。

ほとんど完全に壊れているので買い換えた方がいいと言われたが、

番号を変えるのも困るだろうと思い、番号を変えずに新しい携帯電話に変えた。

 

兄がリハビリに言っている時に、携帯電話が鳴った。

「はい、日下です」

「えっ?・・・いえ・・・何でもありません」

『???・・・今の電話・・・間違いだったのかしら・・・』

子供を迎えに行く時間が近づいて来たのでその電話のことも忘れてしまった。

 

静香は息が詰まりそうになった。

驚きのあまり発作的に携帯電話を切ってしまった・・・

慎一の携帯電話に女性が出たからだった。

声の感じからして彼と年が近いと思われた。

 

彼ともう1か月以上連絡がつかなかった。

今日は土曜日だから、もしやと思い電話を掛けたのだった。

そして、やっと繋がったと思ったら彼の携帯電話から

「はい、日下です」

静香はその瞬間、知ってはいけないものを知ったようなショックに襲われた。

これが連絡のつかなかった理由だったと思った。

今の瞬間、家に美波がいなくて良かったと思った。

視界が涙でぼやけてくる。

胸に大きな穴が空き北風が吹き込んでくる。

あの時の彼の言葉が蘇ってきて胸がすごく痛くなった。

『やはり』の思いは強かった・・・

(つづく)

32.霧と痛みの世界

慎一は目を覚ました。

見覚えのない白い天井が目に映る。

心配そうに覘きこむ母親と妹の顔が見える。

隣にどこかで見たような顔色の悪い痩せた老人がいる。

話し掛けてきているがその内容はわからなかった。

医師が現れて、何か声を掛けてくる。

聞かれている意味がわからないので答えようとした、

その時、全身から突然の痛みに襲われた。

大きな悲鳴を上げたらしく、医師が痛み止めを打ってくれた。

 

しばらくして痛みがひいて来るとまた眠った。

夢を見るわけでなく、眠りたいという意識もなく、ただ霧の世界へ戻っていく。

そういう世界を何度か彷徨(さまよ)うあいだに

意識から少しずつベールが剥がれていく。

 

慎一は

自分がどうやらマンションの階段から落ちて入院していること。

肩を複雑骨折して手術していること。

全身打撲で身体を動かすことも困難なこと。

頭蓋骨は線状骨折で現在、脳組織への障害を経過観察中とのこと。

の4点は理解できた。

しかし

なぜ京都にいるのか

京都で何をしていたのか

全く覚えていなかった。

色々と思い出そうとしても

すぐに頭痛や吐き気が出てきて思い出せなかった。

 

意識の戻ったことを聞きつけて上司が見舞いに来たが誰かわからなかった。

チーム員も顔を出し、慎一が提案した『浜絣』が少しずつブームになりつつあると

報告してくれたがその『浜絣』を理解できなかった。

ただ慎一が京都での仕事は成果が出たということは理解できた。

そうこうするうちに年末の忙しさのため仕事関係者の足も遠のいて行った。

 

医師は、慎一と家族へ

「脳実質に頭蓋骨骨折の影響はなく、脳出血等の心配もなく

硬膜下血腫の起こらないことを確認できたのでもうリハビリに入ってください。

記憶が戻らないのは一時的なものなので安心して、しばらく静養してください」

そして、神戸の実家近くの病院を紹介され、

リハビリ開始と共に正月は実家でゆっくりと過ごした。

有給休暇も使い切ったので

銀行側も現場復帰はまだ無理との判断で長期療養の手続きに入った。

 

妹が京都のマンションに行って当初の生活着を持って帰って来た。

色々な物を箱に詰めてきたとは聞いているが中を全く見なかった。

実家では自分の部屋で横になっては眠り、リハビリに行って帰っては眠った。

当然、頭が本調子でないことは理解していたが元に戻す気力が湧かなかった。

 

実は母親と一緒にいる爺さんは父親だとわかって驚いた慎一であった。

母親が昔の写真を持って部屋に入ってきては色々と話していく。

昔の酒の入っていない父親の姿は当然だが若かった。

慎一もにっこりと笑って父親に抱き上げられている。

七五三の時の妹幸恵のうれしそうな顔。

慎一は記憶にあった父親の姿が変わっていくことに気がついた。

『夫婦のことは夫婦しかわからない』という言葉が浮かんできたが

頭痛がしてきたので写真から目を離して休んだ。

しかし少しずつではあるが、慎一は意欲が戻りつつあり

『何とかしなくては』と思い始めてもいた。

(つづく)

24.幼い兄妹(きょうだい)の依頼 4

翔は都倉警部へ急いでこのたびの事件を連絡した。

実は公安も内偵を進めていたようですぐに連携が取れた。

すぐに新宿のアジトに急行したが、もぬけの殻だったらしい。

富士の別荘の部下からの定時連絡がなかったので異変に感づいたのかもしれない。

急いで百合に『聞き耳タマゴ』の位置を探索させると

横浜港の船の中に理恵子さんがいることがわかった。

 

都倉警部にその情報を伝え、翔も現場へ急行することとした。

ヘルメットに『スーパーモード』と伝える。

後輪部分が後へ移動しサイドカーが組み込まれ4輪体勢になる。

シート部分が下がり、それに伴いフロントフォーク部分が延びハンドルが近づく。

カウル部分がライダーの後ろまで流線型に延びて固定される。

タンク部分にはコンピューターが組み込まれており、

コードが延びてきてヘルメットへ接続される。

これでヘルメットのフェイス面へ情報が映り指示も出来るようになる。

走行時はコンピューター制御となり車体の傾けから全て自動運転となる。

安全走行の最高速度は300キロと羽根をつければ跳びそうなバイクである。

ステルス装甲のバイクなので速度違反に引っかかることはない。

 

このスピードを追跡できる車両はスーパーカーだけなので安心して横浜港へ向かった。

30分で横浜港への標識が見えてきた。

スーパーモードを解除し港へ向かうと都倉警部が待っていた。

現在、富士の別荘は静岡県警に向かわせているとのことだった。

 

ここからは時間の勝負だが、人質の理恵子さんが心配だった。

趙は小型客船に武器らしきものを積んでいる気配があり

海上保安庁が趙の船を港から逃がさないように見張っているが反撃が心配だった。

翔は都倉警部と打ち合わせた。

敵の武器を沈黙させることと人質の救出を同時にする必要があると考え、

船腹まで翔が近づき舟の後ろ側にある部屋へ忍び込み人質の理恵子さんを救出する。

救出後、すぐさま兵器とエンジンを無力化することとした。

 

翔はそっと海に入りバトルヘルメットのボタンを押した。

ヘルメットとスーツの連結が開始され、ヘルメット内も気密構造となる。

ヘルメット内の酸素カプセルには1時間程度は活動が可能な量が埋蔵されている。

バトルブーツの裏側の底蓋が空きスクリュ-が回転する。

翔は音も立てずに船へ寄っていく。

敵もライトなどを照らして警戒しているが、

水中を来られては気づくはずがなかった。

やがて船尾へ到着し、

バトルハンドの手の平から黒のクモの糸状の物質が噴射され船尾の部品に絡みついた。

見つからない様にそっとよじ登っていく。

敵も気が付かなかったようで人質が幽閉されている客室へ向かった。

彼女は後ろ手にロープで縛られておりぐったりとしている。

翔は急いでロープを切断し、お子さんを無事助けたことを伝えた。

彼女の瞳に光が戻り始めた。

(つづく)

31.壊れた携帯

静香は夜になって何度も電話をしたが

『お客様の携帯電話が圏外にいるか電源が入っていないので繋がりません』

のアナウンスが聞こえてくる。

メールを送っても返信はなかった。

もしかして彼の身に大変な事が起こったのかも?

なぜか異音を発し二つに割れた湯呑が気にかかる・・・

もしかしたら単に携帯が壊れて修理に時間がかかっているのかも?

そうだったら別にいいんだけれど・・・

 

銀行に電話を掛けても身内でもない人間に教えてくれるはずもない。

彼から何の連絡もないのに京都に行けるはずもなくじっと待つ日々が続いた。

昔は携帯電話のような便利なものは無かったため

ある意味、待つ時間を楽しんだり、それゆえの苦しみもあったが

現在のようにすぐに繋がるような時代になると、

繋がらなくなった時の不安は昔より大きくなることに気づいた。

 

何度もメールをしている美波は不安そうな顔になっている。

『きっと何か理由があるはずだから待ってましょう』と言い続けるしかなかった。

一人になると色々な不安が心へもたげてくる。

本当に待ってていいのかしら・・・

最後だから私を喜ばせたくてあんな嘘を言ったのかも・・・

やはり私では駄目なのかも・・・

いや、彼の言葉を信じるべき・・・

夫に約束した?

夫?

夫と死別している女は重荷では・・・

私達親子が彼には負担だったのかも・・・

彼は優しいから私達親子を傷つけないようにしてくれていたのかも・・・

 

彼の優しい抱擁を思い出すだけで胸が熱くなる。

彼の唇を思い出すだけで頬が熱くなる。

彼の香りとまなざしを思い出すだけで心が落ち着いた。

やはり彼の言うとおりずっと待ってよ・・・

でも、もし彼に好きな人ができたら私はどうしたらいいのかしら・・・

そしてその時、美波にはどう言えばいいのかしら・・・

その後、私の心はもう一度昔に戻ることができるのかしら・・・

彼によって一度開け放たれた心の扉は、もう閉めることが出来なくなっている。

(つづく)